《新刊紹介》
Terry Martin, The Affirmative Action Empire: Nations and Nationalism in the Soviet Union, 1923-1939, Cornell University Press, 2001, xvii, 496 pp.
 
 ソ連の民族政策や社会政策に「アファーマティヴ・アクション」的な性格があったのではないかということは、近年、評者自身を含め何人かの研究者によって指摘されてきたが、本書はそれを「アファーマティヴ・アクション帝国」という刺激的な言葉にまとめあげ、タイトルにまで付した野心的な作品である。
 詳しい紹介を行なう紙幅はないが、大きな構図においても、多くのアルヒーフ文書を含む一次資料に依拠した細部の究明においても(中央のものだけでなくウクライナのアルヒーフも使っており、またその他の様々な地域にも広く目を配っている)、充実した作品との印象を受けた。目についた点をいくつか挙げるなら、国内の民族問題と対外政策の関連を重視し、隣国への顕示の狙いでとられた民族文化振興政策が、やがて隣国からの浸透可能性への警戒へと転じる過程を追っている点は特に興味深い。また、様々な時期に「現地化」政策からの後退を示唆するかにみえる事件が起きながら、それが直ちに全面的逆転にはつながらず、連続性の要素が残ったことの指摘も、安易な大逆転論よりは慎重なものとして好感がもてる。更に、ソ連の民族政策は「民族形成」的なものだったのか「民族破壊」的なものだったのかという古典的な問いに対し、両者を統一的に把握する視点を提出し、ロシア・ナショナリズム的要素の浸透は全面的なロシア化ではなかったと指摘している点も注目に値する。
 もちろん、本書にも難がないわけではない。大きな構図と細部の間をつなぐべき中間レヴェルでの論理化がやや弱く、そのため、膨大な分量とも相まって、全体の見通しがつきにくい。いくつかのキータームが(表題の「アファーマティヴ・アクション帝国」を含め)十分な論理的説明抜きで使われており、今ひとつ正確に理解しきれない憾みが残る。また、一九三九年で全体の叙述を終えているが、その後への展望が明らかでなく、ソ連史全体をどのように捉えるのかという問いには答えていない。
 本書がやや長大に過ぎ、しばしば錯雑した叙述になっているのに対し、その準備段階で書かれた別稿、"The Origins of Soviet Ethnic Cleansing," The Journal of Modern History, vol. 70, no. 4 (December 1998)は、焦点が絞られている分、より読みやすく、併読に値する。この論文にも、「民族浄化」という論争的な言葉の使い方がやや不用意であること、一九五三年初頭にユダヤ人大量追放の計画があったという噂(この問題については、本誌第六九号に、長尾広視氏による丹念な批判的検討がある)をあたかも確定的事実であるかに記述した個所のあること(p. 820)、といった欠陥があるが、ともかく力作である(日本で古くから注目されてきた朝鮮人問題についても、より広いパースペクティヴの中での位置づけを与えてくれる)。
 いくつかの問題点を含むとはいえ、今後のソ連民族史研究において見逃すことのできない作品となるだろう。
(塩川伸明)
 
『ロシア史研究』第七二号(二〇〇三年五月)。
 
 
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