『ずっとずっと、せかいいちだいすきだよ』
幼い頃のあの言葉を、君はまだ覚えていますか――?





  アルコール注意報





桜が咲き乱れる頃、三年の先輩達は果たせなかった全国制覇を後輩に託して卒業して行った。
春休みに入ってからも、跡部には部長としてやる事は山ほどあった。
全国制覇のための新しい練習メニューや練習試合のオーダーなど、それ以外に雑用が多々ある。

春休みだというのに外に出る事もあまり出来ず、自分の部屋にこもって仕事をしていた跡部はやっと一段落したかと、走らせていたペンを止めて伸びをした。
ちら、と時計を見てみると、夜の八時半。
机に置いてあった携帯に手を伸ばして、隣に住む恋人兼幼なじみに電話を掛けた。


「いきなり電話してきたかと思ったら、今から息抜きに付き合えだもんね。…で、息抜きってコレ?」

が苦笑しながら示したのはチューハイの缶。
近くには色々な種類のチューハイの他にビール、カクテルなど。
中学生二人が消費するには多少…いや、かなり量が多いようにも思えたが、跡部がザルなことを考えれば、それほど多くもないんだろう。
だって跡部ほどとはいわなくても、それなりだったような…気がする。
テニス部のレギュラーの面子や、もちろん二人で何度か酒盛りをしたことがあるが、跡部はが酔ったのを一度も見たことは無かった。
が自分の限度を知っているのか、それともザルなのか…今のところ跡部はそれが解らなかった。

が言った言葉に跡部はほんの少し眉を寄せて、ゴクゴクと音を立てながら酒を飲み干す。

「いいだろ、別に。俺だってたまには息抜きってもんがしたくなるんだよ」
「…大変そうだもんね、生徒会の仕事もあるんでしょ。部活の事なら私に出来る事があれば手伝うよ?」

机の上にある膨大な量の資料を見て、疲れが見える跡部の顔を心配そうに覗き込んで呟く。
跡部はフッと小さく笑って、の額を缶でコツンと突付く。

「バーカ。あれくらい俺様には大した事無いんだよ。今は心配するよりも息抜きにしっかり付き合え」
「…了解」

小突かれた額を軽く抑えながら、は跡部の缶に自分の缶を近づけてカチンと、今更の乾杯をした。

この後、跡部は珍しく自分の発言に後悔する事になる。
――そう、「息抜きにしっかり付き合え」と言った言葉に…。



二人が酒を口にしてから約三時間が経過した頃、跡部はふと気が付いた。
が消費したと思われる開いた酒の缶が、自分よりもはるかに上回っていたことに。
…もっと気にするべきだったのか?思ったよりも話が弾んで、酒のピッチなんて気になんてしてなかった…!
特にチューハイなんてジュース感覚で飲める分、ピッチだって早いのだろう。
ちら、とが消費した缶の数を見て、頭を押さえて小さく溜め息を付く。
当のは酔ったような様子は全くといって言いほど無い…が、チューハイとビール共に六缶にカクテルを四缶、調子に乗って跡部が持ってきたウイスキーを少々…。
これだけのアルコールを摂取していれば、酔っていると考えるのが当たり前だろう。

「…、その辺にしとけ。少し飲みすぎだぞ、お前」

いくら酔ってないといっても、これ以上はいくら何でも飲みすぎだろうと跡部はそう判断して、が持っていた缶を取り上げた。
はきょとんとした顔で、へらっと笑った。

「あはは、大丈夫だよ〜?心配性だなぁ、景ちゃんはー。付き合えって言ったのは景ちゃんでしょー」
「………」

そうだ、確かに言った。「息抜きにしっかり付き合え」と…。はそれに素直に実行しただけだ。…早まったか、俺。
しかし、このへらっとした顔といい、語尾を延ばしたこの舌足らずな話し方といい…。しかも「景ちゃん」だなんて小学校の低学年以来呼ばれていないのに…。
のこの態度は明らかに酔っ払いのそれだった。
無防備なの態度と笑顔に少しだけ理性が揺らいだが、今はそれどころじゃない。
ったく…顔に酔いが全然出ないなんて反則だぜ…。
跡部は盛大な溜め息と共にがっくりと肩を落とした。
しかし済んでしまったことを今更悔やんでも仕方がないと頭を切り替えた。
取りあえず今日はお開きにして酔い覚ましにコーヒーでも持ってこようと、に「ちょっと待ってろ」と声を掛けて、跡部は部屋から立ち去った。


、ドア開けろ」

両手が塞がっているため、中にいるに声を掛けた…が返答は無く、ドアも開く気配が無かった。
仕方なく跡部は何とか器用にドアを開けると、そこには眠そうにしてる酔っ払いが一名。
今にも眠りに落ちていきそうな姿を見て、ジローをふと思い出す。

「おい、こんなとこで寝るな」
「ん〜…やだぁ、眠い〜」
「…ったく、この酔っ払い…」

とは言ってみても、今日誘ったのは跡部のほうで、が酔っ払っているのに気が付かなかった自分も自分であまり大きい事は言えなかった。
部屋に散らばっている缶を簡単に片して、客用布団を出してやった。

「ほら、お前はここで寝ろ」
「ぅんー…」

返事なのか何なのかよく解らない声を出して、は大人しくその布団の中に収まった。
そしてすぐ小さい規則正しい寝息が聞こえてきた。
時計を見ると、十二時過ぎ。
少し早いけど今日はもう寝るかと、寝間着に着替えて部屋の電気を消してベッドの中に入った。
その時、後ろからもぞっと何者かがベッドの中に侵入した感覚を覚えた。
反射的にバッと後ろを振り向くと、寝入ったものだと思っていた幼なじみがベッドの中に潜り込んでいた。
それにはさすがの跡部も驚いたらしく、動揺が声に出た。

「はぁっ?おまっ、ちょっ…なっ何してんだ!寝てたんじゃなかったのかよ」
「えー?景ちゃんと一緒にここで寝るー」
「………」

の言葉に、跡部の思考が一瞬止まった。
目が点になるとは、多分こういう事を言うのだろう。そして同時に自分の耳を疑った。
思考回路が正常に動き出したときに跡部にあった感情は、驚きと動揺だった。
跡部が混乱してるうちにもは跡部のほうに寄って来て、猫のように身体をすり寄せて来る。とても幸せそうに。
くっ……落ち着け、俺!ここで理性を失ったら負けだ!耐えろ!
酔っ払いの言ってる事だ、落ち着いて対処するんだ!
跡部は自分に何とかそう言い聞かせて、すり寄ってきたの身体をグイっと押し返した。

「……っ駄目だ、ふざけた事言ってんな。さっさと布団に戻れ」
「なんでぇ?いつも一緒に寝てるのに…」
「………」

はショックを受けたような、小さい子供がぐずるように涙目でそう言った。
しかし…何だ?酔っ払っているとはいえ、どこか様子が変だ。まるで小さい頃に戻ったような…。
そこまで考えて、跡部はハッとする。
まさか酔いで記憶が混乱でもしてるのか…?だとすれば合点が行く。
いきなり「景ちゃん」と呼んできたことも、「一緒に寝る」と恥ずかしげも無く言ってきたことも。
そりゃガキの頃はそう呼ばれていたし、泊まりに来れば一緒に寝ることも日常茶飯事だったけどよ…。マジかよ…。でもそれはガキの頃の話で、今は幼なじみ以上の関係なんだぜ!
つーか、俺ら今はガキじゃねぇし?理性保つ俺の身にもなれっつーの!

頭の中で文句を言うだけ言った後、跡部は今日何度目かになる溜め息を付いて「さっさと寝ろよ」と、一緒に寝ることを承諾した。
結局、滅多に甘えてこない恋人の甘えと、少し危険な我侭を断る事が跡部には出来なかった。
俺様も少しやきが回ったなと、自分の甘さと呆れで自嘲的な笑みを零した。
は一緒に寝ることを承諾されたことが嬉しいのか、熱っぽい瞳でとろけるような笑顔を向けて跡部にガバッと抱きついた。

「へへ、やっぱりせかいいちだいすき!」
「……はいはい、解ったからもう寝ろ」


『ずっとずっと、せかいいちだいすきだよ』

――そういえば昔もがそんな事を言っていたな。
満面の笑みで、子供らしい素直な精一杯の可愛い告白だった。
跡部はあの幼き日の告白を忘れた事なんてなかった。
その時そう言ったは跡部に対して恋心があったかどうかは解らないが、跡部はその時に対して感じていた感情は確かな幼い恋心だった。
告白をされた時に、子供ながらこれが幸せなんだと思った。
忘れようとしても忘れる事なんて出来ない、大切なたった一つの告白。

「…冗談だと思ってるの?」

は跡部から少し身体を離して、跡部の腕を強くギュッと握った。
静かにそう言った声は、いつもよりもどこか低くて。
瞳の熱っぽさはまだあるものの、とろけるような笑顔はどこへやら、キッと跡部をきつく睨んだ。その時のは記憶が混乱してるようには見えず、酔っているようにも見えなかった。

…?」
「『ずっとずっと、せかいいちだいすきだよ』。…覚えてるでしょ?私は今でも…本気だよ」

怒ったようで少し寂しそうな、そんな微妙な表情をして跡部を見つめる。
熱っぽく潤んだ瞳は、きっと酒の所為だけではないだろう。
は掴んでいた跡部の腕をぐいっと引っ張って、跡部の頬にチュッとキスをした。
かなりはっきりと解る酒の匂い。

「お前が本気なのは解ってる。だから今日はもう寝ろ」
「やだ」

短い一言の否定を口にして、今度は跡部の耳をぺろっと舐める。
そして眼を合わせて、唇にもキスをする。
酒の匂いの中に、ふわっと清潔な匂いがする。
家にくる前にシャワーでも浴びてきたんだろうか、石鹸のいい匂いが鼻をくすぐる。
跡部はのされるがままになって思う。
は一見聞き分けがいいように見えて、意外と頑固なところがある。
跡部が宥めても、てこでも動かないことも何度もあった。そうなると跡部はの言う通りにするしかない。
が与えてくるキスや愛撫に、そろそろ理性ももたなくなってきていた。
好きな相手からそうされて、反応しないほうがどうかと思う。
強固な精神力を持ってる跡部でも、好きな女の前ではただの男ということなのだ。
事実、二人は付き合っているんだし、こういう行為を行うのはむしろ自然な事なのだろう。
…酔っ払っているを抱くのは、どこか抵抗があったが仕方がない。
だって、がそれを望んでいるのだから。

跡部がそんな考えに思考を巡らせている間もの行為は進み、今は跡部の鎖骨の部分にまでキスを落としていた。
跡部はの手首を掴み、顎に親指と人差し指を添えて顔を上に向けさせると、少し強引なキスをしたままベッドに押し倒し、を組み敷いた。
濃厚な長いキスを交わした後、唇を離すと、から吐息が漏れた。

「ふ…、はぁ、は…」

息を整えて、は可笑しそうにからかうように言った。

「…どしたの?急にヤル気になった?」
「うっせーよ…。誘ったのはお前だろうが」

負け惜しみのように、行為をやるに至ったのはお前の所為だと、そう言う跡部の顔を引き寄せて、もう一度頬にチュッと軽いキスをした。
は顔を近づけたまま、ゆっくりと笑って小さな声で囁いた。

「でも…たまにはこういうのも悪くないでしょ?」
「そうだな、…たまにならな」

跡部はフッと短く笑って、本格的に行為を再開した。

今回は何故だか跡部がに与える行為は、嫌と言うほど丁寧だった。
と、いうのも酒の所為ではいつもよりも敏感になっていて、軽く愛撫をしただけでも面白いくらいに感じているのを跡部が楽しんでいたからだ。
性感帯にほんの少し触れただけでも、いつもよりも1オクターブ高く、可愛い声を出す。
その声と火照った熱い身体が、より一層跡部を昂ぶらせた。

その行為の中でが言う。あの頃と同じ言葉を。
『ずっとずっと、せかいいちだいすきだよ』と。
その気持ちはきっとずっと変わらないと、跡部に訴えるように。


…バーカ。解ってんだよ、そんな事。
好きなのは自分だけだと思ってんじゃねーよ。
そんくらい解れってんだ。


何度かが言うその言葉に跡部は一度だけ答えた。

――『       』――…。



「あの…それじゃあ、お邪魔しました…」

次の日の朝。
は気まずそうに恥ずかしそうに跡部にそう挨拶をして、深々と頭を下げた。
酔っていた時の記憶はちゃんとあるらしい。

「…あれだけ飲んで、頭痛一つもしてないとはな。どんだけ強いんだよ、お前」
「さぁ…自分でもよく解んない」

呆れ顔でそう言う跡部を見て、さらっと何でもないことのようには答えた。
今回の事を教訓として、次にと酒盛りをするときは、自分よりもの事を気に掛けようと、跡部は固く誓った。酔いが顔に出ないのそれをどうやって見極めるか、跡部の悩み事が一つ増えた。しかも超S級クラスだと、迷わずランクを決定。
大人がよく言う「お酒の失敗」とかいう落とし穴が思わぬところで発揮した。
こんなに身近にあるもんだとは思ってもいなかった。

勘弁してくれよ…。
俺まだ十四だぜ…?
何でこんなことで悩まなきゃいけねーんだよ。
確かにこうなった責任は俺にあるけどよ…。

跡部のそんな悩みは露知らず、は笑顔で自分の家へと帰っていった。

恋人の新たな一面を知りすぎた夜だった。


お酒の飲みすぎには、充分に注意しましょう――。





END






























おまけ


「…何だ、覚えてたんだ」

玄関のドアにもたれかかってそのまましゃがみ込み頭を抱えて、誰もいない家の空間でポツリと小さく呟いた。

何でもない事のように平然を装って伝えた『ずっとずっと、せかいいちだいすきだよ』の言葉。
本当はすごく緊張してて、心臓の音がものすごく大きく鳴っていたから聴こえてしまうんじゃないかと思った。手には冷や汗をかいてて。
子供でも子供なりの本気で、一生懸命考えて頑張って伝えたその言葉。
今思うとものすごく直球で今は中々言えないけど、でもそれが一番本当の素直な気持ちで。
その告白はにとっては支えみたいなもので。

子供でも大好きな人に告白をするのは、すごく勇気がいるんだよ。
…景吾は知ってたのかな。
その時から本当に、ずっとずっと大好きなんだってこと。


その告白を覚えているのか確かめたくて、これからもずっとその気持ちは変わらないという事を伝えたくて解って欲しくて、嘘をついた。
…本当は全く酔ってなんていなかった。全ては演技だったのだ。意識だってハッキリしていたし、混乱なんてこれっぽっちもしていなかった。
酔ってると見せかけて、迫ってけしかけてみたのだ。
多分跡部がの事を酔っていると勘違いしていなければ、も『だいすきだよ』なんて言えなかっただろう。
恥ずかしくて、泣きそうになっていたとしても、酒の所為だと誤魔化せる。

「バレてないかな?…バレたら怒られるよね」

跡部の怒った顔が浮かんだが、まぁ元々言うつもりなんて無いのだ。
自分がヘマをしなければバレる事もないだろう、きっと。
跡部はああ見えて、お人好しで根が素直なので人を信じやすい。恐らく今も騙されたとはこれっぽっちも思ってはいないだろう。
意外と天然でインサイトなんていって人の弱点とか見抜くくせに、変なとこは鈍い。

しかしが跡部の気持ちを確認できたのは、の尋常ではない酒の強さがあったからだ。
あれだけ飲んで二日酔いの「ふ」の字も見せないは、自分の底なしの強さに多少恐ろしくなったがそれはそれ、結果オーライだったので良しとしよう。
は一人うんうんと頷き、頭の中には「終わりよければすべて良し」ということわざが浮かんだ。


今跡部が抱えている超S級の悩みは自分が原因だという事は、が知る事は無く。
またこの手は使えるかもしれないという悪巧みをが考えている事も、跡部が知る事はもちろん無い。


今回はが一枚上手だったようだ。





END 06.5.15





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