安保法制の「集団的自衛権」は我が国の「存立危機事態」に同盟国と共同で対処すること

2015年7月31日 (金)

 安保法案をめぐって国論が分裂状態になっていますね。その第一の原因は、集団的自衛権の説明が、必ずしも国民一般が納得できるものになっていないということがあります。そもそも、その定義 「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」というのがいささか物騒です。

事実、過去安保理に報告されたその適用事例が「ハンガリー動乱、テェコスロバキア動乱、ベトナム戦争、コントラ戦争、アフガニスタン紛争」だといえば、とんでもないということになります。にもかかわらず、なぜ、従来「集団的自衛権は持っているが行使できない」としてきた政府の憲法解釈を変更し「行使できる」とする必要があるのか。

このあたりについて自民党の石破氏は今回自民党が提出している安保法案について「大国が集団的自衛の名を借りて、小国を蹂躙(じゅうりん)する権利ということではなくて、国連が機能してくれるまでの間、自分の国は自分で守るという個別的自衛権と、そして、関係の深い国々がお互いに守り合う侵略を排除する」というのが、国連憲章に集団的自衛権が盛り込まれた「意味づけである」と以下のように説明しています。(安全保障法制整備推進本部での講演2014.4.7)

つまり、これを日米安保についていえば、「アメリカと一緒に世界中で戦争する権利ではなくて、大国の横暴(かっての東西冷戦時代ではソ連、今日では中国)から小国が自らの身を守る権利」として、日本はアメリカと同盟条約を結び集団的自衛権を行使できるようにしているということ。

なお、この「集団的自衛権」は、いうまでもなく国家の自然権である自衛権をベースとするものです。また、我が国の自衛権行使は、憲法上「必要最小限度の武力行使」に止まるとされています。ところが「今までは集団的自衛権なるものは、どういう理由なのか知らないが、それは全部その外だということになっていた」。しかし、「必要最小限度」の範囲内に入る「集団的自衛権」もあるのではないかと考えた。

ただ、ある内閣が「集団的自衛権の行使は、必要最小限度のものであればそれは合憲である」といったとしても、次の内閣総理大臣が『いやいやあのような考え方はそうではない、私は集団的自衛権の行使は合憲ではないと考える』というと法的安定性がない」。そこで、「どういうような法形式によるかは別として、集団的自衛権の行使は、このような場合は許されるというような、そういう考え方を体現するような法整備は絶対に必要」ということになった。

といっても、「私どもはそれを必要最小限度であれば行使できる、行使すると言っている訳ではありません。ご存じのとおり自衛隊の行動は、自衛隊法に根拠規定を持たない限り、飛行機は1センチも飛びません。戦車は1ミリも動きません。船も1マイルも動きません。

自衛隊法というのは、そのような書き方になっておりまして、できる事は、これとこれとこれということをポジティブリスト的に、根拠規定を持たなければ、何一つやる事はできません。ですので、これをやれば無限定に広がるような事はございません。」等々。

そこで、現憲法下で「必要最小限度」の範囲内にあると考えられる「集団的自衛権」行使の事例を、ポジティブリスト的に例示した」というのです。その事例が次の8つです。

事例8:邦人輸送中の米輸送艦の防護
事例9:武力攻撃を受けている米艦の防護
事例10:強制的な停船検査
事例11:米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃
事例12:弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護
事例13:米本土が武力攻撃を受け、我が国近隣で作戦を行う時の米艦防護
事例14:国際的な機雷掃海活動への参加
事例15:民間船舶の国際共同護衛

これらの「集団的自衛権」の発動事例の前提条件は、まず、専守防衛(防衛上の必要があっても相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力(防衛力)を以って撃退する)の基本方針のもとに、次の3条件を満たすこと。

①全般的な作戦において、相手の攻撃を受けてから初めて軍事力を行使する。
②その程度は自衛に必要最低限の範囲にとどめ、相手国の根拠地への攻撃(戦略攻勢)を行わない。
③自国領土またはその周辺でのみ作戦する。

「集団的自衛権」はこの3条件に加えて、次の新3条件を満たすこととされています。
①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。
②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。

国会では、集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であり、これは上記の「専守防衛」の第①条件と矛盾するのではないか、との指摘がなされていました。

これに対して政府は、「集団的自衛権」の第①条件は、この攻撃により「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」としているので、専守防衛の「我が国に対する武力攻撃」とは矛盾しないと反論していました。

この「集団的自衛権」の3要件の最初の①は「存立危機事態」とされるものですが、そうであれば、「集団的自衛権」を発動する場合、その前提条件として、我が国が「存立危機事態」にあること。かつ、その認定には国会による原則事前承認が必要なことを、もっと解りやすく説明すべきです。そうでないと、我が国に直接関係のない「外国に対する武力攻撃」が我が国近辺に延焼し、それに巻き込まれる形で「集団的自衛権」が発動されるとの疑念を招きかねないからです。この点、安倍首相の「集団的自衛権」の模型を使った火事と消火の説明は、こうした誤解を招きやすいものでした。

従って、今回の政府の「集団的自衛権」の行使の条件は、あくまで、日本が「自国と密接な関係にある外国」と共に、相協力して我が国の「存立危機事態」に対処する、ということであって、決して、我が国の「存立危機事態」とは本来無関係(「関係のない」を訂正)の他国の紛争に巻き込まれることを意味しないことを、繰り返し説明する必要があります。(火事は放火によるよりタバコの不始末など自己責任に帰する場合の方がはるかに多いですからね)

ただし、この場合、「自国と密接な関係にある外国」が同盟国たるアメリカ以外どんな国が考えられるか、ということが問題となります。韓国、台湾、フィリピン、東南アジア諸国等が考えられますが、「専守防衛」の枠内での「集団的自衛権」のあり方を考える限り、同盟国以外の国に対する攻撃を、「我が国の存立を脅かす攻撃」と見なすことができるかどうか疑問です。また、それが米軍に対する攻撃であっても、それが「我が国の存立を脅かす明白な危険」がなければ、当然「集団的自衛権」発動の対象とはなりません。

こうした視点で、先の「集団的自衛権」行使の8つの事例を見れば、事例8から13までは、集団的自衛権を発動する対象国は米国、場所は「我が国近辺」ということになります。その他の事例14、15が、国連の決議を受けた上での防御的活動ということになります。最も心配なのは、東シナ海や南シナ海における中国の軍事的進出が、どういう脅威を我が国にもたらすかということですが、これについては我が国だけでなくアメリカをはじめとする国際社会が共同で対処するほかなく、従って、事例14、15はその範疇にあると見ることができます。