屋上の天使









 ある晴れた日の放課後。
 私は屋上の扉を開けて、空の下に立つ。

 ああ…空が近い…

 初めて屋上に来たけど、なかなかいいな…
 …と思ったが。

 私は屋上の端に向かう。
 そして屋上全面を囲う、3メートルほどあるフェンスに指をかけた。

 これが邪魔くさい。
 せっかくの開けた場所が、台無し。

 氷帝はほぼお坊ちゃまお嬢様学校だから、屋上からの投身自殺者なんて出したくないのは解かるけど。
 こんなフェンス、よじ登れば簡単に越えられる。


 私はフェンスをがしゃん、と揺らした。


 こんな中途半端なもので、本当に死にたい人を止められると思ってんの?
 本当に止めたいのなら、足をかける場所も何もない壁を作ればいいのに。

 フェンス越しに街が見えるから、壁の中にいるよりも閉じ込められてるみたいに感じる。
 これって余計に飛び降りたくなるんじゃないの?




「…ねーえ、なにしてるのー?」




 じっとその場に佇んでいると、後ろから間延びした男の子の声が聴こえた。
 振り返り視線を少し上げると、入り口の上、貯水タンクのある場所で、男の子がそこの端にしゃがんで私を見下ろしていた。

 逆光で顔はよく見えないけど、金色の髪がやけに鮮やかだ。

 私は眩しさに目を細めながら彼を見上げて答える。


「別になにも」


 彼は私の返答に「んー…」とか唸りながら頭をひねっていた。
 私はそれを気にせず視線を元に戻す。

 するとまた声がした。


「ねぇ、そのフェンスジャマだと思わないー?」


 また振り返ると、彼はニコッと笑って手招きをした。


「おいで。いいもの見せてあげる」


 …? 何だろ?

 私は好奇心に負けて、入り口横のハシゴに手をかけ登っていく。

 普段なら初対面の男の誘いなど、即座に断っていただろう。
 だが彼は「フェンスが邪魔だと思わない?」と言った上で、私を呼んだのだ。
 気になる。

 やがて辿り着こうとした時、彼が手を差し伸べてきた。
 私は迷わずそれを掴み、登り切った。
 そして周りを見てみる。




「わぁ…」




 その位置はフェンスより少し低いけれど、立って見渡せばフェンス越しなんかより、視界が断然広い。
 街が一望できて、そこに自然があるわけでもないのに、その光景に何でか感動した。


「ね? いいものだったでしょ?」


 隣で彼が言う。
 私は景色に目を遣ったまま、「うん、うん」とばかみたいにずっと頷いていた。


「…あのフェンスから街を見てるとさ、まるでカゴの中に閉じ込められてるみたいに感じるんだ」

「うん。私も、ここに今日初めて来たけど、そう思った」

「ホント?」


 その嬉しそうな声に彼の方を向くと、やっぱり嬉しそうに微笑ってて。


「そっかぁ。
 だからね俺、ここが好きなんだ」

「うん。私も…好きになった」

「マジマジっ? うれCーな! 仲間だ!」


 ていうか、ここを好きじゃないと言う人の方が珍しいと思うけど。
 友達とここに来ないのかな。
 てことは、私は数少ない同士なわけか。


「ね、俺は芥川ジロー。きみは?」



ちゃん? ちゃんっ!」


 彼は満面の笑顔で私に向き合って、私の名前を連呼しながら、両手を取ってぶんぶん上下に振った。
 こどもみたい。
 私は彼に気に入られたのかしら。


「俺のことは「ジロー」って呼んでねー」

「…ジロー」

「うんっ」


 彼がひどく嬉しそうに笑うから、私もつられて微笑ってしまう。


「あ、やっと笑った。その方が可愛いよ、ちゃん」


 そりゃ誰だって笑顔の方がいいでしょうさ。
 でもきみの笑顔には敵わないよ。だって顔中で笑うんだもん。


「そういやちゃん、ここに来たの初めてって言ったよね?
 なにしに来たの?」

「…街を、こうやって見渡したかったの」


 言いながら、また視線を街の方に移す。


「高い場所から街を見下ろして、自分も、周りも、何もかもちっぽけな存在なんだって実感してから……飛び降りようと思ってた」

「死にたかったの?」

「うん。何のために生きてるんだろうって思ったから」


 何かが辛いわけじゃない。
 何かに絶望したわけでもない。
 ただ漠然とした不安に押し潰されそうになって、ふと思うのだ。

 …何のために? と。


「何かのためなんかじゃなくて、自分のために生きればいいじゃん!」


 掴んだままの私の両手をぎゅっと強く握って、ジローが言う。

 ああ、そういう考え方もあるんだ。


「死のうなんて思わないで?
 せっかくここを好きだって言ってくれる友達ができたのに、いなくなったらかなCよ」


 友達? に、なってたんだ。いつの間にか。
 
 握られた両手が微かに痛い。
 『痛い』って、『生きてる』ってことだ。

 私はふふっと笑う。


「もう思わないよ」


 そう言って、繋いだ手をほどくと。




 私はそこから飛び降りた。




ちゃんっ!?」


 踏み込んだ時後ろでジローが驚いて呼び止める声が聴こえたけれど、ためらわなかった。

 風圧を感じながら2メートル半はある高さを一瞬で墜ちて、両足で思い切り着地する。
 じぃんと足が痺れた。


 はい。これで私は一度死にました。
 今日までの腐った自分からはオサラバして、新しい自分を生きていくんだ。

 なんだ、こんな簡単なことだったんだ。




「かっちょAーっ!!」




 上でジローのはしゃぐ声が聴こえたので、私は笑顔で彼を見上げて腕を伸ばし、ぐーっと親指を向ける。
 ジローもニカッと笑って、私と同じポーズを返してくれた。


 眩しくて涙がにじんできた。

 生き返るチャンスをくれたきみに、逢えたから。


 ああ、きっと彼は天使なんだ。
 神様なんて信じないけど、何かが私に、彼を使わしてくれたんだ。

 だってほら、彼はあんなに光ってる。


「ねえ! またここに来てもいい?」

「うんっ! 俺、昼休みにはたいていここにいる!
 あと、今日みたいに部活サボっていることもあるよ!」

「あはは。じゃあ、また来るね!」

「待ってるー!
 ばいばいちゃん!」

「ばいばい、ジロー」


 ジローに手を振ると、私は屋上を後にした。

 眼鏡の男の子が階段を上がってきて私とすれ違い、上で屋上の扉を開ける音がしたかと思うと「ジローどこやぁ!」と叫ぶ声がした。

 私はぷっ、と噴き出した。
 見つけられるのかな、あれ。

 私は軽い足取りで階段を降りていく。



 いつか彼に逢えなくなる日が来たとしても。
 いいんだ。きっとその時には自分の足だけで歩けるようになってるはず。

 だからそれまでは。

 それまでは赦されるかな。


 明日も、その次の日も。きっとずっと。




 私は、屋上の天使に逢いにゆく。






 



END










********************

あとがき
 青臭い話が書きたくて…というか思いついて、珍しく一日で書き上げました。
 中学生くらいになると誰でも一度は「死にたい」って思うものなんじゃないかと思います(え、私だけ?)
 まあ、一番不安定な時期ですよねー…(遠い目)


 2004年4月7日


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