ライトがデスノートに犯罪者の名前を書き連ねる様子を、俺はただじっと見つめている。
 俺が落としたあのノートで、ライトは今まで数えきれないほどの人間を殺してきた。
 こんなに殺す事に抵抗のないヤツは初めてだった。
 俺が知った人間の中でも、コイツだけは忘れられないだろうな。
 現に、俺はライトを気に入ってる。

 今まで何回か人間の手にデスノートが渡った。
 大抵の人間は、嫌い、憎い、何となく気に入らないという理由で周りの人間を殺す。
 そしてソイツはそのうち、自分が殺したという恐怖に耐えきれずノートを破棄する。
 そんな人間を、俺はつまらないなと思っていた。
 だがライトは面白い。

 俺はライトからもらったリンゴを一口囓り、赤々としたそのいびつな塊を眺めた。


 リンゴ…アイツも俺にリンゴをくれた。
 俺のデスノートを手にした、アイツ。





リンゴと引き換えた取引。





 デスノートをワザと人間界に落としてから3日が経った。
 そろそろ誰かが拾って、ノートに誰かの名前を書き込んでいてもおかしくないだろう。
 わざわざ英語で取り扱いの説明まで書いたんだ。一人くらい殺してくれてないと面白くない。

 俺が見つけたデスノートの拾い主は、若い女だった。
 死神の目に浮かぶ女の名は、
 見たところ、どうやら一人暮らしらしい。
 俺の姿を見て悲鳴を上げはしたものの、俺がノートを落とした死神だと言うと、はすぐに落ち着きを取り戻した。

「このノートを取り戻しに来たの?」
「いや、そのノートはもうおまえの物だ。好きに使っていいぞ」
「……」

 とりあえずコイツは、どれだけの人間を殺したかな?
 ガラステーブルの上に置かれたままのデスノートを、俺は手に取って広げた。
 真ん中、からはさすがに書かないか。
 左端のページを開いてみる…書いてない。
 じゃあ右側から書いてってるのか?
 …書いてない。

 パラパラと全てのページを見てみたが、どこにも一文字も書かれていなかった。
 三日もあったんだぞ? 一人くらい試しに書いてみてもいいじゃないか。

「おまえ英語読めないのか?」
「そのくらいなら読めるわ」
「書かなかったのか?」
「ええ…」
「なんでだ? 殺したいヤツはいないのか?」
「…いる」
「じゃあ書けばいい。殺せるぞ?」

 俺はにデスノートを手渡した。
 はおずおずとノートを受け取ると、それをまたテーブルの上に置いた。
 使う為に置いたって感じじゃない。ただ置いたって感じだ。

「書かないのか?」

 訊いても、は俯いたまま答えない。
 よくわからないな、人間ってのは。
 暇だったので、俺はにデスノートについての補足をした。
 他人がノートに触れるとソイツには俺の姿が見えるようになるだとか、寿命の半分と引き換えに死神の目を手に入れられるという取引があるだとか。
 …無反応だったけど。
 デスノートを使った人間は天国にも地獄にも行けない、と言った時には小さな反応があった。
 顔を上げて、無言で俺の顔を見つめただけだったが。

「あと、俺はおまえがノートを手放すか死ぬまでは、おまえに憑いてまわらなきゃならない」
「…ずっと人間の世界にいるの?」
「ああ、規則だ。まあこっちの方が死神の世界より面白いしな」
「……」

 やっと喋ったと思ったら、はまた口を閉ざした。
 そしてこの日はそのまま、デスノートには何も書かれずに終わったんだ。
 眠るの傍らで俺は、変な人間に拾われたもんだと思っていた。
 だけど不思議と、つまらないとは思わなかった。これはこれで面白い。
 明日はどうなるかわからないが、な。










「リューク、何か欲しい物はある?」

 次の日のの第一声は、わけがわからなかった。
 何だか晴れやかな顔をしてるし、昨日とは別人みたいだ(目に映る名前はもちろん昨日と同じだったけど)

「リンゴ」

 俺が正直に欲しい物を答えると、はきょとんとした。

「死神が人間の食べ物を食べないなんて思うなよ。俺はリンゴが好きなんだ」

 おかしな禁断症状が出るくらいに。
 その言葉に、は初めて小さく声を上げて笑った。

「ふふ…わかった。リンゴね?」

 と一緒に外へ出て、商店街へ入る。
 は八百屋へ向かい、そこで大量のリンゴを買った。
 俺にはたまらないほどの、が自力で持てるギリギリの量だ。
 袋いっぱいに詰め込まれたリンゴを抱えて、はまっすぐ自宅へ帰る。
 相変わらずデスノートはテーブルの上に放置されたまま、昨日と位置が変わってない。

 殺したいヤツがいると言っていた。ならとっとと殺せばいいのに。
 ノートに関心を示す素振りも見せないで、死神と一緒にお買い物か。
 ますます変なヤツだ。

「これだけあったら、何日持つ?」
「いくらでも食えるが…まぁ、四日くらいだろうな」
「そう。じゃあとりあえず一個ね」

 は袋の中から一つリンゴを取り出して俺に差し出す。
 俺は小さいの手から、それよりさらに小さい赤い塊を受け取った。


 それが四日続いた。


 四日間、俺はまるでペットのようにからリンゴを渡され、それに囓りついた。
 リンゴが目に見えて減っていく一方、デスノートには何の変化も訪れない。あのテーブルに置かれたままだ。
 やがてストックはなくなり、本当に四日目の夕方にリンゴはなくなった。

 そして日に日になくなっていったものが、もう一つ。
 多分、おまえも知ってるんだろ?

「リューク、リンゴなくなっちゃったね」
「ああ」
「美味しかった?」
「ああ」

 は満足そうに笑うと、テーブルの上からデスノートを取り上げボールペンを用意して、ベッドに腰掛けた。
 俺が確認した時最初に開いたど真ん中のページを開く。

「書くのか?」
「うん」

 は膝の上で黙々と、ノートに殺す人間の名前と死の状況を書き始める。
 今まで無関心だったのが嘘みたいだ。
 俺はその内容を覗かなかったが、初めてにしては結構細かく書いてるようだ。
 書き終えると、はノートを開いたまま腹の上に伏せて乗せ、ベッドに横になった。

「ふふ、書いちゃった」
「ああ、やっとな」
「誰の名前書いたと思う?」
「自分だろ?」

 間髪入れず俺が答えると、はニコッと笑った。

「よくわかったね」
「まあな。俺は死神の目を持ってるし」
「あ、それもそうだね」

 の顔の上に見えるの寿命は、後三分…午後五時きっかりだった。
 デスノートに書き込む直前にはもう少し猶予があったのに。

「…おまえ、自分で自分を殺す必要があるのか?」
「うん。どうせ放っといてもそのうち死ぬもの。知ってたでしょ?」

 知ってた。
 病気か何かは知らないが、死神が生きる気の遠くなるような時間にすれば、本当にちっぽけな時間でコイツが死ぬだろう事は知ってた。

「でもデスノートを使ったら天国にも地獄にも行けないんだぞ?」
「どっちにも行きたくないから」
「何でだ?」
「変なの。リュークは私にデスノートを使ってほしかったんでしょ?」
「…ああ」
「……私の父はね、生きてた時は家族に暴力をふるう人だった。最低の人間だった。だからきっと地獄にいると思う。
 母はそんな父の暴力に耐えて、耐えて、父が事故で死んでからも、死ぬまで私を女手一つで育ててくれた。優しかった。だから天国にいると思う」
「おまえだったら天国に行けたんじゃないか?」
「ううん。父にも母にも会いたくない。だからノートを使ったの」
「わからないな」
「父と母、どっちの姿を見ても、辛いだけだわ。
 それなら会えない方がいい。
 …もういいの」

 溜め息混じりにそう言って、は目を閉じた。
 残り時間が数十秒になる。

 がちょいちょいと俺を手招きしたので、俺は近寄った。

「リュークがここに来るまで、私ひとりで淋しかったんだ。だからせめてリンゴがなくなるまで、傍にいてもらおうと思った」
「ああ」
「ごめんね」

 は緩慢な動作で枕の下に手を入れ、そこからゆっくりと、赤いリンゴを取り出した。

「これが最後の一つ。はい」
「…取引としては、悪くなかったぞ」

 それを俺が受け取ると、はまたニッコリと笑った。

「ありがとう、リューク…」

 の顔の上の数字がカウントダウンされていく。
 人間の数字に直すと。

 5、4、3、2…1。

 は一つ息を吐き、笑ったまま死んだ。

 俺の目にはの名前も寿命も映らなくなった。
 これはもうただの肉の塊だ。

 の腹の上に伏せられたノートを取る。
 そこには、
  ●●死
 書いたその日の午後五時ちょうど、リュークに看取られて安らかに死にたい。』
 と書かれていた。
 自分の死の状況だからか、変な書き方だ。

 その隣のページには、
『殺したかったのは、私自身だよ。』
 とあった。


 俺は最後のリンゴを一口囓り、それを見下ろす。
 赤いリンゴの中は白かったが、やがてぼけて茶色くなっていく。
 それを見届けてから、次の一口で塊全てを口の中に入れた。

 しばらくまともに食えなくなるか…残念だ。
 リンゴを毎日たらふく食ってるうちに、デスノートなんかどうでもよくなってたんだぜ?
 おまえと話すのも悪くなかった。
 また退屈な死神界暮らしに逆戻りだ。

 俺とおまえの絆も切れちまったな。
 たった、一週間だ。
 でもおまえの事はしばらく忘れられなさそうだった。
 退屈な死神界での暮らしに比べたら、おまえと過ごした四日間はずっと有意義だった気がする。
 ただリンゴ食って喋ってただけでも、な。


「じゃあな」

 聴こえるはずのない挨拶をし、デスノートをホルダーに入れて。俺は部屋の窓から飛び立つ。

 もう関係はないが、一人暮らしのの死体は腐ってから発見されるんだろうな、とぼんやり思った。
 さっき食ったばかりのリンゴの味を、やけに懐かしく感じた。