First part     Sight      Food & Smile      Invitation      Decision
Waiting      Reason      Pieces      start
Interval     Monologe 桑原仁王切原
Second part     It's still early? 1      He'll obstruct it 1
    
 何が『それ』のきっかけになるのかなんて。
 誰にも予測など出来ないのだ。





  He'll obstruct it





「――俺、今年の全国大会が終わったらとせっくすするんだぜッ!」

 中間考査が終わった翌日の放課後――立海大附属中テニス部部室。
 一週間振りにユニフォームに袖を通しかけていた仁王に向かって、後から入ってきたチームメイトの丸井ブン太が一も二もなくそんな事を激白してきた。
 実は仁王の横には同じく着替えをしている柳生もいるのだが、ブン太は明らかに仁王に向かって指を突きつけているし、仁王しか眼中にないようだった。
 ブン太のそのセリフ回しがあまりにも無理してる感があり、更にはやり口が幼稚に見えて、仁王は出入り口付近に立つブン太を振り返りながら込み上げてくる笑いを必死に堪えた。柳生はそんな仁王とブン太を一度だけ交互に見てから、窘めるような視線を仁王に投げかけた。

 仁王は柳生の視線を無視して、口元を引きつらせながらもブン太に返事をしてやる事にした。
「…へぇ? そういう確約をと取りつけたわけだ?」
「そうさ!」
 ブン太は自慢げに笑って胸を逸らす。仁王はますます口元を歪め、ロッカーに向き直って口を塞ぎ、隠れて笑いの息を洩らした。

 ブン太の意図が解かりやすくて可笑しい。
 ブン太の彼女であるがマネージャーとしてテニス部に入部してからというもの、仁王は暇さえあればブン太をからかい、には何気なく世間話などを仕掛けていた。仁王としては、が自分といる場面を見てブン太がやきもきする姿を見るのが楽しいだけだ。それをブン太は、仁王がを狙っているものだと思い込んでいる。その上で、牽制をする為にこんな自慢話を吹っかけてきているのだ。可笑しかった。

 ひとまず笑いの渦を引っ込めさせた仁王は、ユニフォームをきちんと着てからブン太に向き直った。
「あー…全国大会が終わったら、だっけ?」
 仁王の様子を訝しげに見ていたブン太だったが、仁王にそう問われて力一杯頷いた。
「引退するまでは俺にテニスに集中しててほしいからだってさ!」
「ふぅん。随分信頼されてないのぉ?」
 『期間限定』なんて、体のいい逃げ口上だ。
「違う! は真剣に考えてくれるって言ったんだよ!」
 ムキになって言い返したブン太は、今の自分の失言には気づいていないようだった。仁王は思わずニヤッと笑ってしまったが、敢えて指摘はしなかった。
(「考えてくれる」ね…それは確約とは言わないだろ)

「丸井君、それは――ッつ」
 ずっと黙っていた柳生もその事に気づいたのか、几帳面にもブン太の発言の矛盾を訂正させる為に口を開きかけたが、仁王が腕を伸ばしてパチンと柳生の口を塞いだ。その時仁王の手がフレームにぶつかって眼鏡がズレてしまい、柳生は不愉快そうに仁王の腕を退けさせて眼鏡の位置を直しながら静かに抗議した。
「何なんですか仁王君。ワタシは丸井君のまちが――」
「いいからお前は黙りんしゃい」
 仁王が素っ気なく柳生の言葉を遮ると、柳生は呆れたような溜め息を洩らして自分のラケットを掴み、何も言わずブン太の後ろを通って部室を出て行った。
 丸井君も、仁王君をいちいち相手にしなければ良いのに――という柳生の心の声が聴こえるようだった。

 さすが紳士は引き際をわきまえてるねぇ、と思いながら柳生を見送り、仁王はブン太に視線を戻した。ブン太は仁王と柳生のやり取りに首を傾げていた。
「俺がどうかしたのかよ?」
「いや――」
 愛想笑いを浮かべて「何でもないさ」と答えようと思った。マヌケなブン太を心の中で嘲笑うのもいい。だが仁王には、別の考えも浮かんだ。
「――…お前、引退するまでにと別れないっていう自信や確信があるのか?」
 揺さ振り、だ。

 突然の確認のような仁王の問いかけに、ブン太は「ハァ?」とバカにするような高めの声を上げた。
「別れるワケねーだろ! 現在進行形で超ラブラブだっつーの!」
「今はな。でも全国大会が終わるまで、まだ三ヶ月以上あるんだぜ? 三ヶ月もあれば熱も冷めるし、他の奴にも目が行ったり…」
「ないッ!!」
「お前はそうだろうさ。だがは…どうだろうな」
 仁王はちら、と部室の壁を透かし見るようにコートのある方向に視線を向ける。がいるであろう方向を。それに釣られてブン太もそちらを一瞬見てしまった。
は初恋だろ? つまり今現在、男はお前しか知らないわけだ。だがこれから先の人生で、色んな男と出逢う、識る。そうしたら、お前よりいい男が解かるようになる。それが三ヶ月以内じゃないとどうして言える?」
 仁王の隙のない指摘に言い返す言葉が見つからないのか、ブン太はぐっ、と息を詰まらせた。

 仁王はロッカーからラケットを取り出し、トントン、と自分の肩をラケットで軽く叩きながら再びブン太を見下ろす。
「お前に出来る事は何だと思う?」
「あン?」
 ブン太は完全に敵を見るような目で仁王を睨みつけた。仁王はフンと鼻で笑う。
「俺のような邪魔者を排除する事か?――違うな」
 仁王は腰を屈めて、自分よりも背の低いブン太に視線を合わせて言った。
「自力でを縛りつけておく事だろ。恋愛なんてのは所詮、どれだけ相手を束縛出来るか、されてもいいと思えるかだ。第三者に横取りされちまうなんてのは、大した束縛関係を築いてないからさ。盗られても文句は言えないな」

「…テメーは結局、を狙ってるって言いてぇんだろ?」
 忌々しげに吐き捨てたブン太にドンッと強めに肩を押し返され、仁王は悠々と腰を伸ばした。
「さあ…どうだろうな?」
「この野郎…――!」

 その時ちょうど部室のドアが開いて外から真田が入ってきたので、ブン太は仁王に対する文句や悪態、胸倉を掴もうとした手を引っ込めざるを得なくなった。部内で揉め事など、真田にぶたれる格好の理由となってしまう。
「お前達、何をしている? 丸井、出入り口の前に立っていると邪魔だ、早く着替えろ。仁王も着替えが済んだのなら速やかにコートへ行け」
「ハイハイ」
 適当に相槌を打って仁王がブン太の前を通り過ぎようとした時、小さくブン太の舌打ちが聴こえた。
 仁王は口元だけで笑って、一足先に部室を後にした。
(本当に、俺なんぞいちいち相手にしなけりゃいいのにな)










 仁王がコートへ着いた時には、全面にネットが張られボールも用意され、一年達が基礎トレーニングを始めていた。仁王もストレッチをしてからでないとコートに入れないので、誰か手伝ってくれる適当な奴はいないかと、ラケットを脇に挟んで手首をプラプラ振ってほぐしながら辺りを見回す。
「…プリッ」
 仁王的にはいきなりビンゴだった。つい先程まで話題の中心だった人物、が、一仕事終えた様子でこちらに――正しくは部室の方向に向かって歩いてきたからだ。


 仁王が声をかけると、は軌道を変えず真っ直ぐに仁王の前まで歩いて立ち止まった。
「――どうかした?」
 小首を傾げて、二つに縛った長い髪がサラリと揺れる。それをいい気分で眺めてから仁王はに視線を合わせた。
「今少し時間あるだろ? ストレッチ手伝ってくれんか」
「いいけど…いつもはその辺の部員捕まえるか面倒だったら省くのに、珍しいね」
「だから、が『その辺の部員』だったんだ」
「ああ…なるほど」
 本来ならばマネージャーの仕事を妨げるのは規律違反なのだが、今はまだ少し余裕があるし、何よりはその理屈が実に仁王らしいと納得してしまったので、申し出は断らなかった。

 第三者の補助が必要なストレッチは先に済ませてしまおうと、仁王はコート脇に足を広げて座り、に背中を押してもらっていた。仁王は好都合とばかりに後ろのに話しかけようとする。
「そういや…――ぃッ…痛い、、痛い」
 グッグッ、とは遠慮なく力を込めて背中を押してくるので、仁王は二の句を継げられず痛みを訴えた。は少しだけ押す力を緩める。
「…前から思ってたけど、仁王君って身体硬いよね。それってテニス選手としてはどうなのかな」
「生まれつきだ。それに身体が硬くても動きが硬いわけじゃない、問題ない」
「そうかな…こういうストレッチをサボるから硬いんじゃないの?」
 そう言っては再び、「んっ」と力を入れて仁王の背中を押し始めた。身体がミシミシと軋む。
「イテテテ痛い、痛いッ!」
 がパッと両手を離して身体を起こすと、仁王は顔を引きつらせてを振り返った。は武器を持った相手にするように両手を胸の高さに上げたまま、悪びれもせず無表情で仁王を見下ろしていた。
「…身体が柔らかくなればいいと思って」
「…いらん」
「それはお粗末様」

 それからの力は大分抑えられたが、機会があればいつでもリミッターを解除してやろうという空気が背中から伝わって、仁王は内心ハラハラしていた。
(こんな危険な奴だったんか…悪意がないから余計タチが悪いな)
 自分の背中に乗る手に意識を集中しすぎていて、本来の目的を忘れそうになっていた。右足に向かって背中を押されながら、仁王は改めて口を開いた。
、お前さんブン太に、近いうち肉体関係に発展する事を許したんだってな?」
 ぴたり、との動きが止まる。仁王は顔を下向けたままニヤリと笑んだ。

「…………ああ、ブン太が言ったのね――」
 長い沈黙の後、が得心したように呟いたかと思うと、仁王の背から重みが消えた。仁王が身体ごとの方を向くと、はしゃがんだ膝の上にちょこんと手を乗せていて、仁王が自分の方を向くなり口を開いた。
「――でもブン太の事だから、仁王君だけに言ったんでしょう」
 確信に満ちた声。は、ブン太が仁王に強い敵対心を抱いているのを良く知っている。彼女が出来た時には自慢げに部内に吹聴していたが、さすがに深いところまではブン太でもあちこちに言いふらしたりはしないだろう事も解かっている。
「柳生もいたけどな。まぁアイツは何事にも我関せずだから心配しなくてもいい」
「別に何も心配なんてしてないけど」
「だろうな」
 が噂や陰口に潰されるような人間には到底見えない。顔に出してはいないが、心配しているのではなく、少し腹を立てているだけなのだろう――ブン太の子供のような手口に。
 は物憂げに視線を落として溜め息をついた。

 仁王は慰めるように(そんなつもりなど微塵もないが)の頭にポンッと大きな手のひらを置いた。
「アイツが俺に突っかかってくるのは今に始まった事じゃない、放っとけ」
「私をネタに張り合うのはいい加減やめてほしい」
「本人に言えよ――ほら、そこまで来てるぜ」
 の頭の上の手を下ろし、仁王は顎での背後を示した。着替えを終えてやってきたブン太が、仁王を睨みつけながら一直線にこちらに向かっている。
 はそのまま敢えて振り返りもせず、文句の一つも言いたいのか、ブン太がこちらへ来るのをじっと待っているようだった。

 ブン太はの背後に立つと、自分をニヤニヤ見上げる仁王を冷たく見下ろした。
「…何やってんだよ」
「何やってるように見える?」
「とりあえず、俺を怒らせようとしてるのはわかる」
 意外と冷静なブン太の答えに、仁王は満足げにフッと笑った。
「それで――」

「それで、」
 突然が仁王の言葉を遮って、ブン太の顎に頭突きをかます勢いで立ち上がった。それを咄嗟に避けたブン太は、振り返ったの静かな怒りの眼差しにギョッとして、避けたポーズのまま固まった。
「仁王君に自慢出来て、満足した?」
 『自慢』というのが何について指しているのか、ブン太はすぐに理解出来たのだろう。を見つめていたブン太の眼球がぐりんと動いて、座ったままの仁王の姿を捕らえた。仁王はの陰から顔を出して、とてもいい笑顔でブン太に手を振っていた。ブン太の顔がヒクッと引きつる。

 ブン太は仁王に向かって一歩踏み出しかけたが、が先にブン太に向かって身を乗り出しそれを阻んだ。
「仁王君と張り合いたいのなら、私以外の事を題材にして。無意味だから」
「む、無意味…?」
 ブン太は明らかにショックを受けた様子だ。は構わずブン太を見据えてもう一度同じ言葉を繰り返した。
「そう、無意味。ブン太が私に片想いしてるとか言うならそれなりに意味はあるのかもしれないけど、私と付き合ってるのに私の事で誰かと張り合うなんて馬鹿げてる。それってね、私を信用してないって事だよ」
 今のの言葉の意味を、ブン太は理解しただろうか。の後ろから見ている限り、仁王にはブン太がただ打ちのめされているようにしか見えなかった。仁王はこっそりと呆れの溜め息を洩らす。
(コイツ馬鹿だな…――は、お前一筋だって言ってるのに)
 その辺を理解して、照れるぐらいしてみせろよと思う。

 しかしブン太はの気持ちを理解する暇もなく、さらに痛恨の一撃を喰らってしまったのだ。
「――あと、これは私の客観的な見解なんだけど、ブン太がいくら仁王君に張り合っても多分勝てないと思うよ」
 仁王はから飛び出した発言が可笑しくて、隠れてプッと笑った。正しく言えば、にそれを言われてショックを受けるブン太を見るのが面白くて可笑しいのだが。
 二年間も部活で付き合いのあるブン太より、大した付き合いもなかったの方がずっと仁王の事を解かっている。ブン太との役者の違いも。だがそれをブン太が納得するくらいなら、最初から突っかかってきたりはしないだろう。

 連続でブン太に大ダメージを負わせたは、「じゃ、私は仕事があるからこれで」とにべもなく去っていった。言いたい事を言えてスッキリした風情もある。
 仁王は可笑しいやら哀れやらで、その感情を混ぜ合わせたような微妙な表情をブン太に向けた。これでブン太が泣き出しでもしたらもっと面白いかもしれないとか思いながら。
 残念な事にブン太は泣きはしなかったが、その代わりキッと仁王を一睨みし指を突きつけて、
「俺はテメーにゃ負けねぇ!」
 と吠えた。
(……つまらん)
 もっと面白い反応を期待していた仁王は興醒めしてしまい、ブン太を無視して顔を下ろした。

 そのままブン太は立ち去るものだと思ったのだが、なぜか仁王の前にしゃがみ込んできた。
 ブン太は膝を抱え、むっつりした顔を仁王から背けて、独り言のようにぽつりと洩らす。
「…なぁ…俺がヤキモチ焼いちまうのはさ、仕方のないことだし、どうしようもないことだよな? お前に張り合ってるんじゃなくて、ヤキモチなんだよこれは」
 ブン太の独白に、珍しくきょとんとする仁王。まさか自分に恋愛の愚痴を零してくるとは思わなかった。
はそこんとこわかってない」
「…まぁ、は嫉妬とは無縁だろうからな。自分は自分、他人は他人って感じだろ」
 だから、ブン太の気持ちも解かりはしないのだ。

 仁王は軽くあしらったつもりなのに、ブン太は怒りもせずにますます真剣な表情になっていく。
「お前の言うように、はこれから色んな男を知っていくんだろうって俺も思う。その時に見放されないようにするには、縛りつけておけばいいと俺も思う。でも俺にはそのやり方がわかんねぇから、に近寄る男には片っ端から嫉妬しちまうんだけど、それってどっちみちさ……の望んでることじゃねぇんだよな。「無意味だ」、って、突き放されちまった」
 それだけ言うと、ブン太はやっと仁王の方を見た。その目は「どうすればいい?」と教えを請うているようで、やけに殊勝なブン太のその態度に、仁王は訝しげに片眉をヒョイと持ち上げ苦笑した。
「おいおい、そんなん俺に言ってどうするよ。当事者同士で話し合え。お前らどっか噛み合ってないだけだ」
 恋は人を変える、とは良く言ったものだが、ブン太のこの素直さが仁王には不気味だった。もう初夏だというのに鳥肌が立った。まさかあのブン太が自分に相談を持ちかける日が来ようとは。
 ブン太は、はぁ…と溜め息を洩らし、「そうだよなぁ」というような事をぶつぶつ呟いた。それがますます不気味で、仁王は自分の腕をそっとさすって温めた。










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