お前と一緒に踊っているつもりでいたけれど、
 俺は何にも気づかずひとりで踊っていたんだ。





  masquerade





 きっかけは些細な事。
 でも有り得なかった事だった。
 だから。



「ねえ、仁王君。何やってるの?」


 部活中、テニス部マネージャーのが俺に近寄ってきてそう言った。
 俺は一瞬素に戻ってしまいそうになったけれど、平静を装って淡々と答える。


「何をおっしゃっているのですか? 私は柳生ですよさん」

「…不気味だからやめて」

「……」


 げんなりというかうんざりしたように、はキッパリと言った。

 なぜには解かった?
 俺は今柳生そのものだろう?
 他の奴らには気づかれなかったのに。


「部活中に遊ばないでよねー。
 ほら、その特殊メイクだか何だか知らないけど、落としてきなさい」

「…プリッ」


 俺の口癖に、「やっぱり仁王君じゃないの」とかぶつぶつ言いながら、は自分の仕事に戻っていく。
 これ一応、関東大会の予行練習なんだけどな。
 敵を欺くにはまず味方から、と思ったんだが…

 まぁいいさと俺は仮面を脱いだ。

 きっかけは、こんな些細な事だった。
 でも、正体を見破られるなんて有り得ないはずだった。

 だから俺はお前に興味を持ったんだ。




















 俺はその日からを観察するようになった。
 穴が空きそうになるほど見つめて、に「気が散るからやめて」と言われてもやめなかった。

 フッ、とひとつ笑いを洩らす。
 俺こんだけ観察してたら、の変装も出来るんじゃないか?
 でもすぐに体格や身長差などを考えて、その馬鹿げた思いつきを即座に捨てた。

 そしてもう一度フッ、と笑う。
 そういやシャーロック・ホームズは変装の名人でもあって、婆さんに変装してよく街中を歩いていたと言うが、190cm近い身長の婆さんがいるわけがないよな。腰を曲げてみたって解かるだろ。
 皆気づいていたけど、その滑稽さに見て見ぬフリをしていただけじゃないのか。
 そんなの、気づいてなかったのはホームズ本人とワトスンだけだ。
 傑作だな。

 俺はそんなバレバレの偽装はしない。
 完璧に騙し通す事しか考えてないんだ。

 そう、俺がをこうやって観察しているのも、『どうやったら騙せるか』その為の心の隙間を探しているだけだ。


 まだもじっと見つめていると、痺れを切らしたのかがズンズンと俺の方へ向かってきて、俺の目の前で仁王立ちをした。
 仁王の前で仁王立ち…って、ギャグか?
 俺がニヤッと笑ってみせると、は据わった目で俺を睨みつけてきた。
 おお怖いねぇ。


「もう…何なの!
 さっきから何でじっと見てるのさ!」

が好きなんだよ」

「…信じないよ。だって言い方軽いもん」


 ありゃ。適当に「好き」なんて言ってみたけれど、さすがにこれはバレるか。

 …そういや、には好きなヤツなんているのかね。

 そうだな…「読めない」。
 それが俺のへの感想だ。
 正体を見破られたその時から、解からなくなった。
 それまで見えていたものが、見えなくなった。

 だからだろうか。
 俺は正直、を怖いと思っている。


「…

「何?」

「俺お前の事嫌い」

「……そりゃどうも。解かったから、真面目に練習して」


 少しの沈黙の後、低い声でそれだけを告げて。は仕事に戻っていった。


「…ハッ」


 どこか自嘲じみた乾いた笑いが洩れる。
 これでひとつだけ解かったな。
 は、俺を敵と見なしただろう。

 まぁいいさと俺は仮面を着けた。

 俺はお前が怖いよ、




















 ただ見つめている、というのは実に乙女めいていて。
 の観察を始めて一週間経つ今なら、ほんの少しだけの心の隙間が見つけられたような気がしていた。

 の視線の先にいる回数の多いヤツ。
 ソイツと話している時だけは、の表情が他のヤツを相手にする時より柔らかになる。

 へぇ…アイツ、が好きなんだ?

 そしてアイツも、いつものお堅さが無くなってるように見えた。

 何だ、両想いか?


 …………


「ねえ、眉間に皺が寄ってるよ」


 しばらくベンチに座ってぼーっとしていたら、いつの間にかが目の前に立っていた。

 眉間…?
 …ああ、確かに力入ってるな。


「具合でも悪いの?」

「いや…何だろうな…」

「自覚症状もないの?
 …病院行く?」


 幸村の事もあって敏感になっているのか、は本気で心配そうだった。
 そんなに向かって俺はフッ、と不敵に笑ってみせる。


「お前、俺の事嫌いじゃなかったのか?」

「は? それは仁王君の方でしょ」

「いや、俺は……」


 言いかけて、はたと我に返った。
 …今、俺は何を言おうとした?
 頭で考えるより前に口が先走りそうになっちまうなんて一生の不覚だ。
 しかも、何を言いかけたのかさっぱり思い出せないときた。

 それよりも、この焦燥感と安堵感は何だ?
 俺は何に苛ついて、何にホッとしてる?


「…「俺は」、何?
 この間私に「嫌い」って堂々と言ったくせに」

「…ああ嫌いだね」


 キッパリと返してやると、はふぅと溜め息をついて、何も言わずに去っていった。

 俺は、自分すらも解からなくなってきていた。
 自分が今仮面を着けているのか、外しているのか。
 それとも仮面は半分になってしまったのか。

 お前を「嫌い」だと言う事で救われている自分。




















「ねぇねぇ知ってますか仁王先輩」


 あれからさらに一週間後。まだ懲りずにを観察していた俺に、赤也が何気なく話しかけてきた。


「…ぁん?」

先輩、柳生先輩と付き合う事になったんですって」


 …………は?


「…って、仁王先輩はいつも見てるから知ってるか」


 赤也は無邪気にハハ、と笑う。
 だが俺は思いがけず得た情報に、固まっていた。

 解かっていたはずだ。いつかこうなる事は。

 俺は知っていた。がいつも誰を見ていたのかも、柳生がをどう思っているのかも。
 知っていて、「何も変わらないさ」とタカを括っていたんだ。
 だから俺は、『付き合う事になった』という事実にも気づかなかった。


 ああ、そうか…
 あの日、が俺の正体を見破った理由。
 今になってそれが解かった。
 発想の逆転。

 は、俺が変装している事に気づいたんじゃなくて、柳生じゃない事に気づいたんだ。

 仮面に惑わされていたのは、俺の方だったんだ。


「…ック、ハハッ」


 思わず笑い出した俺を、赤也はギョッとして奇異の目で見たが、そんなの気にならない。
 ああ、馬鹿らしくて笑えてくるぜ。
 詐欺師と呼ばれた俺が、裏の裏を読む事を忘れるなんてな。

 「が好きなんだよ」と嘘をついた俺。
 「お前の事嫌い」と本気で言った俺。

 それは果たして嘘だったのか?
 それは果たして本気だったのか?

 自覚のない眉間の皺。
 焦燥感の正体。
 安堵感の理由。

 それを認めた時、俺の仮面は完全に剥がれちまうんだろう。

 さあ、二者択一だ。
 俺はどちらを選ぶ?




















 ――ガチャッ…

 俺以外には誰もいない、放課後の部室のドアが静かに開かれた。


「…お待ちしていました」


 俺は夕日が差し込む窓を背にし、両手を広げて歓迎の意を示す。
 ドアを開けた主――は、表情を歪めた。
 ノブを握ったまま動きを止め、このまま入ろうか戻ってしまおうか逡巡している。
 俺は至ってにこやかな笑顔を向けていた。
 は警戒しながら部室に入って、ドアを背にし俺を見上げた。


「…柳生君の名前使って呼び出して、何の用?」


 やっぱり、柳生の変装は通用しないか。
 俺はフッ、と小さく、笑いとも溜め息ともつかない息を吐いた。
 整えた髪を手櫛で乱し、度の入っていない眼鏡を外し、キッチリと締めたネクタイを緩め、シャツの一番上のボタンを外して、最後にホクロの上のパウダーを拭う。
 そうしてゆっくりと、を見遣った。


「何の用だと思う?」

「さあ…?
 仁王君の考える事なんて、私にはサッパリ解からないよ。
 「嫌い」とか言ったくせにいつもじっと見てるし、こんな風に騙そうとしたりするんだから」

「何故か、とは考えないのか?」

「考えたよ。でももうワケ解かんない。
 言いたい事があるんなら、ハッキリ言ってよ」


 ハッキリ、ね。
 お前は、どう言ってほしい?
 俺は、どう告げたい?

 俺はゆっくりと、に歩み寄っていく。ほんの数メートルだ。
 はドアを背にしたまま、強い瞳で俺を見上げていた。

 の目の前に辿り着いて、捕らえるようにドアに両手をついて、目線を合わせる。


「…俺は…」


 ふと、の表情が変わった。
 どこか驚いたような、困惑したような…俺の心の隙間を、探るような…

 …っ…!!

 …俺は今、そんな隙だらけな顔をしてたのか?

 この俺が…?


「…クッ!」


 から顔を背け、数歩下がって身体を離した。
 逆に、何故かが一歩前に出て、窺うように俺の顔を覗き込む。


「…ねえ、何か…仁王君、らしくないよ…?」

「へぇ、どんな風に?」


 顔を上げた俺は何事もなかったかのように振る舞ってみせる。
 は一瞬言葉に詰まったが、すぐに口を開いた。


「…いつもの余裕がないみたい、に、見える…」

「ハッ…」

「何その乾いた笑い」


 馬鹿にしたつもりで笑ったら、真剣にツっこまれた。


「ねえ仁王君…」

「俺やっぱお前嫌い」


 が何か言おうとしたが、咄嗟にそれを遮る。
 突然また面と向かって「嫌い」と言われたからか、はムッとして堪りかねたように怒鳴った。


「それは、聴いた!
 そんな事をわざわざ言いたくて私を呼んだの!?」

「…ああ。
 俺がお前を嫌いだって事、よく覚えておいてほしくてな」

「…三度も言われれば嫌でも覚えるよ。
 そこまで嫌われるような事した覚えなんて、無いんだけどね!」


 は憤慨して吐き捨てるようにそう言い残すと、バタンッ!と大袈裟にドアの音を立てて部室を出ていった。

 …結局、俺は本当に何がしたかったんかね。

 ただ、が俺の内側を探ろうとするから、何も言えなくなった。
 詐欺師のプライドってやつかな。

 眉間の皺は、と柳生が両想いだと気づいたから。
 焦燥感は、それに焦って苛ついたから。
 安堵感は…は俺を嫌いではないんだと知ったからだ。

 『恋愛感情』なんて。
 しかも気づいたのが誰かのものになった後なんて。
 認めるのは、悔しかった。
 俺を壊すを好きになるのが怖かった。


「…「好き」だ…」


 俺の微かな呟きは何にも届く事もなく、誰もいなくなった静かな部室に小さく響き、溶けて…消えた。

 この言葉だけは、お前には絶対に言わない。
 「嫌い」という言葉だけで、お前を手に入れてみせようじゃないか。


 しばらくはひとりで無様に踊っててやるよ。
 だからその代わり、お前にはいつか必ずこの手を取らせてやる。
 それまでは、柳生にでも誰にでもエスコートさせてればいいさ。

 俺は半分に欠けた仮面を着けて、正反対なようで本気の気持ちをお前に伝え続けよう。

 「嫌い」という言葉に想いを込めて。救いを求めて。



 ひとりきりのマスカレードは、いつ終わりを迎えるのだろうか…





END





********************

あとがき
 普通の悲恋にするつもりだったのに、何だかダークに…
 それとも悲恋モノってこんなモンですか?
 悲恋は全然読まないのでよく解かりません。
 ていうかこれを悲恋と呼ぶのかすらも解かりません(ダメダメじゃん)
 ぽこぽこ場面が変わるのはワザとなんだけど、でも私の文章力の無さを物語っています(ぷふっ)

 タイトルの『masquerade』はGBAのテニプリ2004の仁王くんの技名から頂きました。
 攻略本で初めて見た瞬間にドキッとして。
 何か、哀しい響きだなぁと思ったんです。
 仁王くんて実は孤独な人なんじゃないかと思います。
 人付き合いは巧いんだけど、結局はひとりのような。


 2004年4月1日


ドリームメニューへ
サイトトップへ