一、基本ルールは通常通り。終了時刻は十七時とする。
一、隠れ場所は東館の二階以上とし、外に出てはならない。屋敷の物を壊したり傷つけたり汚したりしないよう留意すること。
一、使用人達の仕事の邪魔はしないこと。
一、見つかった者は三階突き当たりの部屋(つまり今いる部屋)で待機すること。
一、一回のゲームの制限時間は四十分とする。制限時間内に見つからなかった者は自ら控え室に戻ること。そのため時計は必ず携帯し時間を確認すること。
一、あとは楽しめばいいんじゃねえの?
かくれんぼ
「あー…以上がルールだ。質問はあるか?」
自分の定めたルールが書かれたメモ用紙を読み終えると、始める前から疲れた様子で跡部くんがそう言った。すかさず上に伸びる四本の手。
最初に発言をしたのはそのうちの一本の持ち主である宍戸くんだった。
「まず、これは何なんだ!」
簡潔過ぎる問いの後を引き取るように二本目の忍足くんも続ける。
「俺等、今日はジローの誕生会をやるって聞いてきたんやけど…」
「それに、何でがいるんだよ!」
三本目の向日くんが私に向かってぐわっと指を突きつける。ちなみに向日くんはこのメンバーの中で唯一私と同じクラスだ。
「…というか、何故俺まで参加になってるんですか」
不服を隠そうともしないのは、一年後輩の日吉くん。彼で四本目。
質問が粗方出揃ったところで、跡部くんに代わり全ての疑問を引き受けたのは、本日の主役であるジローくんだ。
ジローくんは悠々と一歩前に出て、これから発言しますよと皆の注目を促す。
「今回のこのかくれんぼは、俺が跡部に頼んで実現しました!」
それは、自ら自分の誕生会をプロデュースしましたと言うのと同義である。
「ちゃんがいるのは、俺が呼んだからです。ていうかちゃんがいないと、このかくれんぼ意味ないから」
いきなり名指しで企画の要にされ、私はちょっと鼻白む。なぜゆえに私? まるで私が進んでかくれんぼをやりたがっているように取られないですかその言い方。
周りの視線がこちらに向けられて、私は慌てて首と手を横に振った。違います、違いますよ?
私の居心地の悪さもお構いなしにジローくんは他の質問にも答えていく。
「日吉や長太郎を呼んだのは、俺が呼びたかったからっていうのと、人数集め。やっぱこういうのは大人数でやんなきゃダメっしょ」
「…はあ」
日吉くんはやっぱり納得いかないようだ。
――事の発端は、先週のジローくんの一言だった。
「今度俺の誕生日にお祝いがあるんだけどさ、ちゃんも来ない?」
「うん、いいよ」
去年のジローくんの誕生日以来ジローくんとは縁が戻り、学校でも話すようになったり時折一緒に出かけたり遊んだりするようになっていたので、その誘い自体は何らおかしなところはなく、私は二つ返事で了承した。というか私は、幼少時代のお誕生会のイメージしか持っていなかったのだ。それはそれは平和なものだ。
なのでそれから続けられた言葉に、私は正直耳を疑った。
「――跡部ん家で、なんだけど」
「無理無理無理無理ッ!」
なぜそんな危険な場所に私を誘うのか! ジローくんに軽く紹介されて跡部くんと面識があるとはいえ、ファンの女子に知れたら私は無事では済むまい。ホント、冗談にならないから。
ジローくんは私の抗議などまるで聴いていないかのように、ニコニコ笑顔で恐ろしい付け足しをした。
「そんで去年の正レギュラーが揃ってるんだけど」
「もっと無理だから!」
即座に打ち消すと、ジローくんはしょぼんと悲しそうな顔をした。
「…ちゃん、俺の誕生日祝ってくんないの…?」
そう来たか。そう来るか。半ば投げ遣りな気持ちになってしまう。
「……解かった…行くよ」
後から冷静に考えればお祝いなぞ別の機会にいくらでも作れたものを、混乱しているところを一気に畳みかけられたお陰で断るチャンスを失ってしまった。
そうして戦々恐々とやってきた跡部くんのお屋敷には、予告通り昨年の正レギュラー陣が勢揃いしていたのだ(ちなみに一応、跡部くんと同じく全員と面識はある)。
そこで突然のルール説明を受けたという次第で、他人の家でかくれんぼをするだなんてことは寝耳に水だった。
「俺は普通に祝ってやると言ったんだが、ジローがうちでかくれんぼをやりたいと言って聞かなくてな……まあこれで本人は喜ぶんだ、付き合ってやれ」
跡部くんは深い溜め息をついた。結構苦労人だなぁ。でもちゃんとジローくんの願いを聞いてあげるところは、いい人だなと思う。
彼は遊び場の提供者として当然ながらルールを設定した。最後の一つは遊び心があってなかなか良かったけど、あまりに突然で他人事にしか思えなかった。この家の豪奢さも相まってまるで現実感がない。
誕生会の内容を知らされていなかったのは私だけではないようで、ここにいる皆が困惑気味だった。
そんな中、ジローくんが元気良く挙手をする。
「で、最初は俺が鬼をやりまーす!」
主役がそう言ってしまえばもう誰にも止めることなどできず、何となくかくれんぼをすることが確定してしまった。
「百数えるから、それまでにみんな隠れてねー! いーち、にーい…」
壁際に向かって腕で目隠しをしたジローくんのカウントが始まるなり、皆が驚くほど素早く散開したので、私一人がぽつんとその場に取り残される形になり唖然としてしまう。
ジローくんが十の辺りを数え始めた頃に、金縛りが解けたようにやっと私も動き出した。
他人の家を走り回るなんてものすごく抵抗があるんだけど、そうも言っていられない。もし一番最初に見つかってしまったら私が鬼になり、もっと走り回る羽目になってしまうのだ。
さてどこに隠れよう。鬼の近くが逆に見つかりにくかったりするんだけど、鬼が一つ一つ順番に部屋を見ていくなら近くは危ないかもしれない。隠れる時に扉の音とかするだろうし。
とりあえず別の階に移動するべきだ、と考えて、私は四階に上がった。
四階の造りも三階と基本的に同じで、客間が続いている。一つの家に客間がこんなに必要なんだろうか…必要そうで恐ろしい。世界が違う。なぜ私はこんな所にいるんだろうとか考え込んでしまいそうになる。
いつまでも廊下をウロウロしているわけにもいかないので、適当な部屋の中に入ってみた。
部屋の中を調べてみるとテーブルに一人掛けのソファが二つ、テレビ、続き部屋にはクローゼットとダブルベッドとサイドテーブルが置いてあって、どうやらユニットバスもついてるらしい。ベランダもある。一部屋ごとにこの内装なんだろうか。どこの一流ホテルのスウィートですかここは。いやいや、ホテルとでも思ってないともうツっこみが収まらない。
重要なのはこの部屋のどこに隠れるかだ。主に隠れられると思しき場所は、ベランダの隅、ベッドの陰、クローゼットの中、それから浴槽の中、といったところか。カーテンに包まるってのもアリかもしれない。
まず楽な場所でベランダが良いかと思ったけど、窓の鍵を見ればすぐにバレてしまうのでボツ。他の隠れ場所の見つかりやすさはどこも似たようなものといったところか。現在午後一時過ぎ、まだ時間はあるので、どこが一番見つかりにくいか色々試してみるのもいいかもしれない。新たなアイデアも出てくるかもしれない。
よし、まずはベッドの陰だ。しゃがむだけだと頭がはみ出て見えるかもしれないので、ここはいっそ足を縮めて床に寝そべってみる。わあ、絨毯ふわふわ。気持ちいいので最初はここにしよう。
ジローくん、そろそろ捜し始めてるかな……隠れてる間というのは結構ヒマなので、先程から気になっていたことについてちょっと考えてみる。
跡部くんの家でかくれんぼをする、と始めに聴かされた時、頭の中で何かが引っかかったのだ。デジャヴとでもいうのか、あれ前にも誰かこんなこと言ってなかったかなー、みたいな。あまりに突拍子もなくて実現しないだろうと思っていたから今まで忘れていただけで、どこかで聴いて覚えていたような。
――あの家でいっぺんかくれんぼしてみたかったんだよなー!
というのは、誰の言葉だったか。
「…――あ!」
閃いて、声と共に思わず身体を起こした。
どうかしている。誰だったかってそんなの、そんなこと言うのはジローくんしかいないじゃないか。しかも忘れてはならないことに、ジローくんがそれを言ったのは去年の今日だ。だからあえて今日、そのことを跡部くんにお願いをする気になったのだろうか……
毛の長い絨毯を何気なく撫でながらぼんやり考えに耽っていると、そう数秒も経たないうちにカチャッとドアの開く音がした。慌てて横たわる。
あードキドキする。自分が隠れている場所の近くに鬼が来ると、こんなに緊張するものだったっけ。見つかりたくないという焦りと、言い様のない懐かしさに胸が躍る。
息を潜めて、ベッドに身を寄せる。とはいっても、ここを覗き込めばすぐに見つかってしまうだろうが、それまでのドキドキ感がたまらない。
足音が私のいる場所の反対側で止まり、キシッとベッドに乗り上がる音がした。這っているのか、キシキシいう音が徐々に近づいてきてホラーみたいでちょっと怖いんですけど。普通に回り込めばいいのに。
ちらっとベッドの端を見上げると、ジローくんの顔がにゅっと飛び出してきて、息が止まった。
「…みつけた」
その表情を、何と言い表せばよいのか。
迷い子がようやく親を見つけた時のような、泣き出しそうな、安堵したような、嬉しそうな笑顔。
「俺が、いちばんに見つけたかったんだ」
そう言って、スッ、と手が差し出される。
私は呆然とジローくんを見上げながら、その手を取って起き上がった。
見つかってしまって残念と思うのよりも、未だ心臓がうるさくて仕方ない。
でも、あれ? ちょっと待って。何か今、ジローくんは非常に聞き捨てならないことを言っていたような。
「……え、一番に、見つかっちゃったの私?」
「うん。ちゃんだけを捜したから」
新手のイジメですかそれは。ていうか、よく狙って見つけられたものだ。
時計を確認する、開始から十分弱か。悔しいけどしょうがない、控え室に戻って待っていよう。
――と、その前に。まだ立ち去らないジローくんに問う。
「どうして私を一番に見つけたかったの?」
はて? とジローくんは首を傾げた。
「えーと、あいたかったから、かな」
また、どこかで聴いたようなセリフ。到底理由にはなっていないし、これで納得するなんておかしいのだけれど、へぇそうなんだ、って、なぜかすとんと胸に落ちて。そんな自分が不思議だった。
ジローくんと別れて、誰よりも先に控え室に戻る。誰もいない部屋は広くてがらんとしていて、少し物悲しい。否でも自分が次の鬼なのだと思い知らされた。
はあ、と溜め息をついて、部屋の奥にある立派なソファに浅く腰掛ける。テーブルには飲み物と軽くつまめるお菓子が用意されていたけれど、跡部くんの家にいるということを今さらながら意識してしまって緊張で何も手に取ることができなかった。
手持ち無沙汰で腕時計に目を遣ると、開始から十五分。そろそろ他の人も発見されている頃だろうか。
と、今度は顔を上げてドアに目を向けた瞬間、ちょうど誰かがドアを開けてきた。
ギョッとした。何せ、入ってきたのは跡部くんだったからだ。しかもどこか不機嫌な顔で。
慌てて視線を逸らそうとしたけれど、うっかり目が合ってしまった。
「…何だ、お前が一番乗りか」
「は、はあ…まあ…」
曖昧に答えて俯くと、跡部くんはつかつかと歩いてきて向かい側のソファにどさっと腰掛け、間を置かず私に声をかけてきた。
「で? 何でお前がいないとこのかくれんぼに意味がないんだ?」
いきなり核心を突きますか。そんなのむしろ私が知りたい。
「それは、私にもさっぱりで…」
何ででしょうね、と言おうとしたところでまたドアが開き、今度は向日くんと鳳くんの二人が会話をしながら部屋に入ってきた。
「くそくそ! あれなら絶対見つからないと思ったのに!」
「天井の隅に張りついてるっていうのは、さすがにバレるんじゃ…」
二人は部屋にいる私たちを見るなり会話を中断し、先程の跡部くんのように私の向かい側に座って同じ質問を投げかけてきた。この状況に文句があるというよりも、それは好奇心からのように見えた。つまりあれだ、色恋系の好奇心だ。
私はまた「理由は解からない」と同じように答え、続けて自分の拙い推測を述べてみた。
「ただ…前にジローくんが、跡部くんの家でかくれんぼをしてみたいって言ってたから、私にそう洩らした手前、誘わないわけにはいかなかった、とか…?」
「…フン。そいつはほとんどハズレだな」
足を組んでソファにもたれ、腕まで組んで、跡部くんはゆったりと私の読みを否定した。
「がいなきゃ意味がないとまで言ったんだ、かくれんぼは手段でしかない。他に何か目的があるんだろうさ」
「もく、てき……」
なぜだか去年の公園でのことが思い出された。私に逢って確かめたかったと言ったジローくん。今でも私を、好きだと…――
ぼっ、と一気に顔が赤くなったのが自分でも解かる。急いで顔を伏せてみたけれど、多分遅過ぎた。揶揄する跡部くんの声が飛んでくる。
「なるほど、心当たりがあるワケか」
「いいいえっ、これっぽっちもないです!」
自分でも今のは上手くないな、と思った。誤魔化せていないにも程がある。
「すげー、動揺がここまで表に出るヤツ初めて見た」
「向日先輩、あんまりそういう事はっきり言わない方が…」
変に感心する向日くんとオロオロする鳳くんの声。それから――
「…なんや楽しそうやな」
――新たな入室者の忍足くん。気づけば開始から二十分が過ぎていた。
ジローくんは人を捜すのが上手いと思う。狙って私を一番に捜し当てたことといい、それから後の人たちを五分とかからず次々と見つけ出したことといい、こういうのを獣並みの嗅覚というのだろうか。それとも遊びのプロか。
結局、制限時間の四十分もかからずに三十分弱程度で全員が発見され、早々に私が鬼の第二ゲームが始まった。
壁についた腕に顔を伏せて、百までカウントしていく。バタバタと多人数の足音が去っていって、ちょっと淋しい気分になりながら、静かになった部屋で百を数えきる。
「……よし、捜すかあ」
前向きに考えれば、鬼になったことで色んな隠れパターンを直接知ることができるということだ。今後の参考になる。
まずは何となく、控え室の中をぐるりと見渡した。鬼の近くは逆に見つかりにくいと自分が最初に思ったことを思い出す。
ここで隠れられる場所は、多分一ヶ所だけだ。ここから死角になっている、さっきまで私が座っていたソファの後ろ。そろりそろりと近づいて、そっと覗き込んでみる。
……いた。いた、けど…もしかして寝てる?
「おーいジローくん!」
「んー…?」
横になっていたジローくんがもぞっと身じろぎして、目を開けた。眠たげな目で私を見上げて、舌足らずに返事をする。
「あれ、もう見っかっちゃった…? すごいね〜。俺いちばん?」
二分にも満たない時間で眠りに着いたあなたの方がすごいです。
「そう、一番だよ」
ほら、と手を差し伸べる。奇しくも私が見つけられた時と逆のシチュエーションになっていて可笑しかった。
立ち上がったジローくんは嬉しそうにニコニコ笑う。
「いちばんに見つけてくれてありがと」
また鬼だなんて面倒な役をやらなくてはならないのに、どうしてそんなことに感謝するのか。
何だか毎年ジローくんに謎かけでもされてるような気分になってしまう。
一番に私を見つけたかったと言うジローくん。一番に私に見つけてもらいたかったと言うジローくん。
それは、どういう意味合いを持つのか。
――私は、きっと気づいている。
「さて、他の人たち捜しに行こうかな。ジローくん、床で寝たら冷えるから、寝るならソファの上で寝るんだよ?」
「うん、そうする。…あ、ちゃん」
部屋を出ようとする私を、さっそくソファに横になりながらジローくんが呼び止めてきた。振り返って首を傾げ、用件を促す。
「跡部ね、ぜんぜん隠れてないからすぐに見つかるよ」
ヒントをくれたのだろうか。かくれんぼなのに全然隠れていないという謎のヒントを貰い、ジローくんに軽く礼を言って部屋を出た。
手近な部屋から順繰りに見ていって、三階の一番奥の部屋のドアを開けてみると、ジローくんのヒントの意味はすぐに明らかになった。というか、もうヒントでも何でもない。ただの事実である。
跡部くんはドアを開けてすぐ目の前にある一人掛けのソファに、どっかりと腰掛けていたのだ。その姿は威風堂々。
「ああ、見つかったか」
見つかってムッと不機嫌な顔をするというのは、悔しくはあるのか。この見事な隠れっぷりで。
やる気がないわけではないんだろうと思う。これは何と言うか、どちらかと言うと、かくれんぼのルールを正しく理解していないのかもしれないのかな、と。
「あのう…どうして隠れてないの?」
「部屋に隠れてるだろ」
「いえ、そうじゃなくて、もっとこう、クローゼットの中とか、バスタブの中とか」
「アーン? そんな場所にこの俺様がいられるか」
…すごい、本物だ。この調子だと今日のかくれんぼの鬼回数の最多は恐らく彼だ。
そんな哀しい確信を抱いていると、奥に人の気配を感じた。衣擦れの音、のようなものが微かに聴こえた。私は続き部屋へと足を向ける。
「おい、そっちには誰もいねぇぞ」
怪しい。止めるのは怪しい。跡部くんの制止の声を無視してクローゼットをガバッと開け放つ。突如眼前にそびえる巨体…いや、身長が高過ぎてちょっと屈んでるけど。
「…樺地くん、みっけ」
「ウス」
私は跡部くんに向き直った。自然と笑みが零れる。ちょっと変わってるけど、やっぱり、いい人だなあ。
それから私は宍戸くんを見つけて、日吉くんを見つけて、忍足くんを見つけた後、危険な場所に隠れていた向日くんをようやく見つけ、一人を残したところで時間切れで第二ゲームが終了した。
ちなみに向日くんは二階のベランダの手すりにぶら下がるという荒技で隠れていて、見つけた瞬間私は悲鳴を上げてしまった。その悲鳴に驚いた向日くんが手を滑らしそうになり、さすがに危険なので跡部くんはぶら下がり禁止という向日くん限定のルールを追加したのだった。
第三ゲームで鬼になったジローくんは、私を一番に捜すという目的は既に果たされていたので、もう容赦ナシに人を見つけていった。私が最後に発見された時にはまだ二十分も経っていなかったと思う。そして次の鬼は予想通りというか、跡部くんになった。
「フ…精々俺様から隠れおおせてみせるんだな」
なぜそんなに大儀そうなんだろう。カウントの声も、心なしか弾んで聴こえる。実は意外とこういう遊びが好きなのかもしれない。
皆がぞろぞろ出ていくのに紛れて私も部屋を出ると、誰かにぐいっと手を引かれた。
私の前に来て歩くその人は、ジローくんで。私は驚くでもなく、何となく平然としていた。こういうこともあるだろうな、と、どこかで思っていたので、黙ってついて歩く。
ああ、目的地を知らされないまま手を引かれるなんて、こんなところまで去年と同じだ。
現実逃避のようにぼんやりとしているうちに、二階の奥の部屋に辿り着いていた。
どこに隠れようと言うでもなく、部屋の中ただ手を取り合って向かい合う。
まるで懺悔の時間みたいなそれは。
「――…いつかの答えがほしいって思ったら、いけないかな」
私の心を一瞬にして暴く、絶対的な言葉から始まった。
「俺の気持ちは変わってないよ。必要だったらもっかい言うけど」
知ってるよ。私が気まずさを感じないように、この一年間、黙って待ってくれていたこと。ちゃんと気づいてたんだよ。
私はそんな君を、ずっと大人のようだと思っていたんだよ。
「あ、ごめん違うや。俺が言いたい」
だから、一年間秘めてきたこんな鮮やかな想いを告げることを、誰が止められよう。
「俺は、ちゃんが好きです」
そしてここで私が答えを出せなかったら、きっとこの先の一年間、再び想いを潜めるのだろう。それは、ひどくつらいことのような気がした。
さすがに私も、そこまでして隠し通そうとは思わない。というか、今日という日を逃したら、次の機会が巡ってくるのは間違いなく一年後だ。
そんな風に今を惜しいと思うのなら、何も迷うことはなく。
「…私も好きだよ、ジローくん」
堰き止めるものが突然消えてなくなったように、ぽろっ、と本音が零れた。
「…………」
「…………」
む、何だろうかこの沈黙は。私、一世一代の告白をしたと思うのだけれども。
ジローくんは解かるか解からないか程度に目を見張って、ぱちぱちと瞬きをしている。そんなに、意外だったのかな。私そんなに上手に隠せていたんだろうか。
「……それ、ほんとう?」
あ、マズい。確認されたら今頃恥ずかしくなってきた。熱くなる顔を隠さずに、コクンと首を前に倒す。
幼い頃にジローくんを男の子として好きだったのかは解からない。だってあの頃は、『仲良しさん』と『好き』はイコールだったからだ。異性として意識し始めたのはほんの一年前、しかもジローくんに告白されてからという体たらくで、それをどうにか忘れるように隠し続けて一緒にいたら、自分でも驚くくらい内側で育ちに育ってしまった。
思い出は美しい。けれどそれ以上に、今がいとおしい。一年先の保証なんて何もないから。失いたくないと思ってしまったから。正直に告げるのだ。
「本当に、好きだよ」
――瞬間、視界を遮られた。
ジローくんに抱きしめられて、腕の中に閉じ込められていると気づいた時には、もう遅くて。ずっと気づかないフリをしていたのに、気づかされる。
去年は同じくらいの背丈だったのに、ねえ、いつの間にこんなに背が伸びたの?
「ちゃん、昔から隠れるの上手だったよね」
確かに、隠すのは苦手だけれど隠れるのは得意だった。しかし一発で捜し当てた人に言われたくない。
「そういうジローくんは、見つけるのが上手だった」
ちょっとした当てつけのように言い返す。簡単に暴いてくれちゃって。
「でも見つけ出すまでは、不安だったよ」
…ああもう、私たちは何の問答をしているんだか。
たまらなくなって、ジローくんの背中にぎゅうっと縋りつく。
「…一番に、見つけてくれてありがとう」
一番に。何て暗示めいた言葉だろうか。
君の一番にしてくれて、一番に選んでくれて、一番に好きになってくれて、ありがとう。
「ちゃん…」
強い力で抱きしめられていた腕が緩められる。自由になった首を上向けると、ジローくんと目が合った。
逸らせない。交わった視線も、近づいてくる大人びた顔も、唇に触れそうになる吐息も。逸らせないから、目を閉じた。
さあ来るなら来い、と変に意気込んでみたが、私の気勢は数秒も保たずにあっさり削がれることとなった。
忘れていた私たちが悪い。今は楽しいかくれんぼのお時間だということを。
ガチャッ、といささか乱暴にドアが開かれる音が聴こえ、慌ててそちらに顔を向けると、ドアの前で跡部くんが不敵にニヤリと笑っていた。…いや、目は笑ってない。
「――見つけたぜ。おい、どうして俺に言ったようにクローゼットやバスタブの中に隠れてないんだ? それからジロー、ここはラブホテルじゃねぇからな」
何だか露骨な表現をされたような気がして、私は思わずジローくんからババッと離れる。するとジローくんは拗ねた顔で黙り込んだ。
「非常に残念な事に、見つけたのはお前等が最初じゃないんだがな」
とっとと部屋を出ろと言われて、来た時のようにジローくんに手を引かれて廊下に出る。
跡部くんは既に私たちから興味を失ったようで、隣の部屋のドアを開けるなり「誰かいやがるかぁ!」と怒鳴って部屋に乗り込んでいった。一体どんな捜し方をしているんだろうか。ちょっと気になる。
控え室へ向かいながら、私は何となく隣を歩くジローくんを盗み見る。いつもの眠たそうなジローくんだ。気まずくはないけど、恥ずかしいなぁ。
だって、ねえ、さっき、あのままキスするもんだと思っていたから――
思い出したらさらに恥ずかしくなって、雑念を払うようにぶんぶんと首を振った。
「……ねえ、ちゃん」
控え室の前まで来ると、ノブに手をかける寸前にジローくんが声をかけてきたので、立ち止まって振り返る。
「どう――」
――かした? と続く声は、一息のうちに奪われた。
思考はフリーズ。むしろ真っ白。
どうにか再起動したのはジローくんの顔が離れてからだった。
ほんの数秒にも満たない軽いキスだったのだろうけど、気分は濃厚なそれをしたのと変わらない。脳みそが沸騰しそうだ。
「ちゃん?」
「ちょ、ちょ、まま、まっ、て。おちつッ、落ち着こう!」
あああ、声がひっくり返る。全然落ち着いてない!
「だいじょうぶ? すごーく真っ赤だけど」
「むり、無理で、す。このまま、部屋に入るの、無理、だと思うんだ」
自分が今どんな状態になってるか、鏡がなくても解かる。こんなんで二人一緒に部屋に入ったら、他の人たちに明らかに不審がられてしまう。
「うーん、そっか。じゃあこっち」
と、先程上ってきた階段の端に腰掛けさせられた。なるほど、ひとまずここで熱を冷ませということか――って、なぜ真横に座るのかなジローくん。
「? ジローくんは、先に部屋に戻ってていいよ?」
「うん。でもその前に、ちょっとだけ」
「え?」
何が「ちょっとだけ」なのか。問いかける暇もなく、再び不意打ちを喰らった。
今度は意識なんて飛ばさせない、とでも言うような、噛みつくみたいなキスだった。
表面が少し乾いた柔らかいものが、私の唇を食むたびに湿り気を帯びていく感触はリアルに恥ずかしい。
確かに、今の時点でこれ以上ないくらいに真っ赤になっているはずだから、何をしようと今より酷くはならないかもしれないけど、これ、「ちょっと」って言わない。
でもどうやって中断させればいいのかも解からなくて、私はただただ受け入れていた。これがこの一年間の、それ以前からの思いの丈だというならば、まだ足りないくらいだろう。
「…っ…はい、とりあえずここまでね」
ジローくんは濡れた私の唇を親指で拭って悪戯っぽく笑う。これで「とりあえず」とは、この先が恐ろしい。
意識は飛ばさなかったけれど、熱は出てきたかもしれない。顔中が熱い。
「何か飲み物取ってきてあげるね」
ジローくんは立ち上がって、控え室に戻ろうとする。
その時になって、私はまた大事なことを言い忘れていたことに気がついた。
「――ジローくん」
「ん、どしたの?」
階段の途中で振り返ったジローくんに、精一杯の想いを込めて告げる。
「誕生日、おめでとう」
それがあって今日のかくれんぼが執り行われたというのに、ジローくんはまるでそんなことは忘れていたみたいにきょとんとして、それからニッコリと幸せそうに微笑んだ。
この舞台は広過ぎて、「もういーかい」「まーだだよ」の問答がなかったことを今さらながら思い出す。
かくれんぼのきっかけなんて、きっと去年の言葉を覚えていたからというだけなんだろうけど、何て見事な符号だろうか。
「もういーかい」
と一年越しに問うたジローくんに、
「もういーよ」
とようやく返事をした私。
それはまるでかくれんぼのように。
END
2007年5月5日
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