佐賀新聞 2004年4月23日付 論説
人質批判 非寛容の荒野を見る

 イラクの日本人人質事件で解放された高遠菜穂子さんらのカウンセリングに当たった精神科医は、三人は「急性ストレス障害」と診断、事件だけでなく、批判的な世論からも強いストレスを受けていると見解を示した。人質と家族を袋だたきする風潮を憂える。
 札幌市の今井紀明さんの自宅は、あまりの中傷電話の多さから留守番電話にしたが、その後は留守電に「死ね」とか仏具らしい「チーン」という音だけを繰り返し録音されたりした。
 北海道千歳市の高遠菜穂子さん宅には、強い調子で発言する弟妹の映像がテレビで流れた後「ふざけるんじゃねえ」などの電話が多数かかった。インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」には「クソ家族」「死にさらせ」など、聞くに堪えない言葉の書き込みであふれた。
 政治家や官僚からも家族らにつらい発言が続いた。
 外務省の竹内行夫事務次官は「自己責任の原則を自覚していただきたい」とくぎを刺した。平沼赳夫前経済産業相は「未成年の子どもを止めることができないでああいう戦地に行かせてしまう。どこかおかしい」と非難した。
 確かに、家族が感情的に政府の自衛隊派遣を責める発言があった。政府の努力を信頼することなく、自分たちの主張ばかり掲げた政治運動のような活動と映って、反感を呼んだ面はあろう。
 再三、退避勧告が出されていた。三人が軽率だった点は批判されるべきかもしれない。しかし、閣僚らのこのような発言が、人々の中傷を理論武装させて勢いづかせた面は否めない。閣僚らからは、解放後も渡航自粛を重ねて要請、なおも安全に対する「自己責任」の自覚を強く求める発言が相次ぐ。
 しかし、危険な場所であっても、いや人が行かない危険な場所であればこそあえて行かねばならない場合がある。報道の記者、NGOがそうだ。ファルージャでイラク市民が六百人以上死に、米兵もファルージャなどで百人が戦死する惨状も闇に葬られ、戦闘の停止を求める世論は形成されない。
 高遠さんが、シンナーを吸って泡を吹いて路上に倒れていたイラクの少年を自室に連れて行き救助、ほかの少年にも手を差し伸べ、少年がママと呼んでいたことを、現場の映像報道で知った。
 NGO活動だからこそ、家もないイラクの少年にシャワーを提供し救済する活動ができる。人道支援を必要とする人たちがいる所は戦争や災害の現場である場合が多い。
 仏紙ルモンドは「人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、日本政府は人質の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている」と批判した。本紙読者からも「彼らは、国際感覚は未熟でも、愛があったと思います」というメールをもらった。人質被害者の行為に価値を見いだす人がたくさんいる。
 先ごろはハンセン病療養所入所者に対する、いわれのない中傷もあった。人質事件被害者と家族を追いつめる背後にも、傷んだ人を感情に任せて責め立てる精神の荒野があるのだろうか。
 それが自己責任論のよろいをまとって広まっているようにも見える。自分と違う人を切り捨てる非寛容が、閉塞(へいそく)感の漂う社会で広がりつつある。自己責任の必要以上の強調には危険性を感じる。
 人質事件で東京事務所を被害者家族らに提供した北海道の高橋はるみ知事は、光熱費など実費以外の負担を家族に求めない考えを明らかにした。それくらいでいいのだと思う。(上杉芳久)