地域よもやま話――〈ユーラシア〉地域研究?
(『日本比較政治学会ニューズレター』第12号,2004)
 
 ロシア・旧ソ連諸国・東欧諸国に関する地域研究は、通常の地域研究(こういう言い方も奇妙なものだが)とは多少違った特殊性をもっている。歴史・文化の共通性もなくはないが、それよりもむしろ最近まで「社会主義」という特異な体制をとり、今日では体制移行を遂げつつあるという点での共通性がこれらの諸国を「一つの地域」とみなす大きな根拠となっているからである。
 とはいっても、こうした体制(移行)に関わる特徴だけがこの地域の研究を支えているわけではない。冷戦終焉直後の時期には、「東欧などという概念は冷戦期特有の政治的概念に過ぎず、社会主義崩壊とともに『東欧』という地域概念も消え去る」といった評論が流布されたことがあったが、これは行き過ぎである。歴史・文化・言語・宗教などの面で、この地域はもちろん決して単一ではないが、かといって全くてんでんばらばらというわけでもなく、ある種の緩やかなまとまりと相互交流をもっており、そうした観点からの地域研究は当然いまでも可能である。他方、「体制」の壁が崩れた後は、かつてのまとまりとは別の形でのまとまりを重視する考えも現われている。もうすぐEUに入る国々はむしろ「中欧」圏として捉えられることが多いし、旧ソ連南部とその隣接諸国を「中央ユーラシア」とまとめる見方も有力である。これらの新しいまとまりが指摘される一方で、独立国家共同体(CIS)も、空洞化がいわれながらもその存在をやめてはいない。また、旧ソ連全体(プラス東欧)を「ユーラシア研究」として捉え直す考え方もある。
 こうしてみると、「地域とは何か」というお馴染みの問いが立ち現われてくる。かつて山影進氏が鮮やかに示したように(『対立と共存の国際理論』第V部第三章その他)、およそ「地域」というものは一般に、内的に均質でもなければ、他の地域と隔絶してもおらず、その区切り方は多様で、かつ重複を許すようなものである。これは分かり切った話かもしれないが、数十年間ある区切り方が固定されてきた後に突然流動化を経験しているような「地域」を研究する際には、特に思い出す価値があるだろう。
 こう考えると、いつの間にか、「地域研究一般」に話が戻ってきたような気もする。ある意味ではその通りだが、それだけでもない。「地域研究」のあり方をめぐって、たとえばディシプリンとの関係をはじめとして様々な議論がこれまで積み重ねられてきたが、そのあり方が対象地域によって微妙に異なっているのかもしれない。そうしたことを考えることで、「地域研究」に広がりを与えることができるのではないだろうか。
 「よもやま話」らしからぬ無粋な話になってしまった。締切のほんの数日前に突然原稿依頼され、面白い話題を思いつく暇がなかったためである。ご寛恕をお願いする(塩川伸明)。
 
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