別れを告げた時があった。
一度、貴女に。
貴女にはいつも、綺麗でいてほしかったから。
汚れた私の手で、貴女を抱く事は出来ない…。





  汚れた自分を癒す、綺麗な…





私は一度、人を殺めた事がある。
この職に就いて、初めての仕事だった。

私の不注意で犯人と接触した時に私に銃口が向けられた時、咄嗟に持っていた銃の引き金を引いた。

私の銃弾は犯人に命中し、犯人は死亡―。

その事件はそれで幕を閉じた。
私の犯人に対しての行為は、正当防衛として表沙汰にされることはなかった。

正当防衛だろうが何だろうが、人の命を奪った事は変えようのない事実。

それをきっかけに、私は人前に姿を見せないようになった。
仕事の依頼が来ても、私は表に姿を見せる事はしなかった。
自分のこの手でまた誰かを殺めてしまうかもしれない。
そう思うと、震えが止まらぬ日もあった。


あの事件から数年が経ち、私は何人もの犯人を死刑台に送ってきた。
迷宮入りと言われた事件も解決してきた。

だが、最近ふと思うことがある。

仕事とはいえ私は犯人を死刑台に送らなければいけない。
私が死刑台に送る…という事は、相手が犯罪者でも私は人を殺めているという事になるのではないだろうか、と。
直接、手を下さずともだ。

――ああ、私の手はこんなにも血で汚れていたのだ。

何故、そんな事に今頃になって気が付いたんだろうか。
何故、もっと早く気が付かなかったのだろう…。

もっと早く解かっていれば、こんな汚れた手で貴女を抱く事はしなかったというのに。
私が貴女に触れ貴女を抱くと、綺麗な貴女まで汚してしまう。

私の血で汚れた手は、綺麗な貴女を抱くのにはふさわしくない。そんな手で貴女を抱くのはあんまりだろう。
私に残された、ただ一つの綺麗な貴女。

だから、貴女に別れを告げたのだ。

『貴女とこれ以上共にいる訳にはいかない』と。

それを聴いた貴女は一瞬目を丸くして、驚いた表情で私を見た。
そしてすぐにいつもの落ち着いた表情に戻って。

『どうしたの、急に。…理由を聴かせて』

そう言って、いつものまっすぐな瞳で私をジッと見つめた。
穏やかに笑ってはいるが、有無を言わせない強い眼差しで。
そんな瞳で見られては、理由を言わないわけにはいかなくて。

貴女には、いつも綺麗な存在でいてほしいのだと。
私の汚れた手で貴女に触ることは出来ないと。
私が貴女に触り、汚れていく貴女を見たくないのだと。

貴女は何も言わず、私を見つめ静かに私の話を聴いていた。
話終わった時、小さい溜め息が聴こえた。

『そんな理由で納得しろっていうの?私の貴方に対する想いは、そんな簡単なものじゃないわ』

先程の穏やかな笑みはなく、少し怒った中に悲しみの眼をして。
だが、それでもまっすぐな強い眼差しは変わらない。
そして、貴女はこう言った。

『私はLと一緒なら、汚れる事も地獄に落ちる事さえも本望だわ』と、何の迷いもなくそうキッパリと言い放った。
地獄に落ちる事も私と一緒ならば、それすらも望むと言う貴女。
それ程の想いなのだと、甘く見ないでと言う貴女。

貴女の言う一言一言が、貴女の力強い声が別れを決めた私の心を揺さぶる。
貴女は私の手を取って、ギュッと握った。

『たとえどんなに汚れてこの手が血で染まったとしても、洗い流せるわ。私達はそうして生きていくの。…そうでしょう?』

そして私は貴女にこう言ったのを覚えている。

『私は…ある意味人殺しなんですよ?』
『違うわ、貴方は正義よ。貴方が犯人を捕まえて犯人を死刑台に送った事で、貴方に救われた人は沢山いるわ』

その質問はすぐに否定された。
別れを決意したはずなのに、こんなにも強い貴女の想いと私を信じてくれる心が嬉しいと思うなんて。

『汚れていたって、私はこの手がとても大好きよ。…Lの事がとても愛しいわ』

ああ、何故貴女はそんな事を言ってくれるのだろうか。
貴女のそんな言葉に泣きそうになった事は今までに何度あっただろうか。
この想いをとても言葉には出来そうに無く、貴女を強く強く抱きしめた。

貴女から離れるという、私の決意。
今は何故あんな事を思ったのだろうと、理解に苦しむ。
私が貴女から離れる事なんて出来るはずがないのに。

そうなんだ、出来るはずが無い。

自分と共に汚れていって欲しいとそんな思いも確かにあったのだ。
自分だけが汚れていくことに、耐えられなくて。

私の腕の中で貴女はこう言った。

『Lが望むのなら、私は綺麗でいるわ。貴女の手が血で汚れているなら、私がその血を洗い流すから』

そう言った貴女の言葉は今も大きな希望と救い。
今、思い返せば貴女の言葉に救われた事は数え切れないくらいだ。
そんな希望や救いをくれる貴女を私は自分から失おうとしていたのだ。

『それでも私、Lから離れたほうがいい?Lがそうしてほしいって言うなら…』
『いいえっ。…前言撤回させてもらいます…』

私の少し慌てた態度に貴女は小さく、ふふっと笑って『冗談よ、L』と子供っぽい笑みを浮かべたのを覚えている。
それが冗談で心底良かったと思った。
…自分から別れを切り出したくせに、それを思いっきり否定してくれたことに安心してただ、どれほど自分の心を偽っていたかその時思い知らされたんだ。



そんな出来事からまた少しの年月が経ち、ふと何気なく思い出す。
そんな事もあったかと笑いを零す。
貴女は私を覗き込んで、不思議そうな顔をした。

「なあに、L。なんか楽しそうね」
「いいえ、ただあの時貴女と別れなくて良かったと思いまして」
「ああ、あの時。…内心ヒヤヒヤで、実は少し動転してたわ」

『冷静を保つのに、必死だったのよ』と拗ねて言う貴女に、キスを交わす。
赤くなった貴女を見つめて、『申し訳ありません』と笑う。

「そうすれば何でも許すと思ってるんだ…?」
「…足りませんか?」
「キス一つで、足りると思ってるわけじゃないでしょ?」
「そうですね」

貴女がしなやかに私の首に手を回したのを合図に。
私は華奢な貴女の身体を引き寄せ、二人強く抱きしめ合いながら深く深い濃厚なキスを交わす。
貴女の甘く優しい匂いが鼻をくすぐる。

よく世の恋人達は『身も心も一つになれればいいのに』と言う。

しかし、私はそうは思わない。
一つになれば確かに離れる心配はないだろう。
だがそれでは抱きしめ合う事も、他人の温もりで安心する喜びも、キスを交わす事も、互いに笑顔を交わす事も、手を繋ぎ歩く事も出来ないのだ。
感情のある人間にとって、こんな辛い事はないだろう。

貴女に触れ、抱く事で私は感じる。
自分が確かに満たされ、汚れた自分が癒されていくことを…。

貴女のお陰で、また私は前に進んでいけるだろう。

これから先、私の力や救いを求める人がいるのならば私はこの命ある限り、手を差し伸べ正義を示そう。
『死刑台に送った事で救われた人がいる』と貴女が言ってくれた言葉を信じて。
それでどんなに汚れていっても、私には貴女という人がいる。

そしてまた前に進んで行くのだろう。

貴女と共に――いつまでも――…。





END 04.7.15





ドリームメニューへ
サイトトップへ