デイヴィッド・レムニック『レーニンの墓――ソ連帝国最後の日々』上・下(白水社、二〇一一年)
 
 
 ソ連最末期の日々(ゴルバチョフとペレストロイカの時代)およびその時期に大量に暴かれたソ連史上の様々な悲劇については、これまでに、諸外国でも日本でも膨大な量の文献が書かれてきた。それらは玉石混淆であり、論争点や未解明点も数多いが、ともかくそれらを注意深く読むなら、ソ連の歴史およびその最後の日々に関する多くの知識を得ることができる。そういう中で、またもう一つ、上・下巻あわせて約八〇〇頁にも及ぶ大著が日本語に訳された。既存の文献によって大量の情報が提供されている以上、そこにもう一つの大著を付け加えることの意義は、これまであまり知られていなかった情報や観点をどの程度提供しているかにかかる。
 そのような関心から本書を読んだ感想を一言で言うなら、大部分が陳腐であり、新味はほとんどない。これはあまりにもあっけない結論で、我ながら気が引けるが、残念ながらそれ以外に言いようがないというのが実際である。
 私は本書の前の方を読んで、あまり大したことない書物だなという印象を懐いたが、それでもどこかに新しい情報や観察があるのではないか――何といっても、著者はソ連末期に現地で取材を続けていたジャーナリストだし、これだけ分厚い著作なら、そのどこかにはそうした要素があるのではないか――と思って、そのような個所を見落とすまいと心がけながら、辛抱強く最後まで通読した。その結果、「これは新しい」と感じたのは、ただ三個所だけである。
 先ず、ゴルバチョフがモスクワ大学に入る前に地方の中等学校にいた頃のガールフレンドを探し出して、少年時代のゴルバチョフについて詳しく聞き出した個所がある(第一〇章)。これは掘り出し物といっていいだろう。もう一つ、一九六二年のノヴォチェルカッスク暴動時に出動を拒否した軍人へのインタヴューがある(第二七章)。これも私にとっては初耳だった。この二つと違って純然たる新情報とは言えないが、それなりに興味深い情報を提供しているのは、レン・カルピンスキーへのインタヴューである(第一一章)。カルピンスキーはペレストロイカ期に活躍したジャーナリストで、私はその名はよく知っていたし、当時彼の書いた文章はかなりたくさん読んでいたが、その経歴を詳しく知ったのは、このインタヴューがはじめてである〔末尾の補注参照〕。彼についての記述は、全体として凡庸な本書の中で最も興味深い個所となっている。
 そうした部分的功績があるとはいえ、以上の三個所を全部あわせても二六頁にしかならない。ということは、全巻の五%にも満たないということである。九五%以上が陳腐であるような分厚い著作を何のためにわざわざ邦訳したのか、理解に苦しむ。
 問題は新味に乏しいという点だけにあるのではない。本書における記述は、全体として、善玉・悪玉的図式による過度に明快な割り切りに貫かれている。やや具体的にいうなら、一貫して「善玉」と描かれているのはサハロフとヤコヴレフであり、それ以外の圧倒的多数の政治家や官僚たちは純然たる「悪玉」と描かれている。ややどっちつかずなのはゴルバチョフとエリツィンで、ゴルバチョフについては、政権初期には一定の肯定的役割を果たしたものの、それも中途半端であり、次第に保守化して、遂には「反動派」=悪玉と一体化したという捉え方である。他方、エリツィンについては、彼個人の個性には若干の問題がありはするものの、善玉たちの運動のシンボルとして、その前進を助けたという位置づけになっている。要するに、全てを白か黒か――せいぜいのところ、「黒に近い灰色」と「白に近い灰色」がこれに付け加わる――で塗りつぶす図式が本書を一貫している。善悪二元論に立脚したこの図式は、当時の政治情勢の中でかなり流行ったものだが、歴史の複雑な襞を無視した安直な理解だといわねばならない。
 いうまでもないが、ソ連の歴史は、数多くの悲劇・矛盾・惨禍・逆説・苦悩等々に満ちている。それは巨万の人々を巻き込んだ荘厳なドラマだった。しかし、著者は、それらを引き起こした要因や背景を深く解明しようとするのではなく、単純にあれこれの人物に対して悪罵や嘲笑を投げかけてことたれりとしている。著者が「悪玉」と見なす人たちの描き方は極度にカリカチュア化されている。本書で彼らに貼られているレッテルは、「三流政治家」、「まぬけ官僚」、「どこまでも汚れていて、一匹の獣」、「太鼓持ち」、「妄想狂の信頼するに足りない愚か者」、「異常にうぬぼれ」、「女たらしで酔っぱらいの愚鈍な党官僚」、「低級喜劇のばかコンビ」等々である。これではまるで、ソ連国民が耐えがたい辛酸をなめたのは、ただ単に、横暴で愚劣で野蛮な人たちが君臨していたからだというような単純な話になってしまう。すべては荘厳な悲劇ではなく、安っぽいドタバタ喜劇――著者自身が「低級喜劇」という言葉を使っているのはいま紹介した通り――になってしまう。
 おそらく、一九九〇年前後のソ連の人々の間には、権力者に対してこうした悪罵を投げつけずにはおれない心情があったのだろうし、それは理解できることである。だが、それを外国のジャーナリストや読者が――それも大分時間が経ってから振り返るときに――そのまま繰り返すのは、歴史を深く理解しようとする態度ではない。
 アメリカのジャーナリストの中には、他国を見下して、そこにおける巨大な悲劇を単なる愚劣さの産物と片づける傾向がときおり見られる。もちろん、一口にアメリカ人といっても千差万別であり、みんながみんなそうしたメンタリティの持ち主であるわけではないが、本書の著者にはそうした傾向が特に顕著である。何とも残念だというほかない。
 
(二〇一一年四月)
 
〔補注〕初稿の時点では見落としていたが、Len Karpinsky, "The Autobiography of a 'Half-Dissident'," in Stephen F. Cohen and Katrina Vanden Heuvel (eds.), Voices of Glasnost: Interviews with Gorbachev's Reformers, New York and London: W. W. Norton, 1989は、本書とほとんど同じ内容を伝えている。また、その後に出たジョレス・A・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ『回想 1925-2010』現代思潮新社、二〇一二年、一七二‐一七五頁も参照。
 
(二〇一三年四月)