2006年7月8日  新潟日報「県人アート」  




適度の明るさと緑陰

人間が鬱蒼とした森林に恐れを抱くのは、古代人のDNAが

作動しているからである。高層ビルが立ち並ぶ新宿近くに

 住む作者は、よく散歩するというが、のっぽのビル群は森林

 に見えているのかもしれない。今回の作品は、無条件の田園

 風景のほかに、一見すると都市の風景だが、実は田園風景

が重ねられているような作品が並んだ。都会生まれの人間

には記憶の奥底にしまわれた古代人のDNAだが、田舎に

生まれ育った人間には現役で活躍中である。油彩作品「鎮

  守の杜」はいまでも都会を少し離れると良く見かける風景だが、

日本列島が照葉樹林に被われていた神々の名残である。

遠くには山並み、田畑の中にこんもりと茂った杜には小さな

 祠が見えるようである。それに対して高層のホテルが描かれ

た「夢空間」や都庁が描かれた「天空へ」は、林立する高層

ビル群を描きながら、神々の杜の幻影が重ねられている。

都庁の広場に立つ彫像は生命を脅かすマンモスであり、

夕焼けを背景にした高層ビルは、いわば樹齢何百年の檜や

 杉の木立といってもよい。そして明るい陽だまりに手入れよく

 ガーデニングされた「緑陰」は、古代人のDNAから解放された

 現代の風景である。人間はこうして適度の明るさと適度の緑

の影を求めてきた。


        2006年9月  月刊美術



   


  白鳥十三

                 象徴性の高い風景画をめざして

      都市風景への挑戦
        洋画家・白鳥十三さんのアトリエを訪ねるため京王線の初台駅に降り立ったのは梅雨が明け
       やらぬ7月半ばの昼下がり。駅前には曇り空にそそりたつオペラシテイタワーの威容がいやでも
       目に入る。そしてその背後には新宿の高層ビル群が広がっている。
        白鳥さんの近作に「予感」と題された夏雲の下の高層ビルを描いた作品があり、すぐその作品
       を思い起こした。梅雨が明ければここから夏雲をいただいた高層ビル群をみることができるのだ
       ろう。 その意味で都市の高層ビルも画家にとっては日常の一齣ということになる。
       ただその日常の風景が絵の中に登場するためには、そこに画家が日常を超えた何かを感じ取る
       必要がある。 「予感」と題された作品にはそのタイトルが暗示する如く日常の光景に潜む不可視
       の領域が潜んでいる。10号の小品だがビル群の上にそそり立つ積乱雲の量感からか150号
       くらいのスケールを感じさせる作品である。
        「こちらに長く住んでいますが今回初めて高層街を描いたのです。これまでずっと田園や山野
       といった自然の風景が中心だったのですが、樹のシリーズを続けていくなかで街中の樹も描いて
       みようと目を向けるようになったんです。その過程で出来上がったのがこの作品で、今回、作品
       には樹は入ってこなかったんですが、夏雲が面白い表情をみせてくれて、下に広がる新宿の
       高層ビルとの組み合わせで描いてみました。以前から都市風景の美しさ、面白さにひかれて
       いましたが、やっとその第一歩が始まったという感じですね。」
     新潟県の松林の美しい町に生まれる
        白鳥さんはそもそもが新潟市の出身。現在お住まいのある副都心エリアとは対照的な日本海
       に面した牧歌的な港町。海辺にひろがる松林の風景は青年時代から描き馴れた風景画家白鳥
       さんの原点だ。
        父は婦人服の洋装店を経営し、流行の布地の仕入れから包装紙のデザイン、新聞広告の
       デザイン、そしてウインドーのディスプレーまで自ら手がけた。絵描きに繋がる血はやはりこの
       父親ゆずりのものであったらしい。高校時代は剣道部に所属し、特に美大受験向けに絵の勉強
       をしたわけでなく、大学は早稲田大学の商学部に進んだ。本格的に絵の勉強を始めたのは大学
       に入ってのこと。大学の美術クラブに所属し、友人の通う吉祥寺の絵画研究所にも通った。
        卒業後、渡欧し各地の美術館を見て周り本場の油絵の真髄に触れる。帰国後は、司法試験を
       勉強する人がよくやっていた学校の宿直の仕事をしながら絵を描き続け、特定の美術団体に
       は属せず、独立独歩、個展を中心に作品を発表してきた。
        83年銀座の名門画廊サヱグサ画廊の創業者・故川辺敏哉に認められ初の個展を開催。
       以後同画廊で8度にわたって個展を開催。他にも新潟、仙台、名古屋などで数多くの個展を開催
       してきた。また2000年には新潟市美術館で父親との二人展も開いている。
        サヱグサ画廊の移転をきっかけに03年からは銀座旧電通通りに面したギャラリー喜久田に
       個展会場を移し今に到る。そしてこの秋、9月半ばに故郷、新潟市の美術館(市民ギャラリー)
       で2年ぶりの個展を開催する。
       お邪魔したアトリエには出品を前にした大小の作品が立てかけられていた。なかでも目をひいた
       のは50号を4枚組にして制作中のエメラルドグリーンの画面。様々な表情を見せる波の上に
       小船に見立てた紙を貼り付け構図を構想中。
       「いま、ここに鳥をいれようか、それとも影を入れようか迷ってるんです。こうやって考えている時
       が一番たのしいですね」
       迷い自体を楽しんでいるかのような口ぶり。豪快な作品になりそうだ。
       「日本画、それも院展系の絵が好きなんです。宮廻〈正明)さんの絵なんか好きですね。私は
       洋画ですが造形志向の強い絵ではなく、日本画にあるような気持ちがすっと抜けてゆくような
       象徴的な風景をめざしているんですが」
        ご家族は奥様と二人の息子さんとお嬢さんの計五人家族。
       次男の寛昌君は高校3年生。下手投げの技巧派エースとしてこの夏の全国高校野球の
       東京都予選で健闘したが3回戦で強豪とぶつかり惜敗。彼の頑張りは翌日の新聞に写真入りで
       大きく称えられた。
       「ピッチャーの親にはなるもんじゃないですね〈笑い)。試合中ハラハラドキドキで・・・・・・」と
       いいつつも目を細める。
       秋の個展は父親としての実力の見せ所。地元では仲間や支持者が2年ぶりの作品発表を
       待っている。寛昌君の力投に負けぬ、見ごたえのある展示空間が期待できそうだ。 (編集部)
 

            作家プロフィール

         1949年新潟市出身。早稲田大学在学中から美術研究所にて油絵を学ぶ。
         一貫して無所属作家として活動、個展歴は本文紹介のとおり。
         故郷新潟の海岸沿いの松林からスタートした風景画には定評があり、新潟県庁、
         新潟市役所はじめ地元の新聞社、電力会社、高校などに作品収蔵されている。
         現在「樹のシリーズ」を展開しており、田園、山野と並んで都市風景にも挑戦中。
         他に花や静物にも評価が高い。東京在住。

            




       2004年6月18日   新潟日報                        「あーとぴっくす」    


     ▼白鳥十三個展(20日まで、新潟市美術館市民ギャラリー)
     白鳥さんは一九四九年新潟市生まれ、東京・渋谷区在住の洋画家。正三角形変形4号から60号
     までの油彩はじめ、グワッシュ、アクリルなど水彩作品、イラストも含めた六十点余りを展示する。
     作品群は静かで端正な雰囲気の写実的絵画で、風景あり花あり、室内静物ありだが、いずれも的確な
     デッサン、緻密で巧みな筆さばき、堅実な構成が、見る者に安らぎをもたらす。
     特徴的なのは、光を受けた対象、あるいは光が透過した空気を、どんな色彩に捉え、それをキャンバスの
     二次元平面にどう表現するかに、白鳥さんの最大の創造的努力が払われているのではないか、
     ということだ。色彩と形態の、微妙で均整のとれた調和・・・それは、白鳥さん生得の感性による内面の
     色であり、(魂の色)なのだろう。
     夕映えのあかねに色付く木立の微妙な色相の変化が美しい「夕暮れの山堂」(F10号)=写真=がまず
     目を引く。それに、空と雲、水面と山野を緑の諧調で統一した「湖映」「緑陰」「牧場」も。
     水彩画は「残雪」で、白雪と赤い朽ち葉に木立の影が印象的。林の奥は多彩な陰影と
     木の間の空が快い。
     細やかなマチエールは日本画的だ。主題面でも錦鯉二匹が泳ぐ「水天」や、背景を一色に抑えた「蓮花」
     などに和風様式美があるが、過剰に及ばぬことが望まれる。
     また、「花摘み」の豪華なロココ様式額装、だ円額装の作品は、描き込みとともに俗気が過ぎるように
     思われる。                                               (鈴木清一)



    2000年9月1日  新美術新聞



      白鳥十三〈一九四九年新潟生まれ)は、緻密に構成された静物や花を得意とする作家である。
      しかし、華やかで静謐な空間のほかに、ダイナミックな風景も好んで描く。室内の知的空間作りの
      反動ともとれる外に向かっての仕事は、樹のある風景である。風景も静物同様、構成にこだわり、
      その作品は、空間と広がりのある知的風景画となっている。今回の個展は、昨年九十二歳で亡く
      なった父、小六をしのび、その一周忌にあわせて開催するもの。
      得意とする花や、新潟に取材した風景などを描いた作品二十点余りを展観する。また別の部屋では
      「小六布張絵遺作展」も開催される。
        ★9月5日(火)〜10日(日)新潟市美術館・市民ギャラリー(新潟市中央区西大畑5191)
               пF025−223−1622 会期中無休:無料
      



1990年7月11日  新潟日報 「県人アート」


                新たにスペイン登場
   
神奈川県の津久井湖に題材をとったという「樹(午後の影)」は、木々、あるいは森ともいえるうっそう
    とした樹の茂みと沼のような浅い湖面が描かれている。空と水面の光の輝きと、逆光の中の森の暗さは
    深閑として、神の訪ねる気配が漂っているようである。白鳥(昭和24年生まれ)の描く他の樹と水をテーマ
    とした画面は全体をグリーンに統一している。
    樹と水のテーマは、必然的に水際に視点が集中する。水際が人間に懐かしいのは、おそらく人類の祖先
    ともいえるアメーバーが水からはい上がり、水際をすみかとした太古の記憶が蘇るからではないだろうか。
    水辺で生命が誕生し、水辺が進化を促し、生命が滅びると水辺で分解され次の誕生を用意する。
    その意味で水際は単に水と陸の境界であることを越えて、生命の誕生と死滅にかかわり、自然と文明の
    境界でもあった。
    全十六点の作品の中で、従来の画面に、今回はスペイン女性が加わった。フラメンコを踊る女性が着る
    衣装の黒は、黒い色であって、無色ではない。ゴヤに倣おうとしたのか、作家の関心は、ひたすら衣装の
    黒の描写に注がれている。作者の年来のテーマでもあったのだろうが、スペインという題材は、もっと
    多彩で、奥が深く、動きがあり、人間臭いところがあって、刺激的であるように思う。
    他方、人形や花、瓶などがよせ集められて、再現的に描写される現代風の机上静物画は、作家の手慣れた
    領域といってよい。寄せ集められた物同士が、よそよそしく同居し、冷たい雰囲気をかもしだす。
    巧みな筆さばきであり、その技巧が堅さと冷たさを与える。一見饒舌な画面に見えるが、机上に集められた
    物たちは、黙して語ろうとはしない。
    今年はイタリアの画家モランデイのたくさんの作品が来た。モランデイの静物は、寡黙であるが、独白の
    ような言葉を発していた。そこに一種の温かさ=作者の体温を感じたのだが。             
                     (第五回白鳥十三油絵展は、東京展が六月四日から九日銀座サヱグサ
                      画廊、新潟展が六月十六日から二十四日、グレイス・ヤシロで開かれた)
              
 


   

 

  1988年10月11日 新潟日報 「県人アート」

            



      戦後の昭和二十四年生まれの白鳥十三氏が、作画においてこだわっているのは、杉本氏と同じ
      ように風景を対象にしながら、自分にとっての風景は何であったのかという自問自答の表現であろうか。
      作家の描く風景は、いずれも過去十八年間住み慣れた故郷、新潟市内に限られている。
      それらの風景は、すみずみまで幼年時代の記憶に包まれた、いわば内側から見た風景となっている。
      風景に呼び掛け、風景の答えを待つ、その営みが絵画制作となっている。具体的には「樹」シリーズの
      中で、海岸の松を赤松に描いているが、実際は、新潟の海岸の松はほとんどが黒松だという。
      外部の旅行者には、その区別すら判断できないが、作家は、内側の風景をさらに自分流に脚色しようと
      試みる。自分流の脚色とは、自分に親しい眼前の風景を突き放して、絵画として成り立たせようとする
      ことである。
      風景は光がポイントで、光が奥行きを決める。「夕暮れの信濃川」は、机上静物にも見られる緑色系に
      全体を染め上げた日没の一瞬の俯瞰(ふかん)図であるが、心理的な奥行きを与える試みである。
      「自分探し」の風景画、次は故郷の雪景色に挑戦したいという。二十一点渋谷区在住         
                  (白鳥十三油絵展は、9月26日から10月2日、サエグサ画廊で開かれた。なお、
                   新潟展は、10月16日まで、グレース・ヤシロ2階で開催)




1987年12月12日   新潟日報  「県人アート」

  

  人間の好奇心が多様であるように、画家の好奇心も多様で、それが表現となり、画面となって人々の目に
  ふれる。画家が、人生の目標のようにテーマを設けて描いたもの、野心的な実験を試みたもの、リラックス
  して楽しんで描いたものなど、並んだ作品から作者の様々な意図が読み取れる。
  白鳥十三氏の好奇心の幅もかなり広く、若さゆえのさまざまな試みを行っているようだ。氏が、何ら構える
  ことなく、最もリラックスして描いているのは、「異人池付近から眺める日本海」の風景であろう。水平線を
  幾分低くとって大きく海を取り込み、真ん中に教会の塔と人家、空と海が夕陽(ひ)に染まった瞬間が描かれ
  ている。いつも思い出す、慣れ親しんだ望郷の風景ともいえる。自然の風景の中でも、陽がまさに落ちようと
  するひと時ほど、人々に安らぎを与えるものはない。それに異国的雰囲気のする教会の塔、広漠たる日本海
  の海原、特別な技巧をこらしてはいないが、作者の気持ちがよく出ている画面である。作者の人間性を培って
  いる風景である。
  次にひかれるのは、樹(き)のシリーズである。「老いた大木」は、葉がすっかり落ちた老木が、グロテスクな形
  によじれながら枝を伸ばし、大地に構えて立っているところで、作者の執拗な描写力によって、老木が生き
  返っているような精気を感じる。樹のシリーズは他に二点、面白いモチーフで今後の展開が楽しみである。
  樹のシリーズではないが、やはり大木を画面の真ん中に配した「秋」は、もっと自然描写に徹した画面だ。
  画家の好奇心は、さらに机上静物シリーズと黒の裸婦シリーズに及び、前二者の自然の描写と違って想像力
  やイメージを表そうとしているようだ。
  「ガラス玉のアル静物」や「緑の部屋(エミール・ガレ頌)」などの、卓上に花や花瓶、ガラス玉、貝殻などの道具
  が並んだ画面は、室内空間の、いわば親和と異化の効果を狙ったものである。つまり、ふだん見慣れている
  目前の光景が、一瞬光を当てたように見える驚きの表現でもある。物の見え方を追求する視覚の欲望が
  なせる技かもしれない。多くの画家が試みているモチーフであるが、氏も一貫したテーマとしている。
  黒の裸婦シリーズは、黒が引き出す官能美を追求した野心的な試みである。
  氏は一九四九年、新潟市生まれ、長い間抽象画を続けてきたが、四、五年前から具象画を始める。どこの
  団体にも属さず、グループ展や個展で通すつもりだという。六十号の大作を含めて二十点。        
              (「第3回白鳥十三油絵展」は、新潟展が十一月十から二十、グレースヤシロで、
               東京展は十一月三十から十二月六日、銀座サヱグサ画廊でそれぞれ開かれた。)