より一層鮮やかに宝石のように輝いて見えるのは、手に入らないと知っているからなのだろうか――?





  僕の心から君が消えるまで





ザワザワと毎日変わらない教室の喧騒。
忍足の視線の先にはいつも同じ少女がいる。
名は、氷帝学園男子テニス部のマネージャーである。友達と雑談をし、笑う彼女をただ黙って忍足は見つめる。
手を伸ばせば届き触れられる距離なのに、そうする事さえ許されない想い人。
いっその事、奪えればいいのにと思う。君が誰かのものじゃなかったら、すぐにそうしたのに。
君がこんなにも鮮やかに見えるのは、決して自分のものにはならないという事を思い知ってるからなのか――。


目を閉じて、忍足は彼女と初めて会った時を思い出す。
二年生になると同時に転入する事になっていた忍足は、春休み最終日にも関わらず猛練習をしているテニス部の見学に訪れた。
とりあえず、当時の部長に挨拶をし終えた後、誰かにこのだだっ広い学校を案内してもらおうと思ったのに。しかし部長が練習中に不在になるわけにもいかず、かといってすでにレギュラーになっていた跡部は練習でそんな暇はなかった。同学年の連中は、そんな跡部に続けと練習に集中していたし。
それで仕事が一段落したが、設備案内、ついでに学校の案内をすることになった。
忍足がと初めて会ったのはその時だった。
物腰が柔らかいわりに、意外とバッサリとした性格。顔は可愛い方なのだろうが、飛びぬけて美人という訳ではない。しかし話しているだけで、その場を和ませる独特の雰囲気に、忍足は好感を感じた。

そしてそれは今でも変わることは無い。
見ているだけでも気持ちが安らいでいくのを感じる。それが忍足がに対して好意を持っているからなのだろうが。


「ゆーしーっ!数学のノート貸して!」

忍足はハッとする。そんな友人の声で、思い出の中から現実に引き戻された。

「…何や、岳人か。ほら。」
「何だとは失礼な!何ボーっとしてたんだよ…って、か。また見てたのか?」
「見とるだけならええやん、別に」

忍足が差し出した数学のノートを受け取りながら、そりゃそうだけどさ、と岳人は小さく呟いた。

「…なぁ侑士。いっそのこと告っちゃえば?それで断られれば、きっぱり諦められるかもよ?」
「…そないな事しても、あの子を困らせるだけや」
「…………」

そして忍足はまたに視線を戻す。
薄く笑ってそんな事を言う忍足に、岳人は何も言えなかった。自分の事よりも、の事を一番に考えてるのがよく解った。
いつもは何を考えて何を見てるのかよく解らないところもあって、飄々としているのに。
そんな忍足がここまで変わるなんて。人が人に対する想いはここまで強いものなのか。

きっと本気になる事がないから、一度本気になると中々諦める事ができないんだ。
その忍足の表情に岳人は何故か自分のほうが切ない思いになって、心の中でそんな事を思った。


その日は練習に身が入らず、忍足は珍しく最後まで残って自主練をした。外はもう真っ暗で、こんなになるまで練習をしたのは久しぶりだった。
部室には明かりが点いていて、ドアを開けると、そこには見慣れた顔があった。

「よお、忍足か。お前が自主練とは明日は雨でも降るかもな」
「……うっさいわ。天才も楽やないねん」

(よりによって跡部かい…)
今一番会いたくない相手だと、忍足は小さく溜め息をつくと、跡部がフッと笑った音が聴こえた。
そのどこか意味ありげな笑いに、忍足は思わず後ろを振り向いて跡部を見た。
その笑いは明らかに自分に向けられていた。まあ、そこには忍足と跡部の二人しかいないのだが。

「……何やねん。何や言いたい事でもあるんか?」
「お前さぁ…俺が気づいてないとでも思ってんのか?」

忍足を小バカにしたような、そんな跡部の態度にムッとして、普段よりも低い声で忍足はキッと跡部を睨む。そんな忍足の視線も跡部は軽くかわし、笑いを含んだ表情も変わらない。逆に忍足をその視線で捕らえる。忍足はその跡部からの視線から逃れる事が出来ず、ただ目の前の跡部を睨み続ける事しか出来ない。

「…………」
に対するお前の気持ちだよ。お前が誰を好きになろうが知ったこっちゃねえ…が、だけは話は別だ」

跡部は笑いを引っ込めて、忍足の方へスタスタと近づいてくる。そして忍足の制服の胸倉を乱暴に掴んで、顔を自分の方へと引き寄せた。真剣な表情で、誰よりも強い意志を持ったその眼差しで跡部は言った。

「いいか忍足」
「…………」
「…いらねぇちょっかい出すんじゃねえよ。あいつは…は俺の女だ」
「……ッ!」

跡部はまた乱暴に忍足の胸倉をバッと離す。忍足はその跡部の言葉に息を飲む。
お前が何を犠牲にしようと、何をしても無駄なんだよ、とその視線が物語っていた。たとえ相手が誰であっても、譲る気はさらさらない。大切なものを守ろうとする者の意志は何よりも強いものだ。
忍足にはその跡部に対抗できる術なんて何もなかった。何も言い返す事が出来ない。跡部の言ってることは、全て正論なのだ。
もし、と跡部が付き合っていなかったら、何か言い返す事が出来たかもしれない。もし、の気持ちが跡部になかったら―?もし、跡部と出会う前に俺と出会っていたら――?
だけど、『もし』なんて事は、今の時点ではすでに時遅しだった。忍足には、二人を引き離す事なんて出来るはずもなかった。

も知ってるぜ」

現実に打ちのめされてる忍足に構わずに、跡部は淡々と続ける。

「お前の気持ち――も知ってる」
「……ッ!!ちょ…え!?なっ…なんでや。……っ!お前っ…まさか何か……」

今度は忍足が動揺しながら跡部の胸倉を掴んだ。その切迫したような忍足にされるがままになりながら、跡部は落ちついた声で答える。

「…俺は何も言ってねえよ。が俺に何か言ったわけでもねえ。ただ、部活中に限らずにいつもあんな視線送っていたら誰でも解かるだろ。…隠し切れてねえんだよ、お前」
「うわ……マジで…。最…悪や……」

力なく跡部の胸倉をスッと離す。
目の前が真っ暗になった。一番知られたくない気持ちを本人が知っていただなんて。

の為に言わせてもらう。…早く諦めた方がいい。…じゃないと、が傷つくだけだ。あいつは気持ちを受け入れられなかった時の辛さを知ってるからな」

そんな事言われなくても百も承知なのに。この気持ちを受け入れてもらえなくても告げるだけでいいとか、そんな事はただの自己満足なのだ。楽になるのは自分だけで、きっと彼女はその気持ちを受け入れない事に対して、少なからず辛い思いをするだろう。
だから、見てるだけでいいと思った。知られてはいけない事だったのに――。

「跡部も本気なんやな…。けど俺かて本気なんや」
「……だから何だ。さっき言った事を聴いていなかったのか。それとももっとハッキリ言わねえと解からねえのか?」
「…………」
はお前を好きにはならない。俺がそうさせない……絶対に、だ」

跡部はそう言って部室の鍵をテーブルに置いて、その場を後にした。
忍足のちょっとした強がりも何も効果がなかった。あんな事を言っても、何かが変わるわけでもないのは解かっていたのに。忍足はもう何も言う事が出来なかった。その場に座り込み、自分のしでかした失態に後悔するばかり。

気持ちを告げる前に失恋をした。
彼女が跡部と付き合ってるという事を知ったときに、ああそうかと思った。彼女のあの輝きは跡部が傍にいるからなんだと、納得に似たような気持ちになった。
そして、この気持ちは告げないでいようと、今改めて決めた。告げたって彼女を困らせるだけで、輝きを曇らせてしまうなら…ならば…この気持ちを押さえてみせる。


「……くん?…忍足君っ!」
「……え?うわっ!」

次の日、憎らしいほどの晴天にうとうとしかけていた頭を覚醒に導いたのは、忍足の秘密の想い人だ。
は忍足の明らかに不自然な態度に首を傾げながら、今日の部活のオーダー表を渡してきた。今日の部活の内容は、月に一回のレギュラー紅白戦だ。

「じゃあ頑張ってね」
「ちょっと、ええ?」
「え…?うん、何?」

用事を伝え終え、その場から去っていこうとするを忍足は引き止めた。は不思議そうに足を止めて、静かに忍足の言葉を待つ。
教室の中、周りの喧騒にかき消されるほどの小さな声で、でもの耳にはしっかりと聴こえる位の、そんな微妙な声の大きさで忍足はゆっくりと伝えた。

「待っとって?」
「え?何を……?」
「もう少しやから…待っとってな」

忍足はそれだけを伝えて、「これ、ありがとな」と笑ってオーダー表をひらひらと振った。
(もう少し……か。一体いつになるんやろな…)
自分の言った言葉に思わず目を伏せて、に気づかれないようにフッと自嘲的な笑みを零した。
『もう少しで忘れてみせるから…待っとって』
そう言いたかったのを彼女は解かってくれただろうか?


手に入らないからこそ、鮮やかに輝いて見える宝石。
まさか手に入らない事がこんなにも悔しいなんて知らなかった。その輝きをもっと光らせる役目が自分だったら良かったのに。
これから彼女はもっと綺麗に輝いていくんだろう。その輝きに目を細めながら、俺は祈るしかない。
その輝きが、いつか俺の目には輝いて見えなくなる日が来ることを。
だけど、もう少しだけ自分の気持ちに正直に君を見つめていたい。
この想いが風化するまで、もう少しだけ。

いつか、君が僕の心から消えてくれるまで――。





END 07.1.17





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