私はキラキラしたものが好きだ。
 歳不相応な宝石なんかじゃなくて、そのものが光っていてもいなくても、美しく輝いて見えればいい。うんと抽象的なイメージでいい。


 たとえば夜空に瞬く星や月。

 たとえば色とりどりのビー玉。

 たとえば太陽の光をはじく水面。

 たとえば美少年がスポーツで飛び散らす汗。


 たとえば…――










  キラキラ










 我ながらナイスなポジションを手に入れたものだ。

 腕を組み悦に入って「うむうむ」と頷きながら、私は目の前に広がる絶景を眺めていた。
「何ニヤニヤ笑ってんだ、気持ち悪ィ」
「わぁっ! …っと。何だ、跡部か」
 突然真横から声がしてそちらを見ると、ものすごく近くに呆れ顔の跡部景吾が立っていた。私はシッシッと苦手な動物を追い払うような仕種をする。
「私の至福の時を邪魔しないでくれる?」
「寝ぼけた事を言いやがるのはどの口だ? 塞いでやろうか、ァン?」
 目を据わらせた跡部がさらにずいっと近づき迫ってきた。オオゥ、ノーセンキュー!
「いえいえすいませんごめんなさい。ちゃんと仕事しますですはい」
 私の足元には黄色いボールが散在している。何度拾おうが延々と散らばっていくそれらをせっせと拾い集め、いちいちカゴに帰してあげるのが私の仕事だ。





「球拾いでもいい、私を男子テニス部に入れて!」

 この氷帝学園中等部で、そう懇願する女子がどれだけいることだろう。しかしその願いが取り入れられる可能性は限りなく0に近い。部員が二百人もいれば、マネージャーなんて全く必要ないからだ。
 その0が1になったのは、私の日頃の行い――もとい、巡り合わせがこの上なく良かったからとしか言いようがない。
 私と跡部景吾は幼稚舎の頃からずーっと同じクラスで、幼なじみとまではいかないが、まあ腐れ縁という間柄だ。
 同クラスどころか違うクラスの女子まで跡部に憧れていてお近づきになりたいわと思う中、私は跡部と小学五年までまともに口を利こうともしなかった。特に興味がなかったからだ。キャーキャー騒いでいる集団に私がいつも白けた眼差しを向けていると、逆に跡部に興味を持たれて変に気に入られたのが始まり。対等に向き合ってくれる女子がいなくておぼっさまはつまらなかったんだろうな、と思った。

 言いたいことを言い合えるそれなりにいい友人関係を築いてきて、時たま跡部のテニスを見学するようにもなると、世の中にはこんな種類のキラキラもあるんだと気づかされた。
 ――人もキラキラするんだ。
 好きとかそうでないとかを抜きにしても跡部は間違いなく美少年で、その美少年が汗を流して真剣にスポーツに打ち込む姿は、なんて綺麗に輝くんだろうと感動した。
 私は、跡部に権とか財とかの力を求めたことはなかったけれど、初めてそれを借りようと思った。そしてめでたく、テニス部のマネージャーのような、あるいは新入部員のような仕事を頂戴した。
 跡部だけじゃ物足りない、もっとたくさんの美少年がキラキラするところを見たい。テニス部員ファンが聴いたらぶっ飛ばしたくなるような理由で、私は0を1にしたのだ。
 いえ、跡部には感謝してるのよ、ホント。ただこれだけの美少年のキラキラを一遍に目の当たりにすれば、見入ってしまうのは仕方ない。私はキラキラに魅入られているんだから。

 テニス部に入って早一年、今、私には一等お気に入りのキラキラがある。





「もうお前は役に立たねえからここはやらなくていい。ジローを捜してこい。アイツまたどこかでサボってやがる」
 私が屈んで球拾いを始めようとすると、溜め息をつきながら跡部が言った。
 ジローこと芥川慈郎は、現在氷帝テニス部正レギュラーで、その肩書きに反して不真面目で、いつも寝ていて、ふわふわしてて、掴みどころのない、美少年だ。
 ジローには眠気によるサボり癖があり、しかもいる場所がランダムらしく、誰もが彼の扱い方に頭を抱えている。この跡部ですら。
 私はキラキラウォッチングが出来なくなることに心の中でチッと舌打ちしたが、これ以上跡部に楯突くのも得策ではないので、素直に命令を聞き入れてその場を移動した。
 ただ、「お前は役に立たない」っていうのは失礼だわ。事実だけど。

 部室、校舎裏、保健室、ジローのHR教室、各実習室、空き教室――と、これだけあちこち捜してもジローは見つからない。私は普段ジロー捜しを頼まれないので、どこにいるか見当もつかないのだ。ああしまった、樺地くんにジローのいそうな所を訊いておけばよかった。今ごろ気づくなんて不覚。
 外から内、下から上へと彷徨って、自分的に最後のポイントへと辿り着く。
 屋上、ここにいなかったら帰ってしまったものとして諦めよう。そして跡部から『役立たず』の称号を謹んで頂戴しようじゃないか。
 半分以上諦めながら少し重たい扉を開け、屋上をぐるりと見て回る。影も形もない。
「ちきしょーうッ! ジローはどこだぁ!!」
 誰もいないのをいいことに、私はストレスを吐き出すようにその場で叫んだ。見つからない上にキラキラウォッチングタイムを奪われたなんて。ジロー、今度会ったらどうしてくれよう。

「――ここにいるけど〜?」
 憤りを持て余すように私が両手をわきわきさせていると、ジローの声が背後から聴こえた。怒りの形相のまま振り返ってみると、給水塔からジローが寝起き顔をひょっこり出していた。
「わ〜…の顔こぇ〜…」
 そう言うが、顔も声も全然怖がっていない。あわよくばもう一丁寝てやろうという風に見えた。それを阻止すべく、私は給水塔のハシゴをよじ登る。待ってらっしゃいジロー。
 天辺へ手をかけ、上の段へ登る足と腕の力でぐわっと身体を持ち上げ登りきる。
「ああっ! 寝るなァ!」
 私がハシゴを登っているほんの短時間のうちに、ジローは横になって再び寝入っていた。慌てて駆け寄り身体をガクガクと揺する。
「寝るな! 寝るなジロー!」
 私の労力と時間を無駄にしないでくれ!
「んん〜…もうちっと寝させて…」
「起きないとここから突き落とす!」
「落ちたら死ぬよ〜…」
 一瞬我を忘れて本当に突き落としてやろうかと思った。しかし、次の瞬間には確実にジローを起こす方法を思いついていた。
 ジローも起きるし私もとっても満足出来るし、ああ、なんて一石二鳥なアイディアなんだろう。
 私はジローを揺さぶるのをやめて、ジローの耳元に顔を近づけ、こそっと囁いた。

「…跡部が試合してくれるってさ」

 ゴッ!――と、勢い良く起き上がったジローの頭が私の鼻をぶった。痛い痛い、鼻血出る鼻血出る。
 ジローは大して痛そうもなくぶつかった頭をさすりながら、パッチリお目々を私に向けた。
「マジっ!?」
「ま…マジですよ」
 答えながら鼻の下に指を当て、すんすんと鼻をすすってみる。よかった、鼻血は出てない。
「よっし行こーう!!」
 ジローはずわっと立ち上がり、痛みを和らげようと鼻を揉んでいる私の手を引いて無理矢理立たせハシゴの所まで引っ張り手を離すと、サルのような素早さでハシゴを降りていった。
も早く来いよー!」
 それだけ言うと、ジローは一目散に屋上を出ていった。
「ちょっ、まっ…ええ!?」
 予想以上の覚醒に戸惑いつつも、私も急いで後を追う。全速力で駆けても、ジローの姿が見えたのはコートに辿り着く手前だった。は、早すぎる。
 私は息も絶え絶えだったけれど、「跡部ー!」と叫びながらダッシュでコートに降りていくジローの期待に満ちた横顔を見て、口の端がくくっと自然と持ち上がった。

 パステルからビビッドに変わった。
 さあ、ショウタイムよ。





 跡部は最初、興奮しまくっているジローに何が何だか解からない様子だったけれど、後から現れ第一声に「ごめんねー」と笑顔で言った私を見て事情を察したようだった。
「解かった。お前に任せたのが間違いだった」
 呆れたというか疲れたというような口調で跡部はうな垂れた。長い付き合いの跡部は私の嗜好を良く知っている。
 それでもちゃんとジローの相手をしてあげるんだから、跡部はいい奴だよ。
「ジローは走ってきたみたいだからアップはいらねぇだろ、とっとと始めるぞ。3ゲームマッチでいいな?」
 私が審判を買って出ると、跡部は投げやりに「好きにしろ」と言い放った。

「ザ・ベスト・オブ3ゲームマッチ! 跡部サービスプレイ!」
 審判台の上から私がコールをすると、跡部がサーブを打った。さすが跡部、しょっぱなから手加減ナシね。望むところよ。
 ジローがリターンして、サービスラインの手前まで出る。ネットに出るタイミングをもう窺い始めているんだ。しかし跡部はそれを許さず、コーナーギリギリに向かって鋭いスライスを打ち、ポイントを決めた。15‐0。
「俺様のサービスゲームでお前を前に出させるかよ」
 ガットに指を引っかけながら、跡部が不敵に言う。ホント、ビジュアルだけじゃなく実力が伴ってるから、好きでなくても格好良く見えちゃうのよねー。キラキラし始めてるし。
 一方、最初のポイントを取られたジローは、見ているこちらがゾクゾクするほど嬉しそうに笑っていた。

 ――もっとキラキラしてちょうだい。

 私は審判がおろそかになりそうなくらい、ジローに見入っていた。
 私の一等お気に入りのキラキラ、それは芥川慈郎だ。彼以上にキラキラしている人を、私は見たことがない。もう度合いからして他とは違う。濁りも穢れも一切なく、もう、常に全身から光の粒を撒き散らしているのだ。ただそれは、覚醒してテニスをしている時限定なんだけど。
 だからジローを完全に目覚めさせる為に跡部の名を出した。強い相手を前にしないと覚醒してくれないというのがネックだ。常に起きていれば、私は間違いなく彼に惚れていただろうに。うーん惜しい。

 …それにしても、なんて素晴らしい眺めなのかしら。試合なんて普段は真横で、もしくはスタンドで、どちらも離れた位置からしか見られない。それが今はどうだ。審判台という至近距離から、俯瞰のアングルでお気に入りのキラキラを眺められるなんて。
 あっ、今の、下からも見たかった! ああたまらない、デジカメで録画したい!
 興奮して油断すればヨダレすら垂らしそうな私を正気に戻したのは、コートチェンジ時に審判台をラケットでコツンと叩く跡部だった。
「お前、口元を引き締めろよ。緩みすぎだぜ」
 ひどくゲンナリしている。ジローの相手だけでも疲れるというのに、とでも言いたげだ。

「は〜楽しかったっ!」
 結局、第2ゲームのサービスを何とかキープしただけでジローは負けてしまったんだけれど、ジローはとても満足そうだったし、私も多分ジロー以上に満足だった。
 しかもジローはどうやら跡部に負けたことで多少練習する気が起きたようで、その日はキラキラし通しになり、私は彼を網膜に焼きつける作業で忙しかった。跡部は私がサボっていても、もう何も言わなかった(無視していたとも言う)。
 は〜お腹いっぱい! なんていい日だろう!





 部活時間が終了し、私はミーティングルームの奥の席で部誌を書く。興奮の余韻が残っているのか、本日行った練習メニューを綴る文字がいつもより大きく大胆になる。
 キラキラを見るのは私にとってエネルギーの充電だ。今日ほどのキラキラならば、一週間は幸せ気分が続き、バカみたいに元気でいられることだろう。
「あーつっかれたー!」
 ガチャリと豪快な音を立てて外からジローが入ってきた。首には普段あまり使われないタオルが下げられていて、ラケットを持っていない方の手で汗を拭っている。
「おつかれー!」
「ジローもお疲れさまー」
 そしてキラキラをありがとう、という感謝を込めて笑顔を返す。

 ジローはそのまま続き部屋の更衣室に向かうのかと思いきや、テーブルの上にラケットを置くなり隣のイスに腰掛け、ニコニコと私の顔を覗いてきた。
、なんか嬉しそうだね?」
 そう言って首を傾げると、こめかみの辺りからツーッと汗が一筋流れるのが見えた。それを全然汗臭く感じないのは、ジローがまだキラキラをまとっているからだ。ああこんな人工の光の下でじゃなくて、太陽の下で見たいビジュアルだわ。
「あー…うん…まあ…ね」
 私は半ばジローに見惚れながら曖昧に返事をした。いくら何でも「あなたがあまりにもキラキラしているから興奮しているんですよ」とは言えない。変人だと思われる。

 その時何の前触れもなく、「そういえば」、と思った。
 そういえば、私はキラキラしている人に触れたことがない。
 物は――それこそ、ビー玉なんかは、指先でつまんで光に透かし、その美しさに一人で勝手に満足するだけのものだ。
 けれど、人に触れたらどうなるんだろう。
 キラキラが消えてしまわないだろうか。触れた途端、目の前で霧散してしまわないだろうか。そんなのは嫌だ。嫌だ。けど。

 私はおそるおそる、ジローのタオルの端を持ち、それで先程流れた汗を押さえてみた。
 ジローは親猫に毛づくろいされる子猫のように、両目をきゅっと細めて笑みの形を作る。
「ありがと」
 どきりとして、慌ててタオルから手を離した。光の粒に触れた気がした。
 ジローは何も気にしていない様子で、「今日はガンバりすぎてすっげー汗ダラダラだよ」とか言いながらえへへと笑った。
 ならとっとと更衣室へ行って着替えてサッパリすればいいのにと思うが、ジローは立ち上がる気配すら見せない。

ってさ、跡部と付き合ってるの?」
「ハ?」
 あまりにも唐突過ぎる質問に、顔が引きつった。力の限り首と手をぶんぶん振る。
「ないない! ありえない!」
 跡部は悪友であって恋愛対象ではない。男女間の友情が存在するのならば、その相手は跡部だろうと思っているくらいだ。さらに言えば、私はまだ人間相手に恋をしたことがない。私が恋している(むしろ愛している)のはキラキラだ。それ以上でも以下でもない。
「ふーん…仲いいから、付き合ってるのかとずっと思ってた」
 「ずっと」? ずっとそう思われてた!? それって、他の人にもだろうか。何にしろ、そんな誤解は迷惑でしかない。跡部ファンに睨まれようと怖くはないけど、連中はウザい。それだけの情熱があるのなら本人に向ければいいものを、どうして無関係の私がとばっちりを受けねばならないのだとしばしば思う時がある。そうか、付き合ってると思われてたのか。
 ジローはもう一度「ふーん」と呟いて、タオルで頭をがしがし拭った。

「ねーねー、って、テニス好きなんだねー」
「ハ?」
 次から次へと変わる話題に、頭がついていかない。ジローのリズムには法則性がまったくなくて、いろんなジャンルの音楽をシャッフルして聴かされているような気分だ。
 ていうか、いやいや、私がテニス好き? どこからその発想が湧いてきたの? 何度も言うようだけど、私が好きなのはキラキラしてる人であって、正直、テニスじゃなくても…なーんて。
 どう上手く答えようか考えを巡らせていると、ジローが被せて言った。
「だってさ、テニス観てる時のって、すっげーキラキラしてるもん」
 ――絶句。本当に、言葉を失った。

 初めてだった。自分がキラキラしていると指摘されたのは。
 自分はキラキラを見る側の人間だと思ってた。自分がキラキラするなんて、考えたこともなかった。
 キラキラしている私はどう…なんだろう。どう見えているんだろう。
 初めて他人の目が気になった。

「俺たちの練習眺めながら、いつもニコニコしてるよね。それがね、すっげーキラキラしてんの」
 跡部曰く「ニヤニヤして気持ち悪ィ」ってやつだろうか。それが私のキラキラ? キラキラを見つめている時の私がキラキラ?
「俺ね、キラキラしてるが好きだよ」
 と、キラキラな笑顔でジローが言った。
 ジローの言葉が、すとん、と胸に収まる。素直に、嬉しい。頬が火照った。
「…ありがとう。私も、キラキラしてるジローが好きだよ」
 あなたのキラキラが好きだと誰かに言うのも初めてだった。跡部にも言ったことない。
 それは、とても、心地好かった。隣人に無償の愛を捧げるキリスト教徒のように、想うだけで幸せだった。
 あなたのキラキラが好きです。キラキラしているあなたが好きです。

 ジローがぱあっと表情を輝かせる。
「ほんとっ? じゃ、両想いだ!」
 …え?――んんっ? なんか、ジローの顔が近いような。近いって言うか、ぶつかるんじゃない、これ?
 激突に備えてぎゅっと目をつむると、唇に何か柔らかいものが触れた。

「うっわ…」
 少し離れた場所から誰かの小声が聴こえた。そしてまた別の声。
「ジローすげー! キスしたよ!」
 ああ、これ激突じゃなくて、キスって言うのね――…キス?

 唇に感触がなくなると同時にパッと目を開けると、これ以上ないくらい至近距離にジローの顔。そしてそれがだんだん離れていくと、ジローの頭越しに、更衣室のドアの影から忍足と岳人がこっそり顔を覗かせているのが見えた。そうか、まだ着替えてたんだ。こっちの会話も聴こえてたんでしょうね。
 そっかそっかー…――
「――…って、ええ!?」
 さっきの岳人の証言に間違いがなければ、私とジローはキスをしたことになる。つまりそれはキスをしたってことで、キスをしたんだ……なぜ!?
「うばっちゃった〜」
 ジローはキャッと恥ずかしそうにふっくらした自分のほっぺたを押さえて、何かのCMで聴いたことのあるフレーズを口にした。そして立ち上がって更衣室前の二人の元へ駆け寄ると、「イェイッ」とか言ってテンション高く岳人とハイタッチを交わした。

 うそ…マジで…? わ、私のファーストが……
 ジローを好きだって言ったけど、それはキラキラしているジローであって、そういう『好き』じゃなくて…でももしかしなくても、ジローはそれを『好き』だと勘違いして…ウワァ何たるミステイク!
 法則性がないと思っていたジローの話題にも、ちゃんと意味があったんだ。まずは跡部と付き合っていないことを確認して、それからじんわりと告白。そして両想いだと勘違いするや早々とキス、ね。
 たはー…やられちゃったよー…

「…、すまんかったなぁ…キスシーン覗くつもりはなかったんやで?」
 私が頭を抱えて苦悩していると、こいつも何か勘違いしているのか近くに寄ってきていた忍足が軽ーく慰めるような声をかけてきた。頼む、追い討ちをかけないで。
「そうそう、なんかいい雰囲気だったから、ちょっとからかってやろうかと思ってさー。そしたらいきなりキスだろー? 俺らも驚いたって! ジローもやるよなー!」
 重ねて岳人が悪びれなく言った。頼む、追い討ちをかけないで!
「だってマジで嬉しかったんだもん! ずっと好きだったからさー」
 最後に繋げられたジローの言葉に、顔がカアッと熱くなった。
 「ずっと」? 跡部と付き合ってると思ってたのに、それでもずっと好きだったってこと? そんな、の、気づきませんでした。頭を抱えていた手は頬に移動したけれど、恥ずかしくて顔が上げられない。

 私は頬を押さえて顔を俯けたまま立ち上がると、正レギュラーの更衣室の向かいにある私専用の更衣室へと無言で、早足で向かう。
 ドアを開けて中に入り込み、閉める一瞬、ジローと目を合わせた。まだキラキラしてる。
 慌てて少し強めにドアを閉めると、たった壁一枚隔てた向こうから、「今の見た? 照れてるよすっげーカワEー!」とか言うジローの遠慮ない歓喜の声が聴こえた。
 ああもう皆帰るまで立て篭もってやる!





 ミーティングルームが静かになって、誰か二人(多分忍足と岳人)が外へ出ていく音がした。それからまた誰かが入ってきて、更衣室へ消える音。それから会話するくぐもった音。
 ――逃げ帰るなら今がチャンスだろうか? 出来れば、今はジローには会わずに済ませたい。
 着替えを終えカバンも持ってドアに耳を当て気配を窺っていた私は、内鍵をそーっと外した。よし、今だ!
 と、ノブに手をかけ回そうとした瞬間、レギュラー更衣室のドアが開く音がして動きを止めた。誰だか解かんないけどとっとと帰って!
 じっと息を潜めて気配が消えるのを待っていると、一つの靴音がテーブルを迂回してこちらの更衣室に近づいてきた。ちょっと、来ないでよ。

 コンコン、ノックの音。私は返事をせず微動だにしない。
 コンコンッ、少し苛ついた音。私は動かない。
 ゴンッ!「出てきやがれアホ!」…アホべ…じゃない、跡部だ。それでも私は動かない。

 はぁーっ、と大げさなくらいの長い溜め息が聴こえた。
「おいジロー、お前先に帰れ」
 跡部が後ろに向かって声をかけたのが解かる。ややして「えーっ」という非難めいたジローの声。
「お前がいたらこのバカ出てこねぇぞ」
 バカだのアホだの、言ってくれるじゃんよ。後でボディブロウ食らわせたろか。
 しばらくジローは渋っていたようだけれど、ぶーぶー言いつつもやがて諦めて部室の外へ出ていったようだった。再びコンッ、とドアをノックされる。
「ジローは帰ったぞ、開けろ」
 鍵は外したままだったので、ノブを捻ってドアを薄く開けそっとミーティングルームを覗く。跡部が私を呆れたように見下ろしていて、隙間に手を突っ込んでドアを無理矢理押し開けた。ちなみに内開きだったので、ドアの角が私の額を直撃した。ものすごく痛い。「いった〜…」と声にも出した。今日はいいことと痛いことが同時に起こる日らしい。
「ハァ…お前、本当にバカだな。そんな風に迂闊だからジローに唇奪われるんだぜ?」
「何で知ってんの!?」
「アイツが俺に言わないと思うのか?」
「…………」
 ぐうの音も出ない。

 跡部は本日何度目かになる溜め息をついた。
「…お前に好きな奴なんざいない事くらい俺は知ってる。どうせジローの早とちりだろ」
「あー…うん…そんな感じ…」
「付き合う気がないなら正直に言え。キスは…まあ、犬に噛まれたと思え」
「思えるかっ!」
 相手は犬なんかじゃない、紛れもない男だ。私は、常にキラキラしている人とお付き合いしてキスするのが夢だったんだい!――…あれ? それって何か違和感。何でだろう。
「じゃあ、自分の迂闊さを呪え」
 ええええそうしますとも! 自分の迂闊さを呪って枕を濡らしますよ!

 頼り甲斐がないわ、と口を尖らせながら、気になっていたことを訊いてみる。
「…ねぇ、跡部は知ってたの?」
「何をだ?」
「ジローが…その、私を好きだったって」
 跡部は肩をヒョイと竦めて、曖昧に首を傾げた。
「まあ、な。直接訊いてはこなかったが、俺とお前が付き合ってるもんだと思い込んでるのも知ってた」
「違うって教えればいいのに」
「…訊かれてもいない事を敢えて教える必要はねえだろ」
 こいつは絶対に面白がってる。変な誤解は迷惑だってのに。
「それにしても、お前が例の『キラキラ』を誰かに言うとは思わなかったな」
「それは……ジローが、私のことを「キラキラしてる」って、言ってくれたから。跡部が言う「気持ち悪ィニヤニヤ笑い」をね」
 部活中に言われた暴言を揶揄すると、跡部は肩を揺らしてハン、と笑った。

「それで…――ねぇ、私、跡部のキラキラも好きだよ。キラキラしてる跡部が好き」
 跡部の両腕をガッと掴み、自分より何センチも高い跡部を見上げて真剣に告げた。跡部はギョッと目を見開いた。
「は、何だ、急に」
「あのね、キラキラしてる人に、その人のキラキラが好きだって言うのが気持ちいいって気づいちゃったの。どう思う?」
 爪先立ちをしてずずいっと跡部に詰め寄ると、跡部は逆に私から身体を離そうとした。
「やめろ。ジローみたいに勘違いされるぜ。つーか、そりゃ勘違いされても仕方がねえ。告白魔かお前は。腕放せ、襲うぞ」
 一言一言端的に答える跡部は、何だか焦っているように見えた。最後に「襲うぞ」とか付け加えたのはお約束のことだと思えるんだけど、変なの。
 私が腕を離すと跡部は深く息をついて、私が掴んでいたところを撫でるようにすっすっと払った。失礼な奴。
「とにかく、お前がどれだけ鈍くて、鈍い上にどれだけ危険な奴なのかが充分に解かった。キラキラ告白は絶対にやめろ」
「えー、欲求不満になっちゃうー」
「告白したけりゃ、俺か、お前のフェチ事情を話して理解した奴だけにしろ。他は駄目だ」
 不満もあったけれど、私は素直に「…解かった」と頷いた。跡部のこういうアドバイスはいつも的確で、間違ったことがない。偉そうな命令口調だけど、それが迷いを払拭してくれるのだ。

 私は顎に指を当てて少し考え、頭にパッと浮かんだ人物の名前を口にしてみた。
「…んじゃあ、忍足とかかな」
「ハァ?」
「私のフェチシズムを理解してくれるのが」
 うん、忍足なんて足フェチだもんね。私のキラキラフェチもきっと解かってくれる。何なら、私の足を見せる代わりに忍足のキラキラを見せてもらって…
「…バーカ。お前がまず最初に理解してもらわなきゃなんねーのはジローだろうが。ちゃんと説明する気あんのか?」
 ああそっか。明日にでもジローと話して誤解を解かないとなぁ。










分岐選択



ジロールート→
「うーん、でもなぁ…」
 私は何か引っかかるものを感じていた。



跡部ルート→
「そうだね、まずはジローだよね…」
 私は溜め息をついた。