First part     Sight      Food & Smile      Invitation      Decision
Waiting      Reason      Pieces      start
Interval     Monologe 桑原仁王切原
Second part     It's still early? 1      He'll obstruct it 1
    
 テスト勉強後半戦を終え、ブン太は大分ぐったりした様子だった。時刻は既に午後六時。がそろそろ夕飯の支度をしなければならないという理由で、勉強会は終了した。
 ブン太を見送る為に二人で玄関まで行くと、ブン太は靴に足を突っ込む寸前にはたと止まり、を振り返った。
「――いつも一人で食事なのか?」
「そうだよ」
「淋しくないか?」
 いくら毎日電話を寄越されて両親に忘れられていない事を解かっていても、家族が食卓にいるのといないのとでは違う。自分は家に帰れば親兄弟が待っているが、この広い家でたった一人食卓に着くというのはどんな気持ちなんだろうと、ブン太はの事を思って少し悲しくなった。
 は戸惑ったような表情で首を傾げて、「ないよ」と答えた。

「…俺、帰りたくねぇな」
 の答えが不満だったわけではない、それでもブン太はを一人にしたくなかった。
 しかしそのセリフはのお気に召さなかったようで、は不快そうに眉をぎゅっと寄せて腕を組み、毅然とブン太を見据えた。
「――帰りなさい。ブン太にはブン太の家があるでしょう」
 はいらぬ同情なんかするなと言いたげだ。だからといってブン太は引き下がる事も出来はしなかった。
「…じゃあ妥協する。が晩飯の用意してる間だけ一緒にいさせてくれ」
「何の為に?」
 冷たく言い放つの声にも怯まず、ブン太は敢然と立ち向かった。
「俺の為だ。少しでも長くの傍にいたい」
 かじりついてでも俺はここにいるぞ、という態度のブン太に負けて、は組んだ腕を解いてふぅ…と溜め息をついた。

 今のやり取りだけで疲れたのか、はリビングに向かいながら何も言わずブン太を手招きした。ここに居座る事を許可されて、ブン太は満足気にニッと笑いの後をついて行く。リビングからキッチンに向かうのにも迷わずついて行って、ブン太は勝手にダイニングテーブルに着席した。
「…ブン太の家でもそろそろ夕食なんじゃないの?」
 既に家に帰す事を諦めているはブン太の行動を気にも留めず、カウンターキッチンの向こう側で冷蔵庫から適当な食材を取り出しながら何の気なしに訊ねた。
「そうだろうなぁ。今腹減ってるし」
「ご馳走はしませんよ」
「も、もちろんサ」
 ブン太はさり気なく自然な流れで夕飯にお呼ばれされようと水を向けたが、先に釘を刺されてしまって密かに肩を落とした。

 暇ならテレビをつけてもいいとは言ったが、ブン太は特に退屈ではなかった。良く考えれば、時折がお菓子を作ってくれる事はあったが、今のように食事なりお菓子なりを調理している過程を見た事はない。慣れきった動作がそこにはあって、同い年の女子を見ているというより、自分よりずっと年上の女性を見ているような気分だった。
 しばらくすると食材の良い匂いが広がってきて、ブン太の胃は空腹を訴え始めた。ぐぅ〜と情けない音が聴こえて、は顔を上げて何だか気の毒そうにブン太を見た。
「早く帰れば?」
「ん〜…」
 ブン太からは気のない返事が返ってきただけだったので、は溜め息をついて再び調理に集中する。ブン太はテーブルに突っ伏しての方を向いていた。

「せめて帰りが遅くなるって家に電話一本入れればいいのに」
「ああ…そうだな…」
 ブン太は緩慢な動作で携帯電話を取り出し、その場で自宅に電話をかけた。出たのは母だったが、とっとと帰って来いだの迷惑になるから彼女の家にあまり長居するなだのとやかましいお叱りを受けた。
 も皿を用意し始めて夕餉が出来上がる頃だったので、ブン太はそろそろおいとましようと立ち上がった。
「帰るの?」
「ああ、早く帰れって怒られたんでな」
「あそう、じゃあお見送りする」
 エプロンを外しながらがキッチンを出てくる。ブン太は別にいいよ、と答えようとしたが、ふと思考を変えた。

 リビングへと視線を移す。そこにはピアノとバイオリンが仲良く寄り添っていた。二つの楽器をぼんやり見つめたまま、ブン太は口を開いた。
「…なあ、の両親が音楽家なら、もあれ弾けるのか?」
「それなりにはね。上手くはないよ」
「どっちも?」
「一応ね」
 その答えを聞いてから、ブン太はを振り返った。子供のように瞳が輝いていて、は少し面食らう。
「――何か弾いてくんない? …あ、メシが冷めちまうかもしんないけど…よかったら」

 断られる事をかなり覚悟していたが、は「いいよ」と意外なほどあっさり承諾した。逆に驚いてしまったブン太を放って、はリビングへ向かう。
「どっちを弾いてほしいの?」
 ピアノの蓋に軽く手を置いてが訊ねる。ブン太は我に返り、来た時に最初に座ったソファに腰掛けながらを見上げた。
「得意な方でいいよ。曲も好きなのでいいし」
「じゃあピアノね」
 はカバーを丁寧に上蓋に乗せ、鍵盤の蓋を開いた。鍵盤のカバーも取って、隣の棚に乗せる。

 椅子に着いて姿勢を正すと、はすっと腕を上げ指を鍵盤に添えた。
 そして次の瞬間には、柔らかなメロディが響いていた。
 ブン太はこの曲が何という曲名なのかすぐに気がついた。聴かされたのはバイオリン楽曲の方だったが、最近音楽の授業で習ったばかりの曲だったからだ。
(エルガーの、『愛のあいさつ』だ…)
 優しい旋律は普段のから受ける印象とは違っていたけれど、笑顔の時のはこんな感じだとブン太は思った。の穏やかな一面を見る事を出来るのは自分だけのように感じられて、それが嬉しくてたまらない。
(『愛のあいさつ』を選んだのって、俺に捧げるって意味かな…)
 そうだったらいいのにと思いながら、ソファに身体を沈めて目を閉じる。

 ブン太が曲とソファの心地好さにうとうとし始めると、ピアノの音が途切れた。ハッとして目を開け身体を起こすと、ちょうどがブン太の方を振り返ったところだった。
「…終わったよ」
 眠りそうになっていた事は特にツっこまれずに済んで、ブン太はホッとして笑った。
「ん、ああ、うん――上手くないって言ってたけど全然上手いじゃん。素人が聴いたら普通に上手いって」
「それはどうも」

 ブン太はの素っ気ない返事に苦笑しつつ、ソファから腰を上げての横に立ち、目の前の鍵盤を人差し指でポーン…と鳴らした。
「何で『愛のあいさつ』だったんだ?」
「何でって…ブン太が好きな曲でいいって言ったから」
「あ、ホントに好きな曲なんだ?」
 自分の為に弾いてくれたのではなく?とブン太は付け加えたかったが、少し無粋かもしれないと思ったので言わないでおいた。
「うん。小さかった頃に両親がよく合奏して聴かせてくれて…一番耳慣れた曲だから」
「思い出の曲かぁ」
「どうなのかな…――私も久し振りに弾いた」
 はピアノを片づけながら呟く。

「また弾いてくれよ、俺のピアノ好きだな」
「寝てたのに?」
 嫌味には聴こえなかったが、うとうと眠りかけていた事を時間差で指摘されてブン太はギクッとした。
「それは音が気持ちよくてだな…――あ、今度はバイオリンバージョンがいいなあ!」
「いいよ」
 言い繕う為に咄嗟に今度を口にしたのに、の答えはまたも普通に肯定的で、ブン太は逆に意表を突かれて唖然とした。その顔が面白かったのか、はクスリと微笑った。

「もう七時になるよ」
「お、おう」
 実は帰らなければならない事を完璧に忘れていた。本当にこのまま居座れたらいいのにと後ろ髪引かれる思いで、リュックを持って玄関に向かう。
 今度こそブン太は靴を履いてからを振り返ると、軽く笑ってみせた。
「また来てもいいか?」
「いいけど――今度は両親が帰ってる時に呼ぼうか? 逢いたいんでしょ?」
「え、いきなり?」
「人当たりのいい人達だから特に緊張する必要もないと思うし……私に付き合ってる人がいるって事も知ってるし、ブン太に逢いたいとも言ってたから」
 が親に自分の事を話しているとは思いもよらず、ブン太は嬉しさに身を乗り出して、興奮気味にの両手を掴んだ。
「マジで!? じゃあ次はぜひ帰ってる時に呼んでくれよ!」
「うん、そうする」

「……」
「……」
「…キスしようか?」
 ブン太がの手を放さないまま何をするでもなくじっとを見つめていたから、が何気なくそう切り出した。玄関に下りているブン太の方が位置が低いので、が背を屈めなければキスがし辛いのは確かなのだが。
「…えっ?」
 全然そんなつもりはなく思考がオフになっていただけのブン太は咄嗟に訊き返してしまった。
 は苦笑しながら身を屈めて、ボケッとしているブン太の頬にキスを落とした。それで今度はポカンと半開きになってしまったブン太の顎を指先で持ち上げてやる。ブン太はやっと我に返り、顔を真っ赤にした。
「おまっ、お前…!」
「何?」
 キョトンと首を傾げるを、ブン太は訝しげにまじまじと眺める。
「お前ってそんなキャラだったか…?」
 変装が得意なチームメイトの仁王の存在があるので余計に偽者ではないかと疑ってしまう。
「キャラって何が?」
「いや…自分からキスとかするようなタイプじゃないかなっていうか…」
「しちゃいけなかった? キャラとか関係ないと思うんだけど。愛情表現でしょ、違う?」
「あいじょ…う…?」

(――あ…そっか…)
 と付き合ってから半期ほどはあまりにも冷たくあしらわれていたというか、自身の気持ちが固まっていない状態だったのでラブラブと呼ぶには程遠かった。そして三月にやっとからの「好き」が聴けて、何か変わるかと思ったけれど特に変わりはしなかった。だが違う、変わっていなかったのではなく、あまりにも変化が僅かずつすぎて、解かりにくかっただけなのだ。
 は生まれたばかりの恋愛感情をどう育てていけばいいのか、なりに模索していたのだ。
 ブン太は目の前にいる無垢で不器用な女を、ひどくいとおしく思った。
「ん――そうだな、愛情表現だ。いーよ、いつでも来い」
 ブン太はニッと笑ってみせる。それからの腕を掴み、爪先を少し浮かせてにキスをした。

 ほんの少しだけ顔を離し、瞳を覗き込んでの頬を撫でる。
「…これも俺の愛情表現だぜ?」
 微笑んでブン太がそう言うと、触れている手のひらに伝わるほどの頬が熱くなった。
 ブン太はニヤけそうになるのを堪えて何とか普通に笑いかける。
「可愛いな、お前」
 は赤面したまま唇をきゅっと引き締め、困惑したように呟いた。
「……今の「可愛い」も愛情表現?」
「いんや、今のは率直な感想。はすげー可愛い」
「それはどうも…私を可愛いなんて言うの、親以外ではブン太くらいだよ」
「じゃあを見る目があんのは、俺だけってことだな」
「そう…なの、かな…」
 自分自身の事となると、は鈍いを通り越して無知だとブン太は思う。そしてそこが可愛くて好きだとも思う。
「そうそう」
のいいところを知ってるのは、俺だけでいいよ)
 なんて、独占欲にも似た感情も抱く。

 ブン太は名残惜しそうにの頬をもう一撫でしてから踵を下ろして一歩下がり、本日何度目かになる帰りたくない衝動をどうにか跳ね除けた。それはきっと、空っぽの胃が悲しげに鳴り出しそうになったからだ。
「――んじゃ俺、そろそろ帰るな」
「うん、気をつけて」
「ああ――…な、俺も電話していいか?」
「ん?」
「夜にさ、の父さんと母さんがするみたいに…」
 一日を振り返ってみたり、家であった些細な出来事を話して聞かせたり、そんな無駄とも言える、けれどかけがえのない大切な時間を。たとえ学校で毎日会っていたとしても、ブン太はと過ごしたかった。
「…嫌か?」
 恐る恐るブン太が訊ねると、は軽く首を振って、数時間前に「好きだよ」と言った時と同じように優しく微笑んだ。
「いいよ」
「…そっか、サンキュー」
 ブン太も嬉しそうにに微笑み返した。

 ブン太はに背を向け、玄関のドアノブに手をかける。ドアを開けて外に身体を滑り込ませてからを振り返ると、は「バイバイ」と手を振っていた。
 「またな」と手を振り返してドアを閉める一瞬。
 向こう側から、「ありがとう」という小さな呟きが聴こえた気がした。





to be continued…





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中書き
 はい、バカみたいな長さですね。どうもすみません。
 もう少し文章をまとめる力があればこんなにも長くなりはしなかったろうに…
 第二部のテーマはえー…『性』について、です…かね。そうでもないか。
 今回の話をお読み頂ければお解かりになられたかもしれませんが、いつになるとは(書くのも考えるのも遅いので)公言出来ませんけれども、この連載中でそのうち裏が入ります。
 ので、ここまで読んで頂いてあれなのですが、裏が苦手な方は今のうちに読むのをお控え頂けると助かります。もしくはその話だけ飛ばして読んで頂くとか(書いた方としてはそっちのが嬉しいです)
 私が裏の部分だけ反転させるとかして後に巧く繋げばいい話なんですけどね。うん、そうしようかな。
 ちなみにヒロインのパパママもそのうち登場させるつもりです。


 2005年6月15日


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