「心配しなくても大丈夫だよ」
 それが最近の彼の口グセだ。
 どんなに大変な仕事があって忙しそうでもそう言って笑って一人で抱え込んで…。
 ねぇ、一人で悩まないで。
 一人で頑張ろうとしないで、もっと周りを見て。
 あなたを支えてくれる人はたくさんいるんだよ。
 あなたの隣には私がいるの…解かってる?





  Worries





 ガチャ。
「…あ」
 部活が終わってしばらく経った頃、忘れ物に気づいて学校に戻って部室のドアを開けてみたらそこにいたのは。
「幸村君…」
 どうやら少し居眠りをしているらしく、私が部室に入ってきたのも私の呼びかけにも全く気がつかない。
 …疲れてるのかな…?
 幸村君が座っている向かいの席に座って寝顔をじっと見つめる。
 少し顔色が冴えない様に見えるのは…光のせいなのかな。
 無理はしないでっていつも言っているのに。
 一人で何でも抱え込むの…幸村君の悪いクセなんだよ。
 机の上には練習メニューのノート。
 頑張るのはいい事なんだけれど…努力家なそんな所、私大好きだけど。
 もっと…自分の事心配しようよ…。

 ねぇ、もっと私を頼ってくれていいんだよ。
 ねぇ、もっと私に甘えてくれていいんだよ。

 そんな想いを解かってほしくて、私がいる事に気づいてほしくて目の前で眠る幸村君の頬にそっと触れてみた。
 その瞬間、うっすらと幸村君が目を開く。

「あ…ごめん。
 起こしちゃった?」
「…いや、大丈夫。
 はこんな時間にどうした?
 てっきり皆と一緒に帰ったんだと…」
「うん、でも忘れ物に気づいて。
 そのおかげで幸村君の寝顔なんてめずらいしいもの見れちゃった」
 ふふ、と小さく笑うと「起こしてくれればよかったのに」とつられたように幸村君も小さく笑った。
 その笑顔を見て思う。
 ああ、…やっぱり顔色がよくない。

「…無理はしないでね?」
 触れていた手を引っ込めて、下にうつむいてそう呟いた。
「心配しなくても大丈夫だよ」
 返ってくる答えは呆れるくらいいつもと同じで。

「大丈夫じゃないから言ってるんじゃない!
 いつも大丈夫、大丈夫って…どうして何でも一人で抱え込んだりするの!」
 ガタッとハデな音をたてて私は立ち上がった。
「……?」
「……っ」

 この時、私は初めて幸村君に対して声を荒げた。
 予想をしていなかったのか、一言私の名前を呼んで驚いた表情で私を見つめている。
 私は涙が出そうになるのをこらえる事に必死で幸村君から顔をそむけた。
 一人で頑張っている幸村君を応援してあげたいと思うのは正直な気持ちで。
 だけど痛々しく見えるのも確かだし、「大丈夫だよ」と私を気遣う気持ちが悔しくて。
 それほどまで頼りにされていないのかと思うと悔しくてたまらない。
 こんなに頑張っている彼に対して何もしてあげられない自分の無力さがとても悔しいと思う。
 そんな気持ちが一気に涙へと変わる。

「真田君だって柳君だっているのに…!
 もっと周りを見て、周りをもっと頼ってくれなきゃ私達何の為にいるのか解かんないよ!
 …私だって…いつも傍にいるのに…!!」
 忘れ物も取らずに、そう言って私は部室を走り去った。
 部室を出た直後、私を呼ぶ幸村君の声が聴こえたけれど私は振り返らなかった。

 …泣いた顔を、見られたくなかった…。
 彼の前ではいつも笑っていたかったのに。
 でもあんなに無理している彼を見て「頑張ってね」と笑って言えるほど私は強くない。
 暗い道を、涙をぬぐうこともしないで走った…。





 それからすぐ2、3日して関東大会が始まった。
 …始まって、すぐの事だった。

 幸村君が…入院する事になった。

 8月の…蒸し暑い日だった…。

 でも私は…彼に会いに行く事ができなかった。
 今の私は彼に会う資格がないと、そう思ったからだ。
 彼が入院すると、そう聞いた時に私は。
 とても、そうとても。

 安心したからだ。

 本心から、良かったと思った。

 部員の皆が戸惑いを隠せない中、私は一人冷静だった。
 心の中で一人、「入院して良かったね」とそう呟いた。
 病院なら…無理をすることなんて出来ないだろうから。
 部長の仕事も強制的にだけど、私達が受け持つ形となる。
 と、いうことは少なくとも幸村君の負担は事実減ることになるから。

 だけど、入院した幸村君の辛さなんて私はまるで解かっていなかった。
 私の勝手な…自己満足でしかなかった。

 だから…会いに今は行けない。
 どんな顔をして彼に会えばいいのだろう。
 彼の前で笑える自信がない…。



「明日、精市の見舞いに皆で行こうと思うんだが…予定は空いてるか?」
「え?」
 部活終了後、柳君がそう話しかけてきた。
「明日はちょっと…。
 幸村君によろしく伝えておいてくれる?」
「…精市はお前に会いたがっていると思うぞ。
 入院してから…お前見舞いに行っていないだろう?」
「…そのうち、ちゃんと行くよ」
 本心を感づかれないように笑ってそう答えた。

 …「会いたがっている」か…。
 私だって会いたいけど。
 幸村君の…あの笑顔を見たいけど…声を聴きたいけど。
 会いたがってくれているのはとても嬉しいけど。
 会うのが…とても怖い。
 あの笑顔を思い出すだけで今は心が痛む。

 けれど…ふとした時に彼の顔を思い出す。
 そんな時は急に彼に会いたくなって私の名前を呼ぶ声が聴きたくてたまらなくなる。
 泣きたくなるくらい優しい幸村君の笑顔が見たいと思う。

「幸村君…」
 何気なく名前を呼んでみる。
 今、あなたは何をしてる?
 何を考えて何を思っているのだろう。

 「会いたがっていると思うぞ」
 柳君が言った言葉を思い出す。
 本当に私に会いたいと少しでも思ってくれている…?

 幸村君なら…聴いてくれるかな。
 あなたに対しての私の懺悔を。
 ただあなたに謝りたい。
 一番近くにいたはずの私が一番あなたの事を解かっていなかった。
 あなたが感じていたはずの辛さを全く解かっていなかった事を。

 彼は一体どんな顔をするだろう。
 私に対して一体何を思うのだろう。
 いくら心配していたといっても「入院して良かった」なんて思ってはいけない事を思ってしまった事をせめて一言…謝りたい。

 私は明日――あなたに会いに行きます。





 ただ今時刻は午後4時を回ったところ。
 レギュラーの皆と鉢合わせにならないようにしたのはいいとして…。
 いざとなるとやっぱ緊張するなぁ。
 実際、病室の前に来てすでに15分は経過してたりする。

 …でもっここでこうしていたって何も始まらない。
 深く、1つ深呼吸をして落ち着いて。
 病室のドアを叩こうとした時。

?」
 後ろで声がして振り返ると。
「幸…村君…」
 え…? 何で…? どうしてそこにいるの?
「来てくれていたんだね」
「え、あ…うん、まぁ…」
「つい先程まで真田達も来ていてね。
 天気がいいから屋上で話をしていたんだ」

 あ…なんだ、そういう事か…。
 でもあぶなかった…。
 もう少し早く来ていたら鉢合わせになるところだった。

「こんなところで立ち話も何だから外にでも行こうか?」
「その…できれば二人きりで話がしたいの。
 幸村君に言わなくちゃいけない事があるから…」
 いつもと変わらない笑顔で話しかけてくる幸村君から顔をそむける。
 やだな…ちゃんと顔さえも見れないなんて情けないな。

「フフ…何だい、改まって。
 なんか怖いな」
「…そう」
「…それじゃあ病室でいいかい?」
「あ、うん」

 病室に入って幸村君はベッドに腰を落ち着けた。
「で、何だい? 話っていうのは」
「…幸村君…調子はどう?」
「何とか今のところは大丈夫。
 いくら俺でもそんなやわにできていないさ」
「そう…よかった…」
 小さく笑って、1つ安堵の息をはく。

 話の本題はこれからだ。
 ああ、手が汗ばみ心臓が高鳴る。
 自分から何か話をするのに逃げ出したいほどこんなに怖いと思ったのは初めてだ。
 話が終わった後、あなたは一体どんな答えを出すのだろうか…。

「…ごめん…なさい…」
…?」
 優しく私の名前を呼ぶ声がする。
「本当に…ごめんなさい…っ。
 ごめん…っ」
「どうした、?」

 私の傍に駆け寄ってきて私の頬にそっとあたたかい手が触れる。
 …お願い、やめて…そんな風に優しくしないで…。
 いつも優しいその仕草が嬉しくて、でも今は心が痛くて…涙が出てくる。
「…ふ…」
 あふれてきた涙が止まらず頬をつたう。
 いきなり泣き出した私に何も聞かないで、優しく抱きしめてくれた。
 小さな子供にするように頭をなでてくれる。
 少し消毒薬の匂いがするけど、抱きしめてくれるあたたかさはいつもと変わらない事に安心してしまう。

「…落ち着いたかい?」
「…うん…」
「じゃあ、解かるように話してくれるね?」
「……」
 幸村君の胸に頭を預けて私はポツリポツリと話し出す。

「…入院して…今一番辛いのは…幸村君なんだよね…。
 恐怖と闘って頑張っているのは…幸村君で…」
 そうだよ、いつも頑張っていた。
 私が自分勝手な事を言ったあの日だって最後まで一人残って。
 辛くないはずがないのに。
 皆、全国へ向けて戦っているのにそれを見ている事しかできない自分。
 たとえ部活に出たとしてもテニスをする事すらままならないもどかしさ。
 そんな当たり前の事…私解かっているつもりだったのに、何も解かってなかったなんて…!

「それなのに私…幸村君が入院したって聴いた時…。
 すごく…安心した…。
 入院して良かったって…心からそう思ったんだ…」
 頑張っているあなたに対して残酷な事を思った。
 たとえそれが一瞬だったとしても思ってはいけない事だったのに…。

「………」
 幸村君はまだ私を抱きしめてはいてくれるけど、何も言わないで話を聴いていた。
 一体何を思っているんだろう…?
 …ねぇ、怒ってる?
 それとも呆れてるかな。

「入院すれば無理なんてしなくてもいいって…ゆっくり休めるんじゃないかって…。
 でも…そんな簡単な事じゃないんだよね…」
「……俺は」
「だからっごめんなさいっ!」
 幸村君が口を開いたけれど言葉の続きを聞くのが怖くて言葉をムリヤリ遮った。
 ゆっくりと幸村君から離れて。

「あの日も…勝手な事ばかり言って…ごめんね。
 何も解かってなかったのは…私なんだよね…」
 一度は止まったかと思った涙がまたあふれてくる。
「私…ヒドイ奴だよね…」
 ふふ、と乾いた笑いがもれて涙が2、3滴床に落ちた。
「……」
 ふぅ…と上からため息が聴こえた。
 その瞬間、さっきよりも強い力で抱きしめられた。

「え? …何?
 ちょっと…幸村君…?」
「…ありがとう」
 …私、何でお礼なんて言われているんだろう。
 怒ったりするならまだ解かるんだけど…。

「…何でありがとうなの…?」
「入院して安心したほど…心配してくれてたって事だろう?
 だから、ありがとう」
「……」

 それが…答え…?
 私みたいに「ごめん」じゃなく「ありがとう」と言ってくれた、それが答えだと思っていいの?
 「ありがとう」なんて…幸村君には敵わないや。

「最近…が心配そうな顔をしているから、そんな顔をさせないように大丈夫だと言っていたんだが…逆効果だったかな」
「……そうだよ」
「フフ、そうか。それはすまなかったな。
 …ところで
「はい?」

 そう言って反射的に顔を上に向けたら軽いキスが1つ、降ってきた。
「もう泣き止んだみたいだね」
「…なんでいきなりこういう事するかな…」
「キス嫌いじゃないだろう?」
「…そんな事聞いてないよ…」

 ぶつぶつ文句を言う私を見て幸村君はおかしそうにくすくすと笑う。
 そして真正面に向き合って。
 いつもの笑顔を浮かべてこう言ってきた。

「…解かっているよ、
 俺の傍にはいつもがいることはちゃんと解かっているから」
「…そっか…」
 そっか…何だ、ちゃんと解かっていたんだ…。
 こんな風に何気なく気持ちを察してくれる事が嬉しくて思わず笑みがこぼれる。

 幸村君が私の額にちゅ、とキスをした。
「…何?」
「いや、やっと笑ってくれたと思ってね」

 額に続いて瞼、頬と軽くキスをして幸村君の手が頬にかけられて深く口付ける。
 いつものような優しいキスじゃなくて少し強引な、激しいキス。
 キスをされている当人の私はというと「ここ病院なのに」と少しズレた事なんか思っていたりした。

 舌を入れられて絡めて、さらに深く口付ける。
 頭のシンがぼうっとしてきて思考がうまく働かなくなってくる。
 すごく…気持ちがいい…。

 キスって一種の麻薬みたいなものだってよく聞くけど…本当その通りだったんだ…。
 唇を重ね合ってるだけなのに気持ちいいし、何もかもどうでもよくなるくらい心地良い。

 唇を離すと同時に甘ったるい吐息がもれる。
 幸村君の胸に頭をぽすっと預けて乱れた息を整える。
 大きい背中に手を回して。

「あのね…学校の中でも部活がある日のコートでも幸村君の姿がないのはやっぱり…淋しいよ。
 だから早く戻ってきて。
 それまで…絶対に負けないで待ってるから」
「…そうだな…努力するよ」





END 04.3.15





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