ざわざわ、ざわざわ。
 胸が騒ぐ。


  いやだ。来るな。消えてなくなれ。


 抑え込もうとすればするほど、浮かび上がるこの黒い感情。

 ――どうして。
 俺は、ただひたすらに、想っているだけなのに。



 こんな気持ち、捨ててしまえればいいのに。











     木静かならんと欲すれど止まず











 ――…ざわざわ。

 ぶしつけに俺の意識の中に流れ込んで、溶けて混ざってくるざわめき。
 それがひどく煩わしくて、俺は重たい瞼を開け、自分の腕枕の陰から周りを眺めた。
 寝ている間に今日の授業はすべて終わったようで、気の抜けた教室は喧騒に満ちていた。

 もう放課後か…部活行かなきゃな……でも眠いな。
 …ああ、うるさい。
 いつもならこの程度の騒がしさなんて、全然気にならないのにな。

 それにどうしてか、額がじっとりと汗ばんでいた。暑さのせいかな。
 どんな夢見てたっけ…?思い出せない。

「――慈郎」

 再び目を閉じてぼーっとしていると、近い位置から大好きな声が俺を呼んだ。
 顔を上げると俺の彼女のが立っていて、俺が起きたのを確認してニコッと笑う。

「慈郎、帰ろ」
「ぁれ…部活は?」
「今日は休みだよ?」
「…あー…ああ、そうだっけ?」

 部活が休みでもそうでなくても、俺は眠いんだけどね。
 は机の横に置いてある俺のリュックを取り上げて、まだぼけっとしている俺の背中に乗せて腕を通させた。まるでお母さんだ。
 そして俺の手を取って、「帰ろう」と微笑みかける。
 俺はの手をしっかりと握り返すと、が引き上げる力に逆らわずに立ち上がった。

「よし、帰ろう」
「うん、帰ろう」

 ニコニコ笑顔を交わして、俺たちは教室を後にした。

 いつもより明るい帰り道をふたりでのんびり歩いていると、が口を開いた。

「ねぇ、日曜日にあるお祭り、ふたりで行かない?近くで花火もあるんだって」
「行く」

 俺が迷わずそう答えると、は嬉しそうに笑った。

「よかったぁ。おいしいものいっぱい食べようね」
「俺、わたあめ食いたいな」
「うんうん」

 待ち合わせ場所と時間を決めて約束して、俺たちは手を振って別れた。

 お祭りかぁ、金魚掬いもしたいな。あー、でも育てられないかな。ミドリガメはどうだろ。
 花火も楽しみだな。人が少なくてよく見える穴場があるから、時間になったらとそこに行こう。
 遠足前の子供みたいに、わくわくしてる。部活があってろくにデートもしたことないし。


 日常の幸せに戻って、今も胸の奥にくすぶっている感情なんて、忘れかけていた。


  間違いなく、今もここに在るのに。



















 ――…ざわざわ。

 夕方になると、さすがに花火見物をする目的で人が多い。
 俺は待ち合わせ場所でぼんやりと、ほぼ一方向へ流れていく人々を眺めていた。

 夕方だから、さすがの俺も起きていた。いや、眠いけど。
 待ち合わせの時間まであと30分。ちょっと早く来すぎたかもしんない。
 でもできるだけ早くに会いたかったし、を待たせたくなかった。
 これが昼間なら、待ち合わせ場所でじっと待っていたのは間違いなくの方だろう。
 遅れてやってきた俺を見て微笑むを見るのもいいけど、待っている俺に駆け寄るだって見たい。ていうかそっちの方が見られる回数がこれから先も少ないだろうな。
 だから待ち合わせ時間が遅くて起きてる今日なんかは、俺が先に来るべきなんだ。

 ――そう思うのは、だから。
 他のヤツとの待ち合わせだったら時間通りに行くのすら面倒で、かなり待たせるか寝過ごして行かないなんてこともあるだろう。
 でもを待つのなら、寝る時間なんて惜しくない、と思える。
 言うまでもない、寝るのよりもずっとずっと、が好きだからだ。

 ……、まだかな。
 もう10分前。そろそろ来る頃だ。
 それらしき姿が見えないかと、キョロキョロと辺りを見回してみる。
 すると、人込みの間からカラコロと音をさせて、藍色の浴衣を着て髪の毛を結い上げた格好のがやってきた。
 は待ってる俺に気づくと恥ずかしそうに俯いて、俺の所まで少し駆け足で寄ってきた。

 ――あ、転ぶ。
 俺の目の前に辿り着く寸前に、慣れない下駄を履いているせいでがつまずいたので、俺は咄嗟に足を一歩出してを支えた。

「ご、ごめん…」
「慌てなくていいのに」

 俺にもたれかかる形になったを、ぎゅうっと抱きしめる。
 なんか周りにジロジロ見られてるけど、気にしない。

「浴衣姿すっげーかわE!」
「じっ、慈郎…!」

 俺の腕の中であたふたするがかわいい。
 あんまり困らせるのも悪いかな、と思って、放してあげた。

 一歩離れて改めての姿を見てみると、落ち着いた色の浴衣が似合ってとてもきれいだ。
 ニッコリ笑って「きれいだね」と思ったままを告げると、は赤くなって小さな声でごにょごにょ「ありがとう」と言った。

 の手を引いて、お祭りへ向かう人込みの中へ入っていく。
 屋台の入り口すぐにクレープ屋さんがあったので、いきなり立ち止まって二人分購入。
 お祭りに来たら片手に何か持ってないとね、なんて他愛もない会話をしながら、中身の違うクレープを「あーん」って分け合いっこする。

 目に映る面白そうな屋台を指さして笑って、親に手を引かれてはしゃぐ子供に目を細めて歩いているうちに、二人の手にはいろんな物がぶら下がっていた。
 水ヨーヨー、スーパーボール、ハッカパイプ、持ち帰り用の果物あめ、バナナチョコ、アメリカンドッグ、トロピカルジュース、などなど。

 両手が塞がって――手を繋ぐのもままならない。





 ふと、が足を止めた。
 顔は屋台の方に向けたまま、空いた指で俺の服をくいっと引っ張る。

「ん?」

 俺が引かれた方を見ると、あめ細工の屋台があった。
 屋台のおじさんが柔らかいあめを、器用に何かの形に変えていく。
 はすっかり目を奪われてしまったようで、「ね、見たいな」と言って屋台に近づいた。
 俺には断る理由なんてないので、と言うか俺もちょっと見たかったので、の斜め後ろ辺りに立っておじさんの職人技に見入った。

 あっという間にうさぎの形が出来上がってきて、は目をキラキラ輝かせた。
 「すごいねー」と言って、俺に笑いかける。俺も「すごいねー」と笑い返す。

「ね、もう一個造るとこ見てもいい?」
「うん」

 お祭りの屋台って実際、流し見していけば全部回るのにそんなに時間はかからないから、どんなに寄り道したっていい。
 それでが楽しいなら、もっといい。

 俺はの死角に立っていたので、こっそりその場を離れるのは簡単だった。
 に呼ばれる前に見つけた、あめ細工の屋台から四つ離れたアクセサリーの屋台へ行く。
 中学生のおこづかいで足りるような安物ばかりだけど、その中から、に似合いそうな指輪を物色する。

 は普段アクセサリーを身につけないけど、だからこそこれから俺があげる指輪だけをつけてくれたら、それはきっと特別だ。安物なんだけどね(だからこそ?)
 シンプルだけどこれという物を選んで屋台のおじさんに渡すと、「文字を入れられるよ」と言われたので、内側に『From J』と彫ってもらった。

 刻みつける、というほどじゃないけど、が俺のイニシャルを身につけることで、は俺のものだと思いたいんだ。

 指輪を小さな紙袋に入れて渡されて、俺はそれをズボンのポケットに仕舞い込む。


 そろそろ戻らないと俺がいないことにが気づいているかもしれない、と思って少し早足であめ細工の屋台に向かう。

 の藍色の浴衣が見えて駆け寄ろうとした――けど。その先にいる人を見て、俺の足は動かなくなってしまった。

 の横には、忍足とがっくんがいた。
 二人はに話しかけていて、は笑顔で応えてる。
 俺は動けないまま、目を細めて、ただ三人を見つめた。


 ざわざわ、ざわざわ。

 屋台の熱気を含んだ強い風が、木々を揺らした。でも何も聴こえない。
 人込みのざわめきでもない。何も聴こえない。
 また胸が騒ぎ出した。

 だんだん黒く染まっていく夜空のように、黒いものが俺の内側に広がって満たしていく。


  ほら、不安の種が膨らんでいく。


 ――ドンッ、と、通りすがりの人の肩が強くぶつかって、俺は我に返った。

 衝撃で身体の向きが変わって、別の屋台が目に入る。
 俺は惹きつけられるようにふらふらと、そちらに向かった。










 最近はとみに酷い。まるでタチの悪い偏頭痛だ。

「もう、慈郎どこ行っちゃったんだろ」
「アイツがほったらかしてどっか行くとは思えねぇけどな」
「トイレにでも行っとるんとちゃう?――ってうおっ!」

 俺が三人の前に立つと、まず忍足が気づいて驚き、あとの二人も飛び上がって同じような反応をした。

「慈郎っ…?」
「お前、何でそんなのつけてんだよ! ビビるじゃねーか!」

 がっくんが俺の顔に手を伸ばして、デコピンをしてきた。
 ペコッだかポコッだかいう音が内側から響く。
 俺がつけている『お面』の、薄いプラスチックの音。

「えへへ〜、コレいいっしょ! ウルトラマンマックスだぜ!」

 俺は自分の顔を指さして、銀色のお面の穴から笑顔を向けた。
 声がこもって、それが自分の声じゃないみたいで、自分でビックリした。

「お前の髪型がそれじゃなきゃ、一瞬誰だかわかんねーぞ」
「わかったならいーじゃん――…

 まだ呆気に取られているに手を伸ばして、浴衣と同じ模様のきんちゃくごとその手を取る。

「ごめんね、いなくなって」

 俺が謝ると、は見開いていた目をやっと細めて、にっこり笑った。
 ちりっ、と胸が焼けるように小さく痛む。

「ううん、戻ってきたからいいよ」

 どこに行ってたの?とは決して訊かない
 それは俺を信じてるから。笑ってるけど、本当は心配してたから。

 そこまでわかってるのに俺は、不安で、不安で、不安で。

「慈郎、そろそろ花火始まるから、行こうか?」
「…うん」
「じゃあ忍足君、向日君、また学校でね」

 が笑顔で二人に手を振ると、二人とも名残惜しそうな表情で「じゃあな」と手を振り返す。
 そしていつの間にか俺は、に手を引かれる形になっていた。

 俺がどこに行きたいかなんて知らないはずなのに、その足取りには迷いがなくて。
 心地好いそのリズムに、俺はただ身をゆだねる。

「屋台はいっぱい堪能したから、花火が良く見えるところに行こうね。それとも、まだ見て回りたかった?」
「…ううん」

 屋台の道を抜けてから、が俺のお面を覗き込んで訊ねてきた。
 俺が首を振ってみせると、満足げに笑う。

 人の流れが少なくなって、俺たちは並んでゆったり歩き始めた。
 は穏やかな表情で伏目がちに足元を見て歩いている。

 親に手を引かれてすれ違った子供が俺のお面を見て「ウルトラマンだ!あれが欲しい!」と親にねだった。
 がそれにぷっと噴き出して、口元に手を添えてクスクスと笑った。

「何も、そんなにしっかりかぶることないのに。頭に乗せるとか、首にヒモ引っ掛けて後ろ向きにするとか――ねえ、まだ外さないの?」
「…うん、外さない」

 『外せない』んだよ。

 ――ごめんね。
 今、俺……すごく醜い顔してる。

 あのまま、何の防壁もないまま三人の前に立ったていたら、きっと、俺は。
 隠しきれなかっただろう。

 強い独占欲と、嫉妬心。愛憎。
 こんな劣情に満ちた顔を見せられるわけがないだろ?

 でもこのお面をかぶっていれば、どんな表情も隠せるんだ。
 だから外さない。見せない。

 今はこのお面が、俺の顔。





 ピュー…という高い音が突然響いてきて、次の瞬間、頭上から強い光が射して俺の足元の影を濃くした。それに続いてドンッ!という重低音。パラパラと爆ぜる音に、ワァッという歓声。
 と同時に後ろを仰ぎ見ると、少しも待たないうちに第二弾が昇った。大きく鮮やかな赤い花が咲く。

「…、ちょっと急ごうか」
「うん」

 の手を引いて、少し急ぎ足で穴場へ向かう。
 高台にあるフリーテニスコート。
 お祭りの日にテニスやる奴なんかいないから、そこには見事に誰もいない。

 二人並んでスタンドに腰掛けると、花火がいい高さで見えた。
 お面の穴から見える花火は何だか、テレビの向こうの世界みたいに現実味がなく見える。

 俺がぼんやりと花火を見上げていると、がきんちゃくの袋を開けて中を探り始めた。
 中から出てきたのは二枚のバンソーコー。
 は下駄を脱いで、両足の親指と人差し指の間にそれを貼っていく。

 ――その瞬間、俺は酷い自己嫌悪に陥った。

 俺は、自分のことばかり考えて、の足元にも注意がいかなかった。
 普段履き慣れていない下駄なんかを履いていれば、そのうち鼻緒で擦り傷を負ってしまうかもしれないなんて、ちょっと考えればわかるのに。
 俺に付いてカラコロと忙しく鳴っていた下駄の音なんて、ちっとも気に留めなかった。

「…、ごめん。ごめんね」
「え?なにが?」

 バンソーコーを貼り終えたは、鼻緒に足を突っ込みながらきょとんとした顔を俺に向けた。

「俺が急がせちゃったから…足…」
「ああ、慈郎は気にしなくていいの。私が最初からこうして来ればよかったんだよ。一応バンソーコーは持ってきたんだけどね、見栄えを気にしちゃって、で結局こうなっただけ」
「でも、ごめん」
「…うん、ありがと」

 この先俺が気に病まないように、は俺の謝罪を受け入れて笑顔をくれる。
 腕を伸ばして、俺の髪を撫でてくれる。

 優しいが好きだなぁと思いながら、手のひらの感触にうっとりしていると、その手がお面の紐の上で止まった。
 ハッとしてに向き直ると、は静かな表情で俺を見つめていた。

「…ねえ、まだ外さないの?」

 が、さっきと同じ質問を投げかけてくる。

「…うん、外さない」
「どうして?」

 ドン、ドン、と、花火の重低音に合わせて鼓動が大きく揺れる。
 ヤバい、泣きそうだ。

「…どうしても」

 子供のような理由なき返答に、が納得したわけがないだろう。
 さらに言えば、俺の声が震えたのも聞き逃さなかったかもしれない。

「慈郎…私、慈郎の顔が見たい」

 が俺のお面の両端にそっと手を添えた。

「だめ」

 俺はそれを阻止するようにの両腕を掴む。


  触れられれば、爆ぜてしまう。


「どうしてっ?」

 傷ついたようなの声に耐えきれなくなる。

 ああ、言葉なんてなくなってしまえばいいのに。
 この胸のざわめきも、花火の音にかき消されてしまえばいいのに。

 俺は、ただひたすらに、君を想っているだけなのに。
 風はどうして止んでくれないんだ。

「だめなんだ…見せたくない…っ」

 自分の目から涙が溢れて、つうっと頬を伝い落ちる感触がした。
 それと同時にを抱きしめたから、泣いたのは見られてないはずだ。

「俺、今、すごくヤな顔してるよ」
「…ヤな顔?」

 ぽつっ、と水滴がお面の内側に当たる。
 ひとりよがりな涙。こんなもの、何も生み出しはしない。

が、好きなんだ」
「うん」
「だから、を誰にも見せたくない、触らせたくない」
「うん」
「さっきだって、忍足たちと話してるの見て、すごく嫌な気持ちになって――」
「嫉妬してることを気づかれたくなくて、お面を買ったの?」
「――うん」

 地球を守ろうとしたマックスは、地球で戦う為に主人公のカイト隊員と同化した。
 マックスも地球侵略を狙うエイリアンなのではないか、と人間に疑われることも彼は気にしない。ただ地球を守りたいだけ。
 マックスのように俺も、何も見返りを期待しないで、君の為に生きられたらいいのに。

 でも俺は人間で貪欲だから、やっぱり見返りが欲しいんだ。

 俺がこんなに君を好きなんだから、君にも俺だけを見ていてほしいなんて思ってしまう。
 俺だけのものにして、誰にもその笑顔を見せないようにしてしまいたいと思ってしまう。

 そんな自分が、そんな感情が、嫌で、嫌で。
 視界に映った屋台にマックスのお面を見つけた時、買わずにはいられなかった。

 俺は何も見返りなんかいらない。想うだけで充分なんだと。
 このお面をかぶることで、そう思い込みたかったんだ。

「…似合わない」

 俺の腕の中で、がぽつりと呟いた。

「そんなお面、似合ってない。慈郎は慈郎でしょう?その中の慈郎が、本物の慈郎でしょう?何を思おうと、感じようと、それが慈郎なんでしょう?」
「……」
「私は、全部ひっくるめて、慈郎が好きなの!お面なんかじゃなくて、本当の慈郎の顔が見たいの!見せてよ!」

 身をよじってドンッと俺の肩を押し返したは、すくいあげるように俺のお面を剥がした。
 頬を伝った涙が外気に触れてひんやりとする。
 剥がされる衝撃で反射的につむった目を開くと、の泣きそうで怒っているような顔が、とてもクリアに視界に映った。

 次に、が後ろの席にお面を投げ捨てたカコッという音と、俺の頬を両手で挟むパチンッという音、ついでに花火が咲くドンッという音が同時に響いた。
 俺は頬の衝撃にまた目を閉じる。

 と。

 目を開く前に、唇に押し当てられる柔らかい感触。
 すぐに離れていってしまったけれど、甘くて、あたたかくて。ほわほわ。
 そう、まるで――

「――…わたあめ」

 感じたことをそのまま口にしながら目を開けると、は「え?」と訝しげに首を傾げた。
 あー…わたあめ買い忘れたなぁ。

「ううん、何でもない――…ね、俺、今どんな顔してる?」
「子供みたいな顔」
「…だろうね」
「でも、すごく大人な顔。どきどきするよ」

 子供で大人って、難しい表現だな…
 俺の涙の跡を指で優しく拭いながら、はほのかに微笑んだ。

「あのね慈郎、嫉妬や独占欲は善い感情ではないかもしれないけど、悪い感情でもないんだよ、きっと」
「そうか、な…」
「私がそう思いたいってだけなんだけどね。でも男女間においては、嫉妬とかって仕方のないものなんじゃないかな」
「…それって――」

 も俺の周りの何かに嫉妬するってこと?俺を独占したいと思うってこと?
 ――俺の中に吹く風は、止まなくてもいいの?
 …吹くままに任せていいの?

 訊きたいことがいっぱいありすぎて、どれから言えばいいのかわからない。
 俺がうまく言葉を選べないでいると、は俺の頬を軽ーくつまんでムスッとした。

「どっちがモテると思ってるのかな、氷帝テニス部正レギュラーさん?」
「…俺、モテるかな?」
「自分じゃわからないデスカ?あんなキャーキャー言われてるのに」
「いつも跡部とかのファンでいっぱいだから、判別は…」
「いるのっ!慈郎のファンだってたくさんいるんだよ!それを私がどんな気持ちで見てると思う?自分の好きな人を皆も好きになってくれるのは喜ぶべきことなのに、ちょっとしたことで何かイライラしたり、そんな自分を嫌な女だと思ったり!するのっ!」

 ヤケクソ気味に怒鳴る
 ナイターの照明に照らされるその顔が赤いのは、怒ってるからじゃなくて、暴露するのが本当は恥ずかしいからだろう。

 なんて…なんて、いじらしくて。

「……かわいい」

 俺の為に一生懸命しゃべるがすげーかわいい。
 その内容が嫉妬についてだろうが何だろうが、はいつも俺にとって一番かわいい。

 ――そういうことなんだろうか。
 俺の中に生まれたどんな感情も、こんな風にすべて君にさらけ出してしまえば。
 は俺のことをかわいい――じゃなくって、いとおしいと思ってくれるんだろうか。
 受け止めてくれる?

 その時、俺はわたあめ以外にもう一つ忘れていたことを思い出した。

 俺の頬をつまむの左手を片手で掴んで下ろし、もう片手はズボンのポケットの中へ。
 ポケットの中をゴソゴソ探っている俺の様子を、は不思議そうに見ていた。の右手も俺の頬をつまむのをやめて膝の上に落ち着いている。

 指先で『それ』を捕まえると、俺はポケットから手を出してを見つめた。
 グーにしたその手を上に向けて、指を開く。

「…もらってくれる?」

 光を受けて鈍く光る安物の指輪。
 俺の手元に視線を落としていたは、目を見開かせてパッと顔を上げた。

「ここにつけるのが嫌だったら、言って」

 掴んでいたの左手を持ち上げて、薬指の指先に指輪をあてがう。
 一瞬指がピクッと震えたけれどそれだけで、は何も抵抗しなかった。
 つまんだ指輪を一気にぐいっと奥に進めると、小さな環っかは薬指にすんなりと収まった。サイズも問題なし。

「……婚約指輪?」

 ずっと黙っていたが、右手の指で指輪の細工を撫でながらそう訊いた。

「いい?」

 左手の薬指に指輪を嵌めることを許されたからって、婚約までできたなんて思わない。
 どんなにそれを願っても、俺たちはまだ中学生なんだ。子供なんだ。

「いいよ――慈郎はずっと私のもの、って公言できるんだもん」

 は悪戯っぽく笑って、婚約記者会見をする女優みたいに左手の指を揃えて指輪を俺に見せつける。

「慈郎こそ、「そこから外してくれ」って言ったって外さないワよ?いいかしら?」
「いいよ――それをつけてる限り、俺がいなくても、は俺のものだって証明できるから」

 指輪の内側に彫られた『From J』の文字。
 それを身につけているは、俺のもの。
 俺のタマシイごと、そこに在るから。ずっとのものだから。

 こちらに甲を向けたままのの左手を掴んで、指輪の上から薬指にくちづける。
 『誓い』をのせて。

 ちらりと上目遣いでを見上げれば、赤い花火に照らされただけじゃないほどの赤い顔。
 どうしてかな。俺にしてみれば、いつだって優位にいるのはなのに。
 にとっては逆ってことなんだろうか。
 俺たちは、そうやってバランスを取っているのかな。

「――花火、きれいだね〜」
「…どっち見て言ってるの」

 俺の顔は完全にの方を向いたまま。自然とニコニコ顔になる。
 夏ごとに何度となく見上げてきた打ち上げ花火よりも、今しか見られない今のを目に焼きつけたいから。

 は恥ずかしそうに俺からフイッと目を逸らして、空を見上げた。
 の横顔が、花火が光るたびにいろんな色に染まる。
 うん、きれいきれい。

「……さっき、わたあめがどうとか言ってなかった?」

 が居心地悪そうに足をまっすぐに向けて座り直して、ボソボソと問いかけてきた。

「そういえば、わたあめ買い忘れてたよね?一度お祭りに戻る?」

 少しでも俺の視線から逃れようって思ってるのかな。
 そんなに見つめられるのって気まずい?

 ――それと、墓穴掘ったの気づいてる?

「…ううん、いいよ」

 俺は腰を上げ、の足元の席に正座。
 の両手を取って立ち膝をすれば、ほとんど同じ高さで向き合える。

「わたあめならここにあるんだよね」

 が「えっ?」と訊き返してくる前に身を乗り出して、唇を奪う。

 …やっぱりだ。軽く触れるこの感触は、まさにわたあめ。
 甘いもの食べまくったのも一つの要因だろうな。



 目を閉じていると、五感のうち触感以外、何も感じなくなってくる。
 花火の音でさえ身体に響いてくるだけで、他は何も。

 そうして、自分の内側に耳を傾けると、静かな風の音が聴こえてくる。
 今は微風程度で、心地好いくらいに静か。

 これが、さっきまでは嵐のようだった。

 怖くて、台風が来る前に窓に板を打ちつけるように、深く奥底に抑え込みたくて。
 無理をした結果が、あれ。
 自分しか守れなくなった。

 でも風がこの世界に必要な事象なら、俺の中に吹く風もきっと必要なもの。
 止まなくてもいい。

 俺はもう、強風にも折れたりしないから。
 好きなだけ吹き荒れるがいい。

 それは君を好きだっていう証。


 俺はいくらでもその風の中に、身を投げ出そう。










END










********************

後書き
 去年くらいからぼんやりと考えていた話です。
 あまりにもぼんやりしすぎていて、こんな風に形になるとは思ってもみなかった。
 時間軸は九月の初め〜中旬くらいです。ホントはその時期に完成させたかった。
 作中にウルトラマンマックスが出てきたのは、完全に私の趣味。でも慈郎は観てそう。


 2005年10月7日


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