もし俺が、俺の心が何かに、もしくは誰かに染まるとしたら。
君に染まってみたい。

そうしたら、世界が綺麗に見えると思わない?





  君色に染まれ





彼女との出会いは、ハッキリ言っていい思い出じゃない。
青学に偵察に行った時に、不運なことにボールを頭に当てられて気絶してしまったという、何とも思い出したくない過去だ。
気が付いたときに、お互い自己紹介をして――。
そんな、ささいな出会いだったのに。



「あ〜、暇だなぁ…。何か面白いことないかな…」

急に与えられた部活の休みに、特別する事もなく、オープンカフェでいつものように可愛い子ウォッチングをしていたら、何だか見覚えのある子が目に入った。
――あの子は確か、青学の…。

「そこの三つ編みの可愛い彼女。
よかったら、俺と一緒にお茶でもしない?」
「え…。あ、千石…さん?」
「こんにちは、桜乃ちゃん。こんな所で偶然だね〜。桜乃ちゃん一人?」
「あ、はい。本当は朋ちゃんと買い物行くはずだったんですけど、急に用が出来ちゃったみたいで…」

そうなんだ、と相槌を打つ。
はにかみながら小さく笑う彼女を何となく見つめた。

ほんのこの間までまだ小学生だった桜乃ちゃん。
だけど、そう小さく笑う彼女が綺麗だと思った。
外見ももちろん可愛いけど、『綺麗』っていうのはどこがっていうんじゃなくて…存在的にって感じ。
何だかずっと見ていたいような、傍にいて守ってやりたいような、そんな不思議な気持ちにさせる子だ。

――そんな風に感じた時点で、俺はもう落ちていたのだろう。


ここで会ったのも、何かの縁かもしれない。
こんな可愛い子と休日を過ごせるなら、言う事無しだ。ラッキー。

「実はさ、俺も一人なんだ。急に部活が休みになっちゃってさ。
桜乃ちゃん、これから時間ある?」
「はい、大丈夫ですけど…」
「よかった〜。じゃあさ、奢るからお昼付き合ってくれないかな」
「えぇっ!?そ、そんな悪いですっ!」

慌てて手をぶんぶん振りながら断る桜乃ちゃんに、にこっと笑いかけながら諦めずに誘う。

「そんな、悪いなんて思わないでよ。
お互い一人なんだし、ご飯だって一人で食べてもおいしくないし。ねっ?」
「…はい」

そしてまた、小さく笑う。
彼女の笑顔を見ると、こっちも自然と笑顔が零れ、何だか暖かい気持ちになる。
すごく純粋で、本当にいい子なんだろうな。

――だから俺には少し、綺麗すぎるのかもしれない。

「…千石さん?どうしたんですか?」

桜乃ちゃんの言葉でハッと我に返る。
急に無口になった俺を、心配そうに見上げる。
何でもないよ、と軽く笑ってみせて、桜乃ちゃんの頭を軽くポンポンと叩く。


それから、こじんまりとしたファミレスに入る。
このファミレスはたまに部活が終わったあとに南や皆とよく寄る店で、アットホームな雰囲気が俺はとても気に入ってる。
適当に席に着き、何気ない会話をする。

「そういえば、桜乃ちゃんって確か越前君と仲良いよね?
都大会で残念ながら俺は試合できなかったけど、やっぱ彼すごいの?」
「はい。先輩達と試合する時でも、全くプレッシャーなんて感じていないみたいで。それどころか楽しそうで」
「…へぇ、そうなんだ」

越前君の存在は他のレギュラーにとってもいい刺激になってるんだろうな。
まさか都大会で青学に負けるなんて、思ってもみなかった。
昨年大石君に勝った地味’Sだって健在だったし、亜久津だっていたし。
甘く見てたな…。

桜乃ちゃんは越前君のことをまるで自分の事のように嬉しそうに楽しそうに話した。
本当に良い笑顔で話すのに、それにちょっとしたイラ立ちを感じた。
越前君の名前を出すだけで、桜乃ちゃんの良い笑顔を引き出せ、そしてここまで桜乃ちゃんの心を占める越前君を…とても羨ましいと思った。
そういえば、よく桜乃ちゃんと一緒にいる子…『朋ちゃん』だっけ?あの子は越前君のことが好きなんだよね。見ててバレバレだけど。

――桜乃ちゃんも、そうなんだろうか…。


その笑顔を俺だけに向けてくれたら…。
俺が君の横にいることを許されたなら…。

君の傍にいれば、俺も君のように少しでも綺麗になれるだろうか…。
君の綺麗な眼に映る世界は、一体どんな風に見えているのだろう。

――知りたいと思った。
ただ、純粋に。

君の全てを――知りたいと思ったんだ。


運ばれてきた料理を食べながらも、会話が続いた。

「桜乃ちゃんも部活はテニス部でしょ?どう?調子のほうは」
「最近はフォームが少し良くなってきたくらいで…。でもまだまだ全然です」
「練習をちゃんとやれば大丈夫だよ。焦らないで、その内上手くなるよ」
「はい、頑張ります」

はにかんで微笑むように小さく笑うのは癖なんだろうな。
そんな仕草が多いのに気が付いた。
でもそんな純粋で計算のない笑顔が可愛かった。
その笑顔を見る度にどこか救われたような、暖かい気持ちになるのは…ただの幻想なのだろうか?


「あの…本当に奢ってもらっちゃっていいんですか?」
「いいって、誘ったのは俺なんだしさ。奢ってもらってラッキーくらいに思ってればいいよ。ね?」
「…はい、ありがとうございます」

…ああ、またあの笑顔だ。
その眩しい笑顔に目を細めた。

「あの子、千石君の彼女?」
「へっ?」

会計のときに、もうすでに顔見知りとなった店員のお姉さんがイタズラっぽく訊いてきた。
俺は思わずすっとんきょうな声を上げた。
彼女…?周りから見たらそう見えるんだ…。
やばい、かなり嬉しいかもしんない。
でも…そんなんじゃないんだ。

「あは、残念ながらあの子は違うよ」
「そうなの?それにしては随分楽しそうだったけど」
「そうかな」
「そうだよ、今まで見たことないくらいにね。好きだってバレバレよ?
…いい子そうじゃない。大事にしなさいよ」
「だから違うのに」

むすっとしてそう答えると、くすくすとお姉さんはおかしそうに笑う。

『好きだってバレバレよ』…かぁ。
そうだよ、俺だって自分の気持ちにそんなに鈍感じゃないよ。
桜乃ちゃんに対する気持ちはもう解かってる。

好きだって告白して、もしもの話、桜乃ちゃんがOKしてくれたら嬉しいよ。
彼氏彼女になって、普通に恋愛すれば楽しいだろうけどさ。

だけど…桜乃ちゃんは俺には…綺麗すぎるんだ。
そう思っていても、欲しいと思う。桜乃ちゃんが。
情けないほどに、人間の欲って尽きる事がないもんだ。

「…ちょっと千石君、あれ…」

お姉さんが顔をしかめた視線の先に目をやると…いかにもガラの悪い二人組みがニヤニヤしながら桜乃ちゃんに絡んでいるのが見えた。
桜乃ちゃんは怯えて、泣きそうな顔してオロオロしてるのが見てとれた。

「なに…やってんだよ…っ」

俺は慌てて店を飛び出した。一人になんかするんじゃなかった!
桜乃ちゃんの肩に置かれた手を後ろからグイッと掴み、すばやく桜乃ちゃんの前に出て、男二人をキッと睨んだ。

「――彼女に乱暴すんのやめてくれる?…それともこの子に何か用?」
「あ…千石さん…」

後ろからは、ほっとした桜乃ちゃんの声。
そんな桜乃ちゃんに「大丈夫?」とにっこり微笑む。
ナンパ男たちは、邪魔されたのが気に入らないんだろう、「何だテメェ…」とあからさまに不機嫌を声に出した。
俺よりも頭1つ違う身長の高い奴等に怯みもしないで、再び男二人を睨みつけて、いつもより低い声で言った。

「あのさぁ、…彼氏の許可無しでちょっかい出さないでくれる?そういうのすっごい不愉快」

そう吐き捨てるように言うと、「行くよ桜乃ちゃん」と桜乃ちゃんの手を掴んで、大股で歩きながらその場を離れる。
中々ないせっかくの休日に桜乃ちゃんと会えて、ラッキーと思ってたのにさ。
あのナンパ男の所為で台無しだよ!
…『彼氏の許可無しに』なんて、調子に乗りすぎだよ、自分…。

「あ…のっ、千…石さん…っ。ちょっと、待って…。速い…っ」
「あ…ごめん」

俺の歩く大股の速度は桜乃ちゃんにとっては速かったらしく、桜乃ちゃんはハァハァと息を切らしてる。
丁度良く、すぐ近くに公園があったので、そこのベンチで休むことにした。

「ごめんね。大丈夫?」
「はい…あ、すみません。ありがとうございます」
「いーって」

桜乃ちゃんに缶ジュースを渡して、横に俺も腰を落ち着けて、自分の分の缶ジュースを開ける。
何となく会話も途切れ、二人の間に沈黙が流れる。
いつも女の子といるとき、俺はどんな風に話してた…?何を話題にしてた…?沈黙が流れるなんてことはなかったのに。
女の子達が喜ぶような事や話題は熟知してると思ってたのに、何てことはない、そんな事は本気になった子には何にも役に立たない。
他の子達に言ったような安っぽい言葉なんて、桜乃ちゃんには言いたくない。
そんな事を思っていたら、「あの、千石さん」と桜乃ちゃんが口を開いた。

「ん?」
「…大丈夫ですか?」
「え?どうして?」

俺は桜乃ちゃんの言ってる「大丈夫」の意味が解からなくて、思わずキョトンとした。
桜乃ちゃんは本当に心配してるような顔をして、俺の顔を覗き込む状態で。

「だって…何か辛そうに見えて…」
「そうかな?」

へへっと笑って見せても、桜乃ちゃんの顔から心配そうな表情は消えない。

『そんな顔しないで』と普段なら言うんだろうなぁ。
でも、今は…俺の為にこんなにも桜乃ちゃんが心配してくれてるのが嬉しくて。

やっぱり…好きだなぁ…。可愛くて愛しくてたまらない。
君の傍にいると、飾りのない俺でいることができるんだ。
まだほんの数回しか会ったことがないけれど、二人きりで会ってるのもこれが初めてだけど。
君といる時の、穏やかな空気が大好きで…。
君といる時には、君だけに染まれる。


「桜乃ちゃん、俺はね、君が思ってるようなイイ人じゃないんだよ」
「千石さん…?」

いきなりの話題の展開に、今度は桜乃ちゃんがキョトンとした。
頭を垂らして情けなく笑って、俺は続けた。

「こんな髪の色で人目を引くしテニスも少し上手くて…。いつの間にか山吹中のエース!なんて言われてさ。女の子からもちょくちょく告白とかされるようになってね。
嬉しくて、調子に乗っちゃって、好きでもないのに色んな子と付き合ったんだ。それこそ『来るもの拒まず』ってやつ…。それで…」
「…もう、いいです」

俺の話を桜乃ちゃんが遮った。
…怒ったのかな。裏切られたと思っているのかな。
そんな桜乃ちゃんの顔を見るのが怖くて、顔が上げられない。
次に桜乃ちゃんが言った言葉は俺の予想とは違ったものだった。
消え入りそうな声で桜乃ちゃんは話し始めた。

「もう、いいです。そんな辛そうな声になるくらい千石さんにとって辛い話なら、無理して話さないで下さい…」
「桜乃ちゃん」

思わず顔を上げて見た彼女の顔は何故だか今にも泣き出しそうな…そんな顔をしていた。
そんな顔をさせているのは間違いなく自分なのに、こんな話を聞いても俺のためにそんな顔をしてくれてるのが、不謹慎にも嬉しいと思ってしまった。
…怒ってはいないのかな?まだ、俺のこと信じてくれるのかな?
少しでも可能性があるなら。

――だから君に伝えたい事があるんだ。

一回り以上小さい桜乃ちゃんの身体を引き寄せて、優しく抱きしめた。

「あっ、あのっ…ちょっ、千石さんっ!?あのっ…」
「ごめん、桜乃ちゃん、もう少しこうさせて。
このまま少し俺の話を聞いて?これから俺が言う事は、絶対に嘘偽りない本当だから」
「…はい」

君に伝えたい事。
君に聴いて欲しい事。
君だけに向けられる、俺の本当の気持ち。
信じてくれなくても、後悔なんてしないようにしたいんだ。
受け入られない事は辛い事だけど、言わなきゃよかったなんてそんな惨めな後悔は絶対したくない。

…正直言うとちょっと怖い。手が汗ばんでくる。
でも、どんな最低な俺でも君には知っていて欲しいと思う。君の前では偽りの自分でいたくないから。
俺は1つ、大きく深呼吸をして。

「さっき言ったことは本当でね…そんなことばっかりしてたもんだから真剣に誰かを好きになったこともなくて。
でも…聞いて?」
「はい…?」
「…君の事が――好きなんだ。本当に…大好きなんだ」
「……えぇっ!?」

好きな気持ちを伝える言葉は意外と少ないもんだと思う。
俺の告白のあと、桜乃ちゃんは少し間を空けていつもの声よりも高い声を出してびっくりした。

「あのっ、千石さん…」
「信じられないかな…。でも本当なんだよ。
信じてくれなくてもいいよ。…それでも君に好きだってことを伝えたかったんだ。まだ数回しか会った事もないし、二人きりになったのもこれが初めてだしね。でも君の笑った顔が忘れられなかったんだ」
「…私、信じます」
「…え?」
「だって本当の事だって千石さんが言ったんじゃないですか。他の人が信じなくても、私は信じますよ」

君の言葉、1つ1つが心に染みる。
君の言葉だから俺は素直に信じられる。
君がこんな俺の言ったことを信じてくれた事がこんなにも嬉しい。

身体を離したら、告白されたことなのにか、かすかに頬を赤くしていた。
そんな可愛らしい顔を真っ直ぐに俺に向けて。

「私、千石さんの笑った顔大好きです!お日様みたいにあったかくて落ち込んでいても千石さんの笑った顔を思い出すだけで元気になれるくらい」

桜乃ちゃんはいつものあのはにかんだ笑顔でそう言った。俺の大好きなあの笑顔で。
目尻が熱くなるのを感じた。
また桜乃ちゃんを抱きしめた。今度は少しだけ力を込めて。桜乃ちゃんの肩に顔を埋めて。
…泣いた顔を見られないように。

「ありがとう…桜乃ちゃん。ありがとう」
「千石さん…?」

小さく俺の名を呼ぶ桜乃ちゃんの声に心地良さを感じて、俺は何年ぶりになるだろう、涙を流した。
俺の笑った顔が好きだと言ってくれた。何だかそれだけでもう充分のような気がした。
人から好きと言われることがこんなにも嬉しいなんて知らなかった。
今までの彼女達に軽々しく「好きだよ」なんて言ってた自分が恥ずかしい。

「桜乃ちゃん…俺、君の傍にいてもいいかな?」
「えっと、あの…待っててくれるなら…」
「待つって?」
「私きっと千石さんのこと好きになれると思うんです。でもまだ自信もってはっきり好きって言えなくて…。だからそれまで待っててもらえますか?」
「………」

今の俺には充分すぎる桜乃ちゃんの答え。
嬉しさに混乱して半分信じられなくて、一瞬時が止まってしまった。
そんな俺の様子に不安に思ったのか、か細い声で「ダメ…ですか?」という桜乃ちゃんに俺は慌ててぶんぶんと顔を振った。

「そっそんな訳ないよ!ダメじゃないよ!!…俺待ってる。待ってるよ、ずっと」
「はい…!」

不安げに上目遣いで俺を見てた桜乃ちゃんは、花が綻ぶように笑った。

優しい君の傍にいられるなら、何だか自分も優しくなれる気がするんだ、きっと。
過去の俺を君が許してくれるなら、俺はその時の自分を受け入られるような気がするんだ。


君がそこにいるだけで、世界が違って見える。何もかもが輝いて見えるんだ。
それはきっと、俺の全てが君色に染まっている証拠なんだ。
それがとても心地いいどころか、それさえが幸せなんだと思う。


これからはきっと君と同じ世界で共に歩いて行けることは。
何て贅沢で、幸せなんだろう――。





END 05.4.17





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