First part     Sight      Food & Smile      Invitation      Decision
Waiting      Reason      Pieces      start
Interval     Monologe 桑原仁王切原
Second part     It's still early? 1      He'll obstruct it 1
    
 よくもまあ毎日飽きもせず見に来るものだ。練習風景なんぞ見て何が楽しいのか。部内での練習試合とは言え、せめて黙って観戦していろ――仁王はそんな毒にまみれた心情をこれっぽっちも顔に出さずに試合を終え、黄色い声の飛び交うコートを出た。
 コート脇にはスコアを記録していたが待っていて、仁王とその相手部員にドリンクとタオルを差し出した。
「お疲れ様。どうぞ」
「どうも」
 二人が礼を言ってそれらを受け取ると、は脇に挟んでいたスコアボードに視線を戻して一通り目を通した後、一番上の紙を一番下に挟んだ。選手に対してもその記録に対しても、未練のない思い切りの良さがたまらない。しかもそれに間違いがなく完璧なのがまたたまらない。

 仁王が汗を拭きながらの挙動を観察していると、不意にが顔を上げた。
「どうかした? 何か気になる事でも?」
 スコアボードを差し出して「見る?」と訊くに、仁王は首を振ってみせる。
「いや、優秀なマネージャーだと思ってな」
「そう、どうも」
 一応こちらを向いてはいるものの、は素っ気ない返事だけを返してきた。たまらない。自分はどちらかと言えばサドだと思っていたのに、少しマゾが入っているのかもしれないと仁王は少し思った。

「このコートの次の試合、ブン太だろ?」
 新たな記録用紙に次の試合の選手を書き込むの手元を覗き込んで仁王は言った。
「そうだね」
 素っ気ない返答に苦笑しつつ、向こう側からコートに入ってくるブン太をチラリと見遣る。ブン太は項垂れていて、こちらを見てすらいなかった。
「アイツ相当ヘコんでたぜ? 俺に相談してくる始末だ」
「ヘコむ? どうして?」
 は顔を上げて、理解出来ない、と言うように訝しげに眉を顰めた。
「そりゃ、俺の目の前で俺に勝てないとかお前に言われればヘコみもするだろ」
 逆にそれが解からないの方が理解出来ないと仁王は思う。

 は目を伏せて黙り込むと、少ししてからぽそりと呟いた。
「…ブン太は、解かってると思ったから」
「『解かってる』?」
「うん…仁王君に勝てないって、自分でも解かってるんじゃないかと思った。でもそれを自分じゃなかなか呑み込めないようだから、第三者が言った方がいいのかな…と……」
 の言葉の語尾が、思案に沈むように緩やかになる。

 仁王はの思考を読んでみた。
 きっと、ブン太がヘコんだという事について考えている。第三者が指摘してやればいいのだと言いながら、言ってしまった事を失敗だったと気づいたはずだ。
 そもそも、ブン太にとっては『第三者』ではない。自分が誰かに劣っているなんて、誰に言われてもには言われたくはなかっただろう。諦めの悪いブン太が心配なら、柳や柳生のような理論派タイプにでも任せれば良かったのだ。

 不器用な奴等だ、と仁王は思った。
 しかも自分で自覚がないのではなく、それを理解しながらも空回り。そんな二人を見るのが、仁王には楽しい。
 為になる助言などしない。ただ掻き回してやるだけだ。

。アイツを傷つけたと思うか?」
 仁王の言葉にはピクリと顎を微かに上げて、挑むような目だけを仁王に向けた。
「傷つけたとしても、必要だった。ブン太が立ち直れないって言うのなら、私が責任を持って支えるよ」
 仁王はスッと目を細めてを見下ろし、口の端を持ち上げる。
「…だから、そういう事は本人に言えよ。自信がないのか?」
「仁王君が訊いたんでしょう。私は質問に答えただけ――それとも、励ましてるの?」

 予想だにしなかったからの指摘に、仁王は心の中で瞠目した。
(励ます? 俺が?――いや…そうかもしれないな)
 続くにしろ壊れるにしろ、二人の行く末を――その道程を見届けたいとでも思っているのかもしれない。
 オモチャが(もちろんブン太の事だ)どうなっていくのかが気になるのか、目の前の女が気になるのか、あるいは両方か。
 仁王は頭をカシカシと掻く。
(…面倒臭いな)
 人間相手に執着を持つとろくな事にならない。ブン太然り、然り。悪例なんてそこらにいくらでも転がっている。
 けれどそれが不快じゃないときた。
 それならば、事実を受け入れてコントロールすればいい。
「…そうだな。励ましてる」
「そう、どうも」
 そこで会話が途切れた。

 はもう仁王の方を見てはいなかった。目の前で始まったブン太の試合を一瞬たりとも見逃すものか、というほどの熱視線をコートに送っている。かのように見えた。
 仁王も気を逸らすと、途端に女子生徒の黄色い声が耳に入ってきた。ラリー中でも静まらないマナーの悪さ、にではなく、単に耳障りな雑音が自分の試合でなくても不快だった。
 一つ小さな溜め息をついて、仁王はの横顔を盗み見た。彼女はこの雑音が不快ではないのだろうか?と疑問に思うほど、試合に集中している。
 しかしブン太が1ゲーム目を取りコートチェンジになって、記録を書き込む為にスコアボードに目を落とす一瞬、は眉をぎゅっと顰めた。どこか苛ついているようにも見える。仁王はおや?と訝しんだ。
「声援、気になるのか?」
 仁王が訊ねると、はボールペンを持つ手をピタリと止めた。
「…そう見える?」
「見える」
「…じゃあ、気になってるんだね、私」
 要領を得ない答えに仁王は苦笑した。
「何だそれ」

 は顔を上げて、第2ゲームが始まったコートへと視線を移す。だがその眼差しは、コートよりもずっと遠くを見ているようだった。
「…私ね、ラケットがテニスボールを弾く音が好きなの」
 女子の声援に混ざり、パコン、パコン、という澄んだ確かな音がする。
 仁王は黙っての次の言葉を待った。
「周りのどんな雑音も耳に入らない。自分がその音を生み出しているわけじゃないのに、まるで、その音と自分とが一体化したかのような感覚がする時もある」
 試合の時にプレーヤーがしばしば感じるそれと似ているのかもしれない、と仁王は思った。
 仁王はテニスの試合で必死になる事など全くと言っていいほどないが、相手が自分より強いと解かっていても負けたくない、勝ちたいと思った瞬間、周りの音が掻き消えた、あの感覚。耳に響くのは自分の鼓動と息遣いと、コートを行き交うボールの音だけ。頭を駆け巡るものは畏怖と、それを認めたくない激しい反発意識――あれは初めて幸村と対戦した時だったろうか。静かな強さに、ラケットを持つ手が震えた。

「でも最近、ブン太の試合を観てると雑音ばかりが気になって、集中出来なくて」
 痛々しい過去の記憶を呼び起こしそうになっていた仁王は、の話に一瞬遅れて反応した。
「――あー…つまりそれは、ブン太に声援を送る女子への嫉妬か?」
「…嫉妬だと思う?」
「思う」
 先程と似たような問答を繰り返して、は溜め息をついた。
「…面倒臭いね、人間って」
 仁王はこっそり頷いた。
(同感だ)

 先程はブン太に「は嫉妬とは無縁だろう」と言ったが、結局はも女だったという事か。
「堂々と声援を送れる奴等が羨ましいなら、もそうすればいい。ブン太、一発で元気になるぜ」
 得意のネットプレーでもいまいち調子が出ない様子のブン太を横目で観ながら仁王がそう言うと、隣でがクスッと笑った。
「やっぱり…励ましてるね」
 が微笑したまま仁王を仰ぎ見ると、仁王もいつもより柔らかく笑んでを見た。どこか自嘲するように。
「…そうだな。励ましてる」
 そしてどこかで、壊れてしまえばいいとも思っている。

「――ブン太!」
 第3ゲームが終わってブレイクタイムに入ろうとした時、何の前触れもなくが大声を上げた。まるで子供を叱り飛ばすような声音で。
 ブン太はビクッとして、恐る恐るこちらを振り返った。
 は何も言わなかった――何も言わなくても、の表情が何を言いたいのかを充分物語っていたからだ。
 は無表情でブン太をジッと見つめると、口の端を少しだけ持ち上げて、穏やかに笑った。
 それは「頑張れ」という意味にも「しっかりしろ」という意味にもとれたし、「好き」という意味にもとれた――少なくとも、隣で見ていた仁王には。
 ブン太はしばらくボーッとを見つめると、大して動き回ったわけでもないのに突然頬を紅潮させ、こちらに向かって嬉しそうにぶんぶんと手を振ってきた。
「…な? 一発で元気になったろ?」
 呆れ顔で仁王がそう言うと、は少し恥ずかしそうに唇をきゅっと引き結んだ。

 のその表情の変化を見て、仁王は胸の奥で何かがチリッと燻るのを感じた。
 先の試合で流れた背筋の汗が風に冷やされてゾクリとする。
(…そうか…羨ましいのか、俺は)
 自分でも意外だった。
 勝とう、頑張ろう、強くなろうとする為の動機。執着。それが欲しいのか――チームメイトのモチベーションを奪ってでも…?
 何が恋愛の、それに准ずる感情のきっかけになるのかなんて、誰にも予測など出来ない。生まれる瞬間は唐突で、それによる結果なんて想定してすらいない。ただ次第に呑まれていくのを実感するだけだ。

 6‐2でブン太が勝利して相手と握手する姿を見ながら、仁王が口を開いた。
――」
「…ん?」
 スコアボードに向かっていたがきょとんと顔を上げると、仁王はニヤッと笑った。
「――って、呼んでも?」
 は間髪入れずに答える。
「そうしたいならどうぞ」
「じゃあ、俺の事も名前呼び捨てでいいわ」
「呼んでほしいならそうするけど」
 躊躇もせず、何故と問いもしないの態度に、仁王はいささか拍子抜けした。
「結構あっさりしてるんだな」
「よほどの事でもない限り、その人が望む呼び名で呼ぶのは礼儀だと思うよ。例えばもし仁王君が――雅治でいいんだっけ――が、『マシャ』って呼べって言うんなら、私はそう呼ぶよ」

 極端な例えのそのあだ名に、仁王は思わず「プーッ!」と豪快に噴き出した。
「…ク、ハハッ、ハハ! 、お前さん天然か?」
 腹を抱えて笑う仁王を、は怪訝そうに見遣る。
「…何か可笑しかった?」
「いやいや、悪い……プフッ…クッ」
 『マシャ』という間の抜けたあだ名が仁王の頭の中をグルグル巡って、おかしなツボにハマってしまったように笑いが止まらない。
「……雅治がお腹抱えて笑うの初めて見た。一年の時の、教室での雅治しか知らなかったけど、そんな笑い方しなかったよね」
 それは、仁王を心の底から楽しませてくれるものがそこにはなかったからだ。それが実は、こんなに近くにあったとは。
 何の違和感もなく『雅治』と呼ぶの声に心地好さを覚える。

「俺も、がここまで面白いキャラだとは思わなかったぜ」
 笑い過ぎて浮かんできた目尻の涙を指先で拭いながら仁王が言うと、とても複雑そうにの眉が寄った。
「面白い…?」
「自覚がないのがまたいいな――」
 仁王はちら、と、試合を終えてこちらに向かってくるブン太を意識して、殊更はっきりとこう言った。
「――、俺の女にならん?」

 数メートルまで近づいていたブン太が、ラケットを脇に放り投げて勢い良く仁王の胸倉を掴む。
 至近距離で仁王を睨み上げるブン太の瞳は、ギラギラと憎しみに燃えていてた。
「…前に言ったよな、「手ェ出したら殺す」って」
 仁王は特に抵抗もせず、敵を威嚇する犬のように低い声で唸るブン太を冷めた瞳で見下ろす。
「あと三ヶ月――」
「は?」
「――三ヶ月間、お前は自分の右手で我慢するのか?」
 うっすらと嘲笑を浮かべてブン太だけに聴こえるように囁かれた仁王の言葉に、ブン太はカアッと怒りで顔を赤くした。
「っ――!」

 振り上げられたブン太のこぶしが仁王の頬を捉えようとした寸前、その腕をが両手で捕まえて止めさせた。ブン太はバッと首を動かして、を見る。
「雅治を殴れば、ブン太は満足出来るの? それならこの手を離すけど、違うならやめておいた方がいい」
 やけに冷静なの言い分にブン太は一瞬信じられないというような顔をしたが、すぐに掴まれた右腕を下ろし、左手で仁王の胸倉を突き放した。
 はだらりと垂れ下がったブン太の右手に自分の片手を添えたまま(その手はブン太を抑制しているのではなく、ただ優しい)、仁王を見上げた。
「私、今のところブン太以外の人と付き合うつもりないの。今だけで、もう手一杯で」
 手一杯、という表現があまりにも的確すぎて、仁王は肩を竦めて少し笑った。確かに、はブン太と付き合っているだけで他に余裕がないのだろう。
「解かってるさ。でも所詮は『今のところ』だろ?」
 仁王はくしゃくしゃになった襟元を適当に正す。
「そのうち、色んなモノが見えてくる」

「それでも、私は…――」
 は一瞬、迷うように目を伏せて言葉を止めた。
 仁王が続きを待っていると、はスウッと腹の底から空気を取り込み、顔を上げて真っ直ぐに仁王を見据える。その瞳にはもう迷いは見られない。
「――私は、ブン太を選びたい」
 が触れているブン太の腕がピクッと震えた。

 のその視線に、仁王はゾクリとした。やはり自分はマゾかもしれない。
「…ああ。何も俺はお前等の邪魔をしたいわけじゃない。それでも、想うだけなら自由だろ?」
 仁王が殊勝な態度を見せると、は「それは当然の権利だから、ご自由に」と頷いた。
 突き放すような言葉を平然と口にするに、仁王は心の中で苦笑する。にしてみればそれは突き放しているのではなく、思ったままの正論を真顔で言っただけの事で悪意はないのだと、仁王にも解かっている。ただ誤解されやすいだろうな、と思った。同じクラスだった時の事を思い返すと、の周りにはサバサバしている女子か、もしくは果てしなく楽天的な女子しかいなかったような気がする。思慮の浅い人間はのストレート過ぎる論理的な言動に触れるのを畏れて敬遠していた。本来なら、ブン太もそういったグループに属していたのだろう。
 ――ああ、今ではこの女の事をこんなに理解しているのに、なぜタイミングを間違えてしまったのか。仁王はほんの少しだけ後悔をした。買うほどではないけれど時折眺めるのが好きだった気に入りの絵画を、見知らぬ誰かに買われてしまったような喪失感、焦燥感、空虚感。という風景をすんなりと受け入れていたくせに、自らがその風景に加わる事など微塵も考えなかった自分を恨めしくすら思う。

 何か気を紛らわすものはないかと、仁王はこっそり視線をの頭の向こうへ向けると、その場の張り詰めた空気を察知したのか、別のコートで行っていた試合を終えた真田がこちらにズンズンと近づいてくる姿が見えてしまった。うんざりした。
 背後の威圧的な足音に気づいたのか、ブン太とも振り返る。すぐそこまで真田が来ていた。
「何事だ」
「…別に。真田には関係ない」
 ぶっきらぼうにブン太が答える。
 ムッと不愉快を露わに眉を顰めた真田はその場で腕を組み、脇に転がったブン太のラケットや三人の位置関係、ブン太の腕を取るの手を見て、何となく状況を把握した。
「フム、そうか…――」
 真田はふぅ、と溜め息をついたかと思うと、突如カッ!と目を見開いた。
「――部内に色恋沙汰を持ち込むとは、たるんどるッ!」
 真田が手を振り上げ、ブン太、仁王の順に頬を叩いていく。パァーン!という容赦のない音が響いた。

 痛みに顔を歪め頬を撫でさする二人を一瞥し、は一歩前へ出て真田と向かい合った。
「真田君、私はぶたないの?」
「…俺は、女は殴らん」
「女だろうと何だろうと、私はこのテニス部の部員です。色恋沙汰を理由に粛正として二人をぶつのなら、私もそうされて然るべきだと思うんだけれど」
 強固な態度のままが鋭い眼差しで真田を見据えると、真田はぐっと息を詰まらせた。
「っ――何と言われようと、俺は殴らん!」
 一瞬でも女相手に怯んでしまった自分が許せなかったのか、真田はイライラしたように怒鳴り、背を向け去っていった。
 ともすればあのまま説教を始めていたはずの真田を追い払ったに、仁王とブン太は少しの尊敬と感謝の眼差しを向けたのだった。










 ブン太は、どうしてコイツと同じタイミングで部室に入ってしまったのだろうと思っているに違いない――部活が終わって仁王が部室に戻りロッカーを開けようとすると、すぐ後にブン太が入ってきた。もちろん他の部員もいるが、今のブン太にとってはかかし同然だろう。仁王が出入り口の開く気配に何気なく視線を向けると、不快そうにこちらを見るブン太と目が合った。仁王は取るに足らないものを見た時のようにすいっと目を逸らしてロッカーを開け放し、ジャージの上を脱いで中に押し込んだ。
 汗がまとわりつくシャツに交差させた両手をかけると、目の端に二つ隣のロッカーを開けるブン太の姿が映った。だが仁王は敢えて声をかけなかった。黙っていても、そのうちブン太が話しかけてくる事を解かっているからだ。

 ユニフォームを脱いで制服に着替える間、仁王はの事を考えていた。
(俺は一体、をどうしたいんだろうな? ただ奪いたいのか? 自分のものにしたい? 抱きたい、ってのはあるかもな。あのクールな顔が官能にどう歪むのかを見てみたいとは思う。それが恋愛感情かって言ったら、きっと違うだろう。…どうして、俺は)
 ――あの二人を邪魔したいと思うのか?
 人を騙す事ばかり考えていると、自分の本当の気持ちが解からなくなってくる。それでも仁王は、ブン太がいなくなればいいと思っていた。

 仁王はテニスバッグを右肩に担ぎ、ロッカーを閉めて部室を出た。仁王の読みが正しければ、そろそろ来る。ドアの横の壁に背をもたれさせ、バッグを足元に下ろす。
 腕を組んで目を閉じていると、部室の中からバタンバタンと慌ててロッカーを開け閉めする音が聴こえ、すぐにガチャッと仁王の横のドアが開いた。瞼を開いてそちらに視線を遣ると、赤い髪が視界に飛び込んでくる。
「――うおっ!」
 まさか待ち構えてるとは思わなかったのか、ブン太は驚きの声を上げ飛び上がった。そしてマヌケな声を出してしまった事にハッとし、ムスッと口を結んでドアを閉める。
「随分とお急ぎだな?」
「…が待ってんだよ」
 仁王が揶揄すると、ブン太は目も合わせずにぼそっと答えた。突然出てきたその名前に、仁王は自分でも意外なほど動揺した。しかしそれを表情に全く出さず、肩を竦めてみせる。
「そーかい、それは結構」

「……」
 ブン太はむっつりと俯いたまま、その場を動かない。何か言いたいのは間違いないだろうが、なかなか言い出せないのか。その様子を見て仁王は、どうしてブン太を待っていようと思ったのか解からなくなった。
 仁王は壁に立てかけてあるテニスバッグを担ぎ、ブン太の前を横切る。ブン太はハッと顔を上げて、視線を仁王に向けた。
「おい仁王――」
 仁王は立ち止まった。背後からのブン太の呼びかけに、ではなく、向こうからこちらに歩いてくるの姿を見つけたからだった。ブン太と一緒に帰るので迎えに来たのだろう。

 不意にと目が合い、仁王は反射的に目を逸らして首だけ後ろに向けた。
「――さっき、「俺はお前等の邪魔するつもりはない」って言ったよな?」
 振り向きざまに突然問いかけられ、ブン太はポカンとしている。
「あれ、嘘。やっぱ邪魔するわ」
 と、仁王は不敵にニッと笑った。
「お前等がどれだけの束縛関係を築けるか、最後まで見てやるよ」
 それだけ言って前に向き直り、歩き出す。

 と擦れ違う時、仁王は立ち止まらず軽く手を上げて「バイバイ」と挨拶した。
「また明日」
 は立ち止まって仁王を振り返り挨拶を返したが、仁王はひらひらと手を振るだけでそちらを見なかった。
(…「また明日」か。もし「さよなら」って言われてたら、泣いたかもしれんな)
 あり得そうであり得ない想像をして、自嘲する。
 意外と本気なのかもしれない、と思った。なぜだかむず痒くなって頭をガシガシと掻く。

(いいだろ、恋愛感情で。今、こんなに楽しいんだ)





to be continued…





********************

中書き

 久々に連載を進めたと思ったら、仁王視点です。申し訳無。
 でも第三者から見たブン太とヒロインっていうのも書いてみたくて、個人的には書いてて楽しかったです。仁王好きですし。


 2006年3月26日


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