1918呉・樫田調査報告書

自序

精神病者は自分ではわからなくなり、自らどうすることもできない病にかかっているものなので、その境遇はもっとも同情するようなものであるが、社会の秩序を危うくして、一般社会に暮らす人々気持ちの平穏をみだすような危険な症状をすることがあるので、救済し、保護しなければならないのは、自分のような者の責任でもあり義務でもある。しかもこの病気は決して治らないわけではない。適切な時期に入院し、適切な治療をすれば、治るはずの人が少なくないのは他の多くの病気と比べてなんら変わりはない。欧米などの先進の諸国は国家や公共団体が、これに対する制度・施設を整えて多くの病者を収容して、十分な看護や治療援助をしてよりよくケアすることで、社会秩序を保ち、民衆の平穏を得るように力を注いでいる。我が国においては、精神病者監護法の施行で病者の法律的地位は擁護できたが、実学の立場から、実際に行われている治療援助の方法を、観察すると、あまりにどうかと思うようなことが多くあるように思う。現在我が国にいる、精神病者の数はおよそ1415万の多数に及ぶのであるが、治療・保護に当たるべき国公立精神病院は非常に少数で、収容患者数は、全患者の数に比べて、実に少ない。その代わりの役を担いつつある私立精神病院の収容率もまた、すごく少なくて、国公立私立をあわせても約5000人しか収容できていない。そうすると残りの1314万人である多くの病者は監護法が定めたところの、私宅監置室におかれたり、神社・仏閣で祈祷を受けたり、修行したり、滝に打たれたり、ちまたの民間療法で対処されたりしている。自分は東京帝国大学の精神病学教室の主任として、病院以外のこれらの処置療法が病者保護としての方法として妥当であるのか、医学的療養として目的に達する水準にあるのかどうかを知りたいと思い、明治43年から大正5年に、夏の休暇のたびに、教室勤務の助手・副手(15名)を114県に派遣して、その病院以外の処置療法、特に私宅監置の実際のところを調査してもらった。この著作物はこの報告をまとめたものであり、この中にある多数の実例に添えた幾多の写真や図は惨憺たる監置室の光景や不完全な民間療法をよくあらわして、読者をきっと、考えさせることになるであろう。病院以外におけるそれらの対応はその悲惨さでもって、誰もがその心のうちが穏やかにいられないようなことになり、そういうことは病者の保護治療に関する法律ならびに施設の大いなる欠陥が原因であるので、互いの博愛の精神をもって旨とする人道上の観点からも、公安維持の観点からも、制度を改善し、設備をきちんとすることはもはや緊急の課題でるといってもよいであろう。まして我が国の精神病者の数は年々増加してその傾向が止まらないのはいろいろな統計資料で明白であるのであるが、本書中に掲げた統計表が示すように、私宅監置に置かれた者の多くは「罪もなく、不幸のどん底にいる人たちで、医薬の恩恵を受けられない人たち」(*注)であるのはどうしたことか。幸いなことに、最近の国の状況は、この問題の解決に向かってその糸口がみえてきたようで、政府当局者もすでに精神病者の保護救済活動の改善に関して画策しつつあると聞いている。これは私のような者では、心から喜び、首を長くしてまつような面持ちで、具体的な実現を期待していることで、政府がすみやかに、国立の精神病院の設立を奨励し、さらに、精神病者監護法の改正も希望してやまないところである。けれども、精神病者の保護・救療はその関係する範囲が広く社会各方面に関わる一大問題なので、政府官庁がなすのを待つばかりではなく、この病に直接・間接に連携する事業に従う者が行う熱心な協力体制だけに頼らずするべきではない。そういうことをして初めて、保護・救療ができることになると信じている。自分のような者がこの資料を公開し、ほとんど見るに耐えないような悲惨な光景をさらけだして、顰蹙をかうようなことも、こういう意図があってである。自分が思うには親切な君子たる皆様方には人生における最も不幸な病者のために同情をして制度・施設の改善になるべく速く力を尽くしていただきたいと切望するものであり、これを序文とする。

大正6625

 医学博士 呉秀三 記

 

現代語表記 shiobara 2008  *注 原文は「無辜の窮民にして医薬の給せられざるもの」 

1918呉・私宅監置論文について