【第265回】
2009年9月5日
《暗闇に手探りで脱出口を探す》
手探りしていると、手に触る、鎧戸のようなものに感じられました。船の中にこんなものがあったかなあと考えましたが思い当たりません。本船に吸い込まれ、船中に居るものとばかり思っておりました。
さらに、鎧戸のようなものを手探りして、下の方に手を進めると、切れ目があった、此の壁の向こうに行けば何とかなるだろうと思い、体を海中に沈めてくぐりました。
向こう側に出ますと、星空が見えた。俺は生きていた。死ななかったのだと思いました。
その時、星は一段と燦めいていたようでした。今まで転覆していたボートの中にいたのです。転覆したボートの底に上がろうとしますが、右足に全然力が入りません。足を傷つけた事も頭にありません。すでにボートの上に居た人の手を借り、引き上げて貰い、腹這いになったまま自分の足が何故、自由にならないのかと残念でなりません。そのうち今まで忘れていた寒さを感じて来ました。寒いと思うと益々寒く、腹の底まで冷え込んで来ます。
そのまま無意識にうつらうつらと眠っていたようです。誰だか分かりませんが、関西弁で「眠ったらあかん。死んでしまうぞ」と、頬にビンタをくれ勇気づけてくれました。「そうだ、寒いとき眠れば死ぬ」と云われた事を思い出し「起きていなければ」と思うけれども、やはり眠い。眠くてやりきれません。ボートの中から「コツ、コツ」と叩く音がします。そうだ、まだボートの中に人がいるんだ。「おーい、そこはボートの中だ。右か左へくぐって出てこい」と、呼び続けました。この事で眠りから覚めたのです。人員は分かりませんが、三名か五名か、或いは十名近くがその中に居たのではないかと思います。そのうち東の空が白くなり、太陽が昇り始めました。海中より昇る日の出は初めてでした。
《ボートを起こし水を汲み出す》
悪夢の一夜は明けました。次第に海面の様子が目に映って来ます。あちらに少し、こちらに一塊と、戦友が藻くずと同じように浮いています。皆、申し合わせたように上を向き、顔だけ海面に覗かせ、口を半開きにして、これが此の世の様か?昨日まであのように雄々しく元気だった戦友が・・・と思わせる惨めな状況です。
その内ボートの周囲には十数名が集まりました。元気な者が「ボートを起こそう」と言いだしたので、皆で海中に入り、ボートを起こし、中にあった鉄帽で水を汲み出して浮き上がらせました。私も人の手を借りてボートに乗りました。
乗っている者同士、励まし合いながら、その中にあった非常食の乾パンや春雨を分け合いましたが、海水でふくれて食べることが出来ず、袋の中から金平糖を探して食べたに過ぎません。その時、元気な者が海中に浮いている「鰺」を見つけ「これで腹の足しにしよう」と云って、皆で分け合って食べました。その美味かったことは、何にも例えようもありませんでした。
《流れ来た大発艇とボートで救助活動》
腹のふくれたとこで、海中に居る者を助けようと、ボートを動かすことになりました。が、櫓がありません。鉄帽や手で漕ぐが意の如くならず、「助けに行くぞ。少しの間、待ってくれ」と声をかけてからボートを動かし、その地点に行ったとき、その兵隊は力尽きて沈んだのか見当たりませんでした。また、ドラム缶にすがっていた戦友も海中に没したのか、ドラム缶だけが廻りながら浮いていました。このような悲惨な状況の中にあっても、十数名を救助してボートに乗せました。同期の者は見当たりませんでした。
太陽が大分高くなったとき、大発艇が一隻流れて来ました。鎮海丸に積載されていて、無傷で着水したもののようです。大発艇に乗員を移し、ボートで救助に向かいました。大発艇には将校の方がおられた。相当な先輩と見受けました。足を引き摺って近寄り「指揮御願い致します」と申したところ「君がやってくれ。負傷しているようだけれども・・・」と云って、黙ってうつむいてしまわれました。仕方なく大発艇の先端に立ち、救助を求めるところにボートを行かせて救助させました。昼頃、大発艇も満員近くになりました。
軍艦が水平線の彼方に雄姿を現したとき、我々は大声で救いを求めました。が、すぐ姿を消してしまいました。そんなことが二・三回繰り返されました。海面には生存している者は一人も見当たらなくなったので、大発艇に乗り移り、体を寄せ合って寒さを防ぎました。
大発艇から戦友を捜しているとき、同期の友の顔も四・五名いました。呼べども何の応答もなく、ただ白い顔の横から錦の袋のみが冷たく光っておりました。
《併走しながら海防艦に移乗する》
救助活動が終えて仕事がなくなると、疲労が出て来たのか、皆座り込み、声も出さず、軍艦の消えた方向に目をやり、寒さと戦っていました。また、水平線の彼方より軍艦が近づいて来たときは、あまりの嬉しさに全員総立ちになって救助を求めました。が、我々の大発艇の近くを相当のスピードで通り過ぎて、爆雷を投げ込みながら遠ざかって行きました。
その余波で大発艇は大揺れし、ボートは転覆してしまいました。その後、二・三回そのような事を繰り返し、やっと掃海艇が近づいて来て接舷しました。掃海艇からの連絡で、海域に敵潜水艦がいるとのことで、掃海艇と平行して航行しながら乗り移りました。兵曹長が来て「御苦労様でした。よく頑張ってくれました。安心は禁物。付近海域に敵潜水艦がおります。皆の休んでいるところは爆雷庫ので、ここに一発食らえば、本艦もろとも木っ端微塵です。そのつもりでいて下さい。」と云われました。我々は喜びと不安を抱き、素っ裸になって毛布にくるまりました。
《一口の酒とお粥に生き返る》
酒が出され、一口づつ口に含み、お粥で腹を満たし、寒さも忘れてぐっすり眠りました。その時は、軍艦が攻撃されてやられれば仕方がない・・・と、欲も得もない気持ちでした。
救助されたのが昼過ぎ頃だつたので、ボートや大発艇で漂流していたのが約八時間以上になります。目が覚めると夜半過ぎで、もう立つことが出来ない程足の右大腿部が腫れ上がって痛みを感じました。
掃海艇はエンジンを止めて港に入っているようです。何の音も聞こえません。生きていることすらいたくなります。星が美しい光を投げかけています。その光で島影がくっきりと見えます。昨夜の事が全く夢のようにしか思われません。聞けば中國の舟山列島に到着したとのこと。我々の七隻の輸送船は二隻になっていました。一昨日、追い越して行った高速船団も壊滅したと聞きました。
《救助された同期生と再会》
昨日と異なり、何事もなかったかのような静かな朝を迎えました。午前中に、海軍の人達の手を借りて、他の海防艦に乗り移る。甲板に上がった時、大久保、佐藤の戦友が居て、体を抱えるようにして介助してくれ、生存を喜び合いました。そのうち、艦は微速ながら揚子江を溯り、上海に向かいました。寒さは少しは感じますが、海中の事を考えればさして気になりませんでした。
甲板には救助された同期の者が一人また一人増えてきて、五・六名となり、苦しかったことを話し合い、また、これからの戦いで、必ず逝った戦友の仇を討とうと誓い、手をとりあい無念の涙にむせびました。
いよいよ上海に接岸し下船しました。人員点呼となり、四列横隊二十五番で切れました。他の船を含めて生きて上陸した者は二百名でした。私達同期の者は三十九名しかおりません。もっと生きていると思っていましたが、上陸した二百名は敗残兵そのもののようでした。
携帯していた兵器といえば二・三名の者が持つ剣のみ。ある者は上衣がなく、ある者は軍袴がなく、また毛布で体を包み、軍靴もなく、これが皇軍かと目を見張るばかりの有様でした。皆、顔は青白く目ばかりギョロギョロしていました。
私は戦列を離れることとなり、共に喜ぶ間もなく、戦友に見送られて、淋しく七名の負傷兵と共に、車で上海第二陸軍病院に入院いたしました。再び戦友たちの許に帰る日を夢見つつ・・・・。