私はガーナのクリスチャンファミリーに生まれ育ちましたが21歳になるまでは、真のクリスチャンではありませんでした。18歳の頃、アキム=オダという町に住んでいましたが、町ではちょいと名の知れた大酒のみでどれだけ飲んでも平気で飲み続ける私は「パジェロ」(ご存じ、故障知らずの丈夫な日本車!)の異名をとるほどでした。歩けなくなるまで飲み明かして、ついに道端に倒れ、そのまま朝まで雨に打たれていたこともありました。(オダのパジェロ、路肩で雨ざらしの図)。よその町からは、「一気のみバトル」の挑戦状を名指しで受け取り何度も挑戦者を打ち負かしました。酒だけにとどまらず、仲間に誘われてマリファナにも手を出すようになり朝から夜中までタバコの煙とアルコールの匂いとマリファナの幻覚のなかに浸りきる毎日が長く続きました。べろべろに酔っ払って家に帰ると母が心配して「もうお酒はおやめ」と言うのですが、「うるせー」とどなってけんかになるばかり。酔いから醒めると、母への申し訳なさから、「もう、こんな生活やめたい」と心のどこかで思いつつも時間がくればまた再び昨日と同じく快楽を求めて遊びに出かけてしまうのです。それは、やめたいけどやめられない、いつもの日課とでも言うべきものでした。 21歳になったある日、弟のベンジャミンが訪ねてやってきました。彼はすでに新生したクリスチャンとして、首都アクラで教会の役員をしていました。彼とは久しぶりの再開だったのに私はろくろく話もせずに夕方になると待ちきれず、いつものように夜中まで大酒を飲浴び、泥酔して家に戻り、眠りにつきました。その夜、私は夢を見ました。私はお気に入りの縞のシャツを着て、カギのかかった部屋立っていました。そのシャツを脱ごうかどうしようか考えているのですが、それを着ているのが心地よくて、どうしても脱ぎたくないのです。ふと気がつくと、同じ部屋の中で、弟のべンジャミンが何か祈っている声が聞こえます。その祈りはアカン語(ガーナの言葉)ではなく、英語でもなく、もちろん日本語でもない聞いたことがない不思議な言葉でした。それが、異言の祈り、すなわち聖霊による祈りだということ気がつくと突然、私の着ていたシャツがひとりでに破れ始めたのです!ベンジャミンが祈れば祈るほど、私のお気に入りのシャツはどんどん裂けて破れ、バラバラと床にちやがてカギのかかったドアの下から吸いられるようにして外へ消えていきました。私の上半身にはもうシャツはなく、何もまとっていない自分がひとりそこにいる……。そこではっと目が醒めました。すると驚いたことに、夜明け前の静まり返った部屋のなかで夢で聞いたのと同じ声が聞こえるのです。見ると、同じ部屋のすみっこで、ベンジャミンがひざまずき、ちょうど異言の祈りを捧げ終わったところでした。驚ききとともに聖書の言葉が迫ってきました。

          「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。
         わたしたちどのように祈ったらよいかわからないのですが、
           御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって
               わたしたちをとりなしてくださいます。
                 人間の心を探り窮める方は、
             御霊の思いが何かをよく知っておられます。
             なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、
            聖徒のためにとりなしをしてくださるからです」
               (ローマ人への手紙8章26―27節)


このとき、夢の意味がはっきり分かりました。聖霊さまは、ベンジャミンの異言の祈りの中で、深く私をとりなしてくださり自分ではどうしても脱ぎ捨てさることのできなかった悪い習慣を祈りの中で破り裂いて去らせてくださったのです。ベンジャミンは、言葉ではどう祈ったら良いのかわからなかったけれど聖霊さまご自身がとりなし、働いてくださり、私は裸になって神に近づき、悔い改めその日以来、酒もたばこもマリファナもきっぱりとやめることができたのです。その日私は、聖霊によって新しく生まれ変わりました。
             だれも助け出すことのできなかったこの夜の暗闇から
           不思議な方法で私を救出してくださった神様に感謝します。

 
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・・・ 私は解放された!! ・・・

「パジェロの救出」

                                                      
                                                ジェームス・エンカサ