どんなに可愛くて子供っぽくても、君はやっぱり男の子なわけで。





  眠れる狼





 今日は監督が部活の様子を見に来る日。
 なのにベンチで堂々と眠る人がひとり。


「寝てるねぇ…」
「寝とるなぁ…もうちょいでヨダレ垂れんで」


 私は忍足君と一緒になって、ベンチの上にいる図太い神経の持ち主を見下ろしていた。
 まぁ…慈郎なんだけど。


「今日監督来るよなぁ」
「来るよねぇ」


 どうしようか?と、さして慌てもせず私たちは顔を見合わせる。


ちゃんが起こしたったらえぇやん」
「ああ…そうだね」


 あまりにもあまりな光景だったので、思考が追いついてなかった。
 そうだよ、起こしゃいいんだよ。

 私はしゃがんで、ベンチで寝てる慈郎を揺さぶる。


「じろーう、起きてー」
「ん〜…」
「監督来る日だって解かってるー?」
「ん〜…」


 はい。起きる気ナッシングですね。
 監督が来ようが隕石が落ちてこようが、慈郎にはどうでもいいんだよね(あ、隕石はむしろ喜ぶかな?)
 でも監督の怒りの矛先は、やがてこちらに向けられるというのも解かってほしい。
 ええ。怒られるのは私と跡部よ。


「起きないの?」
「うん…おきない…」
「怒られるよ?」
「ねむい…」


 後半会話になってないっ!
 ええええ。慈郎にとっちゃ怒られるのより眠れない方が辛いんでしょうとも。

 私は助けを求めるように忍足君を見上げた。
 でも忍足君は肩をすくめるだけ。
 どないせぇっちゅうの!


「…よし、解かった」


 私はしゃがんだまま慈郎に背を向ける。
 そして再び忍足君を見上げた。
 少し目が据わっていたかもしれない。


「忍足君、慈郎を乗せて。『ここ』に」


 私がグッと親指で指し示したのは自分の背中。
 忍足君はギョッとした。


「何する気や?」
「部室に運ぶ。あそこなら監督来ない」


 妙なカタコト喋りで説明すると、忍足君はますますギョッとした。


「そんなん、樺地にでも頼んだらえぇやんか」
「樺地君も練習があるんだから、いつもいつも頼ってちゃいけないのっ」
「せやからって、ちゃんが運ばんでも…」
「大丈夫! 体力には自信あるから!
 伊達に氷帝のマネージャーやってません」


 はいはい乗せて乗せて早く早く、と忍足君を促す。
 忍足君は仕方がないといった風に慈郎の身体を起こすと、手を後ろに回して待ち構えている私の背中に乗せた。
 私は慈郎の膝の裏に腕を回すと足に力を込め、よいしょと立ち上がった。

 …あれ…?


「大丈夫か?」


 忍足君が心配そうに訊ねてくる。
 いえ、大丈夫って言うか……軽い?
 え、これは私の力がすごいのか、本当に慈郎が軽いのか?

 私は少しだけ振り返って慈郎に声をかける。


「慈郎慈郎。つかぬ事を伺いますが、身長はいくつだったっけ?」
「ん〜? ひゃくろくじゅう…」
「…体重は?」
「えと…よんじゅうきゅう…」


 160pに49s。
 私の頭の中をフルスピードで計算式が駆け巡る。

 BMI(体格指数)=体重(s)÷身長(m)2=19.1(22前後が理想)
 標準体重=身長(m)2×22=56.3

 だから…ちょっと(結構?)痩せてる?
 お菓子大好きでいつも寝てるのに?
 …うらやまCねオイ。
 これなら、樺地君が片手で持ち上げられるのも無理がない気がしないでもない(でもやっぱり普通の人は無理)

 慈郎が眠そうな声のまま言った。


「ね…今さ、が俺を運んでるの…?」
「うん、そうだよ」
「すごいね〜…」


 うん。何て言うかね、嬉しくない。

 どこの世界に彼氏を軽々おんぶする女がいるんだろう。
 とりあえず、ここにひとり存在してしまったのが悲しいが。

 私は忍足君に「じゃ、行ってくる」と別れの挨拶をし、コートを後にした。




















 周りから奇異の目で見られながらも、私はやっと部室の前に辿り着いた。
 手が塞がっていたのでドアを開けるのにちょっと悪戦苦闘したが、何とか部室に入り込む。
 そして後ろ向きになって、慈郎の身体をソファに下ろした。
 慈郎はソファの柔らかい感触を求めて自ら横になり身体を丸める。

 …肩の荷が下りるって、正にこんな感じを言うんだろう。
 これでひとまず大丈夫だね。

 私は汗を拭いながらふぃーっと一つ息を吐いて、その場を去ろうとしたけれど。

 …がしっ、と。

 腕を掴まれちゃったりなんかして。
 慈郎を見れば、ソファに寝たまま、重たそうな瞼を何とか開いて私を見上げていた。


「なーに?」
「…どこいくの?」
「どこって、部活だよ。慈郎はここで寝てていいんだよ」
「やだぁ…もここにいて…」
「だめだよ。何の為に慈郎をここまで運んだんだか…」
「……」


 慈郎はむうっとして、私の腕を自分の方へちょっと引く。
 私はその力に逆らわず、慈郎の枕元(?)にしゃがんだ。


「なーに?」
「……さんじゅっぷん…」
「ん?」
「30分たったら…起こしにきてくれる…?
 俺、部活するから…」


 まあ。まあまあまあ。
 やっと練習をする気になってくれたのね慈郎クン!
 お姉さんは嬉しい!

 ちょっと感動しちゃって嬉しすぎて、私はニコニコしながら慈郎の頭を撫でた。
 慈郎も嬉しそうにくすぐったそうに目を細める。

 いい子いい子。


「うん。起こしてあげるよ」
「じゃあ、ここで寝て待ってる」
「うんうん」
「ね、…」
「んー?」
「おやすみのちゅう、して?」
「……ん?」


 んんっ?
 『おやすみのちゅう』…?
 …私がですか?


「ねーちゅうしてー」
「…マジですか?」
「うんっ、マジマジ」


 慈郎さん、実は起きてるんじゃないですか?
 眠そうな顔しててもね、目の奥が期待で輝いてますよ。
 しかもこれ、計算とかじゃないんだろうなぁ…タチが悪いよ。
 ああチックショウ可愛い…ッ!

 というワケで。
 私は緩んだ顔で、しょうがないなぁとか言いながらソファの手前と向こう側に手を付いて身を屈め、待ち構えている慈郎にそっとキスをした。
 けど、私は軽くキスしたらすぐに離れようと思ってたのに、慈郎は私の頭をがっちりホールドして、腰も押さえ込んでキスを深めてきた。


「んぅっ…ん…」


 寝ぼけてるのこの人は!?
 でも…それにしてはすごい力だ。
 やっぱ起きてんの?

 もう抵抗する余力もないので、しばらくこの濃厚なおやすみのちゅうに付き合ってあげる事にした。

 が。


「…っ!?」


 うおぉぉい! ちょちょっ、ちょっと待てぇぇいっ!!

 じろ、じろう!
 慈郎の手がTシャツん中に侵入してきてるよオイ!
 腰から背中にかけて慈郎の手の感触がする。

 私の脳裏には、あの昭和の名曲が流れていた。


 ――おっとこはオオカミなっのーよ〜気をつけなっさーい〜♪


 やはり君も男なのか芥川慈郎!
 いや解かってるけど知ってるけど!

 …部室で!?

 いやいくらなんでもそれはッ!
 あははまさかね。しないでしょう? ねぇ、慈郎サン…?

 かなり混乱した頭であれこれ考えていたら、腰の辺りは既に外気に晒されているのに気づいて。
 今さらながら、この状況にリアリティが生まれたような気が…

 …じゃなくて!

 また混乱し始めた時、何の前触れもなく部室のドアが開かれた。


「チッ…俺様とした事が忘れモンをしちまっ…」


 私からは死角になっていて見えないが、その声は紛れもなく跡部のものだ。
 そして独り言が途中で途切れたのは、間違いなく私たちの姿を見つけたからなんだろう。
 たった今慈郎の舌が私の歯列をなぞってるし、腰は丸見えだし…すっごい嫌な状況。


「…アーン? テメェら部活サボってヨロシクか? いい度胸だなオイ」


 跡部のドスの利いた声がして、やっと慈郎の拘束が解かれた。
 今さら遅いが、私は慌てて身体を離した。ずっと口が塞がれていたからか、呼吸が荒くなっていて自分で驚く。
 慈郎は上体を起こし、ちょっとムスッとした顔で跡部を見上げた。


「跡部じゃまー…せっかくといちゃいちゃしてたのにー」


 「ねー?」と私に同意を求める慈郎。
 や、慈郎…今のはイチャイチャしてたって言うかさー…それどころじゃない事をしようとしてたって言うかさー…

 もう何て言うか…同意を求めないでください。

 君の無邪気さがニクイぜコンチキショー。


「邪魔されずにシてぇんだったら、今度からは鍵かけときやがれ」


 いやいやいや! そういう問題ジャナイだろ跡部サンよ!?


「うんそうする」


 うおぉぉい!! 何を言うの慈郎サンっ!?

 この人達の言う事はどこまでが本気でどこまでが冗談でどこを摘んで話を聴けばいいんだか全然解かんないよ…(なに? 宇宙語なの?)
 ……全部本気だったら嫌だな…特に慈郎。
 …でも本気なんだろうな…フフ。
 嫌な汗が出てきますよまったく。

 私が彼らから視線を逸らしてグイッと額の汗を拭っていると、跡部が私に向かって「フッ」とイヤミに笑った。
 他人事だと思ってぇぇ…!

 確かにね、私はね、こういう状況が苦手だわよ。
 何て言うの? 下ネタ系っての?
 しかも自分絡みだと余計に何も言えないっつーのね…

 ま、まあ、慈郎と全く経験がないのかと言われれば…無きにしも非ずと言うか…有るから、慈郎もこんな所で仕掛けてきたんだろうけどさあ…
 でも…突然狼になられると困る。
 ムード云々じゃなくてさ、急に『男』に変わられると、私はどう『女』になればいいんだろうって。混乱しちゃうんだよ。

 …ああ、結局は全部慈郎の為なワケなんじゃん。
 今さら気づいちゃったよ。

 でも慈郎はそんな事気にしないんだろうな。
 「そのままでいいよ」って、言ってくれちゃうんだろうなあ。


「オラ、コートに戻るぞ。監督も来てんだ」
「え〜…30分だけ寝かせてよ〜…せっかくがここまで運んでくれたのにさぁ」
「…お前が?」


 慈郎の言葉に、訝しげに私を見遣る跡部。
 そして今度は「クッ…」と失笑した。
 ええええ。彼女として女としてどうよ?と言いたいんでしょうよ。
 いいじゃんか。私達はこういうカップルなんです!(と開き直るしかない)


「とゆーことで、30分寝かせてもらいまーす」


 またごろんとソファに横になる慈郎。
 跡部は呆れ顔で「勝手にしろ」と言い残し部室を去っていく。





 私もその後に続いて部室を出ようとしたら、慈郎に呼び止められた。
 振り向くと、慈郎は寝た体勢のまま、私をじっと見上げていた。

 ドキッとする。
 いつもの可愛い慈郎の目じゃない。
 あれは『 』の目だ…
 その眼差しに、射抜かれそうになる。

 でもすぐいつもみたいにニコッ、と笑うと。


「また今度続きしよーね」


 なんて、天使の笑顔でとんでもない事を言った。

 『今度』って何でしょう? 『次の機会』って事よね?
 それは30分後の事をおっしゃってるのかしら…?
 ピンチですか、私?


まっかだよ、かわE〜」


 慈郎は悪気なんて一切なさそうにへらへら笑って。


「んじゃ30分経ったら起こしに来てね〜」


 ひらひら手を振って。


「あ、起こす時におはようのちゅうしてほしいな〜。そしたら俺すぐ目ぇ覚めると思うから。
 よろしく〜おやすみ〜……zzz」


 自分だけ言いたい事言うと、の●太ばりのオヤスミ3秒でとっとと眠ってしまった。

 何かいろいろ、頭が痛い。

 慈郎の言う事はいつも全部本気だから、30分後じゃないにせよ、近い内に必ず『続き』を実行するんだろう。
 それを私が十中八九抗えないだろう事を、慈郎は解かっているのかそうでないのかは知らないけれど。
 慈郎の上目遣いおねだりを断れる人間がいたら見てみたいです(跡部ですらあれには敵わないと見た)

 しかも『おはようのちゅう』とか頼まれちゃったよ。
 どうしようね。


 金縛りから抜け出して、部室から抜け出して。
 既に跡部の姿は見えなくなってしまったコートへの道を歩きながら、私は。
 慈郎を起こしに行くの、誰かに代わってもらおっかなーとか考えていた。

 私だと思ってて違う人に起こされたら、慈郎泣くかなー。

 …ま、いっか。
 長太郎君辺りにでも頼んじゃおう。




















先輩…解かってて俺に行かせました…?」


 俯いた長太郎君が、しょげた犬みたいな目で私を見ている。


「うぅ〜…〜…」


 一方、ぐずりながら私に抱きついている慈郎。


「えーっと、何て言うかー…」


 見事に予想通りになってしまいました。

 コートに戻って30分後、長太郎君を捕まえて慈郎起こしを頼んだら、長太郎君は爽やか笑顔で「いいですよ」って請け負ってくれたんだけれど。
 以下のようになったらしい。





――部室にて

長太郎「ジロー先輩、起きてください(屈んで慈郎を揺する)」
慈 郎「んん〜…(長太郎の首に抱きつく)」
長太郎「じっ、ジロー先輩っ!?(混乱)」
慈 郎「……(その状態のまま沈黙)」
長太郎「…?(ん?)」
慈 郎「…うっ…(ぐすっ)」
長太郎「えっ?(困惑)」
慈 郎「はこんなにゴツゴツしてないも〜ん…(めそめそ)」
長太郎「…!!(訳もなくショック)」
慈 郎「(長太郎をぽかぽか殴って)ばかちょたー! 連れてこいよー!」
長太郎「わっ…(わなわな)解かりましたよー!(泣きながら走り去る)」





 …今に至る。

 まあ部室に入った途端慈郎に抱きつかれて「やっぱや〜らかい!」とか言われれば流れも読めるわい。

 でもごめん長太郎君。私は保身に逃げた。
 うん、解ってて行かせた。
 二度手間だけどこれしかなかったんだよ。

 怖いもん、やっぱり。
 狼になられたらさ。

 今の慈郎なんかほら、可愛いもんじゃない。小犬みたいで。
 ずっとこのままでいろとは言わないけど…うん、しばらくはこのままがいいな。

 とりあえずは、長太郎君に謝らねば。


「ごめんねー長太郎君。迷惑かけて…」
「…いえ」


 まだちょっとしょげてる。
 長太郎君も結構犬系だな、とか余計な事思っちゃったよ。

 まだ抱きついたままの慈郎の背中をぽんぽん叩いてあやすように声をかける。


「ほら、今日はちゃんと部活するんでしょー? コート行こう。ねっ?」
「…うん」


 私の身体を放し、俯いてぽつりと答える慈郎。
 うん、いい子だ。
 慈郎は基本的にいい子だよね。私は基本的に慈郎バカだけど。

 私は長太郎君を先導させて、慈郎の手を引いて部室を出ようとしたら、クンッとその手を逆に引かれて。
 何だろうと思って振り返ったら、慈郎が覗き込むようにちゅっとキスをした。

 瞠目する私に、慈郎はにひひってイタズラっぽく笑って。


「おはようのちゅうだよっ」


 へえへえすっかり目も覚めたご様子で結構なこってす。

 長太郎君がちょうど先に出たとこだったからいいものの…
 ホント周りを気にしないんだからなぁ…

 慈郎は繋いだ手の指同士を絡めて上機嫌に私の少し前を歩き出す。


「起きたらいたのじゃなくて、俺悲しかったよー」
「ああ…うん、ごめん」
「いいよ。でも絶対続きしよーね」


 やっぱ諦めてませんでしたか。
 ニコニコ笑顔で覗き込まれちゃった。

 慈郎は私にすごく懐いてて、言う事も大抵聞いてくれて、飼い慣らしているような気分でいたけど…
 もしかしたら、飼い慣らされていたのは私の方なのかもしれない。
 逆らえないもんなあ。

 とりあえず私は「はいはい」って答えた。
 こんな適当な返事でも、慈郎は「やったぁ」って嬉しそうに笑って繋いだ手をぶんぶんと振る。


 私はいつか再びこの無邪気な狼に食われる事を考えて。



 訳もなく、心の中で父と母に謝っていた。










END





********************

あとがき
 強制終了!(どーん)
 一番書きたかったのは前半だったんで…
 だから中盤から後ろは酷いもんです。
 もっと精進せねば!
 何と言うかこう…どうでもいい場面でもしっかり書けるように?(何故疑問系)
 『 』の白い部分には、『男』もしくは『狼』って言葉が入ります。
 どちらでもいいようにわざと抜きました。
 あとここだけの話、後半の慈郎が黒くなりかけました。
 でも黒ジロ反対派なんで、すんでの所でやめました。
 これ以上黒ジロが蔓延するのは許せませんので。


 2004年3月12日


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