竹島、従軍慰安婦問題から私たち日本人が学ぶべきこと。
私が中高生の頃、竹島付近で日本人漁師が拿捕・抑留されたり銃撃され死亡したりするニュースをよく聞いたものです。(1952年李承晩ラインの一方的設定から1965年の日韓基本条約までの間、日本漁船328隻が拿捕、日本人44人が死傷(うち5人が死亡)、3,929人が抑留された)最近では、ロンドンオリンピックのサッカー三位決定戦で、韓国が勝利した後のパフォーマンスで、韓国のMFパク・ジョンウが「独島はわが 領土」とのプラカードを掲げた問題がありました。 なぜ、韓国人はたかが竹島問題であんなに異様なほどエキサイトするのだろう?と不思議に思っていましたが、8月24日のフジテレビプライムニュース「竹島、尖閣、北方領土、日本外交は機能不全?」と題する番組の中で、元外務省条約局長東郷和彦氏と評論家松本健一氏の解説を聞いて、なるほどと得心する所がありました。 松本:日本政府は、1905年に竹島は日本に編入された(1905年(明治38年1月28日)、島根県隠岐島司の所管の竹島と閣議決定し、以降、竹島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土となった。)という。しかし、韓国人は、それは、第二次日韓協約(1905年11月17日)―― 韓国は外交権を日本に譲渡し、日本の保護国となった――が締結される直前に行われたものであり「日韓併合」を象徴するものとなっている。故に、韓国は「他国によって併合されるような民族ではなかった」ということを主張するためにも、この時の日本の竹島領有は認められないのだ。 東郷:竹島が島根県に編入されたことは、韓国人は全員、併合前夜の出来事だと思っている。韓国人の前でこの問題を持ち出すと韓国人の顔色が変わる。魚の問題ではないのだ。 まあ、常識的に見れば、こうした韓国人の言動は単なるナショナリズムの発露であって、国際的な理解を得られるものではありません。まして、その実効支配が、「国際法上の慣例」を無視した李承晩ライン(軍事境界線)の設定(1952年1月18)によって武力的に推し進められて来たものである以上、国際紛争の解決の手段としての「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄している日本としては、これを認めるわけにはいきません。 では、1905年以前はどうなっていたかというと、 要するに、韓国が現在やっていることは、竹島を、日韓併合の歴史的怨みをはらすための「抵抗のシンボル」としているということです。従って、その実効支配が武力を用いてなされたことについては、その国際法上の当不当ということより、むしろ、実力でもって日本の韓国併合の残滓を跳ね返した英雄的行為としての意味合いの方が強いのです。これが、現代の日本人には容易に理解できないところです。 結論からいえば、韓国が竹島を実効支配しそれを武力で守る意志を持ち、一方日本がそれを武力で奪還する意志を持たない以上、現状のまま推移するほかないでしょう。日本にできることは、この問題をICJに提訴して、韓国による竹島の実効支配を国際法上不当であるとアピールすることだけです。しかし、提訴しても韓国が応じなければ裁判は成立しませんから、これで日本と韓国の和解が成立するということにはならないと思います。 ではどうすればいいか。日本としては、「日韓併合」が、韓国人が言うように本当に非道かつ侵略的・収奪的なものであったかどうかの歴史的検証を行い、その実相を把握し歴史観を共有する必要があります。というのは、次の、従軍慰安婦問題に見るように、韓国人の日本人に対する批判には常軌を逸したものがあり、これをこのまま放置していては、日本人の国際社会における信用が毀損される恐れがあるからです。 もちろん、それが事実に基づく非難であればやむを得ませんが、そうした非難・攻撃の対象となっている歴史的事実の認識に、甚だしい事実の歪曲や誤認があることは、すでに多くの研究によって明らかだからです。おそらく、こうした傾向は、独立後の韓国の反日教育によって拡大再生産されたものなのでしょうが、こうした隣国に対する悪意に満ちた虚偽宣伝を、これ以上、漫然と放置すべきではありません。 なお、こうした韓国人の不可解な行動を理解するためには、かって小室直樹氏が指摘した次のような観点を念頭に置く必要があります。 「独立は自ら勝ち取らなければならない、という大原則」・・・ 「大韓臨時政府主席金九は、亡命地の重慶で、日本敗北のニュースを聞いたとき、思わず絶句した・・・。 金九は言った。 予言的な言葉である。と言いたいところだが、そうではない。これぞ国際政治の常識。韓国光復軍といったところで、実は、何もしなかったのであった。 いくら何でも、正式の会戦で日本軍を破れ、ここまでは、ルーズベルトもチャーチルも、蒋介石も周恩来も要求はするまい。いや、考えてもみないだろう。しかし、重慶に本拠をおく大韓臨時政府の軍隊たる韓国光復軍。せめて、対日ゲリラくらいには参加してもよかったのではないか。 韓国の「解放」が、日帝から戦いによって奪取したものでなく、日帝とアメリカとの取引によって得られたものであること。 この外傷が致命的な後遺症となって大韓民国を呪縛することになる。・・・ おそらく、韓国人の日本に対する理不尽とも思える敵対心の背景には、こうした心理作用が働いているのでしょう。だとすれば、日本人が彼らの前に言うべきことを言わず、小心よくよくとした臆病な姿をさらすことは、彼らの目には、その日本に反攻できなかった自分らへの、さらなる屈辱感として、跳ね返っていくのではないではないしょうか? なお、以上のような心理は、韓国人の「従軍慰安婦」問題の扱いにより露骨に見る事ができます。これは、戦時中日本は、韓国人の女子を強制的に狩り立て、戦地に送り日本軍兵士の慰安婦とした、ということを国際社会に宣伝することで、日本人を道徳的に貶めようとするものです。この問題の解決策として「アジア女性基金」制度が発足したのですが、あくまでこの受け取りを拒否して、日本政府が強制連行を認め国家賠償することを求めています。 しかし、戦時中に慰安所を作り慰安婦を置くことは、日本だけがやったことではなく、戦場での強姦を防ぐなどのためにどの国もやったこと(もちろん韓国も)です。また、当時は公娼制度もあり、韓国などでは、戦後も外貨獲得の手段として近年まで行ってきたのであって、日本だけが道徳的に非難される”いわれ”はありません。もちろん、戦中、そうした職業に就いた女性の多くが、気の毒な境遇にあったであろうことは容易に想像できます。 まあ、この時、日本が戦争なんかしておらず、また、日韓併合なんかしていなければ、こんなことにはならなかったわけですが、こうして慰安婦になった女性たちの約4割は日本人、約2割が韓国人(秦郁彦)だったそうですから、韓国人が特に標的にされたというわけではありません。といっても、貧困の度合いは韓国の方がひどかったようで、それだけ未婚女性が慰安婦になるケースが韓国では多かったといいます。 ただ、こうして慰安婦として働く期間は、「前渡金」を返済するまでの期間が基本であって、奴隷的に拘束され働かされたというわけではないようです。また、賃金は、二等兵兵士の約数十倍から百倍だったそうで、雇い主との折半割合もほぼ半々であり、早い人では約1年で故郷に帰る人もいたそうです。もちろん、雇い主はあくまで民間人であってその条件はいろいろだったでしょうが・・・。 いずれにしても、こうした日本の戦中における慰安婦制度によって、約2万人の韓国人慰安婦が生まれたことは事実です。ただし、日本の敗戦後、戦争賠償問題が李承晩大統領との間で話し合われた際、その補償対象にはこれらの慰安婦は含まれていなかった。このことを、その後起こったことと対比してみると、この問題は、金銭的な問題というより、慰安婦の名誉回復の問題であった、と見る事もできます。 このことに関わって、いわゆる「河野談話」の作成にあたった石原信雄元官房副長官は、次のように述懐しています。(当時その取材に当たった産経新聞の阿比留瑠比氏のインタビュー記録。「1回目はアポなしで石原氏の自宅に押しかけ、家の前で長時間立ったまま話を聞いてノートにメモし、2回目(2005.7)はきちんと約束して指定先に出向いて取材し」た、その時のメモを元にまとめたもの) 「Q 河野談話からは、甘言、強圧の主体が誰かが欠落している (河野談話発表の)あのときは、これで日韓関係は非常に盤石だ、お互い不信感がとれたと日韓間で言っていた。韓国側も、自分たちが元慰安婦たちの名誉のために意に反してというのを認めろと求めたのを日本が認めた。これで未来志向になると言っていた。それが(韓国は)今日まで、いろんな国際会議で日本政府が政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。 (後略、おわり)」 この国際会議とは、1992年2月に韓国「挺対協」が、国連本部やジュネーブの人権委員会に代表を送り、これを国際的な人権問題として訴えたことを指しています。結果的には、慰安婦問題は、家庭内暴力を主題とする「クマラスワミ報告書」の付属文書という扱いで、「そういう報告があったと”聞きおく”程度の意味で拘束性もない」(『慰安婦と戦場の性』秦郁彦P271)ものとなりました。 しかし、これを不満とする日本人も沢山いて(坂本義和、吉見義明、田嶋陽子、山崎朋子他)その後、慰安婦の国家補償の議員立法化や、「アジア女性基金」の受け取りを拒否する運動が展開されるようになりました。その後、この運動はさらにエスカレートし、2000年には、昭和天皇を有罪と宣告した女性国際戦犯法廷、2007年には、アメリカ下院に次のような対日決議案が提出されるに至りました。 (その決議の内容) 日本の官民の当局者たちは最近……河野談話を薄め、もしくは無効にしようとする願望を示している。……’』のため、以下、下院の意思として決議する。 日本政府は、 (2)日本国首相の公的な資格でおこなわれる公の声明書として、公式の謝罪をおこなうべきである。 (3)日本帝国軍隊のための性の奴隷化および「慰安婦」の人身売買はなかったといういかなる主張にたいしても、明確、公式に反論すべきである。 (4)「慰安婦」にかんする国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代に対しこの恐るべき犯罪についての教育を行うべきである。 こうした動きに対して、日本の国会でも「河野談話」の取り扱いをめぐる議論がなされるようになり、安倍首相は、2007年3月1日記者会見で、「強制性を裏付ける証拠はなかったのではないか」「(強制性の)定義が(狭義から広義へ)変わったということを前提に考えなければ」などと注釈しました。しかし、これをニューヨーク・タイムスなどが「首相が河野談話を全面否定した」と書きたて、さらに国粋主義者、歴史修正主義者と批判したため、安倍首相は3月5日の参議院における質疑で、あらためて「河野談話は基本的に継承していく」と答えました。 この件について、大阪の橋本市長は、8月24日の記者会見で次のように語っています。 「Q赤旗 慰安婦問題だが、橋下市長は強制の事実は確たる証拠はないといったが、河野談話をみていると強制の事実を認めているが見直すべきか しかし、前述した通り、安倍首相は「河野談話は基本的に継承していく」と言っています。ただし、その強制制の意味は、「強制連行を示す」狭義の意味ではなく、「本人の意志に反して集められた」という広義の意味だ、といったのです。しかし、それが大変わかりにくく、言い逃れに聞こえたために、国際的な非難を浴びることになった。そんなことなら、はじめから「官憲による強制連行はなかった」だけで押し通した方が良かった、と秦氏は言っています。 橋下氏は、秦氏のこの見解を支持し、あえて、2007年に閣議決定した慰安婦の募集に関する政府見解を、「強制連行がなかったこと」の表明としているのです。 ところで、この慰安婦問題がどのような経緯で河野談話という形で発表されることになったか、については、自民党の片山さつき氏が次のように簡潔にまとめています。 「一九六五年の日韓基本条約において、五億ドルの賠償を支払う等により、日韓間の戦争に拘わる賠償は最終的に解決されました。時の李承晩大統領は、「反日」政策で有名ですが、日本への要求リストに「従軍慰安婦」はありません。戦争で徴用、徴兵された人々に対する補償は、同条約で解決したのに慰安婦は、話題にもなかったという重要な事実があります。 九一年八月十一日付けの朝日新聞が金学順氏を取り上げ、「「女子挺身隊」の名で、戦場で連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた。」と報じた。しかし、金氏は韓国向けの会見では、「貧しさのため母親に40円でキーセンに売られた。自分を買った義父に連れられて日本軍慰安所に行った」と証言しています。彼女は日本政府相手に訴訟を起こしていますが、訴状にも「親に売られた」と書いています。この記事を書いた植村隆記者の妻は、韓国人で、その親は日本政府相手に裁判を起こしている遺族会の幹部でした。 つまり、(この問題は)吉田清治という商業的「ザンゲ屋」の、慰安婦狩りの作り話が発端で、それを真に受けた朝日新聞が、1982年の紙面に「告白」と題して彼を初登場させ、また、「慰安婦問題がホットな話題となった91年半ば頃から、1年間に四回も吉田を紙面に登場させ」たこと。さらに、応募投書を単行本化した『女たちの太平洋戦争』(朝日新聞社刊)には、吉田関連記事をはめ込んだことで一般に知られるようになったものだということ。(『慰安婦と戦場の性』P240) その後、秦氏の調査で吉田証言が全くの作り話と判った後も、朝日は、それまでの報道の真偽を確認することも訂正することもせず、「それどころか、別の場所では「〈強制〉を〈強制連行〉に限定する必要はない。強制性が問われるのは、いかに元慰安婦の〈人心の自由〉が侵害され、その尊厳が踏みにじられたか、と言う観点からだ」と論点をそらし、社説では、「歴史から目をそらすまい」との一般論で逃げを打っている」と、秦氏は朝日を批判しています。 最近、朝日新聞は、韓国の李明博大統領が慰安婦問題に関して日本側に「謝罪」を求めたことが日本側の反発を呼んでいることに対して、8月31日の社説で次のように批判しています。 「見過ごせないのは、松原仁・国家公安委員長や安倍晋三元首相ら一部の政治家から、1993年の河野官房長官談話の見直しを求める声が出ていることである。 河野談話は、様々な資料や証言をもとに、慰安所の設置や慰安婦の管理などで幅広く軍の関与を認め、日本政府として「おわびと反省」を表明した。 多くの女性が心身の自由を侵害され、名誉と尊厳を踏みにじられたことは否定しようのない事実なのである。 松原氏らは、強制連行を示す資料が確認されないことを見直しの理由に挙げる。枝を見て幹を見ない態度と言うほかない。」 ここでは、枝=「強制連行などを示す」狭義の意味での強制はなかったが、幹=「本人の意志に反して集められた」という広義の意味での強制はあった。だから、慰安所の設置や慰安婦の管理などで幅広く軍の関与を認め「お詫びと反省」を表明した河野談話を見直すのはおかしい、と言っているのです。(産経新聞の阿比留氏は、この問題の「幹」は「強制連行の事実関係」であるはずなのに、朝日は「本人の意志に反して集められた」を「幹」、「強制連行」を「枝」にして論点をすり替えていると批判しています。) この部分を読んで私は、かってベンダサンが『日本教について』で指摘した日本人の「雲の下」論を思い出しました。これは、「雲の上に現れた峰に過ぎない」ものの信憑性が「かりに」「自白の任意性または信憑性の欠如から否定されても」、「雲の下が立証されている限り・・・立証方法として十分である」、従って、(表に現れた細かい)点の矛盾点を故意にクローズアップして、それによって「事実」がなかったかのような錯覚を起こさせる方がむしろ正しくない、という論法です。 しかし、これは、「事実か否かが立証されていない(雲の下の)『語られた事実』をまず『事実』と断定しておいて、その上に組み立てた議論である。しかし、人間が知りうるのは『語られた事実』だけであって、その「語られた(複数の相矛盾する)事実」から、ぎりぎり決着の『推論』で「事実」に到達しようというのに、その前に(雲の下の)「語られた事実」を『事実』と断言してしまえば、もう何の証拠も要らなくなる」。 ベンダサンは、これを本多勝一氏との「百人斬り競争」論争の中で指摘したのですが、これは、先ほどの朝日新聞の慰安婦問題における「枝・幹」論そのものです。つまり、枝である慰安婦の強制連行が、それを自白した吉田証言が全くの「作り話」であったことで明らかになっても、それを無視して、幹である「本人の意志に反して集められた」ことは事実だから、枝である強制連行がなかったとは言えない、と言っているのです。 しかし、ここで証明さるべきは、慰安婦募集における軍や官憲による強制性の有無であって、戦中の慰安婦制度によって「多くの女性が心身の自由を侵害され、名誉と尊厳を踏みにじられたこと」の事実関係ではありません。なのに、ここでは、この異なった二つの事象が、枝と幹の関係で一体化されているのです。そして、後者を”自明=証明済み”とすることによって、前者の強制性が証明されたとしているのです。 これは、一見正しい議論のように見えますが、実は、後者が”自明=証明済み”だと言っても、その内実は様々であって、それは慰安婦の雇い主の問題であったり、親の意志あるいは本人の覚悟の問題であったり、あるいは貧困、公娼制、戦争を含めたその時代の制約であったりするわけで、その原因を特定することは困難です。まして、その責任者を特定し処罰の対象とすることはほとんど不可能です。 つまり、「幹」と称する部分の事実関係や責任関係が証明されているわけでもないのです。従って、これをもって、「枝」の部分の事実関係や責任関係が、すでに「幹」によって証明されたということはできません。また、この「強制性の証明」に「狭義」「広義」の概念を導入することも問題を分かりにくくするだけです。強制性の有無は、あくまで軍あるいは官憲による慰安婦募集の強制性を示す証拠によるべきです。 もともと、こうした分類法は、朝日新聞が女子挺身隊を慰安婦として報道したことに同調して、「強制連行説」を唱えた吉見義明氏が、90年代半ば以降、「慰安所生活に自由がなかったとする「広義の強制論者」に転向した」際に主張したものだと言います。安倍首相は、この敵の論理を、慰安婦募集における軍や官権の強制がなかったことの論拠にしようとしたのですが、逆に、これに足を掬われた格好になった。 では、なぜこうした論法を、朝日新聞が採ったかというと、それは第一に、慰安婦に対する贖罪意識を先行させることで、事実関係の究明を曖昧にできる。第二に、事実関係の究明ができず責任関係を特定することができなくても、「ゴメンナサイ」と謝る、それによって謝った人の責任は解除され、逆に、謝らない人はその責任を追求され断罪される。こうした日本的相互懺悔・相互告解方式に無意識に従ったからです。 しかし、こうした論理は、日本以外では通用しない。実は日本政府も、この論理に乗って、慰安婦の募集に軍や官憲の強制の事実を証明する資料が見つからなかったのに、相手の気持ちをおもんぱかって「ゴメンナサイ」と謝った。それで和解が成立することを期待した。しかし、逆にそうして謝ったことが、慰安婦募集における軍や官憲の強制の証拠とされるようになった。 では、こうした状態から脱却するにはどうしたらいいか。これは今までの論述から明らかな通り、この問題についての事実関係の究明を徹底すること。すでに「ゴメンナサイ」といったために「事実」とされたもので、実は証拠がなく事実と認定できないものは訂正する、そして、そうした議論を世界に向けて発信する。韓国政府による悪質なデマ宣伝には逐一断固として反撃することです。 で、その事実関係の究明としては、私は、秦郁彦氏を初めとする研究者やジャーナリストの努力によって、すでにその作業は完了していると考えます。ここでは、慰安婦の実態を理解するために、秦郁彦氏が「〈慰安婦伝説〉を再考する――その数量的考察」でまとめた、いわゆる「従軍慰安婦」(正確には慰安婦は軍属ではなかったから「従軍・・・」とはいわない)についての8項目の結論部分を紹介しておきます。(『現代史の対決』秦郁彦p106) 1,慰安所には軍専用と軍民共用の二種があった。 近年は、池田信夫氏や大阪市の橋本市長のように、徹底した論争スタイルを持つ論者が現れています。その結果、朝日新聞に典型的に見られるような「ゴメンナサイ」方式=相互懺悔・相互告解方式による情緒的な問題解決法は、論理的にも現実政治上でも破綻しつつあります。 また、池田氏や橋本市らの論争スタイルは、日韓併合の論議についても適用すべきです。先日、金美齢氏の講演を聴きました。金氏は、日本の植民地政策が決して悪逆非道なものではなかったこと。光の部分と影の部分があるが、精算すれば光がプラスだったこと。このことは、先の東日本日本大震災における台湾からの義援金が、他の世界全体の義援金の総計より多かったことで証明された、と言っていました。 私たちは、韓国が事実に基づかない「反日教育」や「反日宣伝」を繰り返していることについて、あくまで事実論を基礎として、徹底した論争を挑んでいく必要があります。それが、日本のためにも韓国のためにもなると確信します。 最終校正 H24.9.6 17:00 |