…何か、音が聴こえる。
ザアザアと、音がする。
…ああ、そうか。雨か。
雨が降っているんだ。
いつから降っているんだか解からない雨は激しく音をたてる。
に噛まれた唇が痛い。
の涙を思い出す。
初めて見せた涙。それをぬぐってやる事も俺はできなかった。
今は、何もかもがリアルに思い出される。
の拒絶、涙、痛みでゆがんだ顔、おびえて震えていた身体…。
泣きながら「大嫌い」と言った声。
…ハハ、そりゃそうだよな。
嫌われるような事をしたんだ。最低の事を、一番大切なに。
バカじゃねぇの、俺。
何で、あんな事しかできなかったんだよ…。
「後悔先に立たず」
そんな言葉が頭の中に浮かぶ。
まさに今、目の前が真っ暗だぜ…。
「ムリヤリはいかんじゃろう、ムリヤリは」
声のしたドアの方に目をやるとカサをさした仁王が立っていた。
「…何だよ、仁王かよ」
つーか何で仁王がいるんだよ。しかも聴いていやがったなコイツ。
今は誰にも会いたくねーのに。一人になりたいのに…早くどっか行けよ。
ガックリ肩を落として仁王が立ち去るのを黙って待つ。
仁王が小さくクッ、と笑ったのが聴こえた。
そんな仁王を「何がおかしいんだよ」という風に睨みつける。
「まさか丸井がに未遂だろうと、あんな事ムリヤリするとはねぇ…」
「………」
「後悔するなら最初からしなきゃえーのに」
「…うるせぃ」
仁王がいつものからかい口調で話す声がいつも以上にうざったく感じる。
「やっちゃいかん事をやっちまったのう、丸井」
くそっ。解かってんだよそんな事!
だからガラにもなく落ち込んでんじゃねーか。
見て解かんねーのかよ、このペテン野郎。
人がこれ以上ないってくらい落ち込んでるっつーのに。
仁王は逆にこれ以上ないってくらい楽しそうな顔しやがって。
「ムリヤリ、泣かす、肩にケガ、しかも「大嫌い」ときたもんだ」
「……」
「人の不幸は蜜の味」ってか。
不幸どころじゃねえっつーの!
お前に俺からがいなくなる事のデカさが解かるってのかよ。
仁王が楽しそうに話しかけるが、相槌を打つ元気もない。
もういい、放っておいてくれよ。
解かってんだよ、俺がどれだけ残酷な事をにしたかなんて…解かってんだよ!!
「おーおー珍しく落ち込んどるのう。
…ふーん…?」
「何だよ…出てけよ。出てけっつってんだろっ!!」
「解かった。
んじゃ、は俺がもらうわ」
「はっ!?」
「もらう」だって!?
何でそんな話になってんだよ!
いきなり何言い出すんだ、コイツ…しかもサラッと。
「…何だよ、「はっ!?」って。
だってお前らもう終わったんだろう?」
「……!!
…まだ、終わってなんかいねーよ」
「…ふん。
が「嫌い」になった奴といつまでも付き合うとは思えないけど」
何も、言い返す事ができない。
今の状況じゃ、「終わってない」と自信を持って断言できない。
仁王の言っている事が冗談なのか、本気なのか俺に見抜く事はできない。
…でも、仁王の顔からいつもの含み笑いが消えている。
「男と女の関係なんて、一度壊れたら修復不可能だ。そんなもんだろ」
「……」
仁王の言葉の一つ一つが現実を語っていて、俺の心に重くのしかかる。
「…丸井。「愛」や「絆」なんてお前が思ってるほど強いモンじゃない。
綺麗なモンほど弱くてモロイものなんだよ」
ああ、解かってんだよ。そんくらい俺にだって。
弱くてモロイもんだからこそ必死で守ろうとするんだろ。
…俺には、それを守るだけの力がなかっただけの話で。
でも、それでもあきらめられなかった場合はどうするんだよ。
「今度こそは」と、かなわない願いでも願ってしまうんだ。
無理だと、心のどこかで解かってはいても願わずにはいられない。
「一つだけ言っとく。
俺は…の事は本気だぜ?」
「は…」
「お前のもんじゃないだろ、もう」
俺の言葉を遮って、いつもの含み笑いをまた顔に浮かべる。
そういえば、仁王はいつもの事、「」って呼んでたはずなのにいつの間にか「」になってる。
マジで…本気って事か。
「それに、お前にはを任せられない。
お前は一生そこでフヌケているんだな」
「…っンだと…っ!」
「それがお似合いだってんだよ」
そう言って、じゃあなという動作をして閉じていたカサをバッと開いて雨の中に消えていく。
今、俺はに何をしてやればいい?
あの時、に何て言ってやればよかった?
…そんな事、解からない。少なくとも今の俺には。
「……」
お前は一体、どんな言葉を望んでた?
お前は一体…俺にどうしてほしかった?
「…解かんねえっつーの、そんな事…。
…」
髪をくしゃっと乱した。
すでに半泣きで、情けない声での名前を呼ぶ。
に噛まれた唇がズキッと痛む。
こんなツライ事があった時ほど、幸せな記憶が思い出される。
これが現実かと疑いたくなるくらいに幸せな日々。
夢のように楽しかった日々。
もしかして…今日がその「夢」の終わり?
だって…幸せな日々よりも「大嫌い」と拒絶された声の方がリアルなんだ。
なんで壊れるんだよ…。
こんな思いをするくらいなら、現実なんて見たくない。
一生、夢の中にいたかった。
外から聴こえる雨の音さえ俺を拒絶してるような気がして、急に怖くなって耳をふさいだ。
なぁ、ウソじゃないよな?
たとえ夢のように幸せだったとしても、それはウソじゃないよな?
の茶色いキレイな髪。白くて温かい手。俺を呼ぶキレイな声と笑顔。
はにかんだ様に笑うのがクセで、ふとした時に見せるとびきりの笑顔。
抱きしめた時には、ふわっと香る優しい香り。何気ない仕草が可愛くて。
そうさ、それは決してウソなんかじゃない。
死にもの狂いで手に入れた俺の大事な宝物。
大好きなの笑った顔。
それが今は胸に突き刺さる。
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