First part     Sight      Food & Smile      Invitation      Decision
Waiting      Reason      Pieces      start
Interval     Monologe 桑原仁王切原
Second part     It's still early? 1      He'll obstruct it 1
    
 晴れて真の両想いとなったとブン太だったが、春休み中も部活のスケジュールがふんだんに組み込まれ、新学期が始まってブン太の誕生日が過ぎ、ひと月が過ぎても、何の進展もなかった。
 通常のカップルであれば、どちらかが「淋しい、二人の時間が欲しい」と言い出してもおかしくはない頃だが、ブン太は中学最後となる部活に打ち込むのに手一杯、はその姿を間近で見ているので何の不満もなかった。
 二人は、待つ事に慣れ過ぎていた。
 必然的に、二人きりになれる時間は登下校のみとなり、その他の場所でのびのびデートなどという事は、とても遠い世界の出来事のように感じられた。

 ――この日までは。





  It's still early?





(…どうしよう)
 ブン太は、目の前にある一軒の家を見るともなしにぼんやりと見上げながら、このチャンスをいかに巧く使おうか、その場で3分ほど考えていた。
 その家の玄関先にある灰色の表札には横書きの『』の文字。その文字の隣には上から順に男性、女性の名前があり、一番最後に『』と黒く刻まれている。

 なぜブン太が家を訪れるに至ったのか。その理由は5月半ばの会話にあった。


 中間考査の一週間前という事なので、どの部活も――王者と呼ばれていようがなかろうが――例外なくテスト休みに入る。
 そんなある日、ろくに勉強をしていなかったブン太が「中間やべぇかも…」と頭を抱えていた時に、が手を差し伸べたのだ。
 テスト直前の休日の土曜日に、うちに来て勉強しないか。と。
 一瞬何を言われたのか解からなくて、ブン太の思考回路は一瞬停止した。だがは気にせずに、こう続けたのだ。

「どうせ誰もいないから、静かではかどると思うよ」


 ――の事だ、言葉以上の意味は全くと言っていいほどないだろうが、そこは所詮抑圧されていた男子中学生、誰もいない家に誘われて何もしないと断言出来るほどブン太の理性は成熟していないし、ブン太は自分でもそれを解かっているから、こうして3分も――もう4分になろうとしているが――インターホンを鳴らせずにいるのだ。
 いっそ引き返してしまおうかとか、誰か他の人間も呼んでしまおうかとまで考え始めた時、家のドアが内側から開いた。中から顔を覗かせたのは、もちろんだ。
 驚いて硬直するブン太を怪訝そうに見て、が一言。
「…窓から見えてたけど、何してんの?」
「え? アハハハ…」
 ぎこちない笑みを顔に張りつかせ、ブン太は目を泳がす。はますます訝しんだが、ドアを広く開け、中に入るようブン太に促した。ブン太がソロソロと玄関に入ると、は後からドアを閉めた。

「…ひっろ…」
 ブン太は、二階まで吹き抜けになっている広く明るい玄関を見上げ呆然とする。
「そう? ――早く上がってよ。いつまでそうしてるの?」
 先に靴を脱いで上がっていたが呆れたように言う。
 我に返ったブン太は、玄関に上がりながらある事に気づいた。クンクンと鼻を忙しく働かせる。
「…甘いニオイがする」
「ああ…ブン太が来る前にクッキー焼いてたの」
「えっ!? まさか、俺の為に?」
 ブン太が期待に満ちた瞳でを見つめると、は言いたくもなさそうに「…まあ、一応そうなるのかな」と言った。
「…私、お菓子作ったり、料理するのも趣味なの。それを振る舞う相手が普段いないから、ちょうどいいと思っただけ」

 ブン太はの言い草に、素直じゃないなぁと思いながらも、ふと今のセリフの一部が頭の端に引っかかった。
「…「振る舞う相手が普段いない」…?」
 どういう事だと訊ねようとするのを遮るように、は小さく溜め息をつきながらブン太をリビングに通す。クッキーの甘い香りがさらに鼻孔をくすぐった。テーブルの上にあるクッキーが積まれた皿が、ブン太の目に映った。

 ――だがそれよりも先に視界に入ったのは、その奥にあるアップライトピアノだった。綺麗な模様のカバーが蓋の辺りまでかけられている。
 ブン太がそれをじっと見ているのに気づいたは、無表情にピアノを見ながら言う。
「…ピアノ? それはお母さんの」
 ブン太はふぅんと息を吐く。その時、ピアノの横にある楽譜やレコードなどが並べられた棚の脇に置かれている黒いケースが目に入った。
「あれは?」
「あれは、お父さんのお古」
 ブン太はそのケースに目を凝らし、その形状から正体にすぐ気づく。
「バイオリン?」
「うん。お父さんはバイオリニスト、お母さんはピアニスト」
 家族構成は知っていたが、初めて聞くの両親の職業に、ブン太はギョッと目を見張った。
「すげ…」
「両親はいつもあちこち国内外を飛び回ってるから、月に一、二度しか帰ってこないの。だから「振る舞う相手が普段いない」わけ」
 淡々と説明するの表情には、何の感慨も見られなかった。仕方がない事と割り切っているのか、強がっているのか。

 ソファに座るよう促されてリュックを下ろして腰掛け、ブン太はテーブルの上の丸いクッキーを手に取る。囓るとほのかに紅茶の味がした。
(…うまい)
 キッチンへ行って飲み物を用意し始めたを見上げ、ブン太は窺うように問うた。
「…淋しくない?」
「ない」
 の答えはあっさりしていた。

 お盆に空のグラスを二つと瓶入りのフルーツジュースを乗せて戻ってきたもブン太の向かいのソファに腰掛け、グラスにジュースを注ぎながら続ける。
「あの両親は私に淋しがる暇を与えてくれないから」
 ブン太の前にグラスを置いて顔を上げたは、苦笑していた。
「可能な限り日本時間の毎朝毎晩に電話を寄越して、今日は何があっただとかどんな事をしただとかを話して、私にも聞くの。帰ってきたら帰ってきたで、出迎えると過剰に抱きつかれるし」
「…えーと…それって…?」
 の両親の行動はの性格とどうにも結び付かなくて、ブン太は混乱した。
「子煩悩ってやつかな。だから、淋しいなんてこれっぽっちも思わないよ」
 どんなに離れていて忙しくとも、両親は自分を忘れているわけではないのだから淋しくない。むしろ一日くらい忘れてくれたって構わないほどだ。
 が最後にそう付け加えると、ブン太はホッとして、くしゃっと笑った。
「俺、の親に逢ってみてーかも」
「テンションが微妙に高くて疲れるよ?」
 再び目の前のとのギャップを大きく感じて怯んだが、ブン太はこぶしを作って意気込んだ。頬が微かに紅潮している。
「でも、いずれは俺の親にもなるだろぃ?」

「――は?」
 ブン太の言葉の意味が解からなかったのか、は眉を顰めて聞き返した。
 ブン太は今さら恥ずかしくなって、握ったこぶしをゆっくり解いて膝の上に置き、俯く。
「…だからさ…俺たちが、その…け、ケッコンとかしたら…さ」
 言ってさらに恥ずかしくなり、ブン太はそれをごまかすようにクッキーに手を伸ばした。
「あぁ…――」
 中空に視線を向けてぼんやりと考えたは、やっと合点がいったのか、何度か頷いた。
「――そうだね」

 ブン太の口から囓りかけのクッキーが、ぽろっと落ちた。
 信じられない気持ちで視線を上げると、は何事もなかったかのような表情でジュースを一口飲んでいた。がちら、とブン太に視線を向けて、クッキーが落ちている事を指摘する。
「ぁ、うん…」
 慌てて拾いながら、ブン太はこのやり取りにデジャヴを感じていた。
 ――ブン太がに恋した瞬間。あの時も、こうしての作った食べ物を取り落としてしまい、それをに指摘されて、拾いながらもドギマギしていた。

「ねぇ…何かさ」
 が声をかけてきて、ブン太は顔を上げた。は小さく笑んでいた。
「…前にもこんな事あったよね」
 懐かしむようにそう言って、きゅっと目が細まり緩やかな弧を描いて、笑みが深まる。

 矢にサクッと――あるいは弾丸にズキューンと心臓を貫かれたのような衝撃がブン太に走った。胸の辺りでぎゅっと服を握る。
(うわ、なんか…もう一回恋したみたいな気分だ)
動揺を隠すように、ブン太は拾ったクッキーを無造作に口に入れてもぐもぐ噛み、「おう」と頷いた。

「ところで…――」
 いつの間にかの表情はいつも通りに戻っており、突然話題が変わった。
「――ここでする?」
「えっ…!? なななな何をっ!?」
 ただでさえ赤くなっていたブン太の顔が、その鮮やかな髪と同色に見えるほどに赤くなった。咄嗟にいかがわしい想像が脳裏を駆け巡ったのだろう事が一目瞭然だったが、がそれに気づいたかどうかは定かではない。怪訝そうに眉を寄せて、当然のように答えただけだ。
「何をって、テスト勉強」
 それを聞いた瞬間、ブン太の顔色は一気に赤から蒼白に変わった。見事に忘れきっていたこの家に訪れた本来の目的。
「あ、ああー…勉強ね、勉強、うん」
 このまま忘れていられたらどんなに幸せだったろう。先程まで結構甘い雰囲気ではなかったか。

 だがは容赦なかった。ブン太が目的を忘れていたので少し不機嫌そうにも見える。
「それで、どうするの? ここで勉強する? それとも私の部屋にする? 私はここの方が広くていいと思うんだけどね」
の部屋がいいッ!」
 の希望を蹴ってブン太は力一杯答えた。彼女の家に来て、部屋を見ずには帰れまい。
「あ、そう」
 はクッキーの皿と空けたグラス、ジュースの瓶をお盆に乗せて持ち、すっくと立ち上がってブン太を見下ろした。
「立って。部屋に行くよ」










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