「記憶の政治」に関わる最近の論文
 
Laure Neumayer, "Advocating for the cause of the "victims of Communism" in the European political space: memory entrepreneurs in instituitional fields," Nationalities Papers, vol. 45, no. 6, 2017.
 
 「記憶の政治」――ここで紹介する論文ではmnemopoliticsという言葉が使われている――をめぐっては、ヨーロッパでも東アジアでも議論が高まっている。日本でも、まさしく『記憶の政治』と銘打った橋本伸也氏の著作(岩波書店、2016)もあるし(この本については私は『歴史学研究』2017年9月号に書評を書いた。また同氏は主題をより広げた国際共同研究の論集を編集していて近刊予定)、より身近な東アジア情勢に関わっては、浅野豊美・小倉紀蔵・西成彦編『対話のために――「帝国の慰安婦」という問いをひらく』(クレイン、2017)という本もある。
 今回読んだNeumayer論文の主題はタイトル中の「共産主義の犠牲者たち」という語に明らかだが、このテーマはこれまでにも多くの論者が扱ってきたもので、それだけとってみれば特に新味があるわけではない。「国民記憶院」とか「浄化法」についても既にいくつもの紹介がある。それに対し、この論文の特徴は、「真実解明」とか「責任追及」とかいった側面よりもむしろ、そうした営為自体が(特にヨーロッパ政治の文脈で)現実政治の一構成要素となっているという側面に注目している点にある。
 副題にあるmemory entrepreneursという言葉は、とりようによってはやや意地悪い響きを帯びているかもしれないが、それはさておき、この問題が欧州議会やその他の機関においてどのような形で取り扱われ、そこにおいてどういう政治が繰り広げられているかという点に注目するというのは新しい観点であるように感じられた。旧共産圏で種々の大量暴力が振るわれ、数多くの犠牲者が出たという事実自体は、いまでは大多数の人の認めるところであり(特にヨーロッパではほとんど異論がないだろう)、あまり論争的でないが、にもかかわらずこれが今日のヨーロッパで現実政治的論争の一環をなすのは、どうしてだろうか。
 この論文から窺える一つの論点は、「共産主義」と「スターリニズム」という概念を同一視するかどうか――直接的な意味で最も大量の犯罪を行なったのは後者だとしても、それは前者全般に当てはまると考えるか――という点である。もっとも、それだけなら、これまでも議論されてきたところだが、問題はそこにとどまらない。この論文で取り上げられている人々――欧州議会の議員たちを中心に、いろんな形のネットワークを構築しているらしい――は、「共産主義者がこれこれの犯罪を行なった」という言い方にとどまらず、「共産主義はそもそも犯罪的な存在だ」という言い方を好んでいるようにみえる。これは、言ってみれば「ある人が犯罪を行なった」と言うか、「その人はそもそも犯罪的な存在なのだ」と言うかの違いになる。後者の言い方は、個々の犯罪行為を特定して断罪したり、刑罰を科すにとどまらず、ある考え方をまるごと犯罪として禁止あるいは抹殺するという発想になるが、そこまで主張するのは共産主義に批判的なヨーロッパの政治家の間でも抵抗が大きい。共産主義全般の犯罪視は更につきつめるなら社会主義全般への非難にも通じるから、欧州議会でかなりの位置を占めている社民勢力はこれに批判的だという。
 関連して、過去における大規模な残虐行為に向きあう姿勢として、真実解明と対話・和解・赦しなどを重視するか、それとも法的責任追及を重視するかという問題もある(対話と和解重視か法的責任追及重視かという問題が近年の東アジアでも深刻になっていることはいうまでもない)。更に、「共産主義の犯罪追及」派は、それをホロコーストと同列視することを要求するが、これはホロコーストを唯一無二の現象としてきた従来の欧州の主流的見解ともイスラエルやユダヤ人組織の見地とも相容れない。こうした事情から、この観点を推し進めようとする潮流はある範囲に限定されており(地域的には中東欧諸国およびバルト三国のみ、党派的には欧州議会内の保守グループのみ)、これを欧州全体の合意にしようとする試みが成功する可能性は低いというのが論文の結論である(著者がどういう人かは分からないが、現在の所属はパリ第1大学、専攻は政治学となっている)。果たしてこの分析がどの程度当たっているかはにわかに判断できないが、ともかく重要な問題の所在を提起しているように見える。
 なお、この潮流が地域的に中東欧諸国およびバルト三国(つまりかつて共産主義の経験をもった諸国)に限られているということを紹介したが、それは中心的推進者のことで、それとは別に、協力者ないし助言者としてはもっと多様な人たちの名が挙がっている。アン・アプルボーム(『グラーグ』などの著者)、ステファヌ・クルトワ(『共産主義黒書』の著者)、アルフレッド・セン(アメリカのリトアニア研究者、2016没)、セルゲイ・コヴァリョフ(ロシアの「メモリアル」代表)、ナタリヤ・レーベヂェヴァ(ロシアの歴史家でカティン問題専門家)等々である。それぞれの人がどの程度深くコミットしているかは不明だが、ここには日本でもわりとよく知られている人たちも含まれており、彼らの役割をどう考えるかも微妙な問題である。
 
(2017年10月9日にフェイスブックに投稿した書き込みにごく僅かな文章上の修正を施した)