設定      1〜羨望〜      2〜懇願〜      3〜憧憬〜      4〜疑議〜      5〜気宇〜 1
 全ては彼がどう思うかで、全ては彼女がどう受け止めるかだ。





  5〜気宇〜





「今日からテニス部のマネージャーを務めてもらう、二年のだ」
 放課後のテニスコート。榊監督(部活の時は『監督』と呼ばなければいけないらしい)は部員を集合させると、をその真ん前に立たせて紹介した。軽く二百人はいるらしい氷帝テニス部員の視線を一身に受け、はどこを見てよいのか解からず困惑した。
 が簡単に名乗って「よろしくお願いします」とお辞儀をすると、部員達から軽く拍手を頂いてしまった。昨年はマネージャーがいなくて、一年の自分達がその代わりをやっていたようなものだから部員からは歓迎されるだろう、というような事を昼休みの終わり頃に慈郎が言っていたのだが、本当のようだ。
「手の空いている者は彼女をサポートしてやるように。も、解からない事があったら何でも部員に訊きなさい」
「はい」

「それでは練習を開始しろ」
『はいっ!!』
 榊監督の指示が終わると、部員達は散り散りになって練習を開始する。は一つの山を越えたとばかりに安堵して、ホッと息をついた。
 監督はに向き直ると、最初の仕事を与えた。二百人分のドリンク作り。二百――その数を想像するだけで途方もない作業に思えた。
 用具の場所を教えて監督は去っていき、は早速仕事を始めようと踵を返す。

 その姿を、忍足はじっと見送っていた。ここは彼女を手伝うべきだろうか、いやしかし練習もあるし――しばらく一人で悩んでいるうちに、の姿はコートの向こうに消えていた。
 フッ…と自嘲気味な溜め息を洩らしていると、忍足のダブルスパートナーの向日が駆け寄ってきた。
「侑士あいつだろ、ジローの言ってた『新しい友達』」
「せやな」
 忍足は気のない返事をした。
「宍戸が言ってたけどさ、侑士もジローとは別に、あいつと友達なんだって?」

「…『窓辺の君』、や」
 忍足がそれだけ答えると、向日は「ああ!」と手を打った。
「前に侑士が「気になる」って言ってた?」
 実は忍足は以前一度だけ向日に、廊下で見かけるの事を話した事があった。その時はまだと知り合いでもなかったので具体的にどういう子だと説明したわけではないが、忍足が神妙な顔つきで「気になるんや」と洩らしていた事を向日は思い出した。
「なに、侑士あいつのこと好きなの!?」
 意外そうな顔をして向日が詰め寄る。忍足はモテるのになぜあんな平凡な女を選ぶのだと言いたいらしい。
「好きっちゅうか…今はただホンマに気になっとんのや。『気に入ってる』とも言えるけどな。『好き』には…まぁなりかけとるけど」
 そう言っていて忍足は、本当はにどんな気持ちを抱いているのか自分でも正確には解からなかった。
 昨日まではに話しかけようとは思わなかったのだ。それは所詮、自分の世界とは交わる事のない存在だと思っていたからだろう。見ているだけで充分、などと達観していたのかもしれない。それが突然、『部活仲間の友達』というこれまでより近しい存在として自分の前に現れた。何も知らないフリをして無視する事など出来なくなった。出来るわけがなかった。それだけ、忍足はから目が離せなかったのだ。

「マジでっ!? …侑士趣味変わった…?」
「……」
 向日はまじまじと自分よりも一回り背の高い相棒を見上げた。そこまで意外そうにされると、忍足としても何とも言えなかった。だが向日が暗にをけなしているようにも聞こえ、忍足はちょっとばかりイラッとして顔に冷たい笑みを貼りつけると、向日はビクッと震えて引きつった愛想笑いを見せた。

 忍足と向日が寒々とした笑みを交わしていると、どこから現れたのか、跡部が二人の間を通り抜け、優雅な身のこなしでサッと振り返った。
「俺様としては…」
「うわっ跡部!! 急に出てくんなよ!」
 向日が飛び上がって驚いた声を上げる。跡部は五月蝿いものを振り払うようにシッシッと手を振ってみせた。
「うるせぇな岳人――…まぁ俺に言わせればあの女は、何とか許容範囲だが好みではねぇな」

 勝手に話を始めた跡部に、忍足と向日は顔を見合わせ、呆れたように肩をひょいと竦めた。
「…誰も跡部の好みなんて訊いてへんわ」
「そうそう」
 二人の言い草に跡部はムッとし、腕を組んでフンと鼻を鳴らした。
「忍足、何だその態度は。誰があの女をマネージャーにしてもらえるよう監督に頼んでやったと思ってんだ? 本来なら、うちの部に女子マネージャーは必要ないんだぜ。それをお前とジローの奴がしつこく頼み込むから、俺様が仕方なく引き受けてやったのによ」
ちゃん見て面白そうなツラしとったくせによう言うわ。ま、監督を納得させてくれたんはありがたいけどな。監督に対して発言力があるんはお前くらいやから」
 忍足が言葉の最後の方で軽く跡部を誉めると、跡部はフフンと笑って少しばかり上機嫌になったように見えた。
「まぁな、俺様にかかればチョロイもんだぜ」
 跡部がうっかり監督の事を「チョロイ」と言ったのを忍足は聞かなかった事にして、同調するようにうんうんと頷いて見せた。
「ホンマ感謝しとるで」

「それにしても忍足、お前ああいうのが好みだったのか?」
 さらに畳みかけようとした忍足を遮って、その手は食わないと言うように不敵に嘲笑いながら跡部がそう問いかけた。忍足のお世辞の笑みがまた危険な角度に引きつった。
 睨み合って膠着する事約数秒――先に折れたのは忍足だった。

「……実際本気になんのはな、好みとかけ離れてたりするもんや」
 忍足は苦い顔をして、それ以上は訊いてくれるなと溜め息混じりに呟いた。




















「…ふぅ」
 コート脇にある水飲み場で、は部員達の飲むドリンクを作っていた。ボトルの中にスポーツドリンクの粉(高級な物らしい)を適量入れ、水を注いで混ぜる。それだけならまだいいが、それを二百人分用意するともなると大変だ。
(でも、まだこれくらいなら全然平気だな。これに怪我人の介抱とか…)
「――あの、先輩」

「え…?」
 振り向くと、長身の部員が近くに立っていた。先輩と呼ぶからには彼は一年生だろう。はこの後輩にどこか見覚えがあると思った。しかもごく最近に。
 は水を止めながら、少し怯え気味に「何か?」と訊ねる。
「あの、さっき思い切り転んでしまって。怪我、したんですけど…」
 申し訳なさそうにそう言って、彼は擦り剥いて血の出た腕を見せた。は悲痛そうに眉をぐっと寄せた。
「うわ…痛そう…。ちょっと待ってくださいね…救急箱は…」
 近くのベンチに用意しておいた救急箱を見遣り、彼にそちらのベンチに移動するよう促す。
 並んで座り、は消毒液を出し脱脂綿にそれを染み込ませ、傷口に近づけた。
「ちょっと痛いと思いますけど…」
「はい、大丈夫です…ッつ…」
 彼は消毒液が傷に触れる痛みに顔を顰めた。は慎重に広範囲を擦り剥いた腕を消毒し、適当なサイズの絆創膏を選び、何枚かを傷口に貼る。
「はい、出来ました」
「ありがとうございます」

 が使った道具を片付け救急箱の蓋を閉めかけた時、彼は立ち去らずベンチに座ったまま口を開いた。
「…あの、先輩」
「はい?」
 が顔を上げると、彼は何だか複雑な顔をしていた。つい先程、傷の手当てを頼みに来た時以上にどこか申し訳なさそうにも見えた。
「…?」
「……先輩、昨日、跡部先輩と芥川先輩の試合、見てましたよね?」
「あ」
 は彼がどこで見覚えがあったのかをやっと思い出した。彼は昨日の試合でラインズマンをしていて、の視界に入っていたのだ。もちろん試合が中断してしまった理由を知っているし、大勢の前でがマネージャー勧誘された事も目にして知っているはずだ(それは目の前の彼に限った事ではないが)。

「俺一年の鳳といいます。俺、あの試合のラインズマンやってたんですけど…」
 鳳と名乗った彼がやっとの方をまともに見て一瞬目が合うと、はパッと俯いて口元を手で隠し、か細い声で答えた。
「ん…うん、覚えてます…」
「そうですか。あの、それで…あの時、どうしたのかな、って…」
「……」
 あの時とはが泣き崩れてしまった時の事だ。はどう答える事も出来ずますます顔を俯けてしまい、その場に気まずい空気が流れた。
「あ…いえ、何でもないです! すみません!――腕、ありがとうございました! 俺練習に戻ります!」
 鳳はハッと我に返り、慌てて一気に捲し立てると、走ってコートへ戻っていった。

 鳳は走りながら、どうしてあんな事訊いてしまったんだろうと考えていた。あの後慈郎が何か声をかけても、は首を振っているだけだった。親しい人にも言えないような事なのだ、面識もないただの一後輩でしかない自分に話してほしいなんて、なぜ思ったのだろう。
 ただ――二人が第四ゲームを終えてコートチェンジをしている時にふと観客席の方を見たら、跡部ファンの一団とは離れた席で今にも泣きそうな顔をしながら、でもまっすぐに慈郎の事を見つめるが視界に入ったのだ。
 その姿が鳳には懺悔しているように見えて、とても印象的に映った。





 残されたは鳳の後ろ姿を呆然と見送ると、視線を外して溜め息をつき、救急箱の蓋を閉めた。そして蓋の上に片手を乗せたまま、ぼんやりと考える。鳳に嫌な思いをさせてしまったかもしれない、と。
 誰かが泣くのを他人が見れば、心配するなり鬱陶しく思うなりはするだろうが、いい気分は絶対にしない。だからは辛い事があっても人前で泣かないできた。誰にも嫌な思いをさせたくないから。
 昨日のは、自分でも不覚だったとは思う。せめて誰かに気づかれる前に、泣き止めていられれば良かったのに。
 しかしそのお陰(?)で、こうしてテニス部のマネージャーとして誰かの役に立つ仕事を出来るようになったのかもしれないと思うと複雑なのだが。どうせなら別の形での方がベターだった。
 何故なら――がよほどの自意識過剰でないのなら、今現在、何人ものテニス部員が自分に好奇の目を向けているように感じるからだ。今まで存在しなかったマネージャーが入ってきたから、という事実を差し引いても、間違いなく昨日の一件の所為で目立っている。

 は部員達からの視線を振り切るように立ち上がって、元いた水飲み場へ戻り仕事の続きを始めた。コートから離れている分、もしかしたらここが一番落ち着く場所かもしれない。
「…はぁ」
 このまま自主退部等をしなければ、あと一年と数ヶ月、ここが放課後の自分の居場所なのだ。居場所を、自ら作らなければ。
(うん、頑張ろう)
 自分に言い聞かせるように軽く頷く。気の持ちようで、どうにでもなるはず。

っ!」
 突然背後から声がして、が振り向く前に横から慈郎がひょっこりと顔を覗かせた。金色の髪が一瞬チカッと光を反射して、は目を細めた。
「あ、慈郎君…」
 は蛇口を捻って水を止める。
どうしてるかな〜と思って。がんばってる?」
 慈郎がニコニコ笑顔でに顔を近づけてきたので、は驚いて後退った。
「頑張るも何も…まだ始めたばかり、なんだけどね…」

「あはっ、そっかぁ。じゃあこれからがんばっ――」
 明らかに「てね」、と続くはずの言葉が途切れた。慈郎の顔から笑みが消えていき、何か思い悩むように眉が寄せられた。
 慈郎が俯いて腕を組んで「う〜ん…」と唸り始めたので、は不安げに首を傾げた。
「…どうかし――」
 が「たの?」と言い終わる前に、慈郎がガバッと顔を上げた。水に濡れたの両手を掴んで、鬼気迫る表情でまた顔を寄せてくる。
 至近距離に慈郎の顔があって、の頬がカッと熱くなった。更に慈郎が触れている箇所からも熱が昇ってくるようだった。
「――がんばって。でも、無理しないで」
「ぇ…?」
 小さく首を傾げる。無理せず頑張れ、とはどういう意味だ?
「男子に話しかけるのが怖いなら俺を頼ってくれていいから。何か手助けが必要ならいつでも俺が手伝うから…さ」
「慈郎君…?」
 困惑したようにが声をかけると、慈郎は罰の悪そうな顔をして俯いた。

 急にの心が凪いで、静かな感情が浮かんできた。ああ、自分は自覚なく誰かに心配をかけているのだ。それは、が最も嫌う事だ。自己嫌悪。
「…私って、そんなに無理してるように見える…?」
 はどこも見ずに、掠れた声で呟いた。いつの間にか喉がカラカラに渇いている。
 の無機的な声音に気づいた慈郎は、顔を俯けたまま息を呑んだ。もしかしたら、自分は何か無神経な事を言ってしまったのかもしれない。
「っ…ううん、違う、ごめん」
 何が「違って」、何に対して「ごめん」なのか、慈郎は解からなかった。
 何も違わない。は無理しているように見える。けれど慈郎は、正直に答えられなかった――それはなぜか?

「…………」
「…………」
 沈黙が落ち、重たい空気になったが、慈郎はの手を離さずにいた。離したくなかった。ここで離してしまえば、そこで終わってしまう気がして。
「……――」
 慈郎が沈黙を破る。の指先がピクッと震えた。
 次の言葉を待つが、慈郎はの名を呼んでから黙ったままだ。どうして何も言ってくれないのかと思う。そして、はたと気づく。
(…私…待ってるだけ…? 変わるんじゃなかった? 強くなるんじゃなかった? この程度の事で…っ――!)
 ギリッと歯噛みして、は顔を上げる。

 気合い満タンで大分勇ましい顔をしていたつもりなのに、は、目の前にあった慈郎の顔を見て力が抜けてしまった――慈郎は穏やかに微笑んでを見ていた。昼休みの時のように。
「――大丈夫だよ。俺がいるから」
 まるでが顔を上げるのを待っていたかのように、これ以上ないタイミングで告げられた言葉。
 じわりと目の奥が熱くなる。先に歯を食いしばっていなければ、は泣いていたかもしれなかった。
 しかしそれだけ言った後、慈郎はまた黙ってしまった。今度は微笑んだまま。それは、またが何か行動を起こすのを待っているようにも見える。
 何を――何を? もしこれが逆の立場だったら、自分は相手に何を言ってほしいのか? 何を待っている…?――そんなの簡単だ。

 は鏡に向かって微笑みかけるように、慈郎と同じように微笑んだ。ぎこちないかもしれないが、精一杯に。
「…うん…解かった。ありがとう…」
 昨日は全く逆の立場だった。迂闊に泣いてしまったは「大丈夫だから」と言って、それで慈郎に納得してほしかった。慈郎は「解かった」とは言ってくれなかったがそれは尤もだったし、今の状況とは違う――慈郎は今、善意を向けてくれているのだから。突っぱねず、受け取らなくてはいけない。慈郎は、きっとそれを待っている。
 の答えに、その言葉に嘘がない事に満足したのか、慈郎は笑みを深めた。
、俺――」

「ジロー! こんなトコでサボってていいのかー?」
 慈郎の声を遮るように割り込んできた第三者の声。二人がそちらに顔を向けると、冷やかし半分、面白くないような気持ち半分、な表情の向日が腰に手を当てて立っていた。初対面の向日に、はビクッと小さく震えた。
「手なんか握っちゃって、お前ら付き合ってんの?」
 面白くないような気持ち、というのは、多分向日が忍足を応援する気になったからだ。忍足にあんな苦い顔をさせるような女は、向日の知る限りでは、今までいなかったから。向日にとっては慈郎も忍足も友達だが、どちらかと言えば忍足にうまくいってほしいという気持ちの方が大きい。

「そんなんじゃないよ〜。友達だって手くらい繋ぐって」
 慈郎はあっさりと向日の指摘を否定し、無邪気に「ねぇ?」とに同意を求めた。は口の両端をぐいっと持ち上げて笑みを作り、喉から「うん」というような音を出した。
「がっくんも俺と手ぇ繋ぐ?」
 慈郎はパッとの手を離し、向日に両手を広げてみせた。「うげっ」と嫌そうな顔で半歩退く向日。
「来んなよ!?」
 楽しげにじりじりと間合いを詰めてきた慈郎の肩やら頭やらを押し返しながら、向日はをチラリと盗み見た。
 は二人の方を見ておらず、先程まで慈郎が掴んでいた自分の手を胸の前でぎゅっと握り締め、悲しげな微笑を浮かべていた。

 それを見て、向日はやっと合点がいった。忍足の、恋をしている割りにはあまり楽しそうに見えないあの苦い顔――…なんだ、なんだよ、そういうことか。
 ただの片想いではなく、その想い人には既に、他に好きな人がいるというありふれた図式。しかもライバルが友人なら、その苦悩は殊更だろう。
「…なぁ、えーっと…だっけ?」
 大人しくなった慈郎から手を離した向日がに声をかけると、はパッと顔を上げた。どこか怯えたようなその表情に、向日はムッとする。
「お前、なんでマネージャーなんか引き受けたんだ?」
 自然と非難するような口調になってしまい、はますます怯えて向日から目を逸らした。

「……」
 どうして引き受けたか。は頭をフル回転させたが、言葉が見つからなかった。必要とされたから、と言ってしまうのは簡単だが、その動機はどこか不純ではないだろうかと思う。必要としてくれたのは慈郎と忍足だけで、他の部員はこれから先にがいなくても、二百人もいるのだからきっと平気だ。それを誰かに指摘された時、は何と答えればいいのか解からなかった。テニスが好きだから、と言えるほど今はまだ熱中しているわけではない。
 ――どうしてここにいるのか。

「そんなの、俺が誘ったからに決まってるじゃん」
 ふぁ…と小さくあくびをしながら、慈郎が口を挟んできた。向日は眉を顰める。
「それは理由とは言わねーだろ。誘われて、その誘いにどうして乗ったのか、を訊いてんだよ」
「誘われたから、が理由だよ」
 慈郎の何気ない一言に、はギクッとした。まるでの心を見透かしたかのような答え。
「はぁ? 意味わかんねー」
「別にわかんなくていいよ――あーあ、俺眠くなってきた…」
 わしわしと頭を掻き、慈郎はもう一度あくびをした。

「がっくん、俺が寝ないように相手してよ。バック宙見てぇな〜」
 慈郎はふにゃふにゃ笑って、向日の手首をガシッと掴む。そのまま腕をコートの方へ向かって引っ張られたので、向日は「ぎゃっ!」と叫んで咄嗟に振りほどこうとしたが、意外なほど強い力で掴まれていてビクともしない。
「はな、放せよ!」
「友達だから手ぇ繋いでも変じゃないって〜」
 全く悪意のない慈郎の笑顔が逆に怖くて、向日はぐっと文句を引っ込めた。これは手のひらを掴まれなかっただけマシだと思わなければならないのか。地味に手首が痛い。
「じゃあ、またね〜」
 慈郎は空いている方の手をひらひらとに向かって振り、向日を引きずるようにしてコートへと去っていった。「逃げねーから放せ!」「いいからいいから」という会話が遠ざかっていく。

 二人のやり取りをポカンと見ていたは、何度か瞬きして我に返った。
 突如として心臓がドクドクと鳴り出す。慈郎は、何も答えられないでいた自分を庇ってくれたのではないか?
 「誘われたから、が理由だよ」という慈郎のセリフが頭をぐるぐる回る――あの場を収める為の思いつきで、単なる当てずっぽうかもしれない――けれど。
 慈郎なら人の心を読む事が出来ても不思議じゃないような気がした。そうして、欲しい言葉をくれるのかもしれない、とは思った。そうだとしたら、どんなに救われる事だろう。
 ――まるで神様みたいなひと。
 はもう一度、慈郎が触れていた自分の手のひらをぎゅっと握った。










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