「私人」と「公権力」の関係を規定する「人権」概念が、「私人」間の関係を律するようになって起こったこと

2012年7月29日 (日)

 社会主義という言葉が、日本人の平等観念を刺激しなくなって以降、それに代わって日本人の人間関係を包括的に規制するようになった言葉が、「人権」ではないかと思います。私の友人には、「人権」という言葉が、あたかもアンタッチャブルの真理であるかの如く闊歩している状況をさして「人権真理教」と悪口を言う人もいます。実際、「人権」は今日の自治体行政の主要なテーマにもなっていて、自治体が市民に道徳としての「人権」を講釈する状況さえ生まれています。つまり、今日の日本では、道徳を説くのは宗教界の仕事ではなくて、役所の仕事になっているのです。

 私がこうした現象を不可思議に思うのは、もともと「人権」概念は法律概念であって道徳概念ではないと考えるからです。ご存じの通り、日本国憲法には「人権」についての規定があります。この内、市民「道徳」との関連で問題となるのが、市民の「精神的自由」を保障した「基本的人権」の規定で、次のようなものがあります。

・思想・良心の自由(特定の信仰・思想を強要されない、また思想調査をされない権利 (第19条、第20条、第21条))
・ 学問の自由―大学の自治保障(第23条)
・ 表現の自由(第21条)
・ 集会・結社の自由(第21条)
・ 通信の秘密(第21条)

 いうまでもなくこれらは、「私人」としての市民と、「公権力」としての国や自治体との関係を規定するもので、公権力が「私人」たる市民に権力を行使する際、これらの市民の「精神的自由」を侵害してはならないことを規定するものです。言い換えれば、市民がどのような「思想・信条」を持とうとそれは個人の自由であって、公権力がそれを規制したり、干渉したりすることを禁ずるものです。

 もちろん、今日の社会秩序は、「法」によって守られています。しかし、法的規制はあくまで個人を外面的行為を規制するだけであって、個人の内面を規制するものではありません。では、個人の内面を規制するものはなにか、というと、実は、これが倫理とか道徳とか常識とかいうものであって、それは、あくまで個人を内面的・自律的にコントロールしようとするものです。

 では、この自己を自律的にコントロールする力は、どのように習得されるのかというと、いうまでもなく、これは「しつけ」や「教育」によって、親から子、大人から子供、教師から生徒へと「教え」られるものです。ところが、この親から子、大人から子供、さらに教師から生徒へと伝えられるべき「教え」が、戦後の民主化・平等化・自由化の流れの中で次第に融解し形をとどめなくなっていること。その代用として登場したのが、上述した「人権」という法律概念なのです。

 つまり、本来、個人の内面的自由を保障するはずの「人権」概念が、個人の内面を権力的に規制する「えせ」道徳概念へと転化したのです。そして、そのことに誰も異議を申し立てることができなくなったいる。異議を申し立てれば、その個人は倫理的・道徳的・法律的に許されない、いわば「差別者」として断罪されるという、極めて倒錯した状況が今日の日本に生まれているのです。

 こうした、戦後の日本社会における法律概念と道徳概念の混同という現象に、いち早く警告を発したのが福田恒存でした。氏は、「人権と人格」と題するエッセイの中で、当時はやった「嫌煙権」を題材につぎのように述べています。

 「煙草にせよ、酒にせよ、その他何にせよ、迷惑を掛ける側が他人の立場に立って自分を抑へる、その心の働きは常識である。それがまた道徳に道を通じてゐる。なぜなら人は善意からに心せよ、或は背に腹は代へられぬ苦境からにもせよ、必ず誰かに迷惑を及ぼす、人間存在そのものが悪の根源だからである。隨って、人間は絶えず後ろめたさに堪へながら生きてゐる。良心とは自分の存在、言動に後ろめたさを感じ得る能力の事であり、その能力の統一ある働き、詰り、後ろめたさに堪へ、なほそれと闘ひ、自分との馴合ひを抑ける努力を通じて人格が形造られる。円熟とはその揚句の果に到達した境地、どうやらやっと自分と折合ひが附いたといふ事であらう。それは馴合ひとは違ふ。争はなければ折合ひは無い。馴合ひは争いの廻避である。

 が、人はとかく自分の、或は人間そのものの後ろめたさに気附く事を恐れる。その結果、それに気附かずに済ませる様な機構の整備にばかり意を用ゐる様になる。悪や利己心の克服を自分の能力や責任の問題とする事を避け、それを外部の物的メカニズムに肩代りして貰はうとずる。人は事毎に自由を求め、その実現を計る事によって、却つて自由を働かせる余地を狭める事に狂奔してゐるとしか思はれない。自由の為の法、政治機構、社會制度を完備すれば、それらに頼り、それらによって保障された自由は、それらに左右された自由といふ事になり、真の自由ではない。」

 いわんとするところは、「迷惑を掛ける側が他人の立場に立って自分を抑へる、その心の働きは常識である。それがまた道徳に道を通じてゐる。」ということ。そして、こうした「こころの働き=良心」を強めるためには、「自分の存在、言動に後ろめたさを感じ得る能力」、その「後ろめたさに堪へ、なほそれと闘ひ、自分との馴合ひを抑ける努力を通じて「自分と折り合いをつける」こと。それが「人格」を形づくるということ。それは、自分と「馴合う」ことではない。「争はなければ折合ひは無い。馴合ひは争いの廻避である。」ということです。

 この文章は、昭和53年に書かれたものですが、その後、この「人権」概念は同和問題ともからんで、次のような「人権教育」へと発展しました。

 「日本における人権教育は、かつての同和教育を継承・拡張させてきた側面を持ち、社会的少数者への認識を深め、差別に反対し平等な社会を築くことをめざした学習が中心となっている。

同和教育で問題にされたのは、被差別部落出身者に対する差別であった。しかし次第に内容が拡張され、在日韓国・朝鮮人の問題、女性の問題、障害者や高齢者の問題、子供の問題なども含めた人権問題一般を扱う人権教育に発展した。

 また、国による同和対策も進行して実体としての差別的状況がおおよそ改善されたこと、人々の意識に上る被差別部落が減ったことなどの状況の変化があり、地対財特法などの特別措置も期限が切れ、具体的対象が明確化しづらくなったこと(被差別部落というべき対象の形式的な消失)から、同和という言葉そのものの存在理由が見いだしづらくなり、かつての同和対策事業から人権啓発事業に切り替えられた。」(wiki「人権教育」参照)

 つまり、この段階で、「人権」という個人の「内面的自由」を保障するための概念が、「差別しない」という個人の「内面」を律する道徳的規範へと転化したのです。もちろん、これが、あくまで個人の良心に働きかけ、その人格形成を促すものであれば何も問題はない。しかし、これが行政権力と結びついて個人の内面の自由を規制するようになると、憲法に保障された個人の思想・良心の自由、学問の自由、表現の自由、 集会・結社の自由が侵害されるという、まさに倒錯した状況が生まれるのです。

 おそらく、こうした奇怪な現象が日本の社会に風靡することとなり、それに触れることが許されず、誰もが沈黙を余儀なくされるようになったのは、戦後社会が、個人の内面を律する日本の伝統的な道徳概念を否定したために起こったことではないかと思われます。結局、その隙間を他の何者かによって埋めることを余儀なくされ、その代役を務めることになったものが、本来、私人と公権力の関係を規定するはずの「人権」概念だった、ということではないかと思います。

 だが、どうあがいても「人権」概念が「道徳」概念に代わることはあり得ない。「人権」概念は法律概念に止まってこそ、その効力を発揮する。しかし、それが私人間の関係を規制する道徳概念となると、先に述べた「人権教育」の場における「沈黙」と相まって、極端に言えば、”一切他人の思想信条には干渉するな”ということになり、個人間の生き生きした会話や議論が一切失われる・・・という実に殺伐とした風景が日本社会を蔽うことになるのです。

 これでは、福田恒存が危惧した通り、日本の社会から「良心」や「人格」を鍛える「思想信条・良心の自由」の場が失われてしまう。この点、大阪市長の橋下氏のタブーを恐れない果敢な発言は、確かに政治権力を握るものとしては行き過ぎた部分もあるかと思いますが、人間の「良心」や「人格」を鍛えるための自由闊達な言論空間を日本社会に現出せしめた点において、まさに革命的意義を有すると思います。

 氏の言説に対して堂々たる反論を加える論客が輩出するようになることを切に期待したいと思います。