菅首相が永井陽之助『平和の代償』と松下圭一「市民自治の思想」を紹介したことから判ること(2)

2010年6月30日 (水)

また、後者の永井陽之助の『平和の代償』について、菅首相は首相就任時の「施政方針演説」で次のように述べています。

 「わが国が、憲法の前文にあるように、『国際社会において、名誉ある地位を占め』るための外交は、どうあるべきか。永井先生との議論を通じ、相手国に受動的に対応するだけでは外交は築かれないと学びました。この国をどういう国にしたいのか、時には自国のために代償を払う覚悟ができるか。国民一人ひとりがこうした責任を自覚し、それを背景に行われるのが外交であると考えます。」

 しかし、永井氏は、このことについて『平和の代償』(1967年)では次のように述べていました。

 「よく人は問う。『日本の防衛というが、いったい、だれのために、だれに対して、なにを防衛するのか』と。その問いは、現在の自衛隊が、アメリカのために、ソ連と中国に対して、アメリカの基地を防衛しているにすぎないのではないか、という深い危惧を表明している。この不安は当然で、ある意味で、事実そのとおりである、といわざるをえまい。

 しかし、何がそうさせているのか。さきの問いも、『防衛とは自国のためであり、また、そうでなければならない』ということが疑わざるべからざる当然の前提のようになっている。その前提そのものが少しも疑われていない.。戦後われわれ日本人が、以下に国際的責任感と、平和への連帯意識を喪失し、一種の孤立主義に陥っているかの証拠である。

 国連中心の日本が、海外派兵の義務を拒否して、権利のみを主張する態度にもそれがあらわれているが、防衛とは、自国のためだけでは決してないのだ。隣人のためなのである。アメリカのためであり、ソ連、中国のためであり、南北腸炎、台湾、あるいは東南アジア諸国民のためでもある。

 ・・・もう少し具体的に説明すると、いまかりに、米ソ中三国が、いずれも、独占的に日本を軍事的、政治的にコントロールしていない状態(中立状態)を想定し、しかも、日本が非武装中立(略)でいるとしよう。アメリカはさておいて、中ソ両国間の紛争がいつ何時、軍事的緊張が高まらないとも限らない。不明確で長い国境線を接して相対峙する二大陸軍国が、将来、いつ何時、局地戦闘に入らないと、だれが保障できるか。

 その緊張が高まるにつれて、ソ連の政策決定者の目には、無気力な日本が、中国によって軍事的・政治的にコントロールされる可能性の増大を予見し、激しい不安にかられ、中国もまた、同じ不安にかれる。なぜなら、日本が、自らの力でアジアの安定勢力とならない限り、先制攻撃ないしその威嚇によって先に基地化されれば、力のバランスが急速にくずれるからだ。いわんや、アメリカのペンタゴン(国防総省)が、その可能性を黙過するわけがない。現代の戦争は、この予見による予防行動から始まるのである。

 ・・・日本を極東のバルカンにしてはならない最小限度の義務を我々は国際社会の一員として担っている。自らの力で、周囲の善意ある第三者に対して、最小限度の安全感を与えるだけの政治的安定性と抵抗力を培養することは、現代の全ての国民に課せられた違和への最低限の義務である。この義務を怠って他人依存の平和国家を誇っても、国際社会で尊敬をかちうるものではあるまい。

 ・・・むろん(そのための)コストは、せまい軍事力だけではなく、政治的安定の確保、経済力の充実、大衆福祉の増大、階級差の減少、高い士気、抵抗の精神などの培養が第一であるが、やはり、同盟と連合をつくる以外にはない。だれと、連合をつくり、独立の主体性を可能な限り保持するか、その防衛力の比率をどのくらいにしたらよいか、兵器体系と兵力構造はどのように配分するのが最適か、これはすべて現状維持国としての日本の利益に立った基本的な外交政策の確立と、長期と短期の国際情勢の冷静な分析の上に、理性的、総合的に決定さるべきであろう。」(同書p64~67)

 つまり、ここにおける永井氏の議論の中心は、「防衛とは、自国のためだけでは決してない。隣人のためでもあるのだ」ということなのです。菅首相は、永井氏の『平和の代償』を「外交において、時には自国のために代償を払う覚悟をすること」と紹介しています。つまり、「代償」という言葉を”犠牲”的なものとして消極的に使っているのですが、永井氏の場合は、むしろ、平和維持のための積極的な”貢献”としての防衛力の意義を説いているのです。

 さらに永井氏は、こうした防衛力の維持は「恐怖の均衡」という閉じられた密室でのギャンブルのようなものだが、それを「信頼の均衡」を目指して、少なくとも「慎慮の均衡」に前進すべきだといっています。そのためには、まず、軍備コントロールの拡充と強化が必要だと。その根本思想は、人間の「理性」の勝利への確信ということで、国際関係における「対抗」と「協力」の関係を、両者のバランスを取りながら次第に後者の方向にシフトしていく。つまり「恐怖の均衡」を「慎慮の均衡」に転化せしめることだ、といっているのです。

 また、このためには、超大国の責任と義務を自覚せしめることが大事で、如何なる国際機関も、こうした超大国の「慎慮」と「自己抑制」に支えられない限り、その道具化するだけだといっています。つまり、超大国の責任と義務の自覚があってはじめて、国際機関(国連)の、国際的犯罪やギャンブルがペイしないような「抑止と拘束」の制度化による、平和維持が可能となる、といっているのです。

 そしてこの本の末尾の言葉。

 「平和への道は険しく、忍耐と自制のいる迂路である。少なくとも、それは、燃える平和と正義への情熱をかき立てる何ものもない道程であろう。それはただ、「暴力」よりは「術策」が、「愚直」よりは「慎慮」が、「恐喝」よりは「駈引き」が、「悪徳」よりは「偽善」が優越する不正義の秩序であるに過ぎない。しかも、その秩序が、「恐怖の管理」の成功にみちびき、人類を恐怖から解放した暁こそ、人類は「神々のたそがれ」の淵にたたされるときかも知れない」(同書P202)

 この文章が書かれたのは1967年。まさに東西冷戦真っただ中、ベトナム戦争の真っ最中でした。中国では文化大革命(66年)が始まり、毛沢東は米国を「張り子の虎」と呼んで世界の民族解放戦争を支援していました。一方、ソ連のチェコへの軍事介入から珍宝島事件を経て71年にはニクソン訪中を機に中国の対米接近、中国はソ連を社会帝国主義と呼んで中ソ対立が激化するという、まさに国際政治の緊張が連続する激動の時代でした。

今日は、この激動の時代からすでに40年以上が経過し、ソ連邦は解体して15の共和国に分裂。中国も毛沢東時代の社会主義革命路線から鄧小平による社会主義市場経済の導入を経て、次第に自由主義化の道を歩むようになっています。この点では、超大国間のイデオロギー対立も沈静化し、その責任と義務の自覚も高まり、国連の「抑止と拘束」による平和維持もかなりやりやすくなっていると思います。その一方で、「武差別テロ」を武器に、国際的犯罪やギャンブルに訴える人びとが出てきているわけですが・・・。

 それにしても、40年前、日本でも、『平和の代償』に見られるようなこれだけの防衛論議がなされながら、それ以降の日本防衛論議は一体どれだけ進歩したのでしょうか。菅首相の「平和の代償」の紹介が、”犠牲”としての代償に止まっている如く、また、沖縄の基地負担の問題が”迷惑施設”の押しつけに矮小化されている如く、この国は、このグローバルの時代に、精神的な「鎖国状態」に陥りつつあるのではないかと危惧されます。

 国際社会の平和維持のために、日本の積極的に果たすべき”犠牲”ならぬ”貢献”としての防衛論議こそ求められているのではないでしょうか。