ジロールート
「うーん、でもなぁ…」
私は何か引っかかるものを感じていた。それが何かは、よく解からないけど。ただ、「私はキラキラが異常なまでに好きなだけであなたとは付き合えないですごめんなさい」とだけ伝えるのは、何か違うと思う。
「「でも」、何だよ?」
跡部が不機嫌そうに顔を顰める。
「…まさか、ジローが好きだとか言うんじゃねぇだろうな?」
「え? えぇと――…さあ、よく解かんない」
ジローはあと一歩で私のキラキラ理想に適う上位ランクの男性だ。もちろん人間としての性格も嫌いじゃない。何か足りないとケチをつけるのはおこがましいとすら思う。
だからジローと付き合うということに、私は大した違和感を覚えていなかった。それならそれでいいかな、という変な受け入れがある。
それはおかしいだろうか……おかしいかな。ジローを好きな子に殴られるかな。
普通の人は、人としての『好き』と、恋愛感情の『好き』を、どこで見極めているんだろう。何が違うんだろう。女友達なんかは、「誰かに恋をしたら違いなんて自然と解かるよ」などと言うけれど、どう解かると言うんだろう。何かサインが出てくるわけでもないだろうに。それとも出てくるの?
――つまりは、そのサインに自分で気づかない限り、私は誰かに恋をしているのかしていないのかすら解からないということだ。
「うん…よく解かんない」
だから、それ以外に答えようがない。
「お前…鈍い鈍いとは思っていたが、まさかここまでとはな…」
跡部は何だか哀れむような目を私に向けてきた。…いや、もしかしたら私の向こう側にいる人を哀れんでいるのかもしれない。たとえば、私に好意を向けているけど肝心の私にそれを気づいてもらえてない人、とか? …まさかね。そんな物好きがそこらにいるわけないか。多分ジローに同情してるんだろう。
「ごめんなさいね鈍くて」
そこまで鈍い鈍い言われれば、いくら私でもちょっとは気にする。拗ねたように口を尖らせてそう言うと、跡部は顔を強張らせた。
「おい、一つ訊いとくが…お前ファーストキス奪われたってのに、ろくにショックも受けてないって事、ねぇよな?」
「…え?」
やばっ、間違えた。ここはきょとんとするところじゃない。跡部の顔がどんどん引きつっていくのが解かった。そして盛大な溜め息と共に私から目を逸らす。
「何か、お前と話すんのがバカらしくなってきたぜ…」
「〜〜っ」
酷い。私はいつだって正直に生きてるだけなのに。他の友達と話してる時にも、こうして会話を放棄されることがままある。「もういいよ」って、突然手を離される。自分の所為だって解かってるけど、結構傷つくんだよ、それ。跡部にも時々…ってかしょっちゅう「もういい」って言われるけど、今回のは少々こたえた。ああ、それをショックと呼ぶのだ。
私が俯いて沈み込んでいると、跡部が頭にぽんっと手を置いてきた。
「…まあ、ショックは後からじわじわ来るのかもしれねぇけどな」
「だったらどうだって言うのさ」
「俺様が優しく慰めてやろうか」
「いらない」
男から受けた傷を男に癒してもらうのって、何だか浅ましい気がする。だから私は傷ついても自力で治す。多少のショックなんてキラキラを見れば忘れるはずだ。そもそも、ファーストキスについては、私は大してショックを受けてないと思う。後からじわじわも来ないと思う。もう一度、次は不意打ちじゃないキスをジローとすれば何か感じるのかもしれないな。
…そっか、不意打ちの軽いキスでしかもすぐ離れてったから実感がないのか。せめて先に「キスするよ」とか言ってくれれば、何かしらリアクションのしようもあっただろうに――その場合、私はどんな反応をしただろうか。今となっては想像もつかない。
まあ何だろうと、誰かに慰めてもらうつもりなんて毛頭ないけど。
「慰めなくていいから、キラキラ見せて――ぁ痛っ」
私の図々しい願いに、跡部は私の額をペチッと叩いた。
多少気になっていた異性から告白を受けて返事を保留にされているような場合、その夜は思い悩んで眠れなくなったりするものだろうか。私の場合それとはちょっと違う状況だけれど、少し考え込んでしまっていつもより寝るのが遅くなった。
何を考えていたのかというと、主にジローのキラキラについて。そして、それを思い出すだけで恍惚としてしまうその人とのこれからの付き合いについて。勘違いを訂正するべきか、ジローを好きになるまで待ってみるか――私の性格からして後者のような手はなしだ。とりあえず二人で話してみよう、というのが結局の選択。
でも真剣に考えなかったわけじゃない。部室で触れたジローの光の粒が忘れられなかった。あの時震えた心臓は、心地好さと、不可思議な感情をほんの一瞬だけ浮かび上がらせた。それの正体を知りたいと思った。
その為に、これまでにないほどジローに会いたいと思った。
幸いなことに、翌日は大会前で部活のある土曜だった。
だが不幸なことに、コートの中でジローは見つけられなかった。きっとまだ来ていないのか、どこかでサボっているんだ。
来ていると仮定して、どこにいるだろう。昨日のジロー捜しで解かったのは、総当たりすれば見つかりはするけれど、とても時間がかかるということだ。こういう時は――
「――あっ、樺地くん! ちょうど良いところに!」
中二とは思えない身長の樺地くんは人が多いところでもすぐに見つけることが出来て助かる。樺地くんは私を見るとつぶらな瞳をきょとんとさせた。
「あのさ、ジローがサボってるような場所解からないかな?」
「…………」
樺地くんをじっと見上げると、樺地くんは私から目を逸らさないまま沈黙した。穏やかな動物みたいな瞳だなぁ…でも何か答えてくれないかなぁ…
「……今日は…」
うわっ、急に喋るからビックリした。何だ、考え込んでたんだ。
「うん、なに?」
「…今日は、天気が良くて…少し、暑いので……校舎裏の木の陰に、いると思います…」
おお、なんか論理的! こんな簡単に答えが得られるのなら、昨日もやっぱり樺地くんに訊けばよかった。私はぱちんと手を合わせて感嘆した。
「すごいね、さすが樺地くん! ありがと、さっそく行ってみるよ」
「…ウス」
いつもの二文字を返す樺地くんにうんうんと頷いてみせ、移動しようと横を向くと、跡部がこちらに向かってきていた。多分樺地くんに用事なんだろう。
「跡部! ちょうど良いところに!」
私がちょいちょいと手招きして先に声をかけると、跡部は怪訝そうな表情で近づいてくる。
「…何だお前? 樺地に何か用か?」
「うん、ジローがどこにいると思うか訊ねてた」
「ジローの居場所? …ジローと話すのか?」
「うん――まあ、そういうわけで私、ちょっといなくなるんでヨロシク」
ビシッと敬礼してそう告げると、跡部ははぁ…と溜め息をついた。
「堂々とサボり宣言かよ…」
「ちゃんとジロー連れてくからさっ」
後で文句を言われるより、あらかじめ伝えておいた方が言い訳もしなくて済む。私がしばらくここからいなくなることを部長の跡部が承知していればそれでいいのだ。
私は手を上げ二人に向けて「じゃっ!」と言い、コートを離れた。
――その時既に部内で密やかに起こっていたことを、私たちは後から知ることになる。
「…ホントにいた」
校舎裏の木の陰を一つずつ覗いて探索していくと、あっけなくジローの金髪が見つかった。
樺地くんの推理を信じてなかったわけじゃないけれど、ここまでピタリと当たるとちょっと尊敬してしまうわ。
地面に仰向けに寝転がっているジローに近づいて、思わず足が止まる。
「……」
これは…すごい――私は言葉を失った。
青々と生い茂った枝の隙間から洩れる光の絶妙な照明効果というのもあるだろうけど、まるでおとぎの国の住人みたいで、そこへ私が迷い込んできてしまったみたいだ。そこだけ世界が違う。妖精さんがいても不思議じゃない気すらする。そんでもって、なんか、色々と、すごくキラキラしてる。
「口元を引き締めろ」という昨日の跡部の言葉がなぜだか思い出されて、私は緩みかけていた口をむむんっと結んだ。そして唾を飲んだ。
ジローの真横に回り込み、少し離れた場所にしゃがんで眺めてみる。
起きていてほしいと思うことは多々あれど、起こすのもったいないかも、と、ジローに対して初めて思った。こんなキラキラも持ってるんだ。ジロー、未知数だよ君は。
「――ん〜…」
しばらく見入っていると、突然ジローが身じろぎして、唸りながら身体をごろりとこちら側に向けた。私はそれに驚きバランスを崩して尻もちをついてしまい、その時のとすっという音が地面から伝わったのか、ジローがうっすらと目を開けた。
「ん〜…?」
「お、おはようジロー」
私は転んだ時に咄嗟に突いた手をパンパン払い、もう地面に直接座っちゃっていいや、とその場に足を崩して鎮座した。
ジローはまだ寝ぼけている様子で、ぼんやりと私を見ながらゆっくりまばたきをしていた。そしてにへっと緩く笑う。
「…あ〜〜…ちょうどいいところに〜」
ジローは変なほふく前進をして、よいしょよいしょと私に近づいてくる。何をするつもりなのか黙って見ていると、私の膝の上に何の躊躇いもなく頭を乗っけてきた。こ、これは俗に言う『膝枕』ってやつっスか!?
「じじじじジロー!?」
「……すぅ」
早っ! 動揺してセミみたいなどもり方しつつも必死に声を上げたのに、寝よったこの子!
うーん…この頭持ち上げて「うりゃっ」と横に転がしてやることも出来るけど、こう気持ち良さそうにすかーっと寝られちゃうとなぁ…
ジローのキラキラは消えていない。つまり、私は今またキラキラに触れているんだ。
金色の髪をわしわしと撫でてみた――…何か昨日と違う。昨日はどうだったっけ? 確か、ジローの汗を拭って、そしたらジローが笑って「ありがと」って…私はそれにドキッとしたんだ。
あー、ちゃんと確認するにはやっぱり起きててほしいかも。
「起きてジロー」
ジローの額をぺちぺち叩く。するとジローはぐずる子供みたく泣きそうに眉を寄せ、「んん〜っ」と身を縮ませた。
「眠いよぅ…」
「膝枕続行してもいいから起きて。じゃないと転がす」
「ん〜…」
目を擦り、ジローはしょぼしょぼ眼で私を見上げた。膝枕は惜しいのかい。
「ジロー…昨日私、キラキラしてるジローが好きって言ったけど、ジローが私に言った『好き』とは違うの」
起きてる内にといきなり核心に触れてみたけど、大丈夫かな、寝ぼけてないかな。
「…うん、知ってる」
「……え?」
思いがけない返答に、私は固まった。ジローはその場で「んーっ」と伸びをし、ふわわとあくびをしながらもう一度言う。
「知ってるよ」
「え、でも、あれ?」
それじゃあ、そもそも、ジローはなぜ「両想いだ」と言って私にキスをしたんでしょうか? 根本から間違ってないですか?
ジローは腕を自分の頭の上に伸ばして私の手を取り、静かな目で見つめてくる。あくびをして濡れた瞳がキラキラしている。
「…ただ、にキスする口実が欲しかったんだ」
「…………」
「ごめんね」
おや? おかしいかな…ここって、胸をキュンとさせるところ? ものすごくキュンキュン言ってるんですけど。
私がどうにか動揺を抑えていると、ジローは目を細めて柔和な笑みを浮かべた。
「昨日はなにも気づいてないフリしたけど、今こうしてが正直に言ってくれたから、俺も正直に言った。ってホント、嘘つかないよね。優しいね。大好きだよ」
嘘をつかなくて、優しい――どっちがだ。ずっと何も知らないフリして黙っていれば、私一人を悪者にすることも出来たのに。
「それじゃあ正直ついでに言うけど…私、『好き』っていうのが、よく解からないんだよね。私が好きだと認識出来るのは、キラキラについてだけで――」
あら、どさくさに紛れてキラキラの話しちゃった。ジローが今もキラキラしてるからだ。
「――あー、私、キラキラしたものなら何でも好きでね、だからキラキラしてるジローも好きで…だけどそれが恋愛感情なのか、これから先恋愛感情になるものなのか、解からないんだ。それを、ハッキリさせたくて…」
「うん。そのために俺は何をしたらいい?」
こんな判然としない説明にもジローは呆れないで真剣に聞いてくれるんだ。それなら、よし、私も覚悟を決めようか。進んで嫌な奴になろう。
「…じゃあ、キスしてみてくれるかな?」
「……へ?」
私が真顔でそれを言うと、さすがのジローもこの要望には目を丸くさせた。当然の反応だろうけど。
「…俺がにキスしたら、なんかわかるの?」
もっともな質問だ。しかしこれは私にとって賭けなのだ。
「解かるかもしれないし、解からないかもしれない。嫌だったらいいよ」
「や、俺が嫌なワケないけどさ、はそれでいいの?」
「うん」
ジローとキスをして『好き』だと解かれば御の字、何も感じなかったとしても既に一度ジローとキスをしているからショックもない。ただその場合、ジローを傷つける結果になるかもしれないのがツラい。ジローの優しさにつけ込むこんなやり方しか浮かばない自分の浅はかさが悔やまれた。
ジローが起き上がり、それまで頭が乗っていた足が軽くなる。ジローの顔を見ていた私には、ジローの髪がキラキラの尾を引いて離れていく様がとても綺麗に映った。
顔を上げると、ジローが私を振り返っていて。何とも言えない憂いを帯びた微笑を浮かべていた。だから、ジローが私との僅かな距離を詰める刹那、こんなことはやめようかと思ってしまった。やめるなら今だと。
でもそう思ったのは本当に一瞬で。ジローに両手を掬い上げられ、柔らかな色をした瞳と目が合い、ハッとした。今度は何か、大丈夫な気がする。
ジローの顔が近づいてくる。私は目を閉じた。
そして、ちゅっ、と…――唇ではないところから音がした。
頬に当たった柔らかい感触に驚いてパッと目を開くと、ジローがニッと笑っていて。惚けている私をぎゅっと抱きしめてきた。
「ごめんね。やっぱ、できないや」
何てことだろう。私は最初から失敗していた。両想いでもない女とのキスなんて出来ても嬉しくないって、ジローのプライドを傷つけたんだ。嫌な奴になってもいいと思ったのに、やっぱりツラかった。
私もジローの背中に腕を回し、互いにもたれあう。
「…ううん。嫌ならしなくていいって言ったでしょ? いいの、ごめんね」
「ちがう。だって、が、したくなさそうに見えたから…しちゃいけないと思ったんだ」
私の一瞬の躊躇を、ジローは見抜いていた。鋭い子。そして優しい子。
――ああ、でも、これだけはハッキリしたんだよ。ジローに言いたい。
キスよりも、こうして抱きしめられている今の方が、ずっとドキドキして、胸がいっぱいだってこと。きっとそれが、答えなんだってこと。
昨日、ジローのキラキラに触れて。今日、ジローの優しさに触れて。もう、何も迷わなくていいと思えた。恋愛感情とか、友情とか、そんなものはどうでもいい。ただジローを『好き』だと思えた。それだけでいい。それがサインだ。
「――…ジロー、好き」
ピクッとジローの身体が震えて、ゆっくりと身体を離され向かい合う。ジローは目を見開き、半信半疑の表情をしていた。無理もない。
私は安心させるよう、出来るだけにこやかに微笑ってみせる。
「ありがとう。お陰で解からなかったことがやっと解かったよ」
先程ジローがしてくれたように、私はジローの頬に口づけた。唇にするのはちょっとおこがましい気がして、やめておいた。
ジローは珍しく顔を赤くして軽く顎を引き、戸惑うように上目遣いで私を見た。可愛いなぁオイ。
「ジローが好きだよ。ジローのキラキラも、ジロー自身も。大好き」
「…ほんとう? 俺が好きだってことが、わかったの? 俺、キスしてないけど」
「ううん、決め手はそこじゃないんだ。でも気づくには充分だった」
キスなんかして確かめるよりも、ずっと解かりやすかったかもしれない。
「俺がキスしても嫌じゃない?」
「うん、嫌じゃない。逆に嬉しいよ」
私がそう答えるや否や、ジローがキスをしてきた。今度はちゃんと唇に。
むちゅ〜って唇を押しつける感じのキスが何だかジローらしくて、ふ、と口元が緩まる。
そんなに経たない内にジローの唇の感触が離れていって、また抱きしめられた。こんなにくっついていたら暑いはずなんだけど、不思議と気にならない。私の体温も高くなっていて、外気との差が解からなくなってるのかな。
「が好き」
ぼんやりとしているところにジローに耳元で囁かれて、少しうっとりしてしまう。私は今、一番大好きなキラキラを持った人に――いや、大好きな人に、抱きしめられている。夢みたいだ。
「ジロー…私も好きだよ」
「…「やっぱ違った」とか言うの、ナシだかんね」
私はそこまで悪女じゃない。もう傷つけたりしない。
肩に埋めていた顔を少し上げてジローの横顔の後ろ半分を盗み見ると、赤くなっている耳が見えて。またキュンとしてしまう。『好き』だという自覚があると、このキュンが愛しさからくるものだということが今はよく解かる。
「言わないよ――」
背に添えていた腕を前にくぐらせ、手のひらでジローの両頬を挟んで引き寄せ、自分から唇にちゅっとキスをした。
「――…本当にジローを好きだって、解かってるから」
えへへと照れ笑いを浮かべてみせると、先程とは比べ物にならないくらいジローはカーッと顔を赤くして、押し倒さんばかりの勢いで私に抱きついてきた。
「俺も、好き。ずっとが好きだったんだ。ずっと」
――そう、夢みたい。私は常にキラキラしている人と付き合いたいと思ってた。でもそんなの、出逢えるかどうかも解からない確率の低いただの理想の話だ。それなのに、こんな単純な解が存在したとは。なまじジローが素晴らしいキラキラを持ってるもんだから、余計複雑に感じたのかもしれない。
好きになった人は、常にキラキラして見える。それがジローだ――それだけのことだった。
熱いくらいのジローの体温とキラキラと幸せに包まれながら、そんなことを考えていた。
ジローとコートに戻ったのは、私がコートを離れてからざっと二時間ほど経ってからだった。
ええと…ぶっちゃけ寝てました。私と両想いになれてご満悦のジローが「一緒に寝よ〜」とか言って私を抱きしめたまま横になって眠っちゃって、つまりは抱き枕にされて、逃れようにもがっちり捕まれていてならず、ついには私もうとうとしてきちゃって、眠っちゃったわけで。
…跡部は怒っているかもしれないな。でもあれよね、一応「ちゃんとジロー連れて」きたんだから、怒られるいわれはないよね。
半覚醒状態のジローに手を繋がれてコートへ降りていくと、何だか周りからの視線を感じたり感じなかったり――何さ、何なのさ。ええサボっててごめんなさいよ。文句があるなら正々堂々かかってきやがれ。
なーんて思っていると、近くにいた宍戸がこちらに気づき、最近短く切ったばかりの髪がかゆいのか帽子の中に指を入れて頭を掻きながら、気まずそうに「あー…」と声を洩らした。不愉快だ、男ならはっきりとものを言いたまえ。
「何でしょうか?」
「いや…お前らが付き合い始めたって話、本当だったんだな」
と、宍戸は繋がっている私たち手に視線を落とした。
「はぁ?」
お互い好き合ってるってことが解かったら、そこからお付き合いを始めるのが当たり前なんだろうか。「付き合ってくれ」とか、「両想いなのね、付き合いましょう」とか、言っても言われてもないけど。告白時にそういった言葉がなかった場合、どこからお付き合いは始まるんだろう。まぁ、『婚約』や『婚姻』みたいな法律行為とは違って、『付き合う』ってのはただの道徳的な概念でしかないんだろうけどね。それで言えば、私はついさっきジローと付き合い始めたということになるんだろう。不思議なものだ――じゃあなくて。
「何で宍戸が知ってるの?」
私の記憶が正しければ昨日のあの場面に宍戸はいなかったはずだ。
「何でって…」
「先輩、ジロー先輩と付き合い始めたって本当ですか?」
宍戸が答えようとしたところに、鳳くんが割り込んできた。ちょっとちょっと、どうなっちゃってんの?
「さっき向日先輩がそう言ってて…本当みたいですね」
と、鳳くんも繋がっている私たちの手に視線を落とした。
岳人? 岳人が言ったの?――そう考えてもう一度周りに注意を向けると、こちらを窺うその視線が好奇に満ちたものだということに気づく。
お…おおぅ…もしや既に収拾つかなくなってる…?
そして向こうから偉そうにふんぞり返ってやって来るのは、跡部様ではございませんか。何か不機嫌っぽいし。遅くなったのを怒ってるのかも。
「…で? どうなったんだ、?」
と、跡部も繋がっている私たちの手に視線を落とした。その口元はヒクついている。つられて私も口の端をおかしな形に吊り上げた。
「どうなったって…丸く収まったと言うか…」
「は俺の彼女になったからよろしく〜」
ジローがへらっと笑い、間延びした口調で私の言葉を引き継ぎ簡潔に言った。
「あァ?」
瞬時に跡部がギロッと私を睨んできた。跡部、正直怖いですから。昨日の今日で?とか思ってるのかな。
「いやぁ、うん、まぁ、そゆことです…」
「…そうかよ――じゃあ岳人の口はもう止めなくていいな」
あ、やっぱり岳人が歩くスピーカーになってたんだ。…って言うか、「もう止めなくていい」って、一応は止めようとしてくれてたってこと? ありがたいんだか何なんだか…もう充分手遅れだし。私は目を伏せてふぅ、と溜め息を洩らした。
お、でもこれで私と跡部が付き合ってるとかいう周囲の勘違いはなくなるのか。よかったよかった。
「…跡部ぇ、ごめんね?」
唐突に、ジローが跡部を真っ直ぐ見上げて謝った。半覚醒だからかその表情は無表情に近くて、何に対して謝っているのか私にはさっぱり解からない。
「アーン? 何がだ?」
「やだなあ、わかってるデショ?」
何だろ、サボってたことかな。でもそんなのいつものことだし。私はジローと跡部をちらちらと交互に見て首を傾げた。
「跡部がぁ――」
「ジロー、今日も俺様が相手してやろうか?」
周りに暴露するかのように少し大きめの声で謝罪の理由を言おうとしたジローを、跡部はイライラした口調で遮った。
「おうっ! 望むところだっ!」
何のことで跡部がイライラしてるのかは解からないけど、跡部、ジローの術中にハマってると思うよ…? ジロー喜んで起きちゃったよ…? あ、それこそ私の望むところだ。
昨日と同じく3ゲームマッチをして(私は今日は審判をせずベンチで見ていた)、勝ったのはまた跡部だったけれど、そのスコアは3−2で昨日より悪かった。と言うか――
「――跡部のプレイ、ちょっと雑だったね」
「あァ? ふざけんな、俺様はいつだって完璧だ」
ジローは相も変わらず――いや、明らかに輝きを増した素晴らしいキラキラを見せてくれた。私のジローへの想いが成した業なのか、ただジローのキラキラが強まったのか、どちらかは定かでないけれど、これまで見たどのキラキラよりも鮮やか華やか煌びやかで、私は興奮のしすぎで失神するかと思ったくらいだ。
それに反して跡部のキラキラは普段と比べると何か物足りない感じがした。きっと試合前のイライラを引きずってたんだろう。跡部らしくない。
「いくら俺にを取られちゃったからって、動揺しすぎだよ跡部ー」
ジローがタオルで汗を拭きながら笑って跡部に言った。
「えーそうだったの? やだ跡部、誰と付き合ったって跡部への友情は変わんないよー?」
跡部の不機嫌の理由がようやく解かり、私はおばさんみたいに手を縦に振ってそう言った。
「黙れ犯すぞお前」
跡部はいつもより二割増しの憎まれ口を叩いた。こういう時にはあまり刺激しない方がいいと解かってはいるけれど、私は少し浮かれていたのかもしれない。
「跡部、にそーいうコト言わないでくれるー?」
「跡部、淋しがらなくてもいいのよ。これからもちゃんと構ってあげるからさぁ」
「――うるせぇテメー等ッ!!」
ついにキレた跡部は、サボっていた分練習メニューを三倍こなせとジローに言い、私には馬車馬のように働けと悪魔の形相で命じた。
八つ当たりだ横暴だ、と反発することは、さすがに怖くて出来なかった。
あれから跡部が部員たちに「遠慮せずをこき使え」と通達した所為で、私は本当に馬車馬の如く働き通した。ジローなんか跡部自身にずっと見張られてて、隙を見て逃げ出すことも出来なかったそうだ。
やっと解放されたのは本当に部活終了時間で、たった数時間のことだったのに、何だか久しぶりにジローと会ったような気がして、ジローの顔を見た途端、私はほっとしてしまった。
お互い、これほどまで部活に打ち込んだことはないかもしれない。
せっかく付き合い始めたのだから途中まででも一緒に帰ろうと言い出したのはジローからだった。て言うか、うん、コートに戻ってからは両想いの喜びの余韻とか感じてる暇なかったもんね。
「――あ、言い忘れてた」
通学路をゆったりとした歩調で歩きながら、私は疲れきって開くのも億劫な口を動かした。
「なになに?」
さすが正レギュラーとでも言うのか、あれだけの練習メニューをこなした後でもジローは元気なもので、繋いだ手を前後にぶんぶん振りながらニコニコと私の顔を覗いてくる。
「テニスでキラキラしてるジロー、すごくカッコよかったよ」
そして今もキラキラしてて、ああ癒されるわ…
「ほんと? うれC! 俺がんばるから、ずっと俺だけ見ててね!」
「え、あ、う…」
そんなジローの当然とも言える希望に、私はどもってしまった。
「うん?」
ジローが首を傾げて私の返事を待っている。おいおい私、ジローは特上のキラキラさんじゃないか。てか彼氏じゃないか。…お、『彼氏』ってフレーズちょっと照れるな。
「も、もちろんさ!」
勢い込んで空いた方の手の親指をグッと立てて答えてみせる。
…ちょっとくらい他のキラキラに目移りしてもいいじゃんとか思っちゃったのは黙っておこう。そう思ったのはほんの一瞬だけなんだから。
「でも、ジローは頑張らなくても充分キラキラしてるんだよ?」
ジローのこのキラキラを目の当たりにして、他のキラキラなんかに目が行くわけないんだ。
「それでも俺、に好きでいてもらうための努力は惜しまないつもりだよ?」
「っ…!」
なんつう殺し文句を! このキラキラでこんなセリフを好きな人に言われてしまえば、私は。
「ああもう――」
私は繋がっているジローの手を振りほどき、横抱きにガッとジローを抱きしめ、
「――好きだジローっ!」
往来だというのにも拘わらず、私はアホみたいな告白をかましていた。後から思うと、どこかキレたとしか言いようがない。
無論ジローは私の乱心に目を丸くした。度肝を抜かれたと言っても過言ではないだろう。その驚いた表情を見て、私は徐々に正気に戻っていく。そして血の気がザーッと引いていく。
…どうしよう、今の私ちょっと変人だ。いやあ、だって、しょうがないよ、ねえ。
ああでも向かい合うジローはやっぱりキラキラしてて、たった今の自分の失態もすっかり忘れて見とれてしまう。
「……、」
――と、ジローが優しく微笑んだかと思うと、私を腕の中にぎゅっと閉じ込めた。
「…うれしい」
そう囁いて、ジローは「好き」という言葉を何度も私の脳に染み込ませる。
心地好いその声に、私は目を閉じた。
静かに木漏れ日を受ける姿、光をはじく金の髪、強敵を前に輝く瞳、曇りを晴らす笑顔、包む腕に注ぐ声――イコール『芥川慈郎』。
それは「たとえば」なんかじゃなく、至上最高のキラキラを持つ、私の好きな人。
私のキラキラ。
END
2006年3月18日
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