「今日一日、私の時間を跡部にあげましょう!」

 自分の彼女が普通の女とはズレている事を、跡部は誰よりもよく識っていた。
 物質だろうが風景だろうが生物だろうが関係なくそのものが放つ輝きに敏感で、それを自ら『キラキラ』と称してヨダレを垂らしそうになる女は探そうとしてもそう見つからないだろう。
 どうしてこの女を好きになったのだろうかと跡部はしばしば考える――顔はまあ好みだ。集団でキャーキャー騒ぐだけのそこらの女とも違う。鈍感だがそれ以上に自分の気持ちに正直で、飾らないところも好ましい。恐らく跡部の方が彼女に惚れきっているだろう事は否めなかった。だがそこまでに至るきっかけを、跡部はほとんど忘れかけていた。
 一つだけ言い切れるのは、跡部にとって彼女が最強の存在だという事。





  最強彼女





「……は?」
 跡部がワンテンポ遅れて訊き返すと、は得意げに胸を反らせてみせた。
「時間は貴重なものでしょ? その貴重な私の時間を一日分差し上げようって言ってんだから、受け取りなさいよ」
 なぜそんな事をが言い出したのか、跡部にも解かっている。本日は跡部の誕生日で、だのにはプレゼントを用意していなかったものだから、自分(の時間)を好きにしていいと言っているのだ。
 もちろん、跡部はそれを最も自分の都合の良いように考えた。
「じゃあお前、今日は俺の家に泊まりだな?」
「……なんで?」
 今度はが首を傾げて訊き返した。
「『今日一日』なんだろ? 夜も含むじゃねーか」
 このように理詰めで押せば、があっさり納得するだろう事も跡部には解かっている。自分の理論的な言葉をが疑わないという図式は、長年の付き合いが作り上げたものだ。
 案の定、は「ああそっか」とこぶしで手のひらをぽむっと打ち鳴らした。いい意味でも悪い意味でも素直だと思う。いつか悪い奴に騙されやしないだろうかと跡部はちょっぴり心配した。
「じゃあ跡部ッキンガム宮殿の客間に泊まれるんだ〜! わー楽しみ!」
「…バーカ。お前が泊まるのは俺の部屋に決まってんだろ」
 「客間」と敢えてつけたのは、それなりに警戒しているからだろうか。正直、そのくらいでないと張り合いがないのだが。
「え? ベッドはやっぱり天蓋つき?」
 見慣れない物への好奇心には目を輝かせる。跡部はがくりと肩を落とした。
(気にするのはそこかよ…)
「…ああ。それにキングサイズだ、好きなだけ泳げ」
「私そこまでガキじゃないんですけど…」
「ガキだ、お前は」
 不服そうに口を尖らせたに、跡部はそう言い切った――『泊まり』の意味を、は全く理解していない。完全にお友達の家に遊びに行く感覚だ。これを子供と呼ばずして何と呼ぶだろうか。
 跡部とは恋人同士になってまだほんの数ヶ月で、キス以上の関係は持っていない。中学最後の大会に打ち込んでいたのと、引退してからは部の引き継ぎ作業が忙しくてそれどころではなかったのと、何より跡部がを大切にしていたからだ。
 もちろんその気持ちは今も変わらない。だが、簡単に男の家に泊まりに行くような無防備な彼女を前にして、抑制が効くとも思えなかった。
(……ま、その時はその時か)
 所詮は跡部もただの健全な男子中学生だった。





 を車で家まで送り、泊まる用意をして出てきた彼女をまた乗せ跡部邸へ向かう。
 リムジンの中で、はとても上機嫌だった。ただ純粋に、跡部の家に行けるのが嬉しいらしい。
 これではどちらの誕生日だか、と跡部は微苦笑を浮かべた。
 ちなみに、跡部景吾の誕生日という事で家ではそれなりに盛大なパーティーが用意されていたのだが、が泊まりに来るのが決まった直後、彼はそれらを全てキャンセルさせた。が差し出すと言った一日――正確には半日にも満たない時間――を、一秒たりとも無駄にしたくなかったのだ。
 広い車内で足を真っ直ぐ投げ出し、鼻歌さえ洩らしそうな様子のの手を跡部は取る。
「なに?」
 きょとんと首を傾げたに、跡部は「何も」と答え、持ち上げたその指先に軽く唇を触れさせた。
 跡部が視線を上げると、は眩しいものでも見るように目を細めて跡部を見下ろしていた。またこいつはキラキラに見入ってやがるな、と呆れるも、そうしてキラキラに見惚れるもまた綺麗だと跡部は思った。

 跡部邸に着くと、はまずその壮大な外観に口をぽかんと開いた。
「ここに人が住んでるの?」
 の第一声に、外からドアを開けたお抱えの若い運転手がグフッとかいう笑いを堪えるような音を洩らした。跡部はそれを窘めるようにジロリと軽く睨んでからに返す。
「じゃあここは何なんだよ」
「……宮殿?」
 のっそりと車を降りて答えたの言葉に運転手はさらにツボを突かれたようで、唇をきつく噛んでおかしな形に歪ませ震えていた。さすがに哀れに思ったのか、に続いてさっさと車を降りた跡部は運転手に車を仕舞ってくるように命じた。
 そしてまだ呆然と跡部邸を仰ぎ見ているの背を押す。
「おら、いつまでアホ面晒してんだ。とっとと中に入れ」
 あちこちをキョロキョロと見回し危なげに歩くの手を引き、跡部は扉を開けて待つ古参の老執事に頷きかけて邸内に入った。
 扉を閉めて後から入ってきた執事は跡部が渡したの荷物を恭しく受け取ると、先頭に立ち跡部の部屋へと導く。
 その間もはせわしなく邸内を見回し、異常なまでに目を輝かせていた。シャンデリアやら装飾品やらが普通以上にキラキラして見えるらしい。目を離した隙にがフラフラとそれらに引き寄せられそうになる度、跡部はぐいと手を引き一々正気に戻してやらねばならなかった。

 ようやく跡部の部屋に辿り着き、の荷物を置いた執事が二人に飲み物を用意する為に席を外した。跡部は息をついて部屋の中央にあるソファにを座らせた。はまだ室内を物珍しげにキョロキョロと見ている。
「ここが跡部一人の部屋?」
「それがどうかしたかよ」
「中世のお城みたい。無駄に広いねー」
 歯に衣着せぬ感想に、跡部は疲れたような笑みを浮かべた。
「俺にはこれが普通だ。俺の女なら慣れろ」
「はーい」
 意外にもからあっさりと素直な返事が返ってきて、跡部はぐっと言葉を詰まらせる。
 跡部はのこういうところが好きだが苦手だ。普通の女になら余裕でクリーンヒットするどんな気障なセリフも、には通じない。むしろカウンターを喰らう。それが却って面白くもあるのだが、男としての自信が薄らぐような気もした。
「俺は着替えてくるから、お前は適当に寛いでろ」
「はーい」
 は先程と同じ調子で返事をし、「もう寛いでまーす」とソファにだらりと腰掛けた。
(寛ぎ過ぎだろうが…もう少し警戒心を持てよ)
 跡部は部屋を出る時こっそり溜め息をついた。

 跡部が私服に着替えて部屋に戻ると、飲み物を持ってきていた執事とが談笑していた。立場柄、執事の方から話しかけたわけではないだろう。が引き留めたに違いない。
「あ、ぼっちゃまお帰りー」
 こちらを振り向いて楽しげにそう言ったのはだ。跡部は口元をヒクリと引きつらせた。
「ヤメロ」
 心得ている老執事は跡部とのやり取りを微笑ましげに見届けると、「それでは失礼致します」と挨拶をして早々に部屋を出ていく。
 跡部はの隣に座ると、の頭に手を置いて髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
「何すんのぼっちゃまー!」
「ぼっちゃまはやめろっつってんだろ」
「じいやさんがぼっちゃまって呼んでたもぉん」
 やめてよぉ、と言いながらは頭の上の手をぺしぺしと叩く。嫌そうにしながらも跡部の顔を見据えるのをやめないのはさすがと言える。こんな時でもキラキラか。
 跡部は乱したの髪を軽く手櫛で梳いてやり、頭を引き寄せて額に口づけた。
「お前は名前で呼べ」
「あとべ」
 違うだろ、とツっこみたかった。そう、そうなのだ。跡部は昔からを名前で呼んでいるのに、は未だに『跡部』と苗字呼びのままだった。それをあまり気にした事はなかったが、今日ばかりは話が別だ。
「だから、名前で呼べ」
「だから、跡部」
「下はどうした下は」
「……何だっけ?――あー冗談冗談っ!」
 とぼけようとするの頭をまたぐしゃぐしゃにすると、は拗ねたようにぽそりと言った。
「だって、跡部は跡部だもん」
 呼び名は何であれ本人に変わりはないと言いたいのか。『跡部』としか呼ぶつもりはありませんよと宣告されたようなものだった。
(…クソッ)
 跡部は心の中で毒づくが、悔しいのと同時にどこか嬉しいとも思っていた。変わらずにいるという事がどれほど難しく、どれほど貴重であるのかを知っているからだ。
 跡部はの頭をぽんっと軽く叩いて放し、テーブルに乗せられたアイスティーのグラスに口をつける。
「ねー跡部」
 が髪を撫でつけながら声をかける。跡部は少し面倒臭そうに応えた。
「んだよ」
「さっきじいやさんがさ、「ぼっちゃまをよろしくお願いします」って言ってたよ」
「っ!?」
 危うく飲み物を吹き出すところだった――跡部は口元を軽く拭うと、ようやく声を出した。
「――はあ?」
「大切に思われてるねえ。私もじいやさん欲しいよ」
 はニコニコと笑って言う。
 余計な事を、と長年慣れ親しんだ老執事に対して思ったが、跡部はふと思いついた事があった。
「――お前には…まあ、そのうち、だな」
 意味ありげな跡部の言葉に、今度はが「はあ?」と返す。
 跡部はそれ以上は何も言わなかった。これから先、が跡部と付き合い続けるにはある程度の教養が必要になってくるだろうが、その教育係に老執事が打ってつけだと思ったのだ。しかし付き合い始めて間もないにいきなりそれを突きつける気はしなかった。出来る限りのままでいてほしいからだ。





 それから二人はソファで寄り添っていた。跡部は洋書に目を落とし、はそんな跡部を見つめ続けている。普通の人間ならその熱視線が気になって本を読むどころではないのだろうが、相手は注目される事が当たり前な上それに悦びすら感じる跡部様だった。多少気になりはするが、本の内容が頭に入らないほどではない。
 ちなみにこの状況は跡部がを放ったらかしにしているのではなく、が「跡部の好きなことをやってていいんだよ」と言った為に生じたものだった。
「それだとお前が暇だろ」
 という跡部の気遣いも何のその、の言い分はとても解かりやすいものだった。
「私は跡部のキラキラが見られればそれでいいの!」
 愚問だった、と跡部は思った。跡部が好きな事をやっていれば跡部のキラキラは増す、それを見ていたいとは言うのだ。
 家にあるテニスコートで練習をしても良かったのだが、それだととの物理的な距離が生まれてしまう。それは跡部の望むところではない。ソファの前にあるテレビを観たとしても、今度は精神的な距離が生まれる。それはもっと望まない。と離れる事なく、それなりに相手を感じられるものと言えば、本くらいしかなかった。
 無論、会話をするとかいちゃつくなど考えはしたが、その場合間違いなくその先へ進むだろうといういらぬ自信が跡部にはあった。しかし家に着いて早々にがっつくほど無粋ではない。こういう物事には順序がある。
 というわけで、既に二時間近くこうしているわけだが、跡部は正直、が心配になってきていた。ずっと跡部の顔を見上げていて、首や目が疲れないのだろうか。
 本を読みながらそう思っていると、が突然行動を始めた。テーブルに置いていた栞を跡部が開いているページにぐりっと挟み、パタンと閉じさせ、奪い取り脇に置き遣る。そして――
「なっ、お、おまっ――何してんだ!?」
「真正面から跡部の顔見てたいなぁと思って」
 ――は跡部の膝の上に跨がっていた。やはり首が疲れていたのか、コリをほぐすように左右に回している。
 には言葉以上の他意はないのだろうが、しかしこの体勢はいかがなものか。スカートを履いた脚は跡部の上に開いて乗せられているし、視線の斜め下には二つの膨らみ、目の前には惚れた女の顔だ。これで我慢しろと言おうものなら拷問だ。
 跡部は出来るだけから上半身を離そうとしたが、この状態では大した変わりはなかった。
「いいから降りろ!」
 俺の理性が持つ内に、と心の中で付け加えた。
「…もしかして、重い?」
「ああ重い、重いから降りろっ」
 少し心配そうに訊ねたに跡部はぴしゃりとそう言ったが、実際はそんなに重くない。とにかく早く降りてほしかった――そう、俺の理性が持つ内に。
「フツー女の子に向かって「重い重い」って連呼する〜? 失礼なっ!」
 はむうっと口を尖らせ、渋々ながらも跡部から降りてソファに座り直した。
 跡部はホッと息をついた。
「はぁ……暇だったらテレビ観てもいいんだぜ?」
「今はテレビより、跡部のキラキラを見たいの」
 これだけ見てもまだ足りないのか、のキラキラ欲求は底が知れない。
「…お前、そんなに俺が好きなのか?」
「うん、好き」
 この場合跡部が、と言うよりも跡部のキラキラが、かもしれないが、跡部はそれで満足だった。
「可愛い事言うじゃねーの…」
 跡部はの頬をさらりと撫で、瞳を見据えた。見返してくるの雛鳥のような瞳にいささか怯む。そんな自分が可笑しくて苦笑が洩れた。
「…なあ、俺がやりたい事をやっていいんだろ? 俺が今一番したいのは、これだ」
 顔を近づけ、それこそ鳥のように唇を啄ばんだ。は身体を跡部の方へ傾け、それを受け入れた。
 の手が肩に置かれると、跡部はそこから電流が流れたかのようにピクッと反応し、咄嗟にの身体を強く抱き寄せた。そして深く口づける。
 そのままソファに押し倒してしまおうと跡部が思った時、およそその雰囲気には似つかわしくない音が部屋に響いた――ぐぅ、という低音とか、きゅるぅ、という高音とか。
「…へへー…お腹空いちゃった」
 がお腹を押さえ、悪びれもなくへらっと笑う。跡部は脱力した。
「…お前、本当に色気のない女だな…」
 残念を通り越し、この女に惚れた自分を哀れに思った。
「い、いいじゃん。それよりも、ごっはん、ごっはん!」
 子供のようにノリノリでご飯コールを始めたの頭を軽く小突いてから、跡部は立ち上がり手を取ってを立たせる。
 跡部はその手を自分の腕に添えさせると、芝居がかった皮肉っぽい口調で言った。
「ではお食事に参りましょーか、姫?」
「じゃあ跡部は何? 召使い?」
「王子に決まってんだろうが――…オイ何だその顔は」
 断言した跡部の言葉に、は納得と失笑を合わせたような微妙な表情をした。今にも笑いたそうに口の端がヒクヒク歪んでいる。跡部はそれを無視する事にした。

 上座と下座の距離が長すぎるあの長方形のテーブルをは予想していたようだが、跡部が連れてきた部屋には大きな円卓が置かれているだけだった。があまり畏まる事のないようにとの跡部の計らいだった。それに伴い給仕も先程の老執事だった。
 それなのに料理はテーブルマナーにうるさいフレンチなんだねとか下手くそなナイフ捌きでは言ったが、最後に出てきたデコレーションケーキは黙って食べていた。跡部はコーヒーを飲みながら面白い生き物でも見るようにを眺めていた。
 食事を終えて部屋に戻ると、は少しの間も置かず今度は「宮殿のお風呂!」と威勢良く叫び、バッグの中から着替えやらを取り出して胸に抱え、期待の眼差しで跡部を見上げた。
 跡部は改めて思った。
(…ガキだ、こいつは)
 一緒に入るか、というお約束のセリフも言う気が起こらなかった。
 跡部はを大浴場に案内すると、はしゃぐを置いていき(迷子にならないようメイドを控えさせておいた)、自分は自室のシャワーで済ませた。





「ただいまー」
 小一時間ほどして、は家から持参したパジャマを着て部屋へ戻ってきた。あまり見慣れないパジャマ姿はどんなにごく普通の物でも可愛く見えるものなんだなと跡部は不思議に思った。
 そして風呂上がりなので、上気してピンク色になった頬や濡れた髪が艶っぽい。
 ベッドの端に腰掛けていたバスローブ姿の跡部は、に来い来いと手招きした。何も警戒せずこちらへやって来るが小憎らしい。
「なになに? もう寝るの?」
 よいしょっ、と勢い良くベッドの真ん中に乗ると、はその弾力に歓声を上げた。
「――わー、ぼわんぼわん! 毎日こんなので寝れていいなぁ跡部」
「お前が望むなら、毎日寝させてやってもいいんだぜ?」
 跡部は下ろしていた脚を流れるようにベッドに乗せ、に身体を向ける。
 跡部と顔を見合わせると、はハッとして、吸い込まれるように跡部ににじり寄った。心なしか息が荒い。
「すご…」
「アン?」
「キラッキラしてるよ跡部…お風呂上がりだからかな…」
 目に見えないキラキラを掴み取ろうとするかのようにが手を伸ばしてくる。跡部はその手を取ると自分の頬に触れさせ、妖しく微笑った。
「お前も今、いい顔してるぜ」
「大好きな跡部のキラキラを見てるからねー」
 ご満悦な様子ではニッコリと笑う。
 キラキラに見入っているが本当に綺麗で、跡部はいい加減我慢が利かなくなってきていた。その必要もないと思った――ただオヤスミするわけがないだろ?
 跡部は、恍然としているにゆっくりと顔を寄せ、唇を重ねた。顔を斜めにずらして唇を挟み込み、何度も吸って味わう。
「ぅ…ン」
 鼻にかかるようなの声が洩れ聴こえると、跡部はいよいよをベッドに組み敷いた。
 その後も唇は離さず、の口の隙間から舌を滑り込ませる。奥で怯えていたの舌を優しく絡め取り、自分の口の方へ引き寄せ甘噛みした。そうしてやっと解放する。
「ハァ……」
 跡部は乾き切っていないの前髪を撫で上げ、顔を覗き込む。元々上気していた頬は真っ赤に染まり、濡れた瞳は戸惑いに揺れていた。
「これからどうなるか、想像出来るか?」
「……シたいの?」
 跡部は思わずフッと笑った。さすがにこの歳になってが性交の存在を知らないまでの子供だとは思わなかったが、あまりにも無防備すぎて心配なほどではあった。それを咄嗟に想像出来るなら、大丈夫という事か。
「本当は、お前がその気になるまで待つつもりだったんだ」
「待たないの?」
「もう待てねえ……それに、お前がここに泊まりに来た時点で、待つ気なんてなくなったんだよ」
 言ってから跡部は思い直した。この言い方ではまるで、の所為にしているようだ。
「――…違う。ただ俺が、お前を抱きたい」
 そう、これはただの男の欲望でしかない。
 跡部の懺悔のような言葉を、はじっと聴いていた。そして、穏やかに微笑んだ。
「いいよ、跡部」
「…いいのか?」
「いつか来ることなら、今がいい。跡部もそうでしょ?」
 いつか来ること、確かにそうだ。何年先になろうとも、跡部は必ずを抱く。何年先もを手放す気はない。つまりこれは、いつか必ず来ること。
「ああ」
 跡部は短く応えると、顔を下ろしてに軽く口づけた。それが始まりの合図だった。

 掠め取るように何度も唇を押しつけながら跡部は自分のバスローブを脱ぎ捨て、のパジャマのボタンを外しながら首筋を舐め上げて耳を噛む。
 開いたパジャマの内側に手を滑らせると、そこにあるべき物がないような違和感があり、跡部はそちらに視線を遣った――ブラジャーをつけていない。つけっ放しだと苦しいので寝る時には外す女もいるのだという事を知ってはいるが、本当に、何て警戒心がないのだろうと跡部は呆れた。しかし今となっては最高だ、とも思った。
 胸の間に唇を這わせ、膨らみの一つを片手で包む。もう片手はパジャマのズボンのゴムにかけ、脚を撫でながら脱がせていった。
 上着をはだけさせ下着一枚となったを改めて見下ろす。誰も触れた事のない身体はまっさらで綺麗だった。跡部はそのまっさらな地に降り立った証を幾つも刻んでいく。
 跡部はさらに胸を揉み、指先で先端に刺激を与えた。
「ッ…」
 微弱な痛みと同時に訪れる甘い感覚には息を呑み、ピクンと震えた。
 それに気分を良くした跡部は、満足するまで身体中にキスマークをつけた後、もう片方の膨らみの先端を口に含み、しつこく吸ったり舌で転がしたりした。
「んっ、ふぅ…はっ…」
 がたどたどしくも艶めいた声を出し始めると、否応なしに跡部の下腹部に熱が集まってくる。
 跡部は胸を弄っていた手を降ろしてゆき、下着の中に手を滑り込ませた。がきゅっと脚を閉じようとしたが大した障害ではなく、淡い茂みのその先にあっさりと指が届き、微かな愛液が指を湿らせた。
 骨盤の方へ手を移動させ、下着に指を引っかけて脱がそうとすると、が初めてストップをかけてきた。
「ちょっ、待って…」
「…何だよ、怖くなったのか?」
「そうじゃなくて、ただ、ちょっと、この部屋明るすぎやしないかなぁって…ね、照明落とさない?」
 男の家に泊まりに来たり膝に跨ってきたりブラジャーをつけないで寝ようとしたりする女が、この時初めて当然とも思える恥ずかしいという表情を見せたのが跡部には愉快だった。
「ククッ…嫌だね、全部俺に見せろよ」
「いや見せるにしてもこんなに明るくなくていいんじゃないかな!」
 顔を赤くして慌てるが可愛かった。もうしばらくこのの様子を見ていたくもあったが、の気分が萎えても困るので、しょうがねぇなと跡部は呟きながら、枕元に置いてあるリモコンで部屋の明るさを何段階か落としてやった。しかしまだ相手の身体は良く見える。
「もう「待った」はナシだぜ?」
 言いながら跡部は止める間も与えずの下着をスルスルと脱がした。
 脚を閉じさせないように膝を立たせて両手で固定し、珊瑚色に色づきつつあるそこへ顔を埋める。
「や、ちょっ、跡部何してっ――!?」
 頭上からの狼狽した声が聴こえたが、それを無視して跡部は秘部をねっとりと舐め上げた。
「ゃうっ!」
 の身体が跳ねた。何とか閉じようと脚に力を込めているが跡部はそれを許さずに押さえつける。
 唾液が呼び水となり少しずつ溢れてきた愛液を舐め取り続け、ついには舌先を中へ侵入させた。舌の腹で内襞を擦り上げ、味わった事もないだろう刺激を与える。
「やあっ、跡部、やだ…!」
 今にも泣きそうな怯えた声に、跡部は折れた。舌を引き抜くと内腿に優しくキスをし、顔を上げてを見遣る。
「泣くなよ…お前の為だ」
 初めてのに出来るだけ痛みを与えたくない。その為の前戯だ。
「ん、わかる、ごめん…ありがと…」
「謝る必要も礼を言う必要もない。お前はただ、俺を感じて鳴いてればいい」
 跡部は汗ばむの額にキスを落とすと、秘部へ手を遣った。指で割れ目を何度もなぞり、膨らみ始めた花芽を捏ねる。は高い嬌声を上げてビクビク震えた。
 そして次第に手を濡らすほどに溢れてきた秘部へ、指を一本だけ挿し込んだ。
「ッ痛…!」
 異物の侵入を拒むように中がぎゅっと締まる。同時に閉じてしまったの瞼に跡部は口づけ、そっと指を動かして中を解していった。
 じりじりと指を増やすとまた抵抗を受けたが、の身体は少しずつではあるが跡部に拓いていた。愛液も充分に溢れ、抵抗も弱まっている。
 跡部はどうにももどかしかった。の身体を気遣う思いと、今すぐにでも貫いてしまいたい思いとがせめぎ合う。
「あと、べ…っ」
 痛みを押してが名前を呼んだ瞬間、跡部の中で何かが切れた。
 跡部は身体を起こして指を抜くと、の脚をしっかりと開かせ、秘部に自身を宛がった。
「…、もう挿れるぜ」
 その突然の予告には驚き、戸惑うように懇願した。
「ゃ、待って、待って…」
「待たねえっつっただろ」
 懇願するを無視し、ぐいっと体重をかけ、自身を一気に埋め込んだ。可哀想だからと時間をかけてジリジリ挿れるより、一気に挿れる方が痛みを感じる時間が短くて済むはずだからだ。
「いァ――ッ、痛い、痛いよ跡部ェ!」
 だが前戯を充分にしたと思っても、破瓜の痛みは消え去るものではない。は叫びながらボロボロと涙を零し、縋れるものを求めて必死にシーツを掴んだ。
 の比ではないだろうが、苦しいのは跡部も同じだった。異常な力で自身を締めつけられ、痛みすら感じる。
 これが彼女の初めてだとはいえ、跡部はの身体に傷をつけた事を痛々しく思った。それに反して、彼女の初めての相手が間違いなく自分である事に悦びも感じていた。
 忙しなく上下するの胸から顔に視線を移し、跡部は言った。
「名前で呼べたら、痛みを和らげさせてやるよ」
「け、ぃご、景吾っ」
 よほど辛いのか即応で悲鳴のように名前を呼ばれて、不覚にも自身の質量が増した。それに反応してが声にならない呻き声を洩らす。
「…呼べるじゃねーか。ほら、ゆっくり息吐け」
 跡部が優しくの髪を撫でて促すと、は断続的に苦しげな息を吐いた。それで跡部自身も少しだけ楽になる。
 親が子供に与えるご褒美のように、跡部はの目の端を流れる涙を親指で拭ってやり、唇の横にキスを落としてやった。
「いいコだ。、怖かったら俺を見てろ。お前の好きな、俺のキラキラを見てろよ」
 キラキラ、と言われて、は濡れる瞼を持ち上げ跡部の顔に焦点を合わせた。そして弱々しく笑う。
「ハハ…キレーだよ、跡部のキラキラ」
「バカ、そりゃこっちのセリフだ」
 跡部は、光を反射して美しくきらめくの瞳を見つめた。綺麗だった。
「それからな、『景吾』だ」
「ん、けーご…」
 舌足らずな調子で発音された自分の名は何よりも甘く響いて聴こえた。物欲しげにちろりと覗いた赤い舌が、跡部の劣情を呼び起こす。
 中途半端に開いたままのの口内に、跡部は舌を捩じ込んだ。
「ッふ、んン…ん…!」
 少しはマシになったとはいえ痛くて苦しいのに変わりのないは、舌を絡められるとあっという間に呼吸を乱し、口の端からどちらのものともつかない唾液を零した。
 跡部はシーツを握り締めるの手を取り、自分の首に回させる。
 一頻り思うさま口内を犯すと、入れた時と同じくらいの唐突さで舌を引き抜いた。絡まっていた柔らかなの舌が跡部のそれにくっついていきそうになりながらも途中で別れ、代わりに銀の糸を渡らせる。
「ハ、はぁ、はぁ……頭、ポーッとなっちゃうよ、景吾…」
「それでいい。俺の事だけ見て、俺の事だけ考えてろ…」
 跡部はが零した唾液を舐め取り、ゆっくりと腰を揺らした。跡部自身が中に在る事を忘れかけていたは、突然の刺激にビクリと腰を跳ねさせた。
「ひゃあッ…!」
 痛みから逃れようとするの腰を固定し、騙し騙し自身を往復させる。
 は跡部の首に回された腕に力を込め、太腿で跡部の腰を挟むようにした。新たな涙を溜めていたが、その瞳は必死に跡部を見つめ続けていた。初めてなら目を瞑るなり顔を背けるなりしそうなものなのに。
 自分を受け入れようとしてくれているの姿勢とその眼差しがひどく可愛らしく扇情的で、跡部は理性を押し止めるのに苦労した。今ここで暴走してしまえば、にもっと辛い思いをさせてしまうだろう。少しずつ、少しずつだ、と自分に言い聞かせる。
「け、っご…」
「ん…? どうした?」
 緩やかに動いたまま、跡部はそっと応えた。身体を揺らされているのでは時折息を呑み、言葉は自然途切れ途切れになる。
「っ、もっと…景吾が、気持ち、良くなるよ、に、していー、よ…」
 のセリフは、跡部のなけなしの理性を奪い去るには充分だった。跡部はピタリと動きを止めると、口の端を持ち上げ困ったように笑った――せっかくの努力が水の泡だぜ。
「――後悔すんなよ?」
 その最後通知がの耳に届いたかは解からなかった。跡部が言い終わるのと同時に、ピストンの動きを速めたからだ。はパッと目を見開く。
「んぁアッ! ひっ、あッ!」
 それまで控え目だった結合部の水音が、途端に耳障りなほどに高まり粘着質なものになっていく。それに煽られ跡部は突き上げる速度を上げた。
「ハァ…ンっ、くぅ…ふ、んアッ!」
 次第に、悲痛そうだったの声に艶めいたものが見え隠れし始めた。本人は気づいていないだろうが、より多くの快感を得ようと自ら腰も揺らしている。
 跡部はが押し当ててこようとする場所を執拗に攻め立てた。
「ぁあっ! あ、やっ、景吾!」
 反射的にの腕に力が入って首を引き寄せられ、跡部は食むようなキスを落とす。
「はぁ…、可愛いぜ。もっと感じろよ…」
 跡部はうっすらと微笑み、を抱いたまま身体を起こした。ベッドに座った跡部の上にが向かい合って乗る形になる。
 自らの体重で跡部自身がより深く刺さり、は腰をのけ反らせた。
「あぁんッ! やだ、景吾、これ、や…っ!」
「奥まで当たってイイだろ?」
 跡部はの臀部を掴んで上下に揺すり、それとは違ったリズムで下から突き上げる。
 はもう跡部を見つめ続ける事も容易ではなさそうで、最深部に跡部自身が当たる度に声を上げてそれを締めつけ、白い喉元を晒してビクンと震えた。跡部はその無防備な首筋に所有の印を刻む。
「や、あっ、けぃ、景吾っ…なん、か、ヘン、なる…!」
「いいぜ…イけよ」
 ラストスパートだと言わんばかりに一際激しく揺さ振ると、痙攣していたの内部が収縮し跡部自身を強く締めつけた。
「やっ、ゃ――ああぁっ!!」
「ッ――!」
 跡部も耐えきれずそこで限界に達し、精を放った。の中へ流し込むように何度か腰を揺らしてから引き抜き、をそっとベッドに寝かせる。冷めかけていたシーツに身体が触れて、はひゅっと肩を竦ませた。
 の腕がまだ首に絡まっているのがいとおしくて、解いてやりながら跡部はその腕に口づけた。
「…おい、平気か?」
 跡部の問いかけに、は力なく首を振って息も絶え絶えに答えた。
「む、り……痛い……くる、しい……絶対、起き上がれない…」
「起きなくていい、寝てろ」
 跡部はベッドの端の方からシーツを引っ張り、の身体にかけてやる。
「うん…汗とかで、気持ち悪いけど、眠い、寝る…――ねぇ、跡部」
 身体にシーツを巻きつけてうとうとしながらが声をかけると、跡部は長い沈黙の後、ひどく不機嫌に疑問符を口にした。
「…………はァ?」
「ん?」
 ただ呼びかけただけなのに跡部が何を疑問に思ったのか解からないようで、も首を傾げる。
 跡部は少し低い声で怒ったように言った。
「…おいコラ、何で元に戻ってんだよ」
「何が?」
「『跡部』って言っただろ今」
「言ったけど?」
「…『景吾』はどこにいった」
「ここにいるじゃん。何言ってんの跡部?」
 眠気で頭が働いていないのか、会話になっていない。先程までのあの従順で可愛らしかったはどこにいったんだ――跡部はをもう一度襲ってやろうか本気で悩んだ。
 はもどかしげに両手をわきわきさせる跡部には目もくれず、横向きに寝返りを打って掠れた声で言った。
「それよりさ跡部…ノド渇いたよ」
「アーン? 知るか」
 跡部がそっぽを向いて拗ねたような事を言うと、は「誰のせいだと思って……」とかごにょごにょ呟いたが、語尾が小さく消えていった。不審に思った跡部が顔を近づけて見ると、は目を瞑り静かに寝息を立てていた。一気に脱力する。
 跡部はその穏やかな寝顔を見て、二人が付き合う事になった日の事を思い出した。あの日もは、無防備にあどけなく寝ていた。
(前日に俺をフったくせに、翌日には告白してきやがって…本当に勝手なヤツだぜお前は)
 そしてセックスの最中には素直に『景吾』と呼んでいたのに、終わった途端にそんな事はけろっと忘れてしまった。自分勝手で困る。そう、困った事に、跡部はそんなが好きなのだった。
 思い出しそうになる。を好きだと気づいた時の想いを。当たり前すぎて忘れそうになる、想い。
 跡部がの横に向かい合って寝転び、頬や頭を撫でながらその寝顔を見つめていると、浅い眠りだったのかが目を覚ました。
「…何だよ、寝るんじゃなかったのか?」
 そういえば先程喉が渇いたとが言っていた事を思い返し、跡部は飲み物を取ってくる為に起き上がろうとした。しかしは跡部の腕を掴んでそれを引き留めた。
「どうした?」
「…忘れてた――跡部」
「アン?」
 はぼんやりとしていた表情を柔らかく綻ばせ、眠たげな声で言った。
「誕生日おめでとー」
「フッ…遅せーよ。今日初めて聴いたぜ」
 とは言え、他の誰に言われるよりも嬉しかった。自然と口元が緩む。
 プレゼントももう貰っている。あと数時間となった、十月四日のの時間。ずっと好きだった女が傍らにいる、こんなに満たされた誕生日はない。
「――そうだな…もう一声欲しい」
 跡部にしては珍しく、甘えるような声でねだった。
「なんて?」
「俺のキラキラを好きだって、言えよ」
 跡部がそう言うと、はお安いご用だと言うように破顔し、最高の愛情表現を口にした。
「跡部のキラキラが好き。大好き」
 は両腕を伸ばし、抱擁を求める。跡部は躊躇わずにを抱き寄せた。
「…愛してる」
 跡部はやっとを好きになった理由を思い出した。いや、改めて理解したと言うのが正しいのか。
(――俺が俺でいられるから、だ)
 ただキラキラが見えるのだ、といつだったかは言った。外面も内面も関係なく、跡部が跡部として美しく見えるのだと。
 跡部はそれを聴いた時、他人にするのと同じようにに対して自分を強く賢く美しく見せる事に何の意味もないのだと悟った。が見ていたのはそんな低い次元の自分ではなく、存在そのものだったのだと。その上で自分を信頼し、悪友だと認めてくれていた。それから跡部は、といる時が一番安らげるようになった。
 自分が自分でいられる、好きになる理由などそれだけで充分だ。
 はぎゅっと跡部にしがみつくと、甘い声で囁いた。
「跡部…私の誕生日の時は、跡部が一日中傍にいてね」
 凄まじいほどの破壊力。やはり彼女は最強だ。
 跡部は甘い眩暈に襲われながら、今度は想像も出来ない事をしてやるよ、と逆襲を密かに決意した。





END





2006年10月4日


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