はじまり











 私には今、気になる人がいる。
 そう、まさに今、2メートルほど離れて私の横に立っている人。
 まず最初に目に入るのがくるくるの金髪で、それからテニス部なのかいつもリュックにラケットを刺していて、いつも眠そうな顔をしているけど、とっても整った容姿の、他校(制服からして氷帝学園中等部)の男の子。パッと見ヤンキーだけど、スポーツマンだから多分ヤンキーではないと思う。うん、きっと。
 途中から途中まで通学路が一緒なようで、登校の時にほぼ毎日遭遇して、大抵どちらかが前を歩いている。
 そして――今のように赤信号に捕まって、横断歩道の前で並んでしまう事もしばしばあるわけだ。

 彼と遭遇するようになってから丸二年が経っていた。つまり、彼は私と同じ中学三年生。中学時代の登校の記憶に必ずいれば、嫌でも気になってしまうというものだ。
 彼の名前は知らない。全く接点のない人に自分から話しかけられるほど私は外向的でもないので、心の中で勝手に呼び名をつけている。
 『黄雲(こううん)の君』と、私は彼のことをそう呼んでいた。くるくるあちこちに跳ねとんだ金髪がふわふわで雲みたいなので『黄雲』。見かけると何だかほんわかした気持ちにもなるので『幸運』ともかかっている。センス云々はこの際関係ない。どうせ心の中だけの呼び名だ。

 さて、こうして信号待ちで黄雲の君と並んでしまったわけだけれども、赤の他人とエレベーターで一緒になってしまったような待ち時間特有の気まずさはいい加減慣れで私は感じなくなっており、お互い何をするでもなくボーッと突っ立っている。
 と、黄雲の君が動く気配がした。音だけで解かったのは、リュックを肩から下ろして中から何かガサガサいう物を取り出し、またリュックを背負ったこと。
 何だろう?と横目で盗み見してみると、黄雲の君は数十個入りの飴の袋を持っていて、今からそれを開けるところだった。彼はたまに飴とかガムとかを口に含んでいて、甘い物好きなんだなあと思う。
 袋の上部に刻まれたギザギザのど真ん中に指をかけ、真っ直ぐに裂く――


「「あっ」」


 思わず私も声を上げてしまい、ふたりの声が重なった。
 勢い良く破きすぎだ――袋は半分以上裂けてしまって、袋入りの飴が地面に散乱した。黄雲の君が「あ〜あ」とのんびり呟きながらしゃがんで拾い始めるより先に、私は何も言わずにこちらの足下まで飛んできた飴を拾った。各種フルーツ味の飴だった。
 近くにあるものから順々に、その先を辿るようにしゃがんでちょこちょこ前に歩きながら拾っていると、いきなり後ろから腕がにゅっと伸びてきて、抱きしめるように私の肩を掴み、思い切り後ろに引っ張った。誰かの身体に背中がぶつかる。
 その衝撃で私は、せっかく拾った飴を全て取り落としてしまったが、それどころではないことにすぐ気がついた。たった今目の前を、高速の車がぶぉんとよぎったのだ。私はいつの間にか道路にまで飴拾いに行っていたようで、あのままでいたら確実に撥ねられていただろう。血の気が一気にサーッと引いた。


「あっぶね〜…だいじょぶだった?」


 少しハスキーな少年の声が真後ろから聴こえ、ハッと振り返る――至近距離に黄雲の君がいて、私の肩を掴んでいた――というか、私が彼に後ろ向きでもたれる形になっていた。しかも座った状態で。
 もしかしなくても、この人が私を助けてくれた?
 私は慌てて身体を起こし、ぽかんとさせていた口をやっと動かした。


「あっ、あ、ありがとう…!」
「んーん、こっちこそ。ごめんね、俺がアメぶちまけちゃったから」
「い、いえいえ」


 黄雲の君と初めて言葉を交わせたことに、私はなぜだか感動している。
 私の命を救ってくれた意外とたくましい腕がするりと離れていくのを惜しいと思ってしまい、私ってば王子様にときめくようなタイプだったかしらと恥ずかしくなって俯き、落とした飴を拾い直し始めた。
 横断歩道はもう青になっていて、私たちの横を会社員なんかが通り過ぎるけれど、私と黄雲の君は黙々と飴を拾っていた。

 また信号が赤になる頃にようやく全て拾い終えて、私は両手に持った飴を黄雲の君に差し出す。
 黄雲の君は「ありがとー」と言って、自分が拾った飴をブレザーのポケットに突っ込み、私から受け取った飴もズボンのポケットに入れた。
 四箇所のポケットが不自然に膨らんでて、かなり不格好だ。元々の袋が使い物にならなくなったのは解かるのだが、さすがにこれはない。


「あの…何か容れ物はないの?」
「うん、持ってない。リュック下ろすのもメンドーだし…」
「リュックに直に入れたら入れたで、中でぐちゃぐちゃになると思うよ……えーと、ちょっと待ってね」


 私は自分のカバンを開けて中を探り、小物入れに使っている巾着袋の中身をカバンに空けて、その巾着袋を黄雲の君に差し出した。


「これ、使って」
「え、いーの?」
「うん、返さなくてもいいから。ほら」


 どうせ小学生の時に自分で作った年代物だ、捨てられても構わない。
 私は袋の口を開けた状態で持ち、飴を移すように言う。黄雲の君はポケットから飴を出し、袋に入れていった。全部を仕舞うと口を縛り、ずっしりになった袋を黄雲の君に渡す。
 黄雲の君はまた「ありがとー」と言って袋の紐を持ち、嬉しそうにニッコリと笑った。いつもの眠そでアンニュイな表情から一変して、そんな子供みたいな無邪気な笑みを見せるものだから、私は不覚にもキュンとしてしまった。なにこの子、可愛い。


「あっ、忘れてた」


 私のときめきなど知る由もなく、黄雲の君は閉じた袋をまた開けて、中からいくつか飴を掴んで取り出した。そして、飴を握ったこぶしを私に差し出す。


「イロイロありがとう。これ、お礼のイチワリ」


 お礼の一割って確か、落とし物を交番とかに届けた時に貰うものじゃなかったっけ……と咄嗟に思ったけれど、これは彼の気持ちだからありがたく頂戴することにする。
 両手を上向きに出して、彼の手からポロポロ落ちてくる様々な味の飴を掬う。一割にしてはちょっと多い気もしたけど、これも気持ちとして頂戴しよう。


「こんなに…ありがとう」
「どういたしまして」


 またもニッコリと笑いかけられ異常にドキドキする。なになに私、『気になる』どころじゃなかったってわけ? ちょっと会話して、笑顔を向けられただけでこんなに株が急上昇するなんて。

 ピッポウ、ピッポウ、と真上の信号が青になって鳴り始めた。青信号の音が、まるで夢の時間の終わりを告げるシンデレラの十二時の鐘の音のように聴こえた。
 黄雲の君が私から視線を外して踵を返し、横断歩道へと足を踏み出す。その行動は当然のことなのに、私は黄雲の君の後姿を恨めしげに見つめた。
 少しは未練を残してくれたっていいじゃないか。「せっかくだから途中まで一緒に行こうか」くらい言ってくれても――…違う。そんなの自分から言えばいい話だ。未練たらたらなのは私。また他人に戻るのが嫌なだけ。

 貰った飴をカバンのポケットに入れ、私も少し遅れて横断歩道を渡り出す。
 彼に追いつくように早歩きで、でもわざと並ばず斜め後ろくらいの位置ををキープする。
 黄雲の君は一つだけ出しておいた飴を開け、口に放り、ゴミをポケットへ入れて、私があげた巾着袋の紐を手首に巻きつけてその根元を掴み、ぷらぷらと揺らして歩いていた。今ではその動作の一つ一つが何だか可愛らしく見えてしまうのは、あの笑顔を見たからだろうか。

 次の交差点でいつものように私たちは別れるが、こんなに後ろ髪引かれるような思いは初めてだ。
 明日もきっと黄雲の君と遭うだろう。でももしかしたら、一生遭わないかもしれない。それが不安で仕方がない。
 後悔しないように今話しかけようかどうしようか迷っていると、そういう時ほど時間は早く流れるもので、もう交差点に着いてしまった。
 ああ駄目だった、と思って溜め息をつき、黄雲の君の行く先とは違う道を曲がろうと少し沈んだ足取りで進む。


「――ねえ!」


 後ろから声がした。
 バッと振り向くと、飴玉が一つ、ぽーんと弧を描いてこちらへ飛んできた。
 反射的に手を出して、それをキャッチする。レモン味の包み。
 混乱した状態で顔を上げると、黄雲の君が笑っていた。


「さっきあげた中にその味なかったなと思ってさ。それもあげる」
「あ…りがとう…」


 一応全種類くれるつもりだったらしい。結構律儀だ。
 立ち止まる形になってしまった私に、黄雲の君はもう一言くれた。


「じゃあね。また明日」


 こちらに軽く手を振って氷帝学園へのルートへ真っ直ぐ歩き出す黄雲の君の背中を、私はポーッとなって見送った。
 その姿が大分小さくなるまで見つめて、ふと手の中の飴に目を遣る。包みを開けて、黄雲の君の髪と同じ色をしたレモン味の飴を口に入れた。すっぱ甘い。

 ……黄雲の君は、本当に『幸運の君』でもあった。
 どうしよう、すごく幸せだ。

 口の中で飴をコロコロ転がして通学路を歩く。
 明日は何かお菓子を買って、昨日のお礼のお礼だって言ってそれを黄雲の君にあげよう。
 そして、「お友達になってください」って、言おうかな。

 初めて、あなたの名前を知りたいと思いました。










END










2006年5月16日


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