跡部ルート





「そうだね、まずはジローだよね…」
 私は溜め息をついた。あの子を悲しませるようなことは出来ればしたくないんだけど、こればっかりは仕方ないよね。ああ、あの素晴らしいキラキラが拝めなくなったらどうしよう。
「……おい、」
 何とか上手く、出来るだけ傷つけないように伝えなければ。うん、家でじっくり考えよう。
「おいコラ、トリップすんな!」
「んぇ?――…あー跡部、なに?」
 跡部が何か呼びかけていたのにやっと気づいて見上げたら、跡部は柳眉を寄せて私を見下ろしていた。渋い表情、というか、心配そうな表情に見えるのは私の気の所為? つられて同じような表情になってしまう。

「…………」
 跡部は言葉を紡ごうと口を開いたけれど躊躇うようにそれを一度への字に結び、やがて意を決したように低い声で言った。
「……お前、今になってショック受けてんのか?」
「は?」
「ファーストキス奪われた事だよ」
「あー…? ぁー…」
 忘れてた。改めて思い返すと、それは思ったよりショックが小さかった。何か柔らかいものが当たったことくらいしか覚えてないし、実感がない。泣くほど嫌だったわけでもない。私って、跡部の言うように本当に色々と鈍いんじゃなかろうか。相手にもよるだろうけど、キスなんて大したモンじゃないと思ってる? いやいやそんなことは。

 黙り込んで思案に沈んでいると、突然跡部が私の両腕を掴んできた。
「うひゃっ、なに?」
 再び顔を上げれば、目の前に跡部のどアップがあった。
 …何か、こんなこと、ついさっきもあったような。
「とべ…――んうっ!?」
 今度は目をつむる暇もなく唇を塞がれて、その衝撃で目を閉じた。
 キスされたって、さすがの私でも解かる。ジローの時と違うのは、深さと長さ。二の腕を掴んでいた跡部の手は私の頭と腰を引き寄せ押さえつけていて、唇の動きは口内の粘液を吸いきるつもりなんじゃないかと思うほど激しい。
 行き場をなくした私の手は跡部のシャツを掴む。何だ、このがっしりした身体は。ズルいぞ。
「ふぁ、っは……ンーッ」
 息が苦しくなってきたので、それを訴えるように呻きながら跡部の背中を叩く。すると固定されていた頭がゆっくり解放され、吸いついた唇も最後に離れていった。
「ぁ…ハァ…っ」
 何これ、キスってこんな苦しくて疲れるモンなの? たとえ好きな人が相手だったとしても、あんまりしたくないタイプのソレだ。

 一つ深呼吸をしてから、虚ろになっていた視線を跡部に向けた。前髪を優雅に掻き上げ、不敵な笑みを浮かべている。
「ファーストキスのショックなんて吹き飛んだろ?」
 今水分を口に含んでいたら跡部の顔にブーッと吹きかけていたところだ。
 な、何て理由でキスしやがるのだこいつは!? ショック状態にショックを与えたら、ショックが倍になるだろが! ねえ、ショック療法のつもり!? 失敗してるよ!?
 私が言葉を失って口をパクパクさせていると、跡部はどこかワガママを言う子供のような口調で言った。
「…どうせなら、付き合ってるって事にしたままにしときゃよかったんだ」
「は? 誰と誰が?」
「俺と、お前が」
「なんで、やだよ」
 間髪入れずに否定すると、跡部は「アーン?」と不満そうに引きつらせた顔を近づけてきた。否が応でも先程のキスが思い出されて身体を退いてしてしまう。しかし跡部の手が、逃がすかよとでも言うように私の両手首を掴んで顔の横まで捻り上げた。怖いくらいに強い力。

「…お前、常にキラキラしてる奴が理想の男だって前に言ってたよな?」
「い、言いましたけど?」
「俺は? お前の目には、俺が常にキラキラして映ってねぇのか?」
 この俺様が輝いていないとでも? と非難しているわけじゃない。真摯な眼差しは痛いくらいで、胸にまで突き刺さってくる。
 やっと解かった――これは、跡部の告白なんだ。
 バカみたい、『男女間の友情』だなんて。私がただ勝手にそう思ってただけだ。
 でも…これは正直に言うべきなんだろうか。自分でも混乱してる。
「ざ、んねんながら…」
 うそだ。私の前に立つ跡部景吾は、今、びっくりするくらいキラキラして見えている。しかもいつものキラキラとはどこか質が違う。何で。どうして。別人を見ているみたいだ。ドキドキする。目が離せない。

「…そうかよ」
 先に目を逸らしたのは跡部の方だった。手首を掴んでいた力は何かを諦めるように抜けていき、あっさりと解き放たれる。私はそれを惜しいと思ってしまった。跡部は少し傷ついているように見えた。
 跡部を見つめたまま手持ち無沙汰に涼しくなった手首を揉んでいると、貼りついている私の視線に気づいた跡部がもう一度私と目を合わせて、笑った。
「お前、男を見る目がねぇな」
 この状況で憎まれ口を叩くということは、今のをなかったことにしたいんだろうか。ならその気持ちを汲もう。私は下手くそな苦笑いを作ってみた。
「…本当にね」
 私の感覚の全ては、キラキラに向けられている。顔の美醜の区別は普通に出来てると思うけど、私にとってそこは重要じゃない。いかに美しくキラキラしているかが重要で。

 ――だから…だから、跡部は。

「もう遅い、送ってやろうか?」
 それまでの話を全て切りやめて、跡部は普段ではありえないくらいの優しい言葉をかけてきた。何でか涙が出そうになった。今の私に、跡部からの優しさを受け取る資格があるだろうか。
 目を合わせていられなくなって、私はそれをごまかすようにゆるゆると首を横に振って視線を下ろした。
「ううん、平気。走って帰る」
 走って追い風を受けて、頭を冷やそう。キラキラをたくさん見られたことに恍惚としながらも、ひどく混乱してる。
 セカンドキスを奪われたことへの文句を跡部に言い忘れたのは、きっとその所為だ。










 ――寝不足だ。部活が終わるまでは、昨日は満足して眠れるはずだった。なのに頭の中の三割をジローが、七割を跡部が埋め尽くして、『眠る』という欲求が割り込むのを許してはくれない。
 何もかもが突然すぎた。二人とも友達だったのに、私のことが好きだったって知ってしまって、ああ私って何気にモテたのねと自惚れる暇も私のどこがいいんだろうかと考える余裕もなくて、ただジローに何と言って納得させようか、明日跡部と会ったらどんな顔をすればいいのか、それだけがぐるぐるぐるぐると際限なく巡るくせに答えは出ない。
 直情的と言ってしまえばその通りだけど、私には先を計算したり見通して行動するという能力がどこか欠けている気がする。頭で考えるだけじゃ、いい案が何も思い浮かばない。実際に相手を目の前にしなければ何も思いつかないのなら悩まなきゃいいのに、初めての告白とか二人のキスとかジローの笑顔と鮮やかなキラキラとか跡部の傷ついた顔と不思議なキラキラが脳裏をチラチラと掠めては眠気を攫っていった。
 お陰で、目の下にはうっすらクマが出来てるし、大会前には土曜休日にも部活があるのを忘れて遅れそうになるしで、最悪の気分だ。

 ジローも跡部も今日はまだ見かけていない。特定の人物と顔を合わせたくない時、部員が二百人もいるというのはありがたいことに思えた。わざと隅っこにいて目立たないようにしてるしね。
 それに何だか少し安心してしまって、やっと瞼が下がってくる。しかしそんな時に限って、あれこれと頼まれてしまってうたた寝を邪魔された。マネージャーって便利よねホント。自分じゃなければ。
 どこかでサボって寝ようかと思った。その場をこっそり離れようとスタンドに上がって、誰かに見られていないか振り返る。

 跡部がいた。部員たちにあれこれ厳しく指示を出しているその姿は、部長そのものだ。
 そして――キラキラしていた。昨日別れる前に見た不思議なキラキラのままで、いつもの興奮とは違う胸の高鳴りに押し潰されそうになった。
 あー…そっか、そっか…はいはい、解かっちゃった。
 ひとりごちて、そっと笑った。ひどく眠い、誰に見咎められようともう寝よう。何も思い悩むことはなくなった。





 部室に入り、正レギュラー用更衣室へ向かう。あそこにはソファがあるし部活が終わるまで誰かがやってくることもないし冷房も効いてるし静かだし、寝るにはもってこいの環境だ。
 「お邪魔しまーす」と、誰もいないであろう室内に向けて言いながら無造作にドアを開けた。すると一拍置いて、「いらっしゃ〜い」と、誰もいないであろう室内から返事が返ってきた。
 ギョッとして室内を見回すと、私がベッド代わりにしようとしていたソファに先客がいた――コートで見かけなかったジローだった。今しがたまで寝ていたようで、目を擦りながら上半身を起こしていた。
「おはよー
 にへら、と私を見上げてジローは笑う。胸がツキンと痛み、眠気がまたどこかへ去った。
「おはよう」
 ドアを閉めながら、私も力なく笑って挨拶を返す。

 ジローは伸ばしていた足を下ろして席を空け、「座る?」と隣を示した。私は「うん」と頷いて、身体を投げ出すようにソファにもたれた。去ったと思った眠気が、ソファに触れている部分からじわじわと這い上がってくる。イカン。
 私は背もたれから背中を剥がし、片足をソファに曲げて乗っけてジローの方に横向きになった。
「ジロー。私、ジローに謝らなきゃいけないことがあるの」
 瞼が重くて目が据わり、今の私は謝る人の顔をしていないかもしれない。ジローは私の形相にきょとんとするも、うんしょとあぐらをかいて私に向かい合った。
「なに?」
「私、キラキラしてるジローが好きだって言ったでしょ?」
「うん」
「それ自体に嘘偽りはないんだけど、その…その『好き』は、恋愛感情としての『好き』じゃない、んだ…」
 何と言おうか昨夜あれだけ悩んだのに、出てくる言葉は台本通りなのかどうかすら自分でも解からなかった。ただ、伝えなければいけないことが何かは解かっているつもりだ。
「昨日は色々驚いちゃって、言えなかったんだけど…だから、ジローとはお付き合い出来ないんです。ごめんなさい、誤解させるようなこと言っちゃって」
 かなり言いにくいことではあったけど、自分でも意外なほどすんなりと告げることが出来た。
 後は、ジローが怒るか、悲しむか。私は覚悟しなければならない。絶対に顔を伏せたりしない。

「そっか。うん、わかった」
 大した間もなくジローはあっけらかんとそう言った。あまりにもあっさりしすぎていて、本当に理解してくれたのか疑問に思うほどだ。私は伝え方を何か間違えただろうか。
「…え? あの…」
、謝らなくていいよ。俺も謝んないから、キスしたこと」
「あー…うん…そのことについては、私、そんなに気にしてないよ。特に嫌だとも思わなかったし…」
――」
 ジローが私の手を掴んで引き寄せたかと思うと、次の瞬間私はジローの腕の中にいた。
「――俺、あきらめないよ。俺がを好きだってこと、変わんないから」
 耳の傍でちゅっという音がして、それから身体を解放された。再び向き合ったジローは清々しいくらいの笑顔で、キラキラしていた。

 世の中には、私の気づかないキラキラで溢れている。今のジローのキラキラに気づけたのは、私が自分の恋愛について考えるようになったからだ。
「あー…んー…でも私、今気になる人が…」
「それって跡部?」
 鋭い。私は曖昧に苦笑した。
「ないと思ってたんだけどねー…」
 「気になる」って表現は合ってるようで間違ってるかもしれない。でも、本人と向き合うまでは確実にはならない。
「だとしても俺の気持ちは変わらないよ。それはの問題で、俺の問題じゃないからね。たとえと跡部が付き合っても、変わんない。俺はが好き。押しつけとかじゃなく、それが俺のそのままの気持ちだよ」
 厳しい。ジローの言うことは飾り気がなくて真っ直ぐすぎて、返す言葉が見つからなかった。もしも私がジローのことを嫌いだと言っても(そんなこと間違っても言わないけど)、笑顔で「変わらないよ」と言うのだろうと思った。

 正直、私のどこが良くて好きだと思うのか全然解からない。所詮はキラキラ好きの変な女だ。その辺の自覚はある。
「…私にそこまでの価値がある?」
 私が眉を顰めてそう訊ねると、ジローは「ふはっ」と笑った。
「あははっ、変なこと訊くんだね。好きなのに理由がいる?」
 使い古されたようなセリフ、だからこそ真理だ。ジローには気づかされる。
 その感謝を表したくて、私は思わず手を伸ばしてジローの頭を撫で撫でした。ジローは犬みたく嬉しそうに目をつむる。おうおうキンキラふわふわじゃのう。
「ありがとジロー」
「なにが?」
「まあ、色々とね…――ねぇジロー、私ね、キラキラしたものが好きなの。物でも、人でも、異常なまでに。たくさんのキラキラした人を傍で見たくてテニス部に入れてもらったくらいなんだから。でね、私、その中でもジローのキラキラがすごく好きなんだよ。キラキラしてるジローが好き。それはずっと変わらないよ」
 ああ、やっぱりその人のキラキラを好きだと言うのは心地好い。プラスの気持ちは、それを口にするだけで幸せだ。

 ジローはうっすら頬を赤く染めて、上目遣いで私を見た。
「…、それ、俺と…ホントは嫌だけど、跡部以外には言わないでね」
「え?」
「みんな勘違いして、のこと好きになっちゃうから」
 ジローにまで跡部と同じようなこと言われてしまった。そんなに危険なのか、このセリフ。
「き、気をつける…」
 我を忘れるほどのキラキラと出会ったらどうなるか解かんないけど。

 ジローはソファから足を下ろす勢いのまま立ち上がり、はにかんだ笑みで私を見下ろした。
「ね…と両想いじゃなかったのはもちろんザンネンだけどさ、俺、そんなに落ち込んでないんだ。だからは、ほんとに気にしなくていいからね」
 気にするなという言葉は全然押しつけがましくなくて、素直に頷けた。ジローのこういう大らかさが、本当にありがたい。
さ、ここに掃除かなんかしに来たんでしょ? ジャマになっちゃ悪いから、俺行くね」
 ソファの横に立てかけていたラケットを持って、ジローは朗らかに手を振りながら部室を出ていった。
 実は寝に来たんだけど、勘違いでも退室してくれて良かった。さすがに異性の(しかも私に好意を持ってると解かっている人が)いる前で堂々と寝るほど不用心じゃない。
 靴を脱いで、先程までジローが寝ていたソファにばたりと横になると、身体に重みが増してずぶずぶと深く沈んでいくような感覚に襲われた。あ、すぐ眠れそう。
 思考が次第にぼやけていって、大した時間もかからずに意識がぷつりと途切れた。





 夢は見なかった。それだけ、熟睡していたということだ。徹夜なんてするもんじゃない――寝返りをうちながら目が覚めて、第一に思ったのはそれだった。
 乾いた眼球に貼りつく瞼をべりりと剥がして、傍らの気配に視線を向ける。
「…おはよぉ」
 喉がガラガラで、その声の酷さに自分でも驚いた。唾を飲み込みながらその場で「んーっ」と伸びをして、ぐでっと身体の力を一気に抜く。このソファは柔らかくて寝心地は悪くないけど、やっぱり布団で寝たいな。
 またうとっ…としてきて目を閉じると、頭に手を置かれするりと撫でられた。本当は軽くはたくぐらいしたいだろうに、私相手でも女に手を上げたりしないのは、さすがとも言える。
「寝るなバカ、襲われたいのか?」
 でも頭なんか撫でられたら余計に眠くなるんだけど、解かってるのかねこの人は。
 …それにしても…眠い。襲われてもいいからとりあえず寝たい。そんな危険な思考とともにまどろむ。しかし横からの声がそれを許さなかった。
「じきに昼になって、一度他の奴等も戻ってくる。起きろ」
「ん〜眠いよぅ…」
 何か私、昨日のジローみたいだ。ジローはいつも眠そうにしてるけど、てか寝過ぎだけど、こんな気持ちなのかな。ただ眠い。

 目を擦って、もう一度横へ視線を遣る。パソコン用のイスを私の頭の傍まで持ってきて、それに座りながら跡部が私を見下ろしていた。逆光の所為か眩しくて顔はよく見えない。
 跡部は小さく溜め息をつき立ち上がると、私の腕を引っ張って上半身を起こさせた。何だか跡部が子供を起こそうとするお母さんみたいで、笑えた。
 手を離されて力が抜け、背中を丸めてぼんやりとする。よく見ると、お腹の上にジャージが乗せられていた。お腹が冷えないようにだろうか、その気遣いがまたお母さんみたいだと思って噴き出してしまった。わざわざイスを移動させていることからも考えて、きっと私が起きるまでじっと待ってたんだ。ああおかしい。
 肩を揺らして力なくクックッと笑っていると、痺れを切らした跡部がしゃんとしろと言うように私の背中をぺしんと叩いた。本当に軽く。
「なに笑ってんだよ、ワケ解かんねぇヤツだな」
「あは、跡部っていい奴だなぁと思って。これ、ありがと」
 と、ジャージを持ち上げてみせて礼を言う。跡部は「フン」とぶっきらぼうに応え、ジャージを取り返そうと手を伸ばした――が、私は跡部からそれを引き離すように抱え込み、バサッと大げさなアクションで自分の肩にかけた。おっきいな。
「なんか冷えちゃったから、もうちょっと貸して」
 自分で起こした風にぶるっと震え、ジャージの前を掻き合わせた。冷房が効きすぎてるのかな。跡部は行き場をなくした手をすいっと引っ込めて腕を組み、また「フン」と言った。

 私は足を下ろし靴を履いて、座ったまま跡部と向かい合う。
「私の隣でもそっちのイスでもいいから、座ったら?」
 空いた隣の席と先程跡部が座っていたイスを交互に指し示すと、跡部はほんの一瞬だけ考えて向かいのイスに足を組んで座り、呆れたように言った。
「…コートに戻るつもりはねえのかよ」
「えー、だってもうお昼なんでしょ? 行ったり来たりするのめんどくさい」
「テメェ…氷帝テニス部嘗めてんのか?」
 少し怒ったような跡部の様子に、私は慌てて手を横に振り否定した。
「あーうそうそごめん。跡部が優しいんで甘えちゃった」
 言葉にして初めて気づいた。そっか、私今までずっと、跡部に甘えてたんだ。気づいてたけど、気づかないフリしてたかもしれない。何でも言いたいことを言える跡部に寄りかかるのはとても楽だから。でも跡部はそれが重たかったのかもしれない。跡部が私を好きだったってことすら、キラキラにかまけてばかりで私は気づいていなかったんだから。
 ああ…自分の鈍さ加減にだんだんヘコんできた。

「…寝てないのか?」
 気遣わしげな声に伏せていた視線を上げると、跡部は軽く私の顔を覗き込んでいた。その時何かを掴みたそうに跡部の手がピクリと動いたのを、私は見逃さなかった。こんな風に、何度も掴もうとしたことがあったんだろうか。
「うん…ジローにどう話そうかずっと考えてたら、朝になっちゃって――」
 どちらかと言えば、跡部のことを考えて眠れなかったんだけど。
「まぁそれは結局、大して役に立たなかったんだよね。人間慣れないことはするもんじゃないね、クマ出来ちゃった」
「ジローと話したのか」
「うん、解かってもらえたよ。それでね、キラキラ告白は自分か跡部だけにしろって言われた。ジローも跡部と同じようなこと言うの、勘違いしちゃうって」
「…そうか」
「――ごめんね、午前中サボっちゃって」
 跡部は私と目を合わせるとすぐに目を逸らし、膝の上で頬杖を突いた。
「別に。お前一人くらい、いてもいなくても変わんねーよ」
「ハハ…そうだね」
 正論すぎて空虚な苦笑いしか出来なかった。私は跡部のお情けでテニス部に入れてもらっただけで、本来ここには全く必要のない人間だ。それが事実だ。

 跡部、跡部――一体私は跡部の何だ。
 私にとって跡部は何だ。答えは出たはずだ。

「…おい、勘違いするなよ」
「は?」
「お前がいなくても変わらないのはテニス部全体であって、お前がいて違うのは――」
「跡部」
 私が傷ついたと思ったのか跡部が珍しく弁明しようとする。私はそれを最後まで聴きたいとは特に思わなかったので、跡部らしくないことを言おうとする跡部を遮った。跡部はいつでもふんぞり返っててよ。

「私、跡部のキラキラが好きだよ。キラキラしてる跡部が好き」
 ジローのキラキラが太陽なら、跡部のキラキラは月のようだと思う。跡部のキラキラが太陽の光を受けてやっと輝ける月のように控えめだとかいう意味じゃなくて、その輝きが、月の光のようにとても静かで幻想的だということ――それが、昨日から消えない跡部のキラキラの姿。綺麗だ。すごく好きだ。
 話を遮られた上、突然キラキラ告白をされて跡部は呆気に取られていたけれど、正気に戻って腰を伸ばしフッと笑った。
「何だ、もう欲求不満になったのかよ? いいぜ、俺様への賛美ならいくらでも聴いてやる」
「いや、そういうんじゃなくて――」
 と再び跡部を遮りつつ前置きして、私は考え考え喋った。

「――あのさ、私、常にキラキラしてる人と付き合いたいって言ったじゃない? でもそれって変だなって、実は逆なのかなと思ったの。常にキラキラしてるから好きなんじゃなくて、好きだから、その人が常にキラキラして見えるんじゃないかなぁ、と、思った」
「…………」
「それでさ、変なのかもしれないけど、今日ずっと、跡部がキラキラして見えるワケよ。テニスしてなくても、ずっと。今も。しかもいつもと違うキラキラ。それって私が跡部を好きってことだよね。もしくは特別視してるってことだよね」
「…………」
「まぁ何でもいいけど。ただ私ね、そのキラキラが、今まで見てきたキラキラの中で一番好きだよ。だからそんな風にキラキラしてる跡部もすごく好き。…うん、跡部が好きだよ。好きだ!」
「……お前、」
「もう一回言おっか? 跡部がす――」
 正直な気持ちだから、何度言ってもよかった。愛の告白のつもりだけど、キラキラ告白をするのと同じくらい気持ちがいい。でも跡部に手で制止された。「す」で止められたので、おちょぼ口になってすごくマヌケだ。

「もういい。…お前、恐ろしい女だな」
 それを褒め言葉と受け取り、私はニカッと笑った。跡部が私を好きだと解かっているから余裕を持って笑えるのではなく、たとえそうでなくても、私は笑えたと思う。伝えられただけでも幸せだ。
 私に「恐ろしい女だ」と言った時の跡部は苦い顔をしていたけれど、私が笑っていると、次第に表情を柔らかいものに変えていった。初めて見る、穏やかに穏やかを重ねたような微笑。
「…跡部、好きだー」
 キラキラ度合いが極限にまで達したように見えて、私はぽーっと見惚れながら呟いた。すると跡部は目を見開いて口元を手で隠し、ちょっと顔を赤くした。
「…どれだけ男前なんだよお前は」
「っへへ〜…」
 跡部に勝ったような気分だ。男前度で勝って嬉しいかって言ったら、微妙だけど。

 跡部は軽く溜め息をつくと、向かいのイスから立ち上がって私の隣へ腰掛けた。そして、膝の上にある私の手を取った。やっと掴めたのかな、と思った。
 独り言のように跡部が呟く。
「…お前のキラキラに気づいてるのが、まさかジローだけだと思ってねぇよな?」
「ん?」
「お前がキラキラを見てる時にキラキラしてるって事くらい、俺だって知ってる」
 今頃こんなこと言うなんて、ジローに先を越されたことへのヤキモチ、かな。私はふふっと笑った。跡部は心外だと言うようにムッと眉を顰めた。
「なに笑ってんだ。キラキラしてる奴にそいつのキラキラが好きだって言うのが気持ちいいんだって、お前が言ったんだろ」
「ああ、今の、キラキラ告白だったの?」
「…少し違う」
 跡部は手を持ち上げて私の頬を撫で、じっと瞳を覗き込んできた。
 キラキラしている跡部に触れられると、そこから光を注がれて内側から包み込まれているみたいに感じる。

「お前のキラキラも含めて、全て――好きだぜ…
 あ、来る。と思ったその時には、お互いの唇同士が重なっていた。
 昨日みたいに呼吸すら出来なくなるような容赦のないキスではなく、啄ばむと言うのか、そんな感じのキス。嫌いじゃない。むしろ好き。
 時間が解からなくなるくらいの長いキスを終えて目を開けてみても、跡部は変わらずキラキラしていて。
「…ずっと好きだった」
 今では、囁くその声にまで、キラキラという擬音がくっついて聴こえる気がした。




















 部内の練習試合で、ジローと岳人の対戦。
 ジローは岳人のアクロバティックテニスに瞳を輝かせ、その身も輝かせていた。ボレーヤー同士だからか動きが多くて、元気いっぱいに見える。
 岳人もキラキラしているけれど、やっぱりジローのキラキラは最高だ。跡部と付き合い始めてからも、私のキラキラ好きは変わらない。ジローのキラキラがお気に入りなのも変わらない。

 ジローたちのキラキラを見つめて幸せ気分でニコニコ(ニヤニヤ)していると、見兼ねたのか跡部が私に言った。
「おい、他のヤロー見て笑ってんじゃねーよ。お前は俺だけ見てりゃいいんだ」
「やだよ」
 乙女なら頬染めて「うん…」とか言いそうな文句にも、私は即座にそう答えた。跡部だけじゃ物足りないというわけじゃない。でもキラキラを求めるのは私の本能だ。それをやめろと言うのは、死ねと言うようなものだ。
「…ンだとぉ?」
 跡部が不服そうに顔を引きつらせる。何だか私って、跡部にこんな顔させてばっかりだな。でも、多少不安になるのは解かるけど、もう少し信用してほしい。

「心配しなくても、私は跡部のキラキラが一番好きだよ。跡部ごとね」
 一番、というか、別格だ。誰と比べることも出来ないし、しない。解かれ。
 跡部を不安にさせている分だけ、こうして伝えるから。解かってくれ。
「っ……お前、本当に恐ろしい女だな」
 私の口説き文句に照れた跡部にまたそう言われて、私は笑った。

「跡部、好きだよ」

 伝えるだけで幸せだけれど、それに応えてもらえたら、もっと幸せだよ。
 キラキラの跡部を見つめる私は、キラキラしてるだろうか。
 ――そのキラキラを、跡部は好きだと言ってくれる?










END










2006年2月18日





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