作業療法を通して見えてきた事  山梨県立北病院 作業療法士  島崎 進

はじめに

1+1= 1+2- 1+3= 1+4= 1+5= 1+6= 1+7=

今流行の脳トレです。答はいくつになりましたか。2,3,4,5,6,7,8、ですか。間違いありませんか。十進法で計算してくださいという前提であれば全て正解です。しかしコンピューターは1+1=10という二進法で計算しているのです。二進法というのは1が二つになれば10という計算方法なのです。三進法だと1+2=10になるのは分かりますね。つまり上の数式、全て10というのも成り立つのです。根拠、エビデンスにこだわるのは分からないでもないのですが、そのエビデンスそのものの根拠は絶対ではないのです。ある条件の下にと考えるべきであろう。


フィンランド症候群
フィンランド保健局が40才から50才の上級管理職600人を選び、定期健診、栄養学的チェック、運動、タバコ、アルコール、砂糖塩分摂取の抑制に従うように説明し、これを15年間実施経過を観察した。同時に同じ職種の600人を対照群にして、このグループには目的を話さず、ただ定期的に健康調査票に記入させるようにした。調査を開始してから15年後には意外な結果となった。健康管理をされていないグループのほうが心臓血管系の病気、高血圧、がん、各種の死亡、自殺のいずれも少なかった。
好きなように気分良く過ごした方が自然治癒力はより有効に働くということなのであろう。

病は気からという言葉がある。病気だと意識する事によってますます病気にとらわれていく。あなた病気だと何度も言われれば、なんでもなくても、病気なのだと思い込んでしまう。常に病気を意識する事によって、注意は自分の内側に向かい、病気から抜け出せなくなってしまうのであろう。活き活きとした生活とは縁が遠くなってしまってもおかしくない。
私たち医療者は患者を病気に縛り付ける手伝いをしているのではないかとも思うのである。

生きるということ
大半の人が自殺企図の体験あり
ほとんどの患者さんが一度や二度自殺企図をされている。そんな話聞いた事無いですか。患者さんの置かれた状況を考えれば、もし自分が同じ状態であったら、おそらく同じ様に死にたいと、そう思うのである。しかし、ほとんどの人が死に切れないのである。おそらくどこかでブレーキが掛かっているのであろう。患者さんに時折死にたいといわれる。そんな時、でも死ねないよね、と言うと何故か「そうだよね」という言葉が返ってくる。生きていくしかない、そこからが始まりだと思っている。

生物の本性は生き抜き子を残す事にある
生物は生きる方向に努力するようにつくられているのである。理屈など無い。一番怖い事はやはり死なのである。自身の未来がどんな状態になるにしても生きていくしかないのである。そして、わが命を次の世代へと送ることに力を注ぐのである。自己保存そして種族保存、聊か古い言葉であるが、自身を振り返ってみれば肯ける筈である。
生物の全ての機能は生き抜く為に存在する

感覚の存在理由
自身の周りに今何が起こっているのか、自分の置かれた状況を把握することによりはじめてより相応しい形で反応できるのである。
情動、感情、気分も生き抜く為のセンサー
自分の置かれた状況がどのような状態なのかを判断する為の道具も当然用意されているはずで ある。それがおそらく情動とか感情とか気分といったものなのであろう。苛々とかハラハラとかド キドキとか、モヤモヤとかいった状態があればこそ、今どうなのかが考えられ、より相応しい行動 が促されるはずである。そしていい気分が得られれば同じような行動を促進する事にもなるであろう。
ただ自分にとって余り好ましくない状態?のときは、おそらく不快感を伴うのであろう(イライラもモヤモヤも不快である)、当然その不快感を取り除こうとする行動が出てくる。それが問題解決ならいいのだが、気分だけをすっきりさせようという形で対応すると、問題は何時までたっても解決する事ができず、より不快感を増す事になりかねない。
どんなに不快ではあっても、本来必要だから存在しているのである。意志や気持ちだけで簡単にすっきりさせられるはずが無い。
免疫

細菌やビールス等々の外敵から身を守る機能も確りと用意されているそれが免疫である。風邪の発熱は病原菌との闘いを少しでも有利にしようとする働きであり、下痢にしても嘔吐にしても、毒物を排斥しようとする働きである。こういった体制があればこそ生命をより長く維持できるはずである。

使用しない機能は不要なものとして切り捨てられる
生き抜く為には大変なコストが掛かる。単にエネルギーの補給だけではない、体は常に補修され 作り変えられているのである。無駄は極力省こうとするのが自然であろう。したがって不用なものは削除されていく。不用なものは使われていないものということになる。使わない機能は切り捨てられていくはずである。使う事によって機能は維持され、向上していく
よく使われる機能は当然必要なものということで維持され強化されていくはずである。それがより上手く生き抜く力になるのである。

統合失調症の特徴あるいは問題点
考えられない、覚えられない、疲れた
 患者さんから何度も聞かされた、覚えられない、疲れたと言う言葉。活動を共にしていて、しみじみと感じる。パソコンの起動方法、何度聞かれた事か。園芸では30分もすれば、疲れた、実際は、OTAの動いている量の半分も動いていないのに。ソフトバレーボールでは一番年が上の私が、患者さんの数倍も動き回っている。それでも昼休みにはバドミントンを楽しめるのである。

決断ができない
 北病院ではパッチワークが盛んである。ピースの型紙作りや、待ち針打ち等考えなければならない部分には大抵OTROTAの援助が求められる。確かに縫い方そのものはどんどん進歩していく。しかしある程度出来上がりを予測しながら組み立てていかなければならないような所ではOTROTAの出番なのである。OTSなら大抵は2回目以降には自力で行える。
 何が違うのか。巾着用の4枚の布を前にして呆然と眺めているだけ、試行錯誤すらできない。迷うのではなく、選択肢そのものが想起できない。結果の予測ができない、と思わざるをえないのである。

対人関係がうまく取れない、言葉のキャッチボールができない、相手の言葉に合わせられない
いったことは全て同根なのであろう。訓練で簡単に変化していくといったものではないように思えてならないのである。
おそらく脳の機能の問題、障害として考えた方が良いのではないかと思うのである。したがって
対症療法で問題が解決するとは私には思えないのである。

作業療法の原点
 人らしい生活を無為の状態で日々過ごしている患者を見て自身であればたまらないと、女性に編み物をさせてみた。活動性が上がり表情も活き活きとしてきたという記述が森田正馬の著書に出ている。ピネルの思いも同じであったろう。人として少しでも豊かな生活を、それが活動なのであろう。作業療法の原点は活動そのものにある。


活動の効用
2次障害の予防
 使わない機能は、余計なものとして削除されていくということを考えると、病院での生活は、何もしないで済む生活である、まさに様々な機能を低下させる環境なのである。機能発揮の場を提供する、活動の場を提供する。それが作業療法の第1の役割であるはずである。
暇つぶし
 1日は24時間、これだけは誰にでも共通して在る。しかも死を迎えるまで続くのである。それをどのように過ごすのか。かくあるべしというものがあるわけではない。何をして過ごしても構わないはず、ただ自分が損をするようなことは避けたいが。
寝て過ごしても一日は過ぎていく。それが良いというのであればそれもよし。しかし自分だったらどうありたいか、やはり時が流れるのを忘れていられるような何にか熱中して過ごしたい。
この今を充実させて生きる、多分それが多ければ多いほどその人の人生は豊かと言う事になると私は思っている。
仲間つくりの場
 活動が人と人をつなぐということ、毎日の作業療法の場面で目にする。看護の実習生が、横でただ眺めていたときは、患者から何も話してもらえないでいたのが、自分も何かを始めると自然に患者から話し掛けられたり、声をかければ返事を返してもらえる。活動が人と人を繋ぐ媒介になるのである。

人の進化を考えると、社会を形成したということが大きな力になっているのではないかと思う。孤立したら死と言う事にもなりかねない。人と人とのつながりがあって始めて安定した生活が維持できるのであろう。

 治療者・患者関係はどこまでいっても治療者・患者の関係でしかない。つまり与える、与えられるの関係なのである。対等な関係にはなりえないのである。信頼関係云々は治療者側の勝手な思い込みと私には思える。

気分を安定させ前向きの姿勢を作る
 自己発揮は自分の能力を向上させていくことになる。能力が上がるという事は生きる力が大きくなるという事になる。当然気分が良いはずである。

生活リズムの健常化
 人は昼間明るいときに活動するように進化してきた。しかし活動の場が無いとどうなるのか、昼間もゴロゴロ、横になっていると脳を活性化させる筋の緊張も緩み何時の間にかうとうと、当然夜眠れなくなる。メリハリの無い一日になってしまう。昼間活動し夜眠るという人本来の生活リズムは当然崩れていく。それを防止するのが活動なのである。

作業療法を効果的にするために
必ず出来る作品
 できたと言う思いがあって初めて次も、ということになる。したがって、まずできたと言う形になるものが大切。簡単な物でも結構、その人の能力にあわせ必ず出来上がる物を用意すべきである。
出来るだけ見栄えのよいもの
 できたとしても、その作品を見たら、何これ、酷いというものでは意欲を削ぐ事になる。見てくれは大切である。程ほどにいいのができたと思えるような物ができるということ。
自分の力で
自分の力でやったという思いが出来るということ。力の発揮は自己の能力の証明でもある。自分の能力を肯定的に認められることも大切である。そして大変さは十分に能力を発揮したと言う思いが得られる。それが効力感に繋がるはずである。
枠の効用
 時間・場所・役割等の枠があればこそできる。この時間は此処であることをするのだよ、と言う強制力があってこそ、手がつけられる。仕事というものまさに強制力があればこそ、嫌であっても、面白くなくても、できるのである。
活動そのものが目的
 ゲームに勝とう、作品をよりよいものにしよう、よりよい結果を求めることによって、注意力や集中力、耐久力は自然に出てくる。例えば集中力をつけるために革の財布を作る。注意は何処へ向かうのだろうか。おそらく自身の状態の方へ向かっていくはずである。今集中しているのか、集中できていない、さあ集中しなければ、ということで対象のほうへ注意は向いていかない。面白い訳が無い。  
継続は力
 継続することによって本当の面白さがわかってくる。継続することによって初めてより良い物ができ、さらにより良い物を作ろうと創意工夫がなされ作品、技術の向上につながり、自己能力の向上に繋がっていくのである。
 一芸に秀ずる人は、その事の為にどれだけ力を注いでいるのであろうか。一生かかって築き上げていくものなのであろう。
自分のペースで
 人の能力には違いがある。その人に合った状態で行うというのが大切。10分しかできない人、1時間やっても一向に平気な人。早い人遅い人、上手い人下手な人それぞれなのである。

治療を考える
何故治療をするのか
 より良く、より上手く生きていきたいからこそ、病気では困るのであり、治療をするのである。
しかし治らない病気もある、一生付き合わなければならない障害もあるのである。であればその状態で少しでも良く上手く生きたいというのが自然ではないのだろうか。治療のためにリハビリのために生きているのではなかろう。星野富弘さんのような生き方もあるはずである。

車椅子を押す立場と押してもらう立場と、あなたならどちらを選びますか。車椅子を使わなければならない人の生活全般を想像してください。でも車椅子に頼らなければならないのです。車椅子に頼ったとしてもその人らしい生活はあるはず。

活動が生活をより豊かなものにしてくれるのである。その活動を提供できるのが我々の仕事ではないのだろうか。

マザーテレサの祈り

   主よ、私は信じ切っていました。     私の心が愛に漲っていると。

   でも心に手を当ててみて、        本音に気づかされました。

   私が愛していたのは、他人ではなく、   他人の中の自分を愛していた事実を。

   主よ、私が自分自身から解放されますように。
   

     
主よ、私は思い込んでいました。     私は与えるべきことは何でも与えていたと。

   でも、胸に手を当ててみて、       真実がわかったのです。

   私の方こそ与えられていたのだと。

   主よ、私が自分自身から解放されますように。


   主よ、私は信じ切っていました。     自分が貧しい者であることと。 

   でも、胸に手を当ててみて、       本音に気づかされました。

   実は思い上がりと妬みとの心に、     私がふくれあがっていたことを。

   主よ、私が自分自身から解放されますように。

                    曽野綾子著「部族虐殺」より



参考文献 

 時実利彦 「人間であること」1970

 森田正馬 「森田正馬全集」白揚社 1976年 

 千葉康則 「脳と人間と社会」法政大学出版局 1988

 曽野綾子 「部族虐殺」新潮文庫2002年  

 ヘルムート・トリブッチ 渡辺正訳 「動物たちの生きる知恵」工作舎 1995

 チャールズ・ダーウィン(リチャード・リーキー編)吉岡晶子訳「新版図説種の起源」東京書籍」1997

 長谷川寿一・長谷川真理子「進化と人間行動」東京大学出版会2000

 奥村康監修「3日でわかる免疫」ダイヤモンド社2002

 澤口俊之「わがままな脳」筑摩書房2000

 アントニオ・R・ダマシオ 田中三彦訳「生存する脳」講談社2000

 
アントニオ・R・ダマシオ 田中三彦訳「無意識の脳 自己意識の脳」講談社2003

 
小泉英明編著「育つ・学ぶ・癒す 脳図鑑」工作舎2001

 
茂木健一郎「脳内現象〈私〉はいかに創られるか」NHKブックス2004

 
池田清彦「やがて消へゆく我が身なら」角川書店2005

ジョゼフ・ルドゥー「シナプスが人格をつくる」2005

 
松澤大樹編著「眼で見る脳とこころ」NHK出版2003

 舟橋新太郎「前頭葉の謎を解く」京都大学学術出版会2005

 坂野雄二「認知行動療法」日本評論社2005

 澤口俊之「HQ論:人間性の脳科学」海鳴社2005

 ローワン・フーパー 調所あきら訳「ヒトは今も進化している」新潮社2006

 エルコノン・ゴールドバーグ 藤井留美訳「老いて賢くなる脳」NHK出版2006

 

2008.4.25 公開

この文章について shobar