俺のたったひとつの表情で、君の心が晴れるのなら。





  おひさま





「…ふぅーっ…」


 あ、このため息、いつか聴いたことがある。

 そういえば今もその時と同じ状況だ。昼休みで、屋上で、俺はのひざ枕の上。

 違うのは、一ヶ月分の時間が流れたこと。
 そのため息の原因がなんなのか、俺が一つだけ予想できるようになったこと。


「…、もしかして今日せーり?」
「えっ?」


 俺が目を開けて、を見上げてそう訊ねると、は座ったまま驚きで小さく飛び上がった。俺の頭が揺れる。
 は「あっ、ごめん」と言って俺の頭を支え、軽く撫でてくれた。


「…よくわかったね」
「だって、前の時からちょうど一ヶ月くらい経つし、ため息ついてたし」


 顔色も良くないし、見るからに元気ないし。
 声をかける直前にの顔を見て俺が一番驚いたのは、その表情が死んでたことだ。

 は片手で自分の顔を押さえ、くたびれたようなため息混じりの声を吐き出した。


「うん…ごめんね」
「ううん、俺はいいよ。、またお腹痛いの?」
「ん…今回はそんなに痛くないんだけど、その代わりに何だか鬱気味で…」
「ウツ?」


 聴いたことはあるんだけど普段使うことのないその単語に俺は首をかしげた。


「こう、倦怠感がまとわりつくというか、無気力というか、マイナスの感情が静かに浮かんでくるような、何もかもどうでもよくなる感じ――…うまく言えないんだけど…」
「……やっぱり女の子って大変なんだね」


 ――月のバイオリズムに左右される肉体と感情。
 それは女性に限った事じゃなく、地球に生きる者全ての宿命と言えるが、その影響が顕著に表れるのは専ら女の方だ。
 月経前から始まる頃にかけての女は突然イライラしたりブルーになったり、扱いが難しいぜ――


 こないだ跡部に、せーりってなんなんだろうって訊いてみたら(よく考えれば男の跡部がそんなの本当の意味でわかるわけないんだけど)、子供を生むために必要なことなんだとか、月の満ち欠けの影響がどうとか、そんな感じの意味がよくわからない説明をされた。
 せーりが大事なものだっていうのはわかるんだけど、やっぱり不公平だよなぁ。

 俺は眠気を振りきって起き上がり、と向かい合って座った。


「俺にできることある?
 ほら、前にお腹痛かった時には手を貸してあげたみたいにさ」
「んー…」


 は楽なように座る姿勢を直しながら、ぼんやりと俺を見つめて考えた。
 そして何かに気づいたように微かに表情が変わり、俺の顔に手を伸ばしてきた。
 のひとさし指が俺の眉間にツンッと触れる。


「…心配そうな顔しないで、できれば、笑ってて」
「え…?」


 俺はポカンとして、の指が触れたところをぐりぐりとマッサージした。
 …指摘されるまで自分の眉間に力入ってるの気づかなかったな。


「憂鬱な時に心配されると、余計滅入っちゃうから…慈郎が笑っててくれたら、嬉しいな――なんて、私が言えたことじゃないかもしれないけど」


 は申し訳なさそうに力なく笑う。
 なんだか胸がきゅっとなった。


「…ううん。確かに、俺が心配してもどうしようもないことだもんね」


 本人もコントロールできないことなのに、俺が心配したところで何か変わるわけがない。

 そんな、できることの限られた状況で。

 が、俺に笑っててほしいと願うのなら。
 それで、の心が少しでも晴れるのなら。


「――じゃあ俺、のために笑ってる」


 の両手を掴んで、ニコッと笑いかけた。

 その時、俺の手の中にあるの指先に、微かに力が入った気がした。
 白かったの顔色が、ほんのりと赤く染まっていく。


「どうかした?」
「えーっと…」


 笑いかけたまま俺が訊ねると、はますます赤くなって、その顔を隠したそうに手がムズムズしていた。
 …かわE。

 は慌てたような、困ったような感じで笑っていたけれど、さっきまでのユウウツそうな表情はなくなっていた。生気が戻ってきたって感じ。
 嬉しくなって、自然と俺の笑みは深くなる。


「…あの…慈郎ってすごいね」
「なにが?」
「だって…慈郎の笑顔見たら、嫌なだるさがどっか行っちゃった…」
「ほんと? いいだるさくらいになった?」
「ふふっ…うん」


 やっと見られたの笑顔からは疲れが消えていて、俺は心底ホッとする。

 片手での頬を撫でると、はその手にもたれるように顔を寄せて、心地好さそうに目を閉じた。
 あ〜チューしたいなぁもう…


「――慈郎の笑顔って、お日さまみたい」
「ん?」
「あったかいの。ぽかぽかした気持ちになる」


 目を開けたは、穏やかな瞳で俺を見つめた。


「さっきまで、嫌なことが頭をぐるぐるしてたんだ。いろんな不安や迷いで押し潰されそうだった。
 でも慈郎の笑顔見たらね、「大丈夫だよ」って言ってもらえてるように感じられて、あったかくなって…救われたんだよ」
…」


 微笑んでるの目にじわりと涙が浮かんで、潤む。
 涙はこぼれはしなかったけれど、それが余計に痛々しくて。

 俺はを衝動的に抱きしめていた。

 今の俺の表情を見られないように、の髪に顔をうずめて心を落ち着かせる。
 もしかしたら俺も、今はまだ太陽の反対側にいる月の影響を受けているのかもしれない。
 それじゃだめだ。俺はのお日さまになるんだから。

 身体を離しての頭を撫で、ニッコリと笑んでみせる。


「…だいじょうぶだよ」


 に対して言ったのか、自分自身に対して言ったのか――きっと両方だ。
 には俺がいるから大丈夫。俺ももう大丈夫。のためにお日さまでいられる。
 大丈夫。いとおしさに似た心配じゃなくて、君を救う笑顔をあげるから。

 俺の笑顔を見て、はホッとしたように微笑ってくれた。


「うん、ありがとう。本当に、慈郎のおかげで楽になった」
「どういたしまして。お礼はチューなんてどうでしょう?」
「…え?」


 赤くなって呆然とするの顔を引き寄せて、唇同士を触れ合わせる。
 軽く啄みながら顔を離し、両手での頬をそっと包み込んでもう一度。
 ぎゅっと目ぇつむっちゃって、ってばホントかわEなぁ。


「――…これ、お礼じゃないよね。いつものことだよね」
「俺がに向かって笑うのもいつものことだからね」


 ニコニコ笑っての顔を覗き込むと、つられたようにも笑った。

 あ…――


「――ははっ。の笑顔も、お日さまみたいだよ」
「えぇ!? か、顔が丸いって意味かしら…」
「んーん。俺もあったかくなったんだ」


 の笑顔を見ればいつだってあったかい気持ちになるけれど、
 ふたりで笑顔を交わしていたら、もっとあったかかったんだ。

 ふたりで、ひとつの太陽みたいに感じられて。


、次の授業サボろっかぁ」
「ま、また突拍子もないことを……前と違って熱もないし、授業休むことないよ」
「だって――!」


 俺は空を振り仰いで、小さい雲から顔を出し始めた太陽を、目を細めて見つめた。


「――俺たちお日さまの子だぜ!
 教室に閉じこもってつまんない授業受けるより、外で太陽の光浴びてる方がずっと健康的だよ!」


 俺がに視線を戻すと、はポカンと口を開けて俺を見ていた。
 それがまたかわいくて、俺の表情筋は、勝手に笑顔をつくり出す。


「そしたら、ももっと元気になるだろ?」


 俺が授業受けるのがめんどくさい、っていうのもあるんだけど、一番は
 ただでさえユウウツになりやすい時なのに、そんなめんどくさくなるような授業をわざわざ受けることないんだ。

 とかそんな感じのことを言ってを説得すると、はおかしそうにクスクス笑い出した。


「…慈郎らしい理屈」
「どう? サボる?」
「ええ、お付き合いしましょう」


 俺が手を差し出すと、は芝居がかった口調でうやうやしく俺の手を取った。
 その時ちょうど予鈴が鳴って、本当にシンデレラかなんかみたいで。
 俺はが逃げられないように掴んだ手をぐいっと引いて、腕の中に閉じ込めた。
 季節がら暑いけど、とくっついてられるなら全然オッケー。


「ここで何してサボるの?」
「えーと…一緒に寝よっか」
「……いいでしょうとも」


 結局寝るのか、とは言わず、はどこまでも俺に付き合う気のようだ。

 屋上入り口の建物の日陰になっている場所に移動して、ふたり壁にもたれ、肩を寄せ合って目をつむる。
 寝るとなると笑顔を見せることもできないから、眠りに落ちるまでが不安にならないように、俺はと手を繋いだ。

 前回も大活躍した俺の手のひら、今日も頼むぞ。


 そんで、起きたら一番に、のために笑顔を見せるよ。

 もきっと、俺の大好きなお日さまみたいな笑顔を返してくれるから。





END





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あとがき
 生理時にお悩みの全ての女性に捧ぐ話その2。
 本当に酷い鬱が襲ってきたのですが、それは生理とは関係あるのでしょうかね?
 こんな時慈郎に慰めてもらいたいのう…とか思って(以下略)


 2005年6月24日


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