竹内修司『1989年』(平凡社新書、二〇一一年)/薬師院仁志『社会主義の誤解を解く』(光文社新書、二〇一一年)
 
 
 一九八九年の天安門事件と東欧激動、九〇年のドイツ統一、九一年のソ連解体といった一連の大変動が起きてから約二〇年が経った。「二〇年」という区切りを迎えたことを契機に、この大変動を振り返り、現代史について考えようとする機運があるのは自然なことだろう。かくいう私自身も、『冷戦終焉20年――何が、どのようにして終わったのか』(勁草書房、二〇一〇年)という本を出した。ほぼ同時期に、マイケル・マイヤー『1989 世界を変えた年』(作品社、二〇一〇年)という本の邦訳も刊行され、これはなかなか興味深い著作だった(このホームページの中の「短評集」で取り上げてある)。それに引き続いて、もう二冊の新書本が立て続けに出た。この二冊は主たる論点も著者の観点もかなり異なるが、広い一般読者を念頭におき、一種の入門書として書かれたという点では共通したところがある。一時期忘れられかけていたこうしたテーマに関して、相次いで入門書が出るということは、一応歓迎してよいことだろう。
 もっとも、読んでみると、それぞれに異なった理由からではあるが、どちらについてもある種の物足りなさを感じてしまった。どうしてそうなってしまうのかについて、簡単に考えてみたい。
 
 先ず、竹内修司『1989年』の方だが、これはタイトルからして一九八九年の出来事を主に書いた本かと思って読んでみたところ、前半部は、一九八九年までに至る世界近現代史のおさらいのような話になっている。そうしたおさらいも、予備知識の乏しい読者のために必要なことではあるだろう。しかし、全巻の半分近くのスペースを割くというのは、やや疑問である。これは「まえおき」にしては長すぎるが、世界近現代史全体の復習にしては局部的なものにとどまり、いずれにしても「帯に短し、たすきに長し」の感を免れない。
 第4章の中間あたりからようやく一九八九年の話になるのだが、この後、巻末までに残された紙数は百頁あまりに過ぎない。これだけの短い紙幅に、中国・東欧・ソ連の激動を詰め込むのだから、上っ面をなでるような話に終始するのは無理からぬところである。この短いスペースの中であれこれの対象を拾い上げているのだが、それらのうちで相対的に詳しいのは中国の動向である。といっても、掘り下げた分析があるわけではないが、とにかく事実経過は何とか追うことができる。それに比べ、東欧になると相当おざなりであり、ソ連に至ってはもっとおざなりである。「1989」の様々な出来事の中で、最も波及力が大きく、重要性が高かったのはソ連のペレストロイカだったことはいうまでもない。ところが、そのペレストロイカにはほんの数頁しか割かれていないのである。
 あの激動の日々から二〇年もの年月が経ち、当時のことを知らない若い世代も増えてきた。そればかりでなく、当時既に成人していた人たちにしても、日々の慌ただしさの中で、当時のことをきれいさっぱり忘れ去っていることが多い。そのように、「1989」のことを全く知らない――もしくは忘れ去った――人たちが、「あの頃に起きたのは一体どういうことだったのだろうか」という素朴な疑問を抱き、最初のとっかかりを得るための入門書としては、この本も一定の役割を果たすだろう。願わくば、そうやってある種の関心をかき立てられた読者たちが、知的好奇心を発揮して、より掘り下げた認識を得ようと努めてくれることを祈りたい。
 
 薬師院仁志『社会主義の誤解を解く』は、竹内著とはかなり趣を異にする。その主要な内容は、ヨーロッパにおける社会主義思想史と社会主義運動史である(第4章と第5章では部分的にソ連や日本にも言及しているが、いずれもごく短い。またアメリカについては全く触れられていない)。
 ヨーロッパの歴史を主たる内容にした一般読者向けの書物が著わされることには、もちろん積極的な意義がある。日本では「欧米」「西側」「先進国」という場合に、暗黙のうちにアメリカを代表選手とし、ヨーロッパについてはあまりきちんと意識していないことが多い。また、そのヨーロッパで「社会主義」というものがかなり大きな位置を占めてきた――今でもそれなりに大きい――ことは、「知る人ぞ知る」であって、広く一般に認識されてはいない。である以上、そういう空白を埋める概説書には、十分な存在意義がある。
 しかし、本書のタイトルは「ヨーロッパにおける社会主義の歴史」ではなく、「社会主義の誤解を解く」となっている。そして、「はじめに」には「社会主義とは何か」という副題が付いていて、日本でこの点に関する誤解が横行しているのを正すのだと主張されている。このような課題と本論の内容のあいだにはズレがあるといわなくてはならない。本書の基本的な主張は、ソ連・東欧のいわゆる「社会主義圏」が滅んだ後もヨーロッパ諸国では今なお社会主義勢力は健在だという指摘にある。これ自体は一応妥当だが、そのことの意味について考えるためには、単に「あれこれの国ではまだ健在だ」というだけでは議論として不十分である。つまり、書物の狙いとされるものが本文では十分達成されていないのである。
 著者の考えでは、ソ連・東欧諸国に存在してきた「社会主義」なるものを「社会主義」の代表のように考えるのは間違いであり、それとは区別されるヨーロッパの社会主義こそが、本来「社会主義」の名の下に念頭におかれるものだとされる。これはこれで成り立ちうる主張である。だが、その主張に説得力を持たせるためにも、「では、ソ連圏諸国に存在していた社会主義とはどういうものだったのか。それはヨーロッパの社会主義とは何の縁もゆかりもないのか。もし多少なりとも接点があったとするなら、どのようにして分かれが生じたのか」等々といった問いに取り組まなければならないはずである。
 実をいえば、本書の第4章は「ソビエト共産党の時代」と題されている。それでいながら、ソ連についてもソ連共産党についても、それ自体への言及は最小限であり、主に論じられているのはヨーロッパ諸国の共産党の話である。それはそれで有意味だとしても、それが「ソビエト共産党の時代」として括られる所以については何の説明もない。
 
 竹内著にせよ、薬師院著にせよ、もしソ連の歴史についてなにがしかの記述があったならば、それについて共感であれ異論であれ、何らかの感想を述べることができただろう。しかし、共感とか異論とか以前の問題として、そもそもほとんど何も書かれていないというのが、両著共通の特徴である。これでもって「1989」とか「社会主義の誤解」とかについて書くことができるというのは、一体どうしたことだろうか。
 その理由を考えるなら、次のような事情が思い浮かぶ。日本における社会主義の威信は「1989」に先立って長期低落傾向にあったが、ソ連解体前後の時期にそれはどん底にまで達した。そのこと自体は驚くに値しないことだが、そのあおりを食らって、あの国の歴史的実態について掘り下げて考えるとか、その意味を新しい観点から再考するという作業さえもが、「今更やる気がしない」という感覚を引き起こすものになり、一種の知的空白が生じてしまった。この二冊の本にも、そうした知的空白が反映している。
 もっとも、そうした状態がしばらく続いた後、二〇〇八年リーマン・ショックなどを契機とする世界的な不況の中で、「やはり資本主義にもいろんな問題があるのではないか」という議論が広がりだし、「市場原理主義批判」の声も強まるという変化がある。そうした中で、忘れられていた「社会主義」についても、部分的な現象としてではあるが、再評価の気運がある程度ある。その際、問われなければならないのは、「完全におとしめられた、過去の存在としてのソ連型社会主義」と「それとは全く別の、今なお希望の対象となりうるはずの社会主義」をどのような関連で理解するかという問題である。後者に期待を託そうとする人の多くは、自己を前者とは全く別個の存在と規定することで、その汚名から逃れようとしている。それは心理的には無理からぬことだとはいえ、やや安易なところがある。
 そうした人たちはそもそもソ連についてほとんど触れようとしないし、触れたとしても極度にカリカチュアライズした像で満足している。「あんなヘンテコで、馬鹿げた、どうしようもないものと、われわれとを混同されてたまるものか」という意識がそこには感じられる。「あんなもの」と「われわれ」を区別したいと考えるのはよい。だが、「あんなヘンテコで、馬鹿げたもの」の実態を具体的・現実的に明らかにしていくなら、実は、そこには「われわれ」と類似の要素があったことが分かるかもしれず、だとすれば、その敗北は「対岸の火事」ではないということになるかもしれない――このような反省が、多くの場合、きれいさっぱり抜け落ちているのである。
 もし現実のソ連が、今日多くの人が想定しているカリカチュア通りのもの――暴力と強制のみに立脚した独裁、市場や貨幣の役割を全否定した超集権的な指令経済等々――だったなら、それは七〇年はおろか、ほんの数年さえも持ちこたえられなかっただろう。それが現に数十年間存続し、その歴史の中にはある種の「成功」を誇ったり、また相対的「安定」を現出した時期もあったのは、「現存した社会主義」が抽象的図式通りの純粋形の存在ではなく、大なり小なりハイブリッドな存在であり、各種の矛盾をかかえながらも、それを何とかやりくりして生き延びる存在だったからである(1)。もちろん、それは最終的には行き詰まったが、そのような結末が最初から決定づけられていたということはできない。そのような安直な理解では、その歴史を「他山の石」とすることはできない。
 もう一つ重要なのは、ソ連最末期――ペレストロイカの中でも後半の局面――において、ゴルバチョフおよび彼を取り巻く人々は事実上、西欧的な社会民主主義への転身を試みていたという事実である(2)。これはあまり知られていない事実だが――その一つの理由は、彼ら自身、当時の政治情勢の中でそれをあまり大っぴらにすることができなかったことである――、今日の「社会主義」再評価論者にとって見過ごすことのできない問題を提起している。というのも、今日ある種の「社会主義」に期待を託す人は、「ソ連流の共産主義」と「ヨーロッパ的な社会民主主義」とを峻別して、前者は駄目だったが後者にはまだ望みがあると論じることが多いが、実はペレストロイカ後期のゴルバチョフは、前者から後者への移行を試みていたのである。とすれば、その試みの挫折は、「ヨーロッパ的な社会民主主義」に期待を託す人たちにとって決して他人事ではない重みを持っているはずである。この点を抜きにして、「ソ連」と「ヨーロッパ」の峻別論ですべてを片付ける議論は安易と思われてならない。
 
 
(1)この点について詳しくは、塩川伸明『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』勁草書房、一九九九年、より簡略には、『冷戦終焉20年――何が、どのようにして終わったのか』勁草書房、二〇一〇年、第U章を参照。
(2)塩川『冷戦終焉20年』第V章参照。
 
(二〇一一年四月)
 
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