子供を起こさないようこっそり靴下にプレゼントを忍ばせる瞬間のような、秘密の逢瀬を。





  My Loved Santa Came!





 現在の時刻、午前二時。街も人も深い眠りにつく丑三つ時だ。
 無論、成長期真っ盛りの私も例に洩れず夢の中にいたのだが、枕元に置いている目覚まし代わりの携帯電話が、アラームをセットした朝でもないのにバイブレーションと共にけたたましく鳴り響き、合わせて機体のランプが拷問のように闇の中で明滅を繰り返して私の目を射し始めた。
 これが個別着信音を設定している人からの電話じゃなかったら、目も開けず即座に電源ボタンを長押ししてやるところだ。
 しかし、鳴り響く着信音はすぐ解かるよう個別に設定している人のもので、私が最も無視できない相手のものだった。

 まだ半覚醒だったけれど、私は無意識に着信音のサビの部分が終わる前に通話ボタンを押して、寝たまま携帯を耳に押し当てた。
「…ぉしもひぃ?」
 もしもし、と言えてすらいなかったが、電話の向こうの相手は特に何もツっこみはしなかった。むしろ私の最初の応答などあろうがなかろうがお構いなしの様子で、少しの間も置かず興奮気味に発せられた言葉は、深夜にかかってくる電話そのもののように突拍子もなかった。

『俺の部屋に、サンタが来た!』

 いきなりの大声に私は顔をしかめたが、理由はきっとそれだけではない。彼の言ったことが理解出来なかったのだ。私は頭を必死に働かせる。
「…あー…じらうくん…夢でも見たのかな?」
 出来れば私も早く夢を見たいところだ。万年寝太郎のこの彼氏が独特の世界を持っているというのは重々承知していることなのだが、こんな時間にこんな変な内容の電話をかけてくるほど非常識ではない。きっとリアルな夢でも見て寝ぼけているのだろう、というのが咄嗟に出てきた私の答えだ。

 しかし慈郎はそんなに寝ぼけてもいないような声で反論してきた。
『違うんだって! さっきまで、サンタが俺の枕元に立ってたんだよ! プレゼントだって置いてったんだ!』
「んー…お父さんじゃないの?」
 中学三年にもなった息子の為に、父親がわざわざサンタの格好をするとはとても思えないけどね。相手は寝てるんだし。
『声も父さんじゃなかった!』
 喋ったんだ…じゃあお父さんがバレないように誰かに頼んだとか? …ますますありえない。ていうか、サンタの格好をした知らない大人が枕元に立ってたら、私ならとりあえず叫ぶけどな。
『それにそれに、俺ずっと寝たフリしてたんだけど、サンタがベッドの横にプレゼント置いた音がした後にチラッて目ェ開けたら、もういなくなってたんだ! 窓もカギ閉まってたしドアも閉じてたし!』

「……」
 慈郎はこれこそ決定的な証拠だと言わんばかりだが、それこそ夢を見てたという証拠なんじゃないかと思う。人間消失、なんて、手品じゃあるまいし。
 ――でも、完全に否定することは私には出来なかった。この世に未知のものなんていくらでもあるんだし、それ以上に、こんな可愛らしい慈郎の夢を、サンタを信じられなくなった私が踏みにじってしまっていいはずはない。

んトコにはサンタ来なかった?』
 私は慈郎の夢に付き合ってあげることにした。
「うん、来なかったなぁ」
『どうしてかな〜?』
「多分、いい子じゃなくなったからかなぁ。慈郎はいくつになってもいい子だから、サンタも来てくれたんだよ」
 サンタが本当にいたとして、もうサンタからプレゼントを貰えるような年齢ではなくなったのに慈郎の所には来て私の所には来ない、というのは、きっとそういうことなんだろう。慈郎は私と比べるまでもなく、とっても純粋でいい子なんだから。
『んー…そんなコトないと思うけど…な…』
 慈郎の声が緩やかになっていく。眠くなってきたんだろうか。

『……』
「…慈郎?」
『――ねぇ、今からん家に行ってもいいかな?』
 黙り込んだから寝てしまったのかと思って声をかけたら、返ってきたのは意外なほどにはっきりとした語調。
 …ていうか、今度は何と言いました?
「い、今から? もう――二時だけど」
 目覚し時計の文字板内照ランプで現在時刻を確認しながら私は言う。
『眠い?』
「いや…もう結構目は覚めちゃったけど…」
『じゃあ行ってもいい? 俺、うるさくしないから』

 どうしても今うちに来たいらしい。私の部屋までこっそり上がらせれば大丈夫かな――しばし逡巡。
「……いいよ、おいで」
 結局承諾しちゃうんだ、私。
 だって慈郎の頼みを無下に断ったりなんて出来ない…電話なら断って切ったらそれで終わりかもしれないけど、これが直接向き合って何か頼みを断る状況なら、慈郎の悲しむ顔を見たくなくて絶対に引き受けてしまうだろう。そもそも電話だって声の調子で相手の感情が解かるから、こうして繋がってる時点で、慈郎をガッカリさせることなんてどっちみち私には出来やしないのだ。ああややこしい。
「うちの前まで来たら、一度電話ちょうだいね」
『うん。すぐ行く』
「気をつけて来てね」
『うん。じゃあまた後でね〜』
 ぷつりと切れる通話。私は画面に表示される通話時間を少し見つめてから、パタンと携帯を閉じた。

 ベッドから起き上がって「うーん」と軽く伸びをし、部屋着に着替える。いくら何でもパジャマで出迎えはあれだからねぇ。
 …そうだ。慈郎は外に出て寒いだろうから、温かい飲み物でも用意しておこう――私は部屋を出て、音を立てないように階段を降りていった。










 甘いココアを熱めに二杯淹れて、また静かに部屋に戻る。テーブルにカップを置き、ベッドに腰掛けた。
 ――さて。着替えて飲み物を淹れたらもう暇になってしまった。慈郎が来るまでまだかかるだろうしなぁ…。私は足をプラプラさせる。
 ちらりと、机の上に置かれた紙袋に目を遣った。

 本当は今日(日付は変わっているので『今日』という表現で合っているはずだ)、慈郎とデートをする予定だった。あれはクリスマスプレゼント。でも慈郎はサンタを見たことで頭がいっぱいになって、私とデートするってこと忘れてたんだろうな。昼には逢えるのに。
 それでも。一秒でも早く、長く慈郎と一緒にいられるのなら、いつだって、どこだっていい。
 こんな時間に寒い中逢いにきてくれる人がいるなんて、幸せなことだ。
 座ったまま仰向けに寝転がり、ニヤニヤしながら目を閉じる。
 世界中が寝静まっていて、静寂が耳に痛いくらいだ。『しーん』って擬音を考えた人、すごいと思う。本当に、しーんとしてる。
 こんな状況で電話なんかかかってきたら、どんなに身構えてても――

 ♪〜♪〜♪♪〜♪♪〜…

 ――ビクッ! となりますよ、自然に。マナーモードにしておけばよかった。
 私は起き上がりながら、ベッドの上に置いたままの携帯に手を伸ばす。
「もしもし」
『着いたよ〜』
「鍵開けるから、玄関の前で待ってて」
『うん』
 通話を切って、少し急ぎ足で部屋を出た。玄関の鍵をそーっと外して、重たいドアをゆっくり開く。外から冷気が入り込んできて、足下がひんやりとした。

 ドアの前には、鼻の頭と頬を赤くした慈郎がいた。少し息が切れていて、走ってきたのだとわかった。
 慈郎は私の顔を見るなり笑顔になって、「こんばんは」と小さな声で言う。頷いて私も笑顔を返し、慈郎が中に入れるようにドアを大きく開いた。慈郎がサッと玄関に滑り込んだので、私はまた静かにドアを閉めて鍵をかけ直す。慈郎の靴を持ち、私たちは泥棒のように忍び足で階段を上がった。

 やっと自分の部屋に着くと、広げておいたコンビニ袋の上に慈郎の靴を置いて、私はホッと息をつく。
「あはっ、スパイ大作戦みたいだったね〜」
 慈郎が楽しそうに笑った。
「もう、笑いごとじゃないよ〜」
 うちの親は慈郎のことを知ってるし気に入ってもいるけど、こんな真夜中に訪ねてくるのにいい顔はしないはずだ。
「その辺に座って」
「はーい」
 慈郎は床に置いてあるクッションにちょこん、と座った。私も床に座って、テーブルの上のココアを差し出す。
「ほっぺたとか赤いよ。寒かったでしょ、はい」
「うん、ありがとー。わーあったけー。やっさC」
 慈郎は嬉しそうに両手でカップを持って、ニコニコとココアをすする。

「慈郎…一つ訊いてもいい?」
「んー?」
 カップに口をつけたまま、慈郎はこちらを見た。
「慈郎は、何でテニスラケットを持ってきてるのかなあ?」
 …電気はデスクスタンドしか点けていないから、今やっと気がついたのだ。慈郎はなぜか、いつも通学に使うデイパックに、部活がある日のようにラケットを差してきていた。まさかこれからテニスしましょうなんてことは…
「これ?」
 慈郎はぱあっと顔を輝かせ、よくぞ訊いてくれたとばかりにいそいそとデイパックを下ろしてラケットを抜き、私に差し出した。

「――サンタからのプレゼント!」
 思わず受け取ってしまった私は、とりあえずそのラケットを観察してみた。確かに、いつも使ってるのとデザインが違うみたい。それに新品だ。
「「この子は何が欲しいのかなあ」って言いながらおっきな袋ごそごそしてさ、それをすうって取り出して、ベッドに立てかけてったんだよ」
 にわかに信じがたい話だけど、慈郎の瞳は子供のようにきらきらしてて、サンタの存在を完全に信じきっているようだった。まぁ、物的証拠はあるわけだし、サンタが本物かどうかは別にしても、誰かが慈郎のサンタになったのは間違いないんだろう。
「よかったねえ」
「うん!――ね、俺が来るまでの間、んトコにサンタ来なかったの?」
「来なかったよ。ほら、来る前に起きちゃったから。起きてる子の所にサンタも来れないでしょ?」
 ラケットを慈郎に返しながらそう言うと、慈郎はラケットをボトッと取り落として、愕然とした表情で私を見つめた。
「ごごごめん…っ! 俺が電話して、を起こしちゃったから…」
「いやいやいや! どっちみち私の所には来なかったと思うよ。言ったでしょ、サンタの眼鏡に適うようないい子じゃなくなったってことだよ」
「そんなことない!」
 慈郎がムキになって声を大きくしたので、私は慌てて「シーッ」と口の前に人差し指を立てる。慈郎はぐっと黙った。

 私は床に転がったラケットを拾って、慈郎の手の中に戻してあげた。慈郎はうつむいてラケットを見つめ、小さな声で呟いた。
「…だから俺、来たんだ」
「え?」
 慈郎の言葉が意味するところがわからなくて、首を傾げて聞き返す。
 慈郎は黙ってラケットをデイパックに戻し、今度は中からこんもりした袋を取り出してずいっと私に差し出してきた。縛り口にはリボンが結んであって、それはまるで、プレゼントのような――
「――の所にサンタが来ないなら、俺がのサンタになる」
 私はびっくりして、戸惑うように慈郎とプレゼントとを交互に見た。慈郎はにっこりと笑って、私の腕に袋を押しつけた。何か柔らかい感触がする。
「その為に、逢いにきたんだ」

「っ…」
 慈郎の笑顔を見ていたら何かが込み上げてきて、不覚にも私は、涙を零してしまった。
 バカな男がカッコつけに「俺が君のサンタになるよ」とか言うのとは、全然違う。慈郎は本気だった。本気で、私のサンタになるつもりで、こんな真夜中にここまで来たんだ。
 自分がサンタを見たから? 私がサンタを見なかったから?――その純粋な感動を、私にも味わわせたかった?
 慈郎の見たサンタを私が信じようが信じまいが、ここに来た時点で慈郎にはどうでもよかったんだ……本当、敵わない。

「泣かないでよ〜。ほら、もココア飲んでっ」
 私のカップを渡されて、まだ口をつけていなかったココアを一口飲む。甘くてあったかくて、ほっとする。慈郎みたい。
「慈郎…ありがとう…」
 慈郎は「どういたしまして」、と言うように軽く首を傾げて、穏やかに目を細めた。

 私はカップをテーブルに戻し、膝の上の包みを両手で持ってみた。大きさの割に軽い。
「これ、開けてもいい?」
「うん、どーぞ」
 リボンを解き袋を軽く剥いて、下から掬い上げるように中の物を取り出す。
「わ、可愛い…」
 直径三十センチくらいの、丸っこいトナカイのぬいぐるみ。すっごくふわふわしてて、気持ちいい。触ってるだけで幸せな心地になる。その柔らかさを確かめるように、ぎゅーっと抱きしめた。
「サンタのもあったんだけどさ、おじいさんとは言え男のぬいぐるみなんてそんな風にに抱きしめてほしくなかったから、トナカイにした。それにほら、動物なら年中飾っておけるじゃん?」
「サンタは既にここにいるし?」
 トナカイの顔を慈郎の方に向けて、首をかくかくっと揺らさせる。
 慈郎はにひっと笑ってトナカイの頭を一撫でし、「その通り!」と大きく頷いた。

「ありがとう――…あ、そうだ」
 私はぬいぐるみを抱いたまま立ち上がり、机の上の紙袋を近くに引き寄せて中から慈郎へのプレゼントを取り出した。
「慈郎、立ってくれる?」
「うん、なに?」
 慈郎はひょこっと立って私の方に身体を向けた。クリーム色のダッフルコートをボタンを外して羽織ったままで、中から赤いパーカーが覗いている。狙っているのかいないのか(多分素だ)サンタカラールックをした慈郎の首に、私は深緑のマフラーをかけた。すると今度は見事クリスマスカラーになって、私はクスッと笑ってしまう。
「わーなにこれ、ふかふかだー!」
 慈郎はマフラーの垂れている部分を持って、もふもふと毛糸の中に顔を埋めた。

が編んだの?」
「まぁ…はい。一針一針、愛を編み込んでみました」
 照れ隠しに芝居がかった口調で私が答えると、慈郎に引き寄せられるように突然抱きしめられた。小脇に挟んでいたトナカイがぽふんと床に落ちて軽く弾む。
「…俺、すっげーうれC。ありがとー」
「手編みのマフラーなんて、今時嫌だったりしない?」
 手編みのプレゼントは何か重い、という男子のコメントをよく聞くけれど、たまたま見かけたこの毛糸の色が慈郎にとても似合いそうだと思ってつい買ってしまった。買ったからには何か作らないともったいないから無難な物を作ったけど、本当は、喜んでもらえるか半信半疑だったんだよね。
「何で? うれCってば。の愛を編み込んでくれたんでしょ?」
「…うん」
 それは本当です。
「だったら、嫌なわけないよ」
 …そうだね。慈郎は私が与えるものには何でも喜んでくれて、絶対に拒絶なんてしないで、しっかりと受け取ってくれる。それがどれだけ貴重なことか、本人はわかってないだろうけど。

「今度跡部とかに自慢しちゃお。から愛のマフラーもらっちゃったー! って」
「そ、それはやめて…」
 跡部なんかに言ったら、慈郎じゃなく私をからかうのがオチだわ。小馬鹿にするような笑みで「お前意外とベタな事するんだなァ?」とか言って! ああ想像出来てしまうのが嫌。
 慈郎は私を抱きしめる腕を緩めて顔を向き合わせ、むう、と口を尖らせる。
「えー。自慢したいのになー」
「幸せを独り占めにするに留めておいてくださいな…」
 私が苦笑してそう言うと、慈郎は「おー」と納得したような声を出して、嬉しそうに笑った。
「そっか、独り占めかー…へへっ」

 慈郎は再びきゅうっと私を抱きしめると、動物がマーキングをするみたいにぐりぐりと頬擦りしてきた。
「フハッ…! サンタさんくすぐったいですよー」
 ふわふわ髪の毛のこそばゆさに笑いながら、抱き返すように慈郎のコートを掴み、何気なくその固有名詞を使う。すると慈郎の動きはぴたりと止まり、「…サンタ…」と呟いて私の身体を離した。
 そして空いた両手で、そっ…と私の頬を包み込んできた。
「そうそう、もういっこにプレゼント。これはねー、本物のサンタでもあげられないんだ」
 何でしょうか? とは訊かなかった。多分、予想してる通りのものだから。

 私は期待するようなまなざしを向けて、おとなしく慈郎からのプレゼントを待った。ここで目でも閉じれば女として満点だったのかもしれない。
 けれど――私を見つめる慈郎のまなざしが、笑顔が、どこまでも深いいつくしみに満ちていて、この世のものとは思えないほどの不安定さを併せ持っていたから――その時まで、目を離せなかった。
 ああ、この人は、本当に私にとってのサンタになったんだ――プレゼントを心待ちにしながらイヴの夜に眠りにつく無垢な子供のようにそう思った、その瞬間に、プレゼントと称された慈郎からのキスが唇に降ってきて、私は夢見心地で目を閉じた。
 慈郎の手に包まれた頬が熱を持つ。まるで初めてキスをした時のように胸が高鳴った。表面に触れるだけだった唇が斜めにぐいっと進んで、その凹凸に沿ってぴったりと重なり合い、味わうように蠢いた。
 頬を包んでいた指先が横髪を連れていきながら耳元へうなじへ滑り、手のひらがえらの辺りを持ち上げるように支える。
「ん…」
 深まっていくキスに私が鼻から息と共に声を洩らすと、慈郎の唇が一度離れてから角度を変えて吸うように触れ、ちゅっ…という気恥ずかしい余韻を残して離れていった。

 私は慈郎が目の前にいることを確かめる為にすぐ目を開くと、いつもと何も変わらない笑顔の慈郎がそこにいた。慈郎は額同士をこつんとくっつけて、私の瞳を覗き込んで言う。
「…めりークリスマス」
 明らかにひらがな発音だったのがおかしくて、私もつられて微笑する。
「メリークリスマス。サンタさん、ふたつもプレゼントをありがとう」
 すごく嬉しい、と素直な気持ちを伝えると、みっつめのプレゼントが降ってきた。唇から鼻の頭、頬に移動して瞼へ、最後におでこ。何て恥ずかしいことを当たり前のようにしてくれる人だろう。

「ねぇ…来年も、こうして過ごそーよ」
「また夜中に逢いにきてくれるの?」
 上目遣いで窺うように訊ねると、慈郎は当然、と言うようにニッと笑った。
「俺ってばのサンタだからね。俺にしかあげられないプレゼント、毎年渡しに行きたいよ」
 子供を起こさないようこっそり靴下にプレゼントを忍ばせる瞬間のような、秘密の逢瀬。そんなのもたまにはいいかもしれない。
「…来年の楽しみができちゃった。私も、温かいココアを淹れて待ってるよ」
「うん、約束っ」
 慈郎の右手の小指が私の右手の小指を絡ませて上下に振る。その指がするっと離れると同時に、慈郎は唐突に告げた。

「――じゃあ俺、そろそろ帰るね」
「えっ!?」
「だって俺がいつまでもここにいたらマズいっしょ?」
 慈郎の言う通り冷静に考えれば、私の家族が起きないうちに慈郎を帰さなければならないのは至極当然のことなのだけれど…このタイミングで退場すると言われると何だか淋しいものがあった。すぐに逢う約束もあるというのに。
 本物のサンタのように来年までもう逢えないとでも私は思ってしまっているんだろうか。
「そんな顔しないでよ…帰りたくなくなるじゃん。俺だってもっと一緒にいたいけど…」
「いいよ」
「…え?」
「帰らなくていい。泊まればいいよ。一緒にいよう?」
 うちに来たいという慈郎のお願いを聞いたんだから、私のお願いを聞いてくれたっていいじゃないの。慈郎と一緒にいたい。
「…がいいなら、俺はそれで構わないよ。一緒にいられんのうれCから」
「うん」
「じゃー明日のデートにそなえて寝よっかー」
 …デートのこと覚えてたんだ。もう『明日』じゃないけど。

 慈郎はいそいそとコートを脱いで、適当に畳み始めた(ぐちゃぐちゃだったので私が畳み直した)。それから私のあげたマフラーを首にかけたまま、両端を持ってしばらく名残惜しそうに見つめていた。私は苦笑する。
「…冬の間はいつだってつけられるんだよ?」
 外すのもったいないー、と駄々をこねる慈郎をなだめてマフラーを取ってやり、コートと一緒に机に置く。
 拗ねてしまった慈郎はその間に私のベッドに入り込んでいた。早業だ。私はベッドに手をついて、奥側に頭を潜らせてしまった慈郎に声をかける。
「来年の誕生日にでも枕を作ってあげるよ。枕なら、肌身離さず使えるでしょう?」
 枕を『肌身離さず』ってのは慈郎に限るでしょうがね。
 慈郎は目から上だけをひょこっと布団から出すと、私を見て「ホント?」と訊いてきた。私が頷いてみせると、顔を全部出して嬉しそうに笑った。
「楽しみー! ほらほら、も寝よー!」
 機嫌を直した慈郎は私を手招きする。

 私は床に転がってしまっていたトナカイのぬいぐるみを拾って、この子とも一緒に寝ようとベッドに乗せると、慈郎が突然ガバッと布団を跳ね上げて飛び起きた。そしてキョロキョロと、あらぬ方向を見回している。
「どうかした?」
「い、今――」
 慈郎はいったん言葉を区切ると、今初めて気がついたようにベッドの横のカーテンを掴んで、勢い良くシャッと開けた。外は雪が降っていた。ホワイトクリスマスってやつだな、とぼんやり思った。
「――今、鈴の音が聴こえなかった? シャンッ、て」
 私の方を振り返って真剣に訊いてくる慈郎に首を振って答える。部屋は静かだったけど、私には何も聴こえなかった。今耳を澄ましても何も聴こえない。

 慈郎は窓に向き直ると、顔を上げたまま固まった。
「…サンタだ」
「え?」
 慈郎の視線は、明らかに中空に向けられている。そんな所に人が見えるなんて、常識ではありえない。
 私もベッドを這って慈郎の横から外を見上げてみるが、視界には何も(誰も)映らなかった。天から雪がしんしんと舞い降りてくるだけだ。
 けれど慈郎は、じっと一点だけを迷わず見つめている。
「ははっ…ソリから手ェ振ってる」
 見た? ともう一度私を見て問う。私は諦めの笑みを浮かべて首を振った。
「ううん、見えない」
 諦め、と言うか、きっと慈郎にしか見えないものなんだろうという確信だ。慈郎がアブない人だとか言うんじゃなくて、サンタが自分を『慈郎にだけ見えるようにしている』んじゃないだろうかと思うのだ。きっと、資格を持っているから。
 慈郎の目には、慈郎のサンタがはっきりと見えているんだろう。
「見えなかった? 変だなー…けっこー遠かったからかなー?」
 首を傾げて考え込む慈郎の手を取る。
「…いいの、見えなくても」
 慈郎のサンタが存在するように、私のサンタも、ここにいるから。

 慈郎は自分の手を握る私の手を両手で包んで、にっこりと笑った。
「俺にはさ、もうひとりサンタがいるんだ。そのサンタはずっと傍にいて、俺のこといつも見守ってくれてる。目に見えないけど大切なものを、いっぱいくれる。俺にとっていちばんのサンタ――」
 ――ああ、それ以上はどうか言わないで。また泣いてしまいそうだから。こんな一度に多くのものを与えられたら、人は強欲になってしまうんだから。
 たった一人の子供に、そんなに一遍にプレゼントを与えないで。

 果たして私の願いは聞き届けられることはなく、慈郎は私の耳元に顔を近づけると、今日何度目かになる殺し文句を囁いた。

「――俺のサンタは、ここにいるよ。


 私のサンタも、ここにいるよ。





END





********************

後書き
 えー、慈郎がサンタを見た、というのは元ネタがあって、文化放送が聴ける地域の方はご存知かもしれませんが、2004年12月のラジプリのミニドラマでそういうのがあったんです。ラケットも貰ってます。呆然として「サンタはいたぁ…」って言う慈郎が可愛くて可愛くて×2…こんな話が出来上がっちゃいました。ずっと書きたかった!
 何にしろ最近書いてなかった無駄に甘い話を書けて大満足っス!


 2005年12月25日


ドリームメニューへ
サイトトップへ