論題 引用文 コメント
論争の発端
『私の中の日本軍』
p7~8
 本書執筆の動機の一つは、東京日日新聞(現在の毎日新聞)の、「百人斬り競争」という昭和十二年の、まことに悪質な「戦意高揚記事」という名の「虚報」に接したことであった。この記事は、資料として全文を掲げてあるから、本書を読まれる前に、まずこの記事を精読していただきたい。しかしいかに精読しても、戦後の読者にはおそらく、なぜこれを「虚報」と断定しうるか、じめには
わからないであろう。無理もない。昭和十二年の時点でも、これだけではわからなかったぐらい巧妙なのである。
 そのことは、帝国陸軍というものが、さらに日華事変、太平洋戦争なるものの実態がその時点ですでにわからなくされていたからに他ならない。そして戦後の言論の自由は、この種の虚偽をはぎとるべきなのに、驚いたことには、朝日新聞の本多勝一記者が、「殺人ゲーム」という記事を虚報と批判されたとき、断固たる事実である証拠として提出しだのがこの「百人斬り競争」であった。
 何ということであろう。戦争中の「虚報」が戦後三十数年たってもなお、断固たる事実として通用するとは! 私にはこれが不思議であった。戦争中の虚報を事実とすることは決して「戦争体験を忘れるな」ということではない。否、このような「戦意高揚記事」という名の「虚報」で国民を欺いたことこそ、新聞にとっても読者にとっても、忘れてはならない戦争体験の一つのはずである。ところが不思議なことにこういう考え方はされず、かつての「戦意高揚記事」の信憑性を少しも疑わず、これを対中国懺悔の資料とすることが正しい態度であり、これを疑問視することは「反省の足りない証拠」だとされる始末であった。
 まことに不思議である。昭和十二年当時、もしこの記事を「虚報」だと論証したら非国民であっただろう。そして戦後三十年余たつと、別の観点からこの記事を「虚報」とすればやはり、別の意味の非国民とされるのである。そして、「虚報」の奥の実体は触れようとせず、それでいて、「戦争体験を忘れるな」と言っているのである。
 だが、これが「虚報」であることを論証するのは容易ではない。いわばこのような記事は常に、「しっぽ」が出ないように構成されているからである。だがその「虚報」の外被を一つ一つはぎとって行けば、その作業は、とりもなおさず、帝国陸軍がまとっていた虚偽を一つIつはぎとっていき、そして日華事変・太平洋戦争がどのようなものであったか、その実態をさらけ出すという作業にそのままなっていくのである。
新聞記者の責任
『私の中の日本軍(上)』p262
 「浅海特派員は、この事件における唯一の証人なのである。そしてその証言は一に二人の話を「事実として聞いたのか」「フィクションとして聞いたのか」にかかっているのである。いわば二人の命は氏のこの証言にかかっているにもかかわらず、氏は、それによって「フィクションを事実として報道した」といわれることを避けるため、非常に巧みにこの点から逃げ、絶対に、この事件を自分に関わりなきものにし、すべてを二少尉に転嫁して逃げようとしている。しかし、もう一度いうが、そうしなければ命が危なかったのなら、それでいい─人間には死刑以上の刑罰はない、人を道ずれにしたところで死が軽くなるわけでもなければ、人に責任を転嫁されたからと入って、死が重くなるわけでもないのだから。
 しかし、死の危険が浅海特派員にあったとは思えない。それなら一体なぜこういう証言をしたのか。たしかに浅海氏が小説家で、これが「東京日日新聞」の小説欄に発表されたのなら、この証言でもよいのかもしれぬ。しかし氏は新聞記者であり、発表されたのはニュース欄である。新聞記者がニュースとして報道するとき、実情はどうであれ、少なくとも建前は、その内容はあくまで『事実』であって、この場合、取材の相手の言ったことを『事実と認定』したから記事にしたはずだといわれれば、二少尉には反論できない。従って、すべてを知っている向井少尉がたのんだことは、『建前はそうであっても、これがフィクションであることは三人とも知っていることなのだ。しかし二人は被告だから、残る唯一の証人、浅海特派員にそう証言してもらってくれ』といっているわけである。それを知りつつ、新聞記者たる浅海特派員が前記のように証言することは、『二人の語ったことは事実であると私は認定する。事実であると認定したが故に記事にした。ただし現場は見ていない』と証言したに等しいのである。すなわち浅海特派員は向井少尉の依頼を裏切り、逆に、この記事の内容は事実だと証言しているのである。この証言は二人にとって致命的であったろう。唯一の証人が『二人の語ったことは事実だ』と証言すれば、二人が処刑されるのは当然である。これでは、この処刑は軍事法廷の責任だとはいえない。」


 記者は、はたして二人の話を「事実として聞いたのか」「フィクションとして聞いたのか」ということが、山本七平がこの事件の事実解明に向けて発した、最初の最も重要な問いでした。
 そして、浅海記者が、この両少尉が、一人は歩兵砲小隊長であり、もう一人が大隊副官であることを知っていたにもかかわらず、自らが書いた「百人斬り競争」の新聞記事では、あたかも両少尉が歩兵小隊長であるかのように「斬り込み」や「一番乗り」をしたと書いている、このことについて、記者の創作性を指摘したのです。
 つまり、記者は、この話がフィクションであることを知っていたにもかかわらず、それを戦意高揚記事(=軍部に対するごますり記事)に仕立て上げ、また、自らも最前線の弾雨の中で取材活動をしている(=戦っている)と見栄を張っているのではないかと。
 そして、その新聞記事を唯一の証拠として、二少尉が戦犯容疑に問われたとき、記者はあくまでそれを「事実として聞いた」と証言したのではないか。しかし、それが自分の記者としての名誉を守るためなら決して許されないと、言ったのです。
戦場のホラ・デマ
『私の中の日本軍』p74~79
 「苦しみが増せば増すだけ、人間はあらゆる方法で、あらゆる方向に逃避し、また妄想の世界に半ば意識的に『遊ぶ』ことによって、苦痛を逃れようとするのである。それが軍隊におけるほら・デマ・妄想であって、これは、狂い出さないための安全弁だったといえる。」
 「『管理社会』とか『人間を歯車にする』とかいう言葉があるが、これが最も徹底していたのは軍隊であって、その徹底ぶりは戦後社会の比ではない。そしてこれが徹底すればするほど、また現実の苦痛が増大すればするほど、残酷映画やポルノや低俗番組顔負けの、ものすごいほらやデマが飛び始めるのである。──斬り殺した、やり殺した、焼き殺した、人肉を食った、等々々々・・・(そうした)兵士のほらやデマや妄想を、それは現実ではないと言って論破する人間がいたらかえっておかしいのである。しかし一方、そういうほらやデマや妄想を収録して、『これが戦場の現実だ』と主張する人間がいたら、それは『人斬り』動画を現実だと主張することのと同じことで、これも少々おかしいと言わねばならない。」
 「以上のことは、日本軍に虐殺も強姦も皆無だったという意味ではない。」「毎日の新聞を開けば、強盗殺人、痴情殺人、カッとなったという意味不明の殺人、集団暴行、集団輪姦、強姦殺害、死体寸断等々、こういった記事が載らない日はないと言っても過言ではあるまい。」一昔前なら、そのような事件を起こした人も当然一兵士、一将校であった。「従って、もし歩兵のように警備隊に編成替えされて、さまざまな場所にばらばらに駐屯すれば、多くの事件が起こったと思う。だがそのような事件と、兵士のほらやデマを事実だと強弁することは別である。そしてそのことは、(前記のような)日本の実情を記すということと、低俗番組や残酷映画やポルノや『人斬り』動画をそのまま事実だと主張することとは別なのと同じである」(同p79)
 これは、では、なぜ二少尉は、このように荒唐無稽な戦意高揚記事に名前を貸し、また、話の材料を提供したのかについて、戦場における兵士の異常心理を説明したものです。
 浅海記者の弁明を聞いていると、彼は、自らが書いた「百人斬り競争」の記事のもとになった事実を見たわけではないが、戦場では「『敵』を無造作に『斬る』ということは、激しい戦闘の時はもちろんですが、その他のばあいでも、当時の日本の国内の道徳観からいってもそれほど不道徳な行為とはみられていなかった」「とくにわれわれが従軍した戦線では、それを不道徳とする意識は皆無に近かったというのが事実でした。」といい、氏が見聞したいくつかの捕虜処刑の様子などを紹介しています。
 しかし、そうした当時の日本軍の実情を記すことと、兵士のホラやデマをそのまま事実だと強弁することとは別だと山本七平はいっているのです。
 
戦場の精神的里心
『私の中の日本軍』
p307~309
 前に述べた「ヨメさんがほしいよナ」「親孝行がしたいよナ」にも、向井少尉の第一声「花嫁を世話してくれ」も、すべて、こういう感情(精神的里心)が入り交じって内在している言葉なのである。
 こういうことは、内地との通信が自由で、検閲なしに書きたいことが書ける世界なら、たとえ同じ軍隊でも、また同じように検閲があっても、米英軍のように、プライバシーに関しては懺悔聴問僧の如くにそれを検閲官が絶対に口にしない、すれば逆に非難される、という社会なら、別な表われ方をしたかも知れないし、これほど強烈にならなかったかもしれない。
 向井少尉の言葉には、こういった二つの里心が入りまじり、それが全く思いもよらぬ「将官的特典」の申し出に激発された。そしてそれが「手柄意識」よりも「女性」よりも前にあった、と私は見る。こういう里心は後述する理由で一見外には表われない。しかし、ほぼ全員に内在していたことは事実だからである。
 こういった観点から「百人斬り競争」という記事をみて、これを厳密な意味での私信が送れない世界での、新聞を利用した一種の私信と考え、その記事の内容と当時の検閲下で兵士たちが故郷に送った手紙と、どちらがより具体的な事実を記しているかを比較してみると面白いであろう。
 私の時代には、たとえ苦心惨恢して文字通り一枚の(ガ牛を盗んで手に入れても、いまは何月何日で、その時点で自分がどこにいるかということを書くことすらできない。ただハガ牛がつき、私の筆跡で何かが書かれているということが、このハガ牛を出したときには生きていましたよ、という証明であるにすぎない。
 しかし前述のように、多くの家族たちは、この証明すら入手できないのである。従って、「どうせ本当のことは書けない」にしろ「それがとどくというだけで考えられない幸運だ」という考え方にならざるを得ない。そこで、知らず知らずのうちに、検閲を無条件でパスできそうなこと、特に、検閲官の気に入られそうな言葉を並べるように無意識のうちに自己規制してしまい、心にもないことを書いても、悪感はもちろんのこと違和感すら感じなくなってしまうのである。
 私は向井・野田二少尉の言葉の背後に、この資質を見る。どうせ本当のことは言えないし、書けない。そしてそれを問題と感ずる問題意識すらなくなっている。従って、二人にとっては、自分のことが、記事という形の私信によって内地にとどくことが第一義で、その記事の内容は、いわば浅海検閲官が最もお気に召すものであってかまわない、ただそれによって確実にとどいてさえくれれば、それでよいのである。まして記事の内容は新聞社が責任をもつことなら、相手が暗に指示する通りにしゃべって何の不都合があろう。
 従って二人には、一通のハガキが確実に両親の手元にとどくためには、どんな超国家主義的美辞麗句を連ねても一向にかまわないと考えた私と同様に、その内容には一切責任を感じていないのである。従って二人には罪悪感はないし、そのハガキを書いたときの私にもその内容に対して罪悪感はもってなかった。
 ここのいう「精神的里心」とは、人が「殺されることが当然」という戦場に連れて行かれたとき、その肉親が異常に心配しているであろうということが、逆に戦地にいる人間の異常な心配になり、これが心配の増幅作用を起こして、何としても自分が生きていることを肉親に知らせたいという気持ちが異常なほど強くなることをいっています。
 また、もう一つの里心が「感覚的里心」で、これはいいかえれば「感覚的ホームシック」であり、家庭とかお袋の味を想起させるようなもの(畳とか味噌汁とか)に接したとき激発的にその人を襲う感覚で、歴戦の勇士でも手放しで泣き出すほど強烈なものだといいます。
 山本七平は、こうした「精神的里心」がいかに強烈であるかを、フィリビンのバギオに出張を命ぜられたときに盗んだ「一枚のハガキ」で知っていましたし、後者の感覚的里心は、復員船の中で最初に出された味噌汁のにおいをかいだときに体験してました。
 こうした経験から、なぜ、二少尉が、記者の持ちかけた荒唐無稽な「百人斬り競争」という記事に自分の名前を貸し、かつその記者に迎合して百人斬りの話の材料を提供したのか、また、そうした「ホラ話」の内容に責任を感じなかったのか、その心理的理由を、自らの体験を通して説明したのです。
 だた、この創作記事を書いた記者が、自分たちは「軍の認可を受けた従軍記者」であった、ということを理由に、その内容に責任を感じていないのは納得できない、といっています。
雲の下論
(『日本教について』p271
 この「雲の下」論というのは、「雲表上に現れた峰にすぎない」ものの信憑性が、「かりに」「自白の任意性または信憑性の欠如から否定されても」「雲の下が立証されている限り・・・立証方法として十分である」、従って、時日・場所・人数・総時間数等細かい点の矛盾を故意にクローズアップして、それによって、「事実」がなかったかのような錯覚を起こさせる方がむしろ正しくない、という議論です。・・・
 この論法は、「語られた事実」を「事実」だと主張して、その「事実」の証拠を他の「語られた事実」に求めるとき必ず出てくる議論で・・・、(本当は)百人斬りという犯罪「事実」は誰も知らない、知っているのは、百人斬りという犯罪の「語られた事実」だけである。その「語られた事実」(複数)によってこれから「ぎりぎり決着の『推認』に到達しようというのに、その前に「犯罪事実の存在自体」と断言してしまえば、もう何の証拠もいらなくなります。確かに「いらない」のであり、「いらない」が故に、「同じことしか語らない」という「沈黙に等しい」証拠を量だけ集めることになります。
 
 これはイザヤ・ベンダサンが、「百人斬り競争」をめぐる本多勝一氏との論争において、本多勝一氏の証拠の提示の仕方を論評したものです。
 日本には「語られた事実」と「事実」を峻別する伝統が全くないこと。従って、前者から後者に肉薄するためには、前者(複数)間の矛盾はむしろ喜ぶべきことだが、日本人は逆にその矛盾を消そうとする。そして、そのことを正当化する論理が、この「雲の下論」(「松川事件」裁判における田中耕太郎最高裁判所長官の言葉)である、と指摘したのです。