ファーストキスっていったら、好きな人とする日を夢見て、きっかけとかシチュエーションとか思い描いたりもするんだろう。けれどそんな日は意外とあっさり訪れたりもするものなんだろう。
のきっかけは、ひとつのキャンディだった。





CANDY





「ホントらしいよー。このキャンディ、キスの味がするんだって!」
「……へぇ、そうなんだー。すごいねー」
「…、信じてないでしょ」
「えー、そんな事ないよー」

今女子の中で空前のブームとなっているのが、「キスの味がするキャンディ」だ。
確かにこのキャンディのCMでは、アイドルがそんな事を言っているが、はそんな事信じていなかった。だって、そんなのウソ臭い。

「まぁ、試しに食べてみたら?」
「………うーん…」

二つ三つ、そのキャンディを渡される。
試しに、と言われても、ファーストキスさえまだのにとっては、このキャンディを食べても本当にそれがキスの味なのか解からない。


その日、午後の授業が自習になったと聴き、はそっと教室を抜け出した。向かう先は、今はもう使われていない旧校舎の図書室だ。
幸いここの図書室には鍵がなく、旧校舎自体人が滅多に来ないため、の秘密の隠れ家みたいなものだった。つまり、かっこうのサボり場だ。

「相変わらずホコリっぽいなぁ…」

そんな事をぼやきながらホコリっぽさに一つ咳を零して、はスタスタと図書室の一番奥に足を進めた。
カーテンが閉まっていて薄暗く、図書室の中でも完全に死角になっている場所。ここの図書室が使われていた時から、人は全くといって良いほど来ない。
が度々来る時にこの場所だけ掃除しているので、ここだけはあまり汚れていない。はここが一番のお気に入りの場所だった。誰にも気を遣うこともなく、誰かに見つかる心配もない。適当に面白そうな本を選んでそれを手に取って、よいしょ、と本棚を背もたれにして腰を落ち着けた。
ポケットから一つ、噂の「キスの味のキャンディ」を取り出して、カサカサと包み紙を剥して口に放り込んだ。マスカットの味が口一杯に広がる。

「……キスの味…ねぇ…」

このマスカット味が果たして本当にキスの味なのか、という疑問は拭えない。
まぁどーでもいいか、と口の中でキャンディを転がし、手に取った本に目を向けた。


「やっぱここにいやがったのか」
「……ぅわっっ!!」

その本をある程度読み終わったところで、ある人物に声を掛けられた。
集中していたのか、人が入って来た事に気がつかなかった。なので、無駄に驚いた声を出してしまった。見知った人物に、安堵の息を吐き、ホッと胸を撫で下ろした。
声を掛けた人物――跡部景吾は怪訝そうな表情をした。

「何そんなに驚いてんだよ」
「いや、別に…。気になさらないで…」

手のひらを横にヒラヒラと振って、何でもないよ、という動作をした。
バクバクいってる心臓を落ち着かせて、読み終わった本を戻して再び本を選ぼうとしたら、跡部が顔をしかめてボソッと訊いてきた。

「……お前、何かここで食ってたろ」
「え、何で?」
「甘ったるい匂いがする…」
「そんなに臭う?キャンディ舐めてただけなんだけどなぁ」

そういう事は食べてた本人ほど、気がつかないものだ。
キャンディ自体は、程よい甘さの中に甘酸っぱさもあって、結構美味しかった。
はポケットの中からもう一つキャンディを取り出して、跡部に差し出した。

「景吾も食べる?本当かどうか解からないけど、今女子の中で人気を誇ってる、噂の「キスの味がするキャンディ」なんだけど」

跡部はの手のひらにあるキャンディを取り上げて、そのキャンディに思いっきり疑いの目を向けた。

「キスの味だぁ?……何かウソ臭えな…」
「チッチッ、ロマンがないなぁ。女の子っていうのは、そういうのが好きんなんだよ。…私も信じてないけど」
「結局お前も信じてないんじゃねぇか」
「だって本当かどうかも解からないのに。それにあんま興味ないし」

は本を選び出し、また床にペタンと座って本のページをめくり出した。

「……じゃあ試してみるか?」
「何を〜?」
「その噂。本当にキスの味がするかどうか、だよ」

その言葉には思わず顔を上げて跡部を見た。そんな事をいった跡部の顔は、いかにもからかってます、という顔。
跡部はたまににこういった冗談を言ってからかい、の反応を楽しんでいるのだ。
はムッとして、もうその手には乗らないぞ、と思ってさらっと言ってのけた。

「いいよ。試そうか」

――と。
この切り返しに跡部はどんな反応をするのかとが楽しみにしていたら、跡部はふっと真面目な顔をして本を取り上げて、の前で膝を折り、の頬に手をやり、ぐっと顔を近づけた。

「…景吾?ちょっ……」

そのの戸惑いの言葉は最後まで続かなかった。
なぜなら、跡部にその唇を塞がれたからだ。は跡部のその行動にパッと目を見開き、ただ驚くばかりだ。両手で頬を包まれ、顔を逸らす事も出来やしない。
跡部の舌がの唇を割って入る。は見開いてた目をギュッと瞑った。

「……んっ…」

意外と深いキスには戸惑い、止めてもらおうと跡部の身体を押し返そうとするが、力の差は歴然としている。実際、跡部の身体はびくともしない。

「……ふ、は…」

跡部は唇を少し離すと、の甘ったるい吐息が漏れた。
最後にチュっと音を立てて軽く触れるだけのそれをして、そっと唇を離した。
はぁはぁと、苦しそうにが息を整える。

「何…するかな…いきなり」
「試していいっつったのはお前だろうが」

さらっと言った跡部の答えに、はぐっと言葉を詰まらせた。あんな事を言わなきゃ良かったと今更後悔しても遅い。

「で?どうだったよ」

楽しそうに言う跡部に、はキッと跡部を睨みつけた。実際跡部の顔は楽しくてたまらないという顔をしている。

「……何がよ」
「噂の真実だよ。そのキャンディは今のキスと同じ味がしたか?」
「………知んないよ、そんな事……」

跡部から視線を逸らして、は下に俯いた。
「キスの味がする」なんて噂を信じていないのは本当。でも、ファーストキスっていうものは長い人生の中でたった一回きりしかないもので。それを簡単に無くしてしまった事がショックだった。
でも…何だろう?確かにショックなんだけど、泣くほどショックが大きいわけではなかった。
それよりも気になるのは、この鼓動の大きさ。跡部にキスをされたときから、息苦しさを感じるくらい、ドキドキと心臓が騒いでいる。
初めてキスをしたから?想像してたのとは違う、深いキスだったから?
…どれも違う気がする。そして時間が経つにつれてリアルになってくる。
跡部の一瞬真剣な顔を。キスが深くても優しいキスだった事を。意外なほどの唇の柔らかさと暖かさを……。
――この胸の高鳴りは、一体何……?

「…?」

急に黙り込んだを心配してか、跡部は静かにの名を呼んだ。その声の優しさにまた心臓が大きく跳ね上がる。
は俯いたままボソッと呟いた。

「今のキス…ファーストキスだったんだよね…。初めてのキスくらい、好きな人としたかった…」
「なんだ、だったら良かったじゃねぇか。何も問題ねぇだろうが」
「……はい?何が?…………っ」

顔を上げて見た跡部の顔は、初めて見る顔だった。
幼なじみとして長年、何かと一緒にいることが多くて、周りに居る友人達よりも多少跡部の事を知っているのだとは思う。そして跡部もには心を許しているところもあるのだろう。それを跡部と接する中では感じ取っていた。
そんなが初めて見る跡部の顔。
――なんでそんな顔をして私を見るの?どうしてそんな目で私を見つめるの?どうして胸の高鳴りが収まらないの――?

そんな跡部に見つめられるのは初めてで慣れてなくて、少し怖いとも思う。だけど、いつもと違う跡部から視線を逸らせない。
大きな手で頬を撫でられ、の目をしっかりと捉えて、優しく囁いた。

「――お前、俺の事好きだろ?」
「え……?私が…景吾、を……?」

――…好き…だって?
「鳩が豆鉄砲を喰らった」というのは、まさに今ののような状態の事を言うのだろう。
一瞬、は跡部が何を言っているのか理解が出来なかった。思考が停止して何も考えられない。言葉通り、頭の中が真っ白になった。
いきなりの事すぎて、今の状況が理解出来ていない様子でボーっとしているに跡部が声を掛けた。

「何だよ、お前自分の気持ち解かってなかったのか?お前は――…」
「ちょっ…ちょっと待って!今は何も言わないで!と、いうか今は何だか頭の中混乱してて……」

――お、落ち着け私!しっかりするんだ私!
は自分にそう言い聞かせて、深呼吸を2、3回繰り返す。
そして、ちろっと跡部に視線を戻し、おそるおそる訊いた。

「…あの〜、それって……マジ…ですか…?」
「何が」
「だから…私が、その…景吾をって…いうのは……」
「………お前…」

跡部は頭をおさえ、心底呆れた顔をした。それこそ「マジかよ」と言いたげな顔だ。その顔には心なしか、哀れみも含んでいるようにも見える。はーっとデカイ溜め息を吐いて、の質問に答える。

「……マジに決まってんだろうが。お前と何年一緒にいたと思ってんだ。お前の事なら大体解かるし、お前は解かりやすい。まさか、自分の気持ちにさえ気づいてなかったとまでは思ってなかったがな」
「…………」

跡部はきっぱりと言い切った。冗談か、そうではないのかと言えば跡部のこの言葉はきっと本当なのだろう。だって長年跡部の傍にいたのだから、跡部の言葉が冗談か、そうではないかくらいは解かる。

「……うん、解かった」

――きっと、私は景吾の事が好きなんだろう。それを本人に言われた直後に気づくなんて間抜けだけど。いつから好きだったんだろうなんて解からないけど、きっとそれは「気がついたら咲いていた」ってやつなんだろう。好きだと解かったなら、あの胸の高鳴りにも説明がつく。跡部の言葉に流されたわけでは決してない。
は一人納得しながら、うんうんと頷いた。
そして跡部からのあのキスは、噂の真実を確かめる為というのは口実でしかなくて、きっと本当は――。
――ねぇ、今度は景吾が私の事どう思ってるのか聴かせて?

「景吾は、私の事がスキなのね?」
「……っ、はぁっ!?お、前…何言って……!…っバーカ、自惚れんじゃねーよ!!」
「え〜、……違うの?私の事キライ?」
「……ち、ちがっ…!キ、キライなんて誰も言ってねぇだろ!」

が上目遣いで訊いた質問に跡部が赤くなり、動揺しながら答える。こんな跡部が見れるのも、だけの特権だ。自分はいつでも真っ直ぐで直球なのに、相手からのそれには意外と弱いのだ。
跡部がこんな態度を見せるだけで答えなんて解かりきっているのだけど、は跡部の口から気持ちを聴きたかった。は跡部の制服の裾をきゅっと掴んだ。

「私の事スキ?…キライ?」

少しだけ不安そうなの質問に、跡部はガシガシと頭をかいて観念したように囁いた。

「――好きだ。もう、ずっと前から」
「私も好きだよ。…気づいたのは、たった今だけどね」

悪びれもせずにへへっと笑うに、跡部は呆れたようにフッと笑みを零した。
跡部の手が頬から顎に移動して、跡部の顔が近づいてくる。その跡部の動作に身を任して、が目を閉じたと同時に跡部の唇が触れた。

「……んぅっ!?」

触れるだけのキスだと思っていたら、の口の中に何かが押し込まれた。それを大人しく口の中に収めると、先程跡部に差し出した噂のキャンディだった。いつの間に食べていたのか、そのキャンディを口移しされたわけだ。
口の中には甘酸っぱいマスカット味が広がる。

「「キスの味がする」んだっけか。案外その噂も馬鹿にできねぇな」
「…ほーですね」

モゴモゴと口の中でキャンディを転がして、はどこか恥ずかしそうに呟いた。
そのを見て、跡部は可笑しそうにクックッと笑いを零す。

――最初と少しだけ、違う気がする。このキャンディの味。
私が食べたときよりも、景吾から口移しされたキャンディの方が甘い気がする。
食べたものは同じなのに。
甘さが増した気がするのは、私の気のせいなんだろうか……?





END 07.3.31





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