南九州かくれ念仏を訪ねる旅

伝助さんの首塚(熊本県人吉市)

江戸時代中期に、お念仏のみ教えを伝え殉教された、山田村(現:熊本県山江村)の伝助さんのお墓にお参りしました。

本願寺人吉別院(熊本県人吉市)

人吉別院にお参りし、人吉地方のかくれ念仏の歴史や上記の伝助さんの伝記についてのお話を伺いました。

安楽寺(宮崎県都城市)

宮崎県の一部は、薩摩藩によって治められていましたので、ここでも念仏弾圧が行われていました。
その歴史について、安楽寺のご住職様からくわしくお話を頂きました。

田島かくれ念仏洞(宮崎県都城市)

安楽寺様の近くにある念仏洞です。
念仏洞とは、弾圧の中でご門徒の方々が法座を開くための洞穴です。(これをガマといいます)
写真は、田島かくれ念仏洞の石碑の前で、安楽寺ご住職様よりのお話を聞いているところです。
花尾かくれ念仏洞(鹿児島県鹿児島市)

都迫かくれ念仏洞から車で15分ほどのところにある大岩の隙間を利用した念仏洞です。
ここは小高い山の中腹にあり、車を降りてからきつい坂を300メートル以上歩かなければなりません。
それでも今は、階段も取り付けられ登りやすくなっていますが、江戸時代のご門徒の方々は、道なき道を
よじ登ってここで法座を開かれていました。当時のご苦労が偲ばれます。

スナップ

平成24年10月21日〜22日、正山寺・西法寺・真行寺(いずれも行橋市内の寺院)の法中・ご門徒の方々28名で、「南九州かくれ念仏かくれ念仏を訪ねる旅」に行ってきました。
室町時代末期から明治初期にかけて、鹿児島県・熊本県人吉市周辺・宮崎県都城市周辺は藩の政策により
浄土真宗が禁止されていた歴史があります。その中で、当地のご門徒の方々は、文字通り命をかけてお念仏を喜び、また後の代に伝えていかれました。
今回の旅行では、当時のご門徒の方々が法座を開かれた洞穴(ガマ)を四ヶ所、資料が残る三ヶ寺のお寺に
お参りしてお話を伺いました。
かくれ念仏に関する資料を保存するお寺や資料館また洞穴(ガマ)は、鹿児島を中心に数多く存在します。
限られた時間の中で、そのほんの一部でありましたが、参拝・見学させていただき、先人の方々のご苦労を偲び、浄土真宗のおみ法(のり)の尊さを、あらためて味あわさせていただくことができました。

2日目

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観光は一切なく、ただ先人のご苦労の跡を訪ねる旅でしたが、移動中のバスの車窓から西郷さんの銅像や桜島を見ることも
できました。そんな旅の一場面をいくつかを紹介します。

雀ヶ宮念仏洞にて引率係の法中
         ↓
夕食はカラオケで盛り上がりました          ↓
花尾念仏洞入口のバス停「隠念仏」          ↓

↑ 花尾念仏洞にて

↑ 霧島の夕陽

↑ 桜島

本願寺鹿児島別院(鹿児島県鹿児島市)

明治に入って鹿児島に最初に建立された本願寺派のお寺です。
本堂でお参りし、職員の方から鹿児島のかくれ念仏の歴史を伺い、境内で「涙石」の説明を聞きました。

1日目

都迫(どんさこ)かくれ念仏洞(鹿児島県鹿児島市)

鹿児島市中心部より車で30分ほどのところにあるガマです。多くのガマは、役人の取り締まりを避けるため、
見つかりにくい山の中腹につくられました。このガマもかなり急な階段を上らなければなりませんが、参加された
方々全員がこの坂を上りました。

雀ヶ宮かくれ念仏洞(鹿児島県鹿児島市)

鹿児島別院から車で30分ほどの小高い丘の中腹にある念仏洞です。
念仏洞としてはかなり規模の大きいもので、写真の右のガマを入ると右に大人がかがんでやっと通れる
くらいの10mほどの通路があり、別のガマとつながっています。役人が来た場合の逃げ道として使われて
いたと思われます。

以上で、一泊二日の旅を終え、全員怪我もなく行橋に帰ってきました。
団体旅行としてはかなりきついスケジュールでしたが、今回の旅行で私たちは江戸時代のご門徒のご苦労の一端に触れたに過ぎず、当時の
ご門徒は何代にも亘って、私たちとは比較にならない命がけの念仏生活を続けられたのでした。
その中でお念仏を喜び後に伝えられた先人のお心を思わせていただくことです。

都迫(どんさこ)かくれ念仏洞の内部

この念仏洞は人一人がやっと通れる曲がりくねった通路を、カッパと軍手を着用して、約7m進んだ所に畳五畳
ほどの部屋があります。
ここは法座が開かれたところで、真っ暗な部屋の中には大きな虫やコウモリがいます。
この中で江戸時代のご門徒の方々は、役人の目を逃れみ教えを伝えていかれたのでした。
参加者は交替で部屋に入り、ろうそくの明かりの中でお参りをしました。