それは、よく晴れた夏の日のこと。





  青い空 君の色




「おい、ジローがいねぇな」


 部活開始30分。

 マネージャー業に勤しむ私の元に、跡部が姿を現した。
 今は珍しく樺地君を引き連れていない。


「いないの? 来る時は一緒だったんだけど」

「チッ…」


 舌打ちはお下品ですよ跡部様(あら川柳)

 …まぁ、慈郎はまたサボっちゃってんだろうけど。
 でも跡部が自分から捜しに(というか尋ねに)来るなんてこれまた珍しい。


「今日はレギュラーの大事なミーティングがあるって言ってあるんだがな」


 ああ、今日でしたっけ。
 そうだねぇ、あんまり遅くなると榊監督がお怒りになるでしょうねぇ。

 私は青筋を浮かべる跡部の顔をじっと見つめながら、そう思っていた。


「…おい、お前その頭ん中だけで喋る癖やめろっつってんだろ」

「あー、ごめん。またやってた?」


 どうやら私には、相手を無表情で見つめながら頭の中で喋る癖があるらしい。
 大分前に跡部に眼力で見抜かれ指摘されてから直そうと思ってるんだけど、これがなかなか難しい。
 何と言っても無意識なのだから。
 だから私は周囲から無口な人というイメージが定着されている。
 全然気にしてないけど。

 だって、何も言わなくても解かってくれる人が最低ひとりはいるから。


「お前、ジローを捜してこい」

「……」


 …どうしよう。
 すごくめんどくさい…
 というか仕事を中断するのが嫌だ。


「何だその「めんどくせぇ」ってツラは。お前アイツの彼女だろーが」


 確かに、芥川慈郎(15)とは交際しておりますがねー?
 いつもは樺地君に頼むのに、何で今日に限って私に頼むのですか…ねぇ跡部様?


「部長命令だ、いいな。10分以内にジローをミーティングルームまで連れてこい。
 もし遅れてきやがったら…お前もジローも、タダじゃおかねぇからな…」


 言いたいだけ言うと、何様俺様跡部様は颯爽と踵を返して去っていきやがりました。

 残された私は…何ですか?
 捜索は強制なんですか?
 反論の余地もないのですか?


「…くっそ〜…」


 私も充分お下品です。




















 じろー、慈郎やーい。

 心の中で呼びながら慈郎を捜す。
 うん、意味ないのは解かってます。
 でも慈郎がいる場所って大体見当ついてるんだよね。

 …あ、だから跡部は私に頼んだのかな。
 私の方が手間も時間もかからないと思って。

 …………

 …ほら、いた。


「んがー…」


 相変わらず豪快なイビキだわ。
 あーあー、口閉じないと喉痛めちゃうよ。

 そこは校舎裏の慈郎お昼寝(サボり)スポット。
 ちなみに、お昼寝(サボり)スポットは他に3ヶ所ある。
 ここはテニスコートから離れてるし、部室には近いけど逆にそれが死角になっているというベストスポット。

 慈郎は芝生の上に仰向けになって、頭の後ろに腕を組んで眠ってる。
 きんいろの髪が、ふわふわ揺れてる。

 …嗚呼…スリーピングビューティー…ッ!

 慈郎はあれよね、女の私なんかよりずっと可愛くて、きれいだよね。

 いつも思う。


 眠る慈郎の傍らにしゃがみ、膝の上に腕を乗せて、私は。
 そっと声をかけた。


「…慈郎、起きて」

「…んが…っ……?」


 慈郎はいつも、私が声をかけるとすぐに起きる。
 「起きて」という言葉じゃなく、私の声に反応するのだと言う。
 『起こされる』のではなく、自然な覚醒。
 それは何だかとくべつな気がして、嬉しい。


「はいはいですよ。
 何かねー、今日は大事なミーティングがあるんだってさ。
 だから早いとこ起きようね」

「んー…っ」


 慈郎は身をよじりながらぎゅうっと目をつむる。
 あぁいいな、私も寝たい(起こしに来たんだってな)


「あとごふん…」


 ベタだなあ!

 でも可愛いなあ(にこにこ)
 でも起こさなきゃなあ(にこにこ)


「ダメだよ、今日ばかりはダメですー」

「ん〜…けちぃ…」

「ケチとかじゃないんだよー…レギュラー落とされても知らないよー?」

「んー…」


 うわ、返事が既に眠りかけだ!


「慈郎がレギュラー落ちたら、私ヤだよ!」


 だってだって、レギュラー落ちしちゃったら、試合やってる時のあのカッコいい慈郎が見られなくなるじゃん!
 それは嫌です勘弁です!


…」


 慈郎はとろとろとした瞳を私に向ける。
 そして、へにゃっ、と。
 赤ちゃんみたいに、笑う。


「…起きる」

「慈郎…」

「…でもやっぱあとさんぷん…」

「こらっ」

「だってさ〜…こんなに天気いいんだもん…」


 それは…確かに。
 さらに今日はいつもより涼しい。ここ木陰だし。
 絶好の昼寝日和だわ。

 腕時計を見る。
 跡部に10分と言われてから早4分。

 …3分かぁ…ギリギリ?

 そもそも…慈郎に逆らえって私に言うのが無理な話です。

 私はその場に腰を落ち着けた。


「…3分ね」

「うん」





「……」

「……」


 …………

 …寝ないの?

 このひと、目ェ開けてじっと真上を見つめてるんですけど。
 しかも、その顔がすごくきれいで意味もなくドキドキする。

 何、見てるんだろう…


「……そら」

「んぇっ…!?」


 私の心の声に答えるように慈郎が喋り出すもんだから、変な声出た…


「な、何…?」

「空っていいよねー…」

「空?」


 私も見上げてみる。

 夏の空はどこまでも青くて、白い雲とのコントラストがとても綺麗だ。

 確かに、空はいい。


「空、好き?」

「うん…だってさ、空は誰のものでもないんだよ…?」


 と、左手を空へかざす。
 求めるみたいに。

 その慈郎の言葉に、仕種に、私の呼吸は訳もなく止まった。

 だって…だって、それって…


「…でも、空にも国境があるよ…?」


 動揺を抑えて、私はロマンの欠片もない事を言ってみる。

 慈郎は私の方をちらと見て。


「空に線は引けないだろ?」


 と言って。
 眩しく笑った。


「…っ…」


 視界が歪む。

 だって…それってさあ…


 …慈郎のことじゃん…?


 風船みたいにふわふわして、まるで雲のように掴み所のない慈郎。

 付き合う前から、世界が違うっていうか、同じ場所にはいられないようなひとだと思ってた。
 でも本気で好きになっちゃったから、「好きだよ」って言われて「私も」って答えずにはいられなかった。

 今の慈郎のセリフは、「俺は誰のものにもならないよ」という意味を持っているようで。

 …胸が痛い。


…?」


 慈郎が起き上がって、私の頬に触れた。
 心配そうな顔で覗き込んでくる。
 私は今どんな顔をして慈郎を見ているんだろう。


「…俺はいなくなんないよ?」


 …………

 ……そう、こういうひとなんだよ。
 私は何も言わないのに。
 普段はニブいくせに、ここぞという時に私の心を読むの。
 そんで…ぜんぶ差し出したはずの心を、またかっさらうんだよ。
 くそっ…好きだコノヤロウ。

 涙が出てくる。

 慈郎は何も言わずにそれを優しく拭う。
 そして急に瞼にキスしてきたかと思うと、今度は唇に柔らかいものが触れた。

 慈郎だけが、視界いっぱいに映る。


「…が好きだから。どこにも行かない」


 とか微笑みながら言っちゃって。

 あーあーあーもう勘弁してください。
 私には甘々の展開とか似合わないんだよ〜!
 熱くなる顔を俯けて、ぎゅっと目をつむる。

 したら今度は抱きしめられちゃったよ。
 どうするよ、私。
 砂吐き甘々は避けられませんか?

 …もうどうにでもしてください。
 なんて思いながら、自分からはアクションを起こさずじっと身を硬くしていたら。


「……ぐぅ…」

「寝るなよっ!」


 私を抱きしめたまま眠り込んだ慈郎に、思わず素でツっこんでしまった。
 …や、甘々なんて期待してなかったけどね…

 耳元で、慈郎の規則正しい寝息が聴こえる。
 慈郎はここにいるんだ、って。
 切ないくらいに伝わってくる。

 私は抱き枕なの? 私は抱き心地いい?
 何なら一生このままだっていいよ。

 …ねぇ、慈郎。


 「好きだよ」。


「…ん〜…〜…」


 …寝言。
 ふっ、と笑いが洩れる。


「……」


 ぽんぽん。

 慈郎の背中に腕を回して、子供をあやすみたいに軽く叩く。
 身長は私とそんなに変わんないのに、マア広い背中だこと。
 …ときめくじゃないかよぉ。

 私は慈郎のジャージを掴んで、離さないように強く握って、空を見上げた。
 少し眩しくて、目を細めた。

 心の中で唱える。


 空め、慈郎はやんないよ。
 アンタはそこから私たちのラブっぷりを見てやがれ。


 あー……私って…空しい奴…

 敵が空と睡魔って…


 んー…慈郎のふわふわの髪の毛が風に揺れて、顔やら首に触れてくすぐったい。
 ああもう…今肌に感じる全てがいとおしい。
 もう…何もかもどうでもよくなってきた…

 …私も寝ちゃおうかな…


 ………………


「――あーーっ!!」

「わっ! なに!? どしたの!?」


 私の叫び声が直に耳に響いたらしく、慈郎が驚いて飛び起きる。

 いつの間にかほのぼの展開になっちゃって、大事な事を忘れてた…

 私の任務は慈郎をミーティングルームまで連れて行く事!
 それで、それで…


 ――もし遅れてきやがったら…お前もジローも、タダじゃおかねぇからな…


 腕時計を見る。
 …あと1分。

 ぎゃーっ!
 ヤバい、ヤバい!
 遅れてったらあのサド跡部に何されるか解かんないよ!

 私は慌てて立ち上がり、来い来いと手招きしながら慈郎を見下ろす。


「はい慈郎! 立って立って!」

「え? え、なに?」

「いいから立ァつ!」

「は、はいっ」


 私はそんなに必死の形相をしているのか、慈郎は少し怯えたように返事をしてすっくと立ち上がった。
 「よしっ」と笑いかけ、頭にぽんと手を置いて軽く撫でると、慈郎は「えへへ…」とはにかんで笑う。

 か…かわE…!
 まるでわんこのよう…!
 抱きしめたい…っ!

 …じゃなかった!


「走るよっ!」

「えっ? あ、待って〜!」


 私が走り出すと、慈郎が私を追いかける。


 部室へと走る。
 走る、走る。

 全速力で。


 いつの間にか私たちは手を繋いでいて。

 追い風が吹いてきた。
 雲が私たちと同じ方向へ流れていく。

 走りながら見上げた夏の空はどこまでも青くて。


 大気の青は…慈郎によく似ていた。




















「……遅ェ」


 イライラした跡部の声。

 ええ、確かに怒ってますね。
 眉間の皺と青筋が何本か見えます。

 結局、私たちはギリギリ間に合ったんだけど。
 跡部様は、許しちゃくれないようです。


「お前らの事だ、どうせイチャついてたんだろ?
 大体な、。お前はジローに甘ェんだよ」


 な…何も言い返せない…

 跡部はくどくどと文句を言い続ける。
 …ミーティングはいいんですかね?
 皆さん待ってませんかね?


「ふぁ…」


 あ、慈郎…そこでアクビしちゃうワケ…?
 しかも堂々と大きく口を開けちゃって。

 跡部はそれを見逃さず、矛先を慈郎に向けた。


「ジローもなァ、今日はサボんなっつっただろ?
 寝てたのか、アーン?」

「んー…たぶんねてた…」

「……」


 うわー、今絶対プツッって音した。
 跡部、顔引きつってるよ…

 慈郎はそんな事お構いなしに、にっこりと笑って言った。


「間に合ったんだし、Eーじゃん」


 うわー、悪気がまるでナシだー…
 私は一応、イチャこいてた所為で遅れてすいませんとは思ってるんだけど…
 大物だよね、慈郎って…


「いいか、お前らの所為で俺様の貴重な時間が削られたんだぜ?
 もっと反省して見せやがれ。それからな…」


 くどくどくどくど。

 …「タダじゃおかねぇ」って、こういう意味だったのかしら…
 確かに辛いわ。


 10分経ってもまだ続く跡部の説教に私はアクビを噛み殺しながら、いつの間にか私の肩に頭を乗せて眠り始めた慈郎に気づき。



 今日のミーティングはお流れだな、と。
 小さく溜め息をついたのだった。





END





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あとがき
 12月の半ばからちょこちょこ打ち始めて、実質6日間で書いたもの。
 何が書きたかったかと言うとですねー、空の話なんですよ。
 前々から『慈郎を手に入れてもいつかいなくなってしまうのではないか』、と考えていたのを上手く形に出来ないかと思っていたんですが、そんな時に、主人公のインディアンが虐殺された一族の復讐をする『RED(村枝賢一著)』っていうマンガがあるんですけど、その中で主人公じゃないインディアンが空を見て「空はいい。大地は白人たちに奪われてしまったが、空はまだ誰のものでもない」って言う場面と出逢って、そこにすごくジーンときたんですね。
 それのお陰で、即この話が生まれました。
 何だか私が書くと何でもショボくなってしまうのがアレなのですが、やっと出来上がってよかったです。


 2004年1月10日


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