高橋和巳『憂鬱なる党派』に関するいくつかの思いつき
 
 
 私は同世代の人間の間ではかなり風変わりなことに、若い時期に高橋和巳をほとんど読まなかった。その理由は、今となっては記憶が定かでない。特に強く「読むまい」と決めたわけではなかったと思う。同世代の多くの人たちが熱中しているらしいことは知っていたので、その人たちからの聞きかじりで何となく分かった気になっていたのかもしれないし、あるいは「この手の文学作品には食傷気味だ」という気分があったのかもしれない。その辺の事情は自分でもはっきりと思い出せないが、とにかく大分年月が経ってから遅ればせにぽつりぽつりと読むようになった。中でも強い印象を残した――といっても、若い時期に比べると大分感受性が鈍磨してきているため、ヒリヒリするような痛覚までは呼び起こされず、どちらかというとやや距離をおいた読み方だが――のは、『憂鬱なる党派』と『邪宗門』の二作品である。後者の方が波乱に富んでいて、多くの読者を獲得したのも宜なるかなと感じさせられたが、歳をとってから読んだせいか「意外に分かりやすいな」という不遜な感想も浮かんだ。とにかく、ここでは『憂鬱なる党派』を素材として四つの角度からの思いつきを書き記してみたい。
 
 
〈歴史の重層性〉
 この小説の基本的な枠組みは、一九五〇年代前半の学生運動の経験を持つ人たちが一九六〇年代初頭に再会し、様々な形で過去を振り返るというものである(1)。言い換えれば、十年弱を隔てた二つの時期の間の対話が主な内容ということになる。五〇年代前半は日本共産党の武装闘争方針とその挫折が主要内容をなし、六〇年代初頭は高度経済成長の進行によって「戦後初期」的様相が消滅しつつある――それでも完全に消えたわけではなく、あちこちに痕跡が残存している――時代という対比があるが、そうした変化の中で登場人物たちの生き方も、考え方もいろいろと変化している。そうした変化が一つの主題となっている。
 その他、主要登場人物たちのうちで相対的に年長である藤堂は戦争末期に予科練に入って特攻隊に志願し、死にそこなって戦後を迎え、病気療養後に大学に入学したという経歴の持ち主なので、彼においては戦時中の経験がもう一つの柱となっている。あわせると、戦時中、五〇年代前半、六〇年代初頭という三つの時期の相互関連と重層性がテーマということになる。
 作品における時間の流れがそのようなものだとして、読者と作品の間の時間関係は、どの時点で、どういう世代の人が読むかによって異なる(2)。たとえば、作品が刊行されてからあまり時間の経っていない一九六〇年代後半ないし七〇年代初頭という時点を想定した場合、五〇年代前半も六〇年代初頭もまだ相対的に近い過去であり、当時の読者にとってある種の生々しさを感じさせたことだろう。もっとも、その読者が若かったなら、一〇年とか二〇年前の出来事はもはや自分自身の経験ではなくなっていただろうが、それでも年長の先輩などからの伝聞を通じてある程度推測可能だったのではないか。そうした相対的な近さ、そしてそれに由来する感情移入の相対的容易さが、その当時における受容のあり方を規定していたものと推定することができる。
 これに対し、私自身は、その当時にはこの作品を読まず、刊行から半世紀も経ってから読んだ。これだけ時間が隔たると、まさしく「隔世の感」をいだかされる。それでも、一九五〇‐六〇年代の日本について、直接の記憶はほとんどないながらも種々の間接的情報を通じてある程度意識してきたという背景があるので、全く別世界のことというほど隔たってはいない。一面で「昔、こういう話を聞いたことがある」というような記憶が蘇ってくると同時に、他面では、その当時と現在(二〇一五年)との隔たりにも印象づけられる。
 では、今日の若い世代がこの作品を読んだなら、どういう感覚をいだくのだろうか。彼らの多くにとっては、一九五〇年代も六〇年代も純然たる歴史であり、よほど特殊な関心をいだいていない限り、実感的に「リアルさ」を感じたり、感情移入したりすることはできないだろう。だが、すぐれた文学作品というものが時代の制約を超え、作者(あるいは描かれている時代)と読者の遠近を超えて、なにがしかの感銘を与えるものだとしたら、それはどういうものだろうか。そういうことについて、若い世代の人の話を聞きたいという気持をそそられる。
 
〈政治〉
 当時における「政治」とは、特に学生運動を念頭におくなら、共産党を一つの中心軸としながら、それと様々な距離関係で測られるという構図があった。こうした構図自体が、今となっては遠い過去のものとなっているが、一九六〇ないし七〇年代頃まではまだ優勢だったと言えるだろう。そうした前提のもと、主要登場人物たちはみな一九五〇年代前半に、京都大学とおぼしき大学で左翼的学生運動に参加していた。もっとも、そこにはいくつかの潮流への分岐があり、それらの対抗、相互罵倒は相当激しいものとなっていた。それでいながら、彼らの間には一種の「仲間」意識もあり、それが一〇年後にも屈折した形で残っていたことが描かれている。
 主要登場人物たちを政治潮流の観点から分類するならば、日本共産党の主流派(五〇年分裂時の用語では「所感派」)に属したのが岡屋敷恒造、村瀬、古志原直也の三人で、このうちの古志原は五〇年代初頭に党内の「査問」で吊るし上げられて、自殺した。他の二人は、その後も共産党に属して活動し続けている。これに対して、党内反主流派(「国際派」)に属したのが古在秀光で、彼は党から除名された後も独自の立場から活動を続けている。それ以外に、共産党と直接関わらない研究会に属し、「シンパ」のような位置にあった西村、青戸、蒔田、特攻帰りとして独行独歩だった藤堂、女性であるが故に補助的な位置におかれながら活動していた日浦朝子といった人々も登場し、彼らはみな、大学を去った後は直接的な意味での政治活動からは手を引いている、というのが大まかな構図となっている。
 後から振り返れば、共産党主流派はその武装闘争方針が悲惨な犠牲を多数出したばかりでなく、独善的方針を周囲に押しつけ、その後も誤りを認めずに党派利害を最優先するなど、その欠点が最もあらわだったように見える。しかし、この小説は、主流派の岡屋敷や村瀬を単純に度しがたい教条主義者として描くのではなく、むしろ彼らの内面を迫力をもって描いている。スターリニズムを支えた献身的党員たちの心理が――実は屈折や動揺を伴っていたという点を含めて――独自の精彩を放っているように感じられる。とはいえ、それは「正しい」政治の実践ということではもちろんなく、むしろ誤った道を歩まざるをえない人たちの心理のリアルな描写ともいうべき様相を呈している。言ってみれば、「不合理なるが故に我信ず(Credo quia absurdum)(3)」という言葉を思い起こさせるところがある。
 これに対し、共産党反主流派は後の新左翼の先駆ということになるが、主流派の独善性や硬直性への批判では鋭いところがあるものの、それに代わる展望を切り開けているわけではない。古在は独自の運動の組織化を目指すが、小説の終わり近くでその行き詰まりが示唆される。
 では、もともと党派から距離をおいていた人たちはどうか。青戸は学者になってアメリカに渡ろうとしており、蒔田はジャーナリストとして活躍しているが、どちらも政治から手を引いているだけでなく、何らかの志を感じさせる存在ではなくなっている(それでも過去を何らかの形で引きずってはいるが、そのことをむしろ断ち切ろうとしているように見える)。学校教師を勤めていた日浦は、親の勧める見合いで結婚しようとしているが、これも一種の過去からの脱走であるように見える。そして藤堂はもともと独行かつ無頼派だったが、会社の金を使い込んで破滅への道を歩む。
 そういう中で、西村は広島の被爆者の記録収集に執念を燃やし、小説の前半部では、ひょっとしたら彼こそが唯一積極的なことを成し遂げるのではないかという予感をいだかせる。特定の政治党派やイデオロギーではなく、現実の被爆者の生き死にに密着することで、なにがしか有意義な仕事に結実する――あるいは、惜しいところで挫折するにしても、その挫折自体に何かの意義がある――のではないかとも感じさせられる。ところが、後半にいたって彼は、自分のそうした営みが自己欺瞞でしかないことを自認し、ひたすらな自己破滅への道を歩んでいく。
 もしこの作品が共産党主流派を批判し、反主流派なり、無党派人道主義なりの方がより積極的な役割を果たせるのだと主張するものであるなら、それは明快な政治的メッセージということになるだろう。しかし、実際にはそうではなく、むしろ多くの人々が堕落と破滅への道を歩む過程を描いた作品という観がある。主要登場人物たちの多くが若くして死んでいくのも、そのことを象徴している。
 一九六〇年代末の全共闘派学生や新左翼活動家たちが高橋和巳をどのように読んでいたのかは、今となっては確かめようもないが、ある種の推測をしてみたくなる誘惑に駆られる。当時の高橋自身が全共闘支持の態度表明をしたという事実はあるにせよ、作品自体は新左翼的な政治主張を正当化するようなものではなく、むしろ非常に暗い展望を描いている以上、これで鼓舞されたとは考えにくい。にもかかわらず、かなりの範囲で熱心に読まれたとしたら、それは何を意味するだろうか。
 当時の左翼運動には、五〇年代とは異なった構図においてではあるが、やはり激しい分裂と対抗があり、互いに傷つけあったり(いわゆる「内ゲバ」)、そのことで精神的に消耗したりするような経験が多数あった。そういう経験を持つ活動家たちにとって、この小説で描かれている人間模様は他人事でなかったのではないかと思われる。結論的なメッセージが暗く破滅的なものであって、明るい展望を鼓舞するものでないことは、ある種の人たちにとっては否定的に受け止められただろうが、そういう人はそもそも読まないか、読んでも感覚的に反撥しただろう。だが、政治運動に没入する人というのは、必ずしも自分の信念を勇気づけてくれる作品だけに魅かれるとは限らない。破滅的な展望の暗さにニヒルな感覚をいだきつつ、それを「実存的投企」のバネにするといった感覚もあったのではないか。その意味で、岡屋敷や村瀬の感覚は――政治潮流の系譜からいえば、共産党主流派に属した彼らは後の新左翼と対極的だが――新左翼活動家の一部にあった感覚と共鳴しあうものだったかもしれない。
 もちろん、これは健全な「政治」ではなく、破壊と暴力への衝動ともいうべきものだが、ある種の「政治」活動には、そうした要素がつきまとうということなのかもしれない。
 
〈知識人論〉
 本書の主要登場人物たちは、むやみやたらと「インテリゲンチャ」という自己規定にこだわっている。インテリは大衆とは隔絶しており、後者に奉仕すべき責務を負っているが、現実にはその責務を果たせそうになく、そのため自己卑下や破滅へ向かっての暗い衝動に駆り立てられるといった情景が各所で描かれている(金もないのに、やたらと酒を飲みまくり、売春婦を買うといった場面も多い)。これは政治潮流の差異を超えて、ほとんどの登場人物に共通している。
 知識人と大衆の乖離、前者の特権性、特権を意識するが故の義務意識(一種の「ノブレス・オブリージュ」感覚)、その義務を果たせないことに由来する罪の意識と自己破滅衝動といったテーマは、一九世紀ロシア文学に特徴的なものであり、「インテリゲンチャ」というロシア語起源の言葉が世界中に外来語として取り入れられたのも、そのことを背景としている。日本でも、戦前から戦後初期まではほぼ同様の状況があったように思われる(漠然たる印象だが、本書のトーンはドストエフスキーに近いのではないかという気がする)。そうした全般的背景を前提するなら、この小説に描かれているような学生群像は、たとえ「普通」とは言えないまでも、それほど突拍子もない特異な存在ではなかったのではないか。そして、ここまで強烈でない「一般学生」も、何ほどか自分たちに近いものとして登場人物を了解することが可能だったのではないか。
 本書の登場人物たちがむやみやたらと長い台詞を吐き、抽象的・観念的な言辞を連ね続けることも、そのことも関係する。恐らくその当時でも、実際にこのような議論を延々と続ける人は稀だったろうが、知識人やその卵たちはこういう議論をするものだという感覚はある程度あり、ここに描かれている情景は、現実そのものではないにしても、一定の誇張を孕みつつもリアルだと受け止められたのではないか。
 しかし、その後、状況は大きく変わった。大学進学率が急速に上昇し、かつて知識人と大衆の間にあった障壁は溶解した。また、専門細分化の進行に伴い、知識人とは人間と社会の根本に関わる哲学的問題を論じるような存在ではなく、与えられた断片的課題を遂行する労働者のような存在と化した。このような現実のもとでは、「知識人と大衆」という問題設定自体がもはや現実離れしたものとなっている(4)。今の若い世代からすると、本書の登場人物たちは、意味のない問題に力みかえって、無用な義務感や罪の意識をもって、ひたすら不毛な空論に耽っていると見えてもおかしくない。それでもこの作品が今でも読まれるとしたら、そこにはどういう意味があるのだろうか。この点についても、若い世代の感想を聞きたい気がする。
 
〈ジェンダー〉
 この小説の主要登場人物の大半は男性である。ある程度以上詳しく描かれる少数の女性も、積極的に行動したり、男性たちと対等に発言したりする存在ではなく、受け身で従属的な位置におかれている。男性たちが彼女たちにそのように接するだけでなく、彼女たちもそのことを当然のように受け入れているかに見える。
 その意味では、この作品はあくまでも伝統的なジェンダー観念を前提としている。だが、ところどころでそうした女性たちも実は意外な主体性を持っているのだということを仄めかすに見える個所がある。そういう個所があることが、この小説の意外な現代性だとまでいったら買いかぶりすぎになるかもしれない。ただとにかく、私は読んでいてそういう個所に特に関心をそそられた。
 五〇年代学生運動の一員だった日浦朝子は、運動の中で、あくまでも補助的な役割を与えられている。あるときはハンスト学生を看護しつつ監視する役割を与えられ、あるときはそれまでの建前とは逆に、ハンスト学生を秘密裡に脱出させる手引きを命じられたりする(5)。彼女は、「女性だからといって、どうしてこういう補助的役割ばかり押しつけられるのか」という抗議の仕方はしない。その意味では、後のフェミニズムは予感されていない。だが、まさに補助的役割をあてがわれるからこそ、そういう役割を担っている自分の気持ちを、男性が理解しないことに時として憤激する。自分が補助的役割ばかり担うこと自体はかまわないけれども、そういう自分が何を感じているのかへの理解の欠如は深い失望感を誘う。そして、七年後にかつての学友たちと再会したときも、はじめのうちは抑制的な言葉しか発しないが、やがて旧友たちの考え方・感じ方の癖を――それぞれの利己性を含めて――辛辣に批評したりする。彼女が見合い結婚に踏み切るのも、一面では逃避だが、他面では、いつまでも不毛な観念談義に耽り続ける旧友たちへの縁切り状ともとれる。
 西村と見合いで結婚した西村千津子は、伝統的な妻としての役割にひたすら忠実であろうとし、夫が突然職を辞したり、原稿出版の伝手を求めて大阪に出かけて、何の連絡もしてこないときにも、とにかく「よき妻」であり続けようと努める。大阪の釜ヶ崎とおぼしい簡易宿泊所(いわゆるドヤ街)で変わり果てた夫を見出したとき、「僕は誠実主義者ではあったけれども、およそ誠実ではなかった」「悪しき観念をもちながら、無力な善人でしかありえない自分が恥ずかしい」等々の言葉を連ねる夫に対して彼女がいだく感想は、彼の観念的反省癖をはるかに超えている。
「可哀そうに、この人は疲れきっている、と千津子は思った。すなおに、迷惑をかけ心配させた妻に頭を下げることもできず、ことさらに偽悪的な言辞を撒きちらし、自分を貶めてみせている。そんな言葉に、文字通りの意味などないことは、既に二児の母である千津子には分かっていた。男は何歳になってもしょせん子供なのだ。温かい夕食や、目醒めたときに枕許に置かれてある新しい下着、ポケットをまさぐっているときに、さっと煙草やマッチを差し出してくれる手がなければ、たちまち不安におののき、酒に身をもちくずしたりする。どんな男でも冷飯ばかり三ヶ月も続けて食わされれば虚無主義者になるものだ」。
 この時点ではなおも西村に帰郷と再起を勧めていた千津子は、やがて本当に愛想を尽かして、彼を捨ててしまう。
 もう一人の重要な女性の登場人物である山内千代は娼婦であり、理屈ばった長い言葉を発したりすることはしない。しかし、ある意味では西村の内面を最もよく理解したのは彼女だったかもしれないと感じさせるところがある。最終的に西村が死んだとき、その後始末をしたのも彼女である。
 このような女性の描き方は、それ自体が、男性である著者の自分勝手な思い込みに基づいた女性像かもしれない。ここにフェミニズム的な発想がないことは確かである。ただ、そういう男性中心的な作品の中であっても、女性が何の主体性ももたないわけでもなければ、独自の観察眼や人生観をもたないわけでもないことが示唆されているのは興味深い点である。
 
(二〇一五年五月初稿、二〇一八年一〇月一部改稿)

(1) 小説における「現在」が厳密にどの時点であるかは特定されていない。書き下ろし単行本としての刊行は一九六五年だが、原型となる作品は一九五九‐六〇年に同人誌に断続的に掲載されたこと、主要登場人物たちが大学を去ってから七年が経ったという記述が出てくることから、およそ一九六〇年前後と考えられる(但し、六〇年安保はこの作品には影を落としていない)。
(2) 出来事・著作・読者の間の時間的距離という問題について、塩川伸明「現代史における時間感覚」(中部大学)『アリーナ』風媒社、第一〇号(二〇一〇年)参照(この論文はあまり広く知られていない雑誌に掲載されたが、塩川伸明ホームページの業績欄の該当個所にpdfをリンクして、全文を読めるようにしてある)。
(3) もとはキリスト教思想史における言葉――出典については論争があるようだが、つまびらかにしない――で、埴谷雄高のアフォリズム集のタイトルにも使われている。
(4) 塩川伸明ホームページ上の小文「「教養」の解体の後に」参照。
(5) なお、高橋和巳は五〇年代の学生運動時にハンストを行なったことがあるらしいから、このハンスト学生は彼自身をモデルにしたのかもしれない。もっとも、女性の手引きで脱出させられる時の心境めいたことは小説ではとりたてて詳しく書かれてはいない。