橋下vs山口論争について――現行教育委員会制度の裏にある日本に対する警戒心こそ解くべき

2012年1月22日 (日)

*アゴラ言論プラットフォーム掲載論文

 標記の論争の観戦コメントで盛り上がっているこの機会に、日本の教育委員会制度の今後のあり方について、具体的な改善策を提起をしておきたいと思います。私は、先日アゴラに「橋下徹大阪市長への提言――府教育基本条例案は早急に撤回し教育委員会制度の改革を目指すべき1,2」と題する記事を書きました。


 簡単におさらいしておくと、日本における教育委員会制度は、アメリカがその占領政策の一環として導入したものであるということ。当時アメリカは、戦前の日本の軍国主義は日本の中央集権的な教育制度によりもたらされた、と考えていましたので、日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を、地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうとしました。

 その時モデルとなったものが、アメリカの教育委員会制度でした。実はアメリカの教育委員会は開拓時代の名残で、行政組織もない奥地に入植した人々が、子供たちを教育するために自治的に組織したものでした。そのため、教育委員会は行政区とは別の組織になり、それに独自の財政措置がなされるようになりました。といっても、都市化につれて学区と行政区画が一致するようになり、次第に教育行財政も一般行財政に従属するようになったといいます。

 つまり、日本の教育委員会制度は、こうしたアメリカ軍による占領統治の思惑と、その時導入された教育委員会制度がアメリカのそれをモデルとしたことで生まれたものなのです。そのため、教育行政の地方分権と教育行財政の一般行財政からの独立の二つの理念が、あたかも民主的な教育行政改革理念であるかのように見なされたのです。しかし、教育行政はともかく教育財政を一般行政から分離することは日本では無理で、そのため前回紹介したように、昭和31年の教育委員会制度の抜本改革=地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」と称す)の制定となったのです。

 本当なら、この時すでに日本は独立を回復していたのですから、この占領時代の遺制である教育委員会制度は廃止して、日本の教育文化の伝統によりマッチした学校管理制度を確立すべきだったのです。ところが、この頃は、丁度、東西冷戦下のイデオロギー対立で国論が二分しており、とりわけ教育界は左翼思想で固まっていましたから、政府は、この教育委員会制度を逆利用して、日教組勢力の押さえ込もうとしたのです。

 それ以降、ソビエト帝国が崩壊し東西のイデオロギー対立がなくなるまで、地方における教育委員会の役割は、ほとんど日教組対策に終始した観がありました。つまり、この間の教育行政とは日教組対策に他ならなかったのです。この間、教育委員会のやったことは、新規採用教職員を日教組に入らせないこと。校長・教頭への昇任の機会をとらえて組合員を日教組から離脱させること・・・。その有様は、あたかもキリシタン弾圧時代の「踏み絵」を思わせるものがありました。

 一方、日教組の方は、そうした教育委員会――小中学校は市町村教育委員会、高校等は県教育委員会――に対して団体交渉で対抗しました。ただ、教育委員会といっても市町村教育委員会の事務局は、役場の職員で構成されているため教育のことはほとんど分からず、次第に職員団体との交渉を忌避するようになりました。その結果、教育行政権は教職員の任命権を持つ都道府県教育委員会に集中するようになり、そこが、組合(県単位に組織される)と教育委員会とのせめぎ合いのポイントになりました。

 この間、教条的な組織運営を行ったことで、当局による切り崩し工作に抗し得なかった県教組は次第に組織率を減らし地方教育行政に対する影響力をなくしていきました。一方、臨機応変に当局との政治的取引を行うことで組織率を維持し、教職員人事に対しても隠然たる影響力を保持し得た県教組は、教育委員会事務局をも抱き込み、地方教育行政運営全般に対する影響力を行使するようになりました(このことは左右を問わず言える)。現在民主党の幹事長を務める輿石氏の出身母体である山梨県教組はその典型ですね。

 話を元に戻しますが、上述したように、いわゆる55年体制が終わって東西のイデオロギー対立がなくなると、文科省vs日教組という対立図式も次第に解消に向かいました。その結果、その後の教育改革論議の中でようやく教育委員会の形骸化の問題が取り上げられるようになったのです。ところが、丁度この頃、教育界にとって新たな問題として浮上したのが、臨教審による「教育の自由化論」の提起と、大蔵省による教育費国庫負担削減あるいはその適用除外の問題でした。

 このため、教育界は「教育の自由化論」を公教育の解体と見てこれに反対すると共に、教育費国庫負担削減及びその適用除外に対しても、一致して反対するようになりました。こうして、従来、対立抗争を繰り返してきた文部省・教育委員会と日教組、その他の教職員団体が一致して共闘関係を構築するようになったのです。このため、教育委員会制度はその形骸化が明らかであるにもかかわらず、これを教育界の自律性を守る防波堤として維持しようとする心理が、関係団体に働くようになったのです。

 こうした情況の中で、「教育委員会制度の形骸化」をめぐって行われることになった論争が「橋下vs山口」論争でした。ではまず、この論争の前段にある橋下氏の大阪都構想がどのような大阪の現状認識の中から生まれてきたのかを見てみたいと思います。これは、大阪に居住する大西宏氏の次のような意見で総括できるのではないかと思います。(参照「反橋下市長の人たちがなぜ共感されず非力なのか」)

 「大阪市と大阪府は、いやもっと京都や阪神間を含めると兵庫県まで、実際の経済や社会は、広域化しているのが現実です。たとえば、モノづくりの拠点は東大阪市や守口市、門真市に集積し、コンビナートなどは堺市に集積しています。都市機能として、大学や研究機関の存在も欠かせませんが、実際には大阪市内はそれらが薄く、大阪府下、また県外に広がっています。IT企業は、大阪市内である新大阪あたりから吹田市の江坂地域にシームレスに集積しています。産業政策にしても、実際にはすくなくとも大阪府の広域でやらないと実効性が薄いのですが、現実は大阪市は大阪市、大阪府は大阪府、近郊都市は近郊都市でやることがバラバラで連携がほとんどありません。大阪市と大阪府の境界など、実際の生活にしても、ビジネスにしても意味が無いのですが、行政だけが分かれているのです。なぜ府と市で一体とする行政組織に変えてはいけないのかに対する心に響く反論がありません。結局は他人ごとなのです。」

 私は、教育委員会制度について私見を申し述べますが、先ほど申しましたように、教育委員会制度が形骸化していることは、すでに、教育関係者の間で自明のことなのです。なのになぜこの組織を維持しようとするのか。なぜ、もともと対立していたはずの文部省や日教組、その他の教職員団体も一致してこれを守ろうとしているのか。

 それは、本当に日本の教育の事を思ってやっているのか。あるいは、それは彼等が自らの既得権を守るために、自らの思想信条を度外視して、連携したと言うだけの話ではないのか。こうした疑問が、橋下氏から提起されたのも、けだし当然と言わなければなりません。この場合、橋下氏に特別反日教組的イデオロギーがあった、というわけではなく、池田氏も指摘する通り、むしろ、この形骸化した組織を既得権擁護のために温存しようとする体質そのものを、氏は攻撃対象としているのです。(「日の丸・君が代」論争など私はイデオロギー論争に値しないと思っています)

 そこで、橋下VS山口論争についてですが、山口教授は不用意なことにこの形骸化した教育委員会制を守ろうとしました。いや、守ること自体は悪くはないのですが、氏は、先に紹介したような教育委員会の形骸化の意味を十分理解しておらず、従って、それを改善するための具体的方策を何も持っていなかったらしい?ということです。これでは、その形骸化を知事職を通して知り、それを長の権限を強化することで改善しようとしている橋下氏に対抗できるはずがありません。

 もし、この時、山口氏が、形骸化した教育委員会組織の機能を回復させるための具体的プランを持っていたなら、それを基に、橋下氏の「教育基本条例案」を批判することも出来たでしょう。この点、橋下氏は、争点が「教育基本条例案」に移ることをうまく避け、それを教育委員会制の形骸化の問題に収斂させることで、山口氏を現状維持派に押し込めることに成功しました。その結果、「橋本市長が山口二郎教授をフルボッコ」といったようなワンサイドゲームの印象を視聴者に与えたのです。

 そこで、橋下氏が、この形骸化した教育委員会制度を機能させるための具体的方策として提出した「大阪府教育基本条例案」についてですが、はたしてこの案はこの問題を解決するための方策として妥当なものでしょうか。もちろん、この条例案は、あくまで現行教育委員会制度下における地方教育行政制度改革案であるわけですが、その狙いは、大阪府知事を大阪府の教育行政の最終の責任者とすると共に、府教育委員会を実質的に諮問機関化することを狙ったものです。


 このことは、基本条例第6条と7条に次のように規定されています。

第6条 知事は、府教育委員を任命する権限のみならず、地方教育行政法の定める範囲において、府内の学校における教育環境を整備する一般的権限を有する。

2 知事は、府教育委員会との協議を経て、高等学校教育において府立高等学校及び府立特別支援学校が実現すべき目標を設定する。

第7条  府教育委員会は、前条第2項において知事が設定した目標を実現するため、具体的な教育内容を盛り込んだ指針を作成し、校長に提示する。

2 府教育委員会は、常に情報公開に努めるものとし、府内の小中学校における学力調査テストの結果について、市町村別及び学校別の結果をホームページ等で公開するとともに、府独自の学力テストを実施し、市町村別及び学校別の結果をホームページ等で公開しなければならない。」

 実は、現行の教育委員会法(以下「地教行法」と称する)の下では、「地教行法」第24条の規定により、知事の学校教育に関する権限は、都道府県教委の予算に関する事務の執行の他、府立学校の体育を除くスポーツ及び文化財保護を除く文化に関する事務に限定されています。従って、第6条、7条の規定は「地教行法」違反となります。従って、ここで述べられているようなことを可能にするためには、現在の教育委員会制度を規定する「地教行法」の抜本的改正が必要となります。

 また、橋下氏は、その大阪都構想において「政令指定都市である大阪市・堺市と大阪市周辺の市を廃止して特別区」とすることを提案しています。その特別区は「東京都をモデルとし、東京23区のように「大阪都20区」を設置。東京都23区を例にすれば20区内の固定資産税・法人税などの収入を都の財源とし、20区内の水道・消防・公営交通などの大規模な事業を都が行い、住民サービスやその他の事業は20区の独自性に任せる。」(wiki「大阪都構想」)としています。

 では、この構想において、現在大阪市教育委員会の管理下にある市立小中学校の経営管理はどうなるのでしょうか。これについては、大阪府教育基本条例案第5条3以下の次の規定によって、そのおおよその見当をつけることが出来ます。

3 府内における小中学校教育は、市町村が次の各号に掲げる事項について主体的な役割を担い、府は補完的役割を担うべきものとする。
 一 小中学校の設置、管理及び廃止
 二 小中学校の教員の人事
 三 小中学校の校長、副校長、教員及び職員の研修
 四 小中学校の組織編制、運営

4 前項の理念を達成するため、府は、地方教育行政法第55条第1項に基づき、府内における市(但し、指定都市を除く。)町村立小中学校の府費負担教職員に対する府教育委員会の人事権その他の権限を、自治体としての規模や能力にも配慮しながら、できる限り当該市町村に移譲するよう努めなければならない。

5 府及び府教育委員会は、府内の市町村及び市町村教育委員会に対し、地方教育行政法第55条の2第2項に基づき、小中学校教育の体制が本条例の趣旨を反映したものとなるよう、必要な助言、情報の提供その他の援助を行う。

6 府及び府教育委員会が前項の助言、情報の提供その他の援助をするに当たっては、当該市町村及び市町村教育委員会の自主性を尊重しなければならない。

 これを見ると、大阪市や堺市に新たに設置されることとなる区にも教育委員会が置かれることになるようです。そこには教員の人事権(=任命権)や研修権が、府や政令市から移管されることになります。といっても、大阪都はこれらの区及び教育委員会に対して、その自主性を尊重しつつも、「小中学校教育の体制が本条例の趣旨を反映したものとなるよう、必要な助言、情報の提供その他の援助を行う」権限を持つことになります。

 なお、この区における区長と区教育委員会の関係ですが、おそらくこれは、本条第1項の規定「府における教育行政は、教育委員会の独立性という名目のもと、政治が教育行政から過度に遠ざけられることのないよう、選挙を通じて民意を代表する議会及び知事と、府教育委員会及び同委員会の管理下におかれる学校組織(学校の教職員を含む)が、地方教育行政法第25条に基づき、適切に役割分担を果たさなければならない」という規定に準ずる扱いになると思います。

 しかし、「地方行法」第25条は、教委及び首長が行政事務を管理・執行するにあたっては法令に準拠して行わなければならないことを規定するだけであって、知事が教育行政に介入できる根拠となるものではありません。従って、この第5条に述べられていることも、第6,7条の場合と同じく、現行教育委員会制度を抜本的に改正しない限り実現不可能です。

 といっても、これら各条に述べられた地方教育行制度の改革構想が無意味かというと、そうは言えず、先に紹介したような日本の教育委員会制度の形骸化の歴史を踏まえる限り、一定の説得力を持つ提案であることは間違いありません。というのは、まず、現行制度下の教育委員会は、地教行法第23条に規定する19項目に及ぶ教育事務の管理・執行機関としては全く機能しておらず、実質的には、教育長の諮問機関的な役割しか果たしていないからです。

 また、現行法では、教育長はこの教育委員の中から選出されることになっていて(地教行法第16条2)、かつ、この教育委員は長が任命することになっている。さらに、教育委員会の予算に関する権限は教育委員会ではなく長が持っているのですから、結局、教育委員会という名の合議制(3人から6人)の教育事務の管理・執行機関は、現状を追認する限り、長の諮問機関として位置づけた方がよほどすっきりする、ということになります。

 にもかかわらず、あえて、この合議制の教育委員会を長に対する独立の行政委員会と位置づけることは、長に対する一種の「不信」の表明となるのであって、橋下知事のように、行政組織の運営目標を明確に設定し、その下での無駄のない合理的な組織運営を行おうとする者にとっては、到底納得できることではないでしょう。まして、このように長に対する「不信」が表明される一方、教育委員会における実際の意志決定が、制度外の力によって左右される現実があるとすれば、この制度は、これらの組織のダミーではないかと言われても仕方ありません。

 私は、以上のように考えて、橋下氏の大阪府教育基本条例案における地方教育行政事務の改善策については、一定の評価をしています。ただし、それはあくまで、今後の教育委員会制度改革を展望する中での一改善案としてであって、現行の教育委員会制度下における一地方自治体が制定する「教育基本条例案」としては評価できません。その組織規定は現行法に違反するだけでなく、その内容は半ば「教員等」の懲戒や分限に関する運用規定であって、教育基本条例と称するには余りに品位に欠けるからです。

 そんなわけで、私は、前回の記事で、この大阪府教育条例案は早急に撤回し、それを形骸化した現行教育委員会制度を機能させるための問題提起とすることを提案しました。なお、この条例案に含まれている「教員等」に対する懲戒や分限処分規定の厳格化が何を意味するかと言えば、端的に言って、それは教職の専門性やモラルに対する市民の不信の表明です。従って、こうした事態を抜本的に改善するためには、教員免許を国家資格試験にして、教員資格に対する国民の信頼を高める必要があります。

 この場合、教員免許試験の受験資格については、学歴や年齢条件を撤廃する必要があります。一定の職業経験の後に教師を目指してもいいわけです。そうすることによって、採用段階の過当競争もなくなりますし、それに伴う情実人事も防げます。また、全国何処の学校でも公立・私立を問わず教員としてはたらくことが可能になります。懲戒・分限処分の対象になることももちろんあるでしょうが、逆にFA権を行使することも出来るでしょう。つまり、教師の専門職性を高めることで、現在の教職の「身分制」を打破することが出来るのです。

 そこで最後に、今後の教育委員会制度改革の具体的な方策について、私見を申し述べて終わりにしたいと思います。

 先に述べた通り、大阪府教育基本条例案に示された教育委員会制度改革構想も、その改革方策の一つだと思います。それはなにより、現行教育委員会制度下において教育委員会が実質的に果たしている諮問機関としての役割を一層明確にするものであって、違うのは、それを教育長の諮問機関ではなく、教育長による学校経営を評価しそれを長に報告すると共に、市民に対してその結果を公表する役割を担うということです。

 といっても、これを橋下氏の大阪都構想の下において考える場合、都と区の関係は、他の県における県と市町村との関係とは異なり、区の行う学校経営に対する都の関与はより強まることになります。他の県においては、もし、現行法下の県費負担教職員制度が廃止されれば、教職員の任命権や給与負担が市町村に一本化されることになりますが、未だ小規模市町村も多いことから、地域の学校経営管理機関の設置単位を、大阪都構想における区程度の規模に平準化することが考えられます。

 この場合、教育委員会の設置単位を区相当規模にするため広域連合組織にするか、あるいは教職員の身分を県に移管して、人口規模30万程度の地域に学校経営管理機関を設置するという方法も考えられます。もちろん、この学校経営管理機関は、大阪都構想における大阪の区と同様に自立した学校経営権を持つことになります。また、この場合、県も、大阪都構想における都と同程度の地区学校経営に対する権限を持つことになります。それが出来ない場合は、基礎自治体の広域化を推進して任命権を委譲し学校経営の責任体制の明確化を図るべきです。

 しかしながら、このような自治体の長の教育行政及び学校経営に関する権限を明確化する案は、教育の政治的中立性を犯すとの批判を招くことになるかも知れません。しかし、長は、学校経営を直接行うわけではなく、あくまで教育長という学校経営の専門家に任せるのです。そして、その学校経営の評価を市民の代表によって構成される合議制の教育委員会が行いそれを長に報告する。長はその報告に基づいて教育長に必要な指示を行うわけで、それで一定の学校経営上の自律性は保たれるのではないかと思います。この場合、教育委員の任命権を議会とすることも考えられます。

 もちろん、その場合の長の判断が、不当な政治的支配に相当するのであれば、教育基本法第16条に違反することになりますし、次の首長選挙で落選させることも可能です。この点、欧州各国においては、教育行政を一般行政から切り離すという例はほとんどないとのことですが・・・。従って、この点に関して過剰な警戒心を持つ必要はないのではないでしょうか。むしろ、その教育行政の政治的中立という建前の裏で、インフォーマルな権力行使が、市民の知らない所でなされるよりよほど良いと思います。

 あるいは、それでもなお教育行政を一般行政から分離する必要があると言うなら、考えられる方策としては、地域における学校経営管理機関を国立大学と同じように法人化することも考えられます。この場合、教育費は全て国庫より支出することとして、これをクーポンで児童生徒の保護者に給付し、保護者は行きたい学校にそれを提出する。いわゆる学校の自由化論に基づくバウチャー制度の導入です。これは、学校経営を市場の選択に委ねるものですが、「教育の機会均等」を確保できるかどうか・・・。

 いずれにしても、懸案の現行教育委員会制度の形骸化という問題を解決し、真に責任ある教育行政及び学校経営体制を確立する必要があると思います。こうした状況の中で提起されたものが橋下氏の大阪都構想、その下での自治体再編と教育委員会制度の改革構想です。確かに大阪府教育基本条例案は、現行法を無視するものであって品位を欠くものであると言わざるを得ませんが、そこに盛られた教育委員会改革構想は、一定の説得力を持つものであることを率直に認めるべきだと思います。

 最後に、本稿の標題「現行教育委員会制度の裏にある日本に対する警戒心こそ解くべき」について説明しておきます。以上紹介した教育の政治に対する不信は、もとをただせば、戦前のアカデミズムと共産主義を恐れた政治との対立に起因しているのです。それだけならまだ良かったのですが、蓑田胸喜等狂信的現人神思想家と政治家が結託して天皇機関説排撃事件を起こし、これに皇道派軍人が加担したことで国体明徴運動に発展しました。ここから、教育と政治の不幸な関係がはじまったのです。

 以後、日本の教育は次第にいわゆる「軍国主義教育」一色になりますが、日本の教育がこのような国粋主義的排外主義に陥るのは、昭和13年以降のことで(参照「山本七平の天皇制理解について5」)、それ以前の日本の教育が全てそうであったというわけではないのです。天皇機関説にしても昭和10年以前は公認の学説でしたし、日本の歴史観にしても、右翼イデオローグの二大巨頭とされた北一輝や大川周明は、尊皇思想からは全く自由に独自の史観を展開していました。大川周明などはむしろその被害者で、彼の著書『日本二千六百年史』は昭和15年に書き換えを余儀なくされています。

 おそらく、こうした記憶が、終戦直後吉田第一次内閣で文部大臣を務めた田中耕太郎の「大学区構想」(全国を9ブロックに分け、その中心を欠く帝国大学としてその下に高等学校、中学校、小学校をピラミッド状に置き、各帝大学長をその学区庁の長官とする案。内務省の反対で消滅)にも反映していたのではないでしょうか。教育委員会法にいう「不当な支配」もこの不信に根ざしていることは間違いありません。しかし、はっきり言って、それは日本の政治家がだらしなく党利党略にかまけ、思想・信条・言論の自由を守り切れなかったところに原因があるのです。

 もし、昭和5年の統帥権干犯事件――これは時の政友会幹事長森恪等が海軍をたきつけて政治問題化したもの――や、天皇機関説排撃事件の処理において、政治家がこれを党利党略に利用するようなことをしなかったならば、これらの事件は一部狂信家の策動に止まり、また軍につけ入られることもなかったのです。民主党政権において「政治主導」が叫ばれ、その結果、その政策がいかに”でたらめ”であったかを知って見れば、戦前の日本人が政治家を信用せず、「純粋な」軍人を信用した気持ちも分かるような気もしますが・・・。

 つまり、こうした日本人の歴史的な政治不信が、教育を政治から分離しなければ危険だという”思い込み”につながったのです。戦後の日教組運動も、同様の思いから出発したはずです。しかし、残念ながら逆の面からその不信を拡大してしまった。”教え子を再び戦場に送るな”と言う。しかし、それは「不義」なる戦場に「教え子」を送った戦前の教師の「悔恨のモノローグ」であったはず。それを戦後生まれの教師が平和教育のスローガンとして叫ぶ。それは兵役を有する国の教師に通じるか。あるいは、日本に対する不信の表明か?

 できることなら、こうした日本に対する不信は取り除きたい、と私は思います。。そのためには、政治は何としても思想・信条・言論の自由を守り抜かなければならないし、政治家には明快な言論をもって党利党略を超えた民主政治を実現してもらいたい。その点、橋下氏が言論で勝負していることは、まあ、いささか無礼な言辞が目立ちますが、民主政治は革命の制度化であって言論による権力闘争なのですから、それは八百長でないことの証明でもあるわけで、平和な社会の政治には、そうした劇場的効果もあってもいいのではないかと思います。といっても政治家が平静を失うようでは困りますが・・・。

 そういうわけで、「現行教育委員会制度の裏にある日本に対する警戒心」について注意を喚起してみたわけです。この機会に、教育委員会制度改革に関する大胆かつ率直な意見交換がなされ、教育と政治の関係が再考され、よりよい教育行財政制度、責任ある学校経営システムができあがることを期待したいと思います。