真継伸彦『光る声』を読む
 
 
 この小説は一九五六年のハンガリー事件直後の時期の日本の大学を主な舞台として、日本共産党員たちが繰り広げた複雑な人間模様を描いている。元来一九六六年に発表されたこの作品のことを私が知ったのは、刊行後まもない一九六〇年代末のことである。当時、ある先輩は「生々しすぎて、胸が苦しくなる」というような感想を語っていた。それを聞いた私は、おそらく気軽には読めない深刻な本なのだろうと思いつつ、いつかそのうち読まなくてはと感じたような記憶がある。しかし、何となく手が出ないままに時間が経ち、半ば忘れかけているうちに半世紀もの年月が過ぎてしまった。今頃遅ればせに読んでどのくらいの意味があるのかという疑問もあるが、とにかく頭の片隅に引っかかっていたので、たまたま時間的余裕ができたのを契機に、古書(新潮文庫、一九七七年)を買って読んで見た*1。遅すぎるといえば遅すぎるが、長い時間を経る間にどのようなパースペクティヴの変化が生じたのかという問題を考えながら読んだ。その感想は複雑である。
 
     一
 
 この小説が発表された一九六六年はハンガリー事件から十年ほど経った時期だが、「十年」という距離を長いとみるべきか短いとみるべきかは微妙である。「ついこの間のことのような気がする」という受けとめ方もあれば、「ずいぶん昔の話で、現在とはあまりつながらない」という感じ方もあるだろう。「生々しすぎる」という感想を私に洩らした先輩は前者に属し、当時の私もそういう発想の影響下にあった。しかし、後者の観点からは、「もうそんなに生々しくないはずなのに、何を深刻ぶっているのだ」という批評が向けられるかもしれない。
 こういうことを書いたのは、この小説の作者が主題との間にどういう距離感を設定しているのかが見定めたいからである。全七章のうち、はじめの六章は基本的に一九五六年に密着して書かれている――部分的には、過去に遡って戦前・戦中の共産主義運動および「転向」などの問題にも触れている――から、ここまでの部分を読む間は、作者は一九五六年のことを「ついこの間のこと」のように受けとめつつ、それに内在して物語を構築しているように読める。ところが、第七章にいたって、この物語は実は一九六四年に書かれたのだという、一種の種明かしがある。そして、一九六四年の日本は五六年当時とは大きく異なっており、高度経済成長下の日本社会で共産党は衰退しつつあること、その経済成長から取り残された弱者層(主に非組織労働者たち)はちょうどその時期に登場した公明党によって組織されていて、共産党の出る幕はほとんどなくなっていることが描かれている。そのため、第七章を読んでいると、第一‐六章で描かれた一連の出来事は「遠い過去」のような印象が生じ、そこにおける共産党員たちの苦悩は「そもそもこうした悩むをかかえること自体が時代遅れだ」という感想を誘発するような気がしてくる。
 登場人物の大半は颯爽たるヒーローとは縁遠く、迷ったり、悩んだり、苦しんだり、絶望したり、右往左往したりしているが、こうした悩みや迷いは、それに密着した観点からすれば、ヒリヒリするような痛みを伴う深刻な悲劇と捉えられる――冒頭に紹介した先輩の感想はそうした感覚を物語る――のに対し、距離をおいた観点からすれば、時代錯誤な思い込みに取り憑かれた人たちの馬鹿馬鹿しい悲喜劇に過ぎないと見ることもできる。では、この小説の読み方としてどちらが当たっているのだろうか。
 この問題は、共産主義運動という主題の持つ意味の時間的変遷とも関係する。ある時期までの日本の知識人・学生の間では、共産主義運動――といっても、実は単一ではなく、様々な分岐をはらんでいたのだが――の占める位置がかなり大きく、それに関与した人たちの試行錯誤や悩みが文学作品の主題となることもよくあったが、時間とともにその比重は次第に低下した。そうした趨勢的低下のうちのどのあたりに視点をおいて考えるかによって、この主題のアクチュアリティーも異なるだろう。この小説の作者たる真継伸彦(一九三二年生まれ)、新潮文庫版に解説を書いている柴田翔(一九三五年生まれ)、そしてもう一人の例として高橋和巳(一九三一年生まれ)というほぼ同世代の三人を並べるなら、柴田の『されどわれらが日々』、真継の『光る声』、高橋の『憂鬱なる党派』は、どれも革命運動に関与した経験を持つ人々の悲劇もしくは悲喜劇を描いたという点で共通する。もっとも、柴田はその後ドイツ文学研究に専念するようになって、作家活動をあまりしなくなったし、真継はこの作品以外では同種のテーマを取り上げていないようなので、彼らにとってこれは必ずしも最大の関心事というわけではなかったのかもしれない。高橋の場合、力作たる『邪宗門』は、共産党ではなく大本教をモデルとしているが、特異な観念に憑かれた人間集団を主題とするという点では革命運動との共通性があり、このテーマへのこだわりが深いように思える*2。これに比して柴田や真継にとっては、たまたま一つの作品でとりあげただけで、それほどの思い入れはなかったということなのかもしれない。柴田翔は文庫版の解説で「時代錯誤」という言葉を使い、「もはや悲劇ではなく、悲喜劇でしかありえない」と書いているが、文庫版が出た一九七七年には、小説が書かれた六〇年代半ばよりももっとそういう感覚が強まっていただろう。そういう風に考えるなら、この作品を読む上で共産主義運動という主題設定にそれほどこだわる必要はないのかもしれない。だが、とにかくそれが主たる舞台をなしていることでもあり、私が最初に関心をいだいたのもその契機によることから、とりあえずその問題に即して考えることから始め、但しそれだけには尽きない側面があることも見落とさないように注意しながら感想をまとめてみたい。
 ここまでで既に前置きが大分長くなってしまっているが、私が読んだのが元来の発表から半世紀以上を隔てた時期だという事情もあり、その後の変化についても簡単に触れておきたい。一九五六年事件の舞台たるハンガリーについていうなら、ソ連の軍事力によって権力の座につけられたカーダールは、暴力装置の発動によって秩序を回復した後、国民との「和解」に乗り出すという離れ業を演じ、「東欧諸国中で――あくまでも相対的な意味においてではあるが――最もリベラル」という評判を得るに至った。そこにおいては、「敵でない者は味方だ」というスローガンが重視され、五六年事件は単純な「反革命」にはとどまらない「国民的悲劇」でもあるという微妙な評価を受け取るようになった。そして、約三〇年を経た一九八九年初頭には、五六年事件は「スターリン体制に抗議する人民蜂起」だったという新しい評価が優位を占めるようになり、かつて処刑されたナジー元首相の名誉回復が行なわれるに至った。その頃までに高齢化していたカーダールはこのような新しい動きについていくことができず「保守化」しているという風評が広まっていたが、ナジー改葬式とほぼ同時期に死去した。これは同年秋の東欧激動の前夜のことであり、その序曲をなした。このような変動を経た後の今日では、ハンガリー事件を「自由を求める市民の運動」と見なす一方、それを圧殺したソ連当局は悪の権化であり、それを正当化した各国共産党指導部は度しがたい教条主義者だという見方が広く常識化している。そのような見地に立つなら、この作品に描かれている共産党員たちは、馬鹿馬鹿しい時代錯誤の悲喜劇を演じていたに過ぎないということになっておかしくない。
 それだけではない。この小説が書かれ、ある範囲の学生たちに熱心に読まれた一九六〇年代末でも、「新左翼」系学生たちの間では、「ハンガリー革命を圧殺したソ連スターリニスト官僚およびそれに追随する日本共産党=スターリニスト」という図式に立つ理解が広められていた。この図式は「革命」とか「スターリニスト官僚」といった言葉遣いにある種の特殊性がつきまとっているが、その点をさておくなら、今日一般的な「自由を求める市民の運動vsそれを圧殺する強権的国家権力」という図式――一九五六年ハンガリーの事例に限らず、今日にまで至る世界各地の例についてしばしば提起される――と似通ったものと言えなくもない。ハンガリーの民衆運動を「革命」と呼ぶにせよ「自由を求める市民の運動」と呼ぶにせよ、それを支持し、ソ連および各国共産党指導部を批判する見方は、今となっては常識的であり、とりたてて異論を呼び起こすようなものではない。ただ、それが全てなら、話は単純至極であり、人間の深淵に迫ろうとする文学作品としての価値には結びつかないのではないかとの疑問が残る。
 もっとも、共産主義運動よりも広く、何らかの組織に属している人々がその組織の建前や公的目標と自己の内心の間で種々の動揺や迷いをかかえることに伴う悲劇という風に考えるなら、より広い含意を持つことになるかもしれない。一般に組織というものは、外観的には「一枚岩」的な団結に特徴付けられるにしても、実際には様々な亀裂や揺れをかかえていることが多い。組織の構成員は、その表向きの目標を共有し、団結の外観を保持するが、実際には、内部での亀裂や動揺をかかえ、複雑で悲劇的な人間模様を織りなすことが珍しくない。指導部の方針に疑念を持つ人たちが判断に迷って右往左往したり、「仲間」であるはずの人たちの間で傷つけ合ったり、罵り合ったりするといった事態が生じる。そうした揺れや悩みは、その組織から遠くに位置している人にはなかなか窺い知れないものだが、それをリアルに描き出した小説は、その組織のことをあまりよく知らない人にも訴える迫力を帯びることがある。先に言及した高橋和己の場合、『憂鬱なる党派』では(元)共産党員たち、『邪宗門』では大本教を思わせる宗教集団を取り上げて、そこに関与した人々の内面をリアルに描き出している。これらを読む読者は、共産党なり大本教なりに共感すると否とに関わらず、その描写の迫力に感銘を受けるだろう。では、『光る雨』の場合はどうかというと、そうした迫力があるかに見える側面と、あまりそうではないと感じられるところの両面があり、そのことが評価を難しいものとしている。
 
     二
 
 前置きがずいぶん長くなってしまった。とにかく、この小説の主要登場人物たち――大学教師たちが主だが、学生運動活動家たちを含む――は、ハンガリーにおけるソ連軍の振る舞いに憤激しつつも、介入を正当化する日本共産党指導部の方針を簡単には否定しきれないという葛藤をかかえている。最も中心的な位置を占める中川教授およびその弟子たる松本講師の二人の場合、そうした一般論に加えて、個人として深い闇をかかえており、ニヒリスティックな感覚をいだきながら生きているように見える。また、師弟の間には相互に愛憎入り交じった複雑な感情が流れていることが窺える。こうした人間模様が「深刻な悲劇」なのか「時代錯誤的な悲喜劇」なのか、それが問題である。
 全体の中で異例な位置を占める第七章については後回しにして、それまでの部分の特徴について考えることから始めたい。大半の章は三人称で書かれているが、それぞれの章ごとに特定の登場人物にフォーカスして、その人の内面を描くような形で書かれている。第一章では松本、第二章では中川がそれぞれ主人公となるような形で書かれている。第三章はやや焦点が拡散しているが、第四章は再び中川を主人公としており、第五章は高木頼子という女性が松本に宛てた長文の手紙からなっている。そして第六章では中川と松本が対峙する形になっている。このように、中心人物が章ごとに転換し、ところどころで遠い過去にも遡りつつ基本的には一九五六年に照準するという語り方は、なかなか興味深いものと感じられる。
 一九五六年に密着しつつ、ときおりそれ以前にも遡るという書き方は、共産主義運動のおかれた位置の歴史的変遷という問題を考える上で無視できない意味を持つ。先ず、戦前・戦中の日本は強圧的な軍国主義の支配下にあったから、そのような支配への必死の反抗は、多大の困難を伴いつつも――あるいはむしろ多大の困難を伴うからこそ――人々の共感や敬意を誘うものたりえた。共産主義運動というものがある時期まではかなり多くの人々によって尊敬すべきものとみられていたという事実は、今では想像するのも難しいことだが、戦前・戦中期に関する叙述はそのことを改めて思い起こさせる。そして戦後初期には、大多数の日本人が軍国主義に抵抗していなかった中で「獄中一八年」を貫いた共産党の威信が高まり、敗戦直後の経済社会的混乱もあいまって、共産党への支持は一挙に高まった。選挙でもそれなりの票を集めたし、かなり多くの人が共産党に加盟した。しかし、その状況が長く続いたわけではなく、まもなく変化が訪れる。
 一九五〇年代前半の共産党は武装闘争方針をとったが、これは朝鮮戦争進行中という情勢の中で米軍基地の置かれた日本での後方攪乱工作としての意味を持たされていた。しかし、暴力革命成功の可能性があったわけではなく、非合法武装闘争に参加した共産党員たちは無意味な犠牲を払ってから「将棋の駒」のように使い捨てられた。一九五五年の第六回日本共産党全国協議会(六全協)はこの暴力革命論を放棄するという急転回をもたらし、翌年には、ソ連共産党第二〇回大会におけるスターリン批判(一九五六年二月)の報が届いた(フルシチョフ秘密報告はアメリカ国務省により六月に公表された)。こうした推移の中で、共産党の方針はめまぐるしく変わり、その都度、中央の方針に疑念をいだく部分の動揺が生じたばかりか、分裂騒動や、党内での「スパイ」狩り――「査問」という名のリンチを伴う――を引き起こした。そうした中で起きたハンガリーにおける民衆運動に対するソ連軍の血の弾圧(同年一〇‐一一月)は、共産党員および左翼的知識人たちに強烈な衝撃を与えた。多くの党員や同調者たちは、ソ連の軍事介入を正当化する共産党中央の方針に疑念をいだきながらも、正面からそう公言することにはなかなか踏み切れず、混乱と動揺を重ねた。これは遠く隔たった地点からは理解しがたいことと映るだろうが、戦前から戦争直後あたりまでの時期における共産党の威信の高さを想起するなら、当時においてはそれほど不思議なことではなかった。こうした事情が、作品の前半ではかなり詳しく描かれており、これはそれなりのリアリティがあるように感じられる。
 
     三
 
 主要登場人物はただ単に政治方針に関して確信を持てずに混迷するというだけでなく、個人としての弱さと暗さをかかえた人間として描かれている。中川の場合、敗戦までの彼は確固たる共産党員ではなく、動揺をかかえたシンパ(同調者)にとどまっていたが、それでも激しい弾圧に遭い、転向を余儀なくされる。彼の人間的な弱さは、単に官憲の弾圧に耐えきれずに転向したという点にとどまらない。自己崩壊的な感覚にとりつかれた中川は、家族がいるにもかかわらず彼らを放擲して自殺を図るが、それも遂行しきれずに生き残ってしまう。戦後になって共産党に入党した中川は、党の方針の不断の動揺に振り回されるが、それに対しても、なすすべを見出せずにいる。こうして、戦前・戦中と戦後とでは状況がかなり異なるが、中川はいずれにおいても迷い続ける弱い人間という印象を与える。強烈な革命的情熱を持つわけではない彼が戦後に入党したのは、戦時中に「弱虫だったから生き延びられた」ことへの「せめてもの贖罪の気持ち」に由来している(新潮文庫、三七頁)。政治との関わりで弱さを自覚する彼は、身近な人々との関係でも弱さをさらけ出す。重病で死にかけている女性と会ったときも、彼はかけるべき言葉を何も見出すことができず、沈黙するのみである。
 他方、中川の弟子に当たる松本は、戦時中には陸軍士官学校生で、熱烈な天皇賛美者だった。一九四六年初頭に発せられた天皇の「人間宣言」は、一八歳の松本にとって強烈なショックを与える裏切りだった。ところが、それに代えて仕えようとした共産党は、やはり理想を裏切る存在だった。しかし、松本はそのような共産党に不平を言うまいとしている。路線転換に翻弄されるばかりか、「スパイ」の疑惑をかけられてリンチされるという経験さえ持ちながら、党への忠誠を揺るがせようとはしない。ハンガリー事件に関しても、ソ連軍の暴行は許しがたいという認識を持ちながらも、そのソ連を正当化する党中央の方針に異議申し立てをしない。それは単純な弱さというよりは、自分の感情が自然に流露するのを抑え込もうとする性向のあらわれであるように見える。高木頼子が彼の子供をはらんだとき、彼は彼女に妊娠中絶を強要する。このように、自分に対しても他人に対しても冷酷に振る舞うのだが、それは、そうするしかないということを自分に無理矢理言い聞かせているからであるように見える。
 こうして、中川と松本は異なった形においてであるが、それぞれに暗さと弱さをかかえており、また互いに愛憎とも深い関係にある。この関係が第六章にいたって大きな新展開を遂げる。この章では、それまで煮え切らなかった中川教授が思いきって日本共産党指導部にソ連を非難するよう要請する決議案を党細胞会議に提出する。これはそれまでの動揺を振り払い、遂に本来の信念を率直にぶつけたという点で、ヒロイックな描き方になっているように感じられる*3。他の共産党員教授たちも、その率直さに打たれ、すぐには同調できないにしても、やがて次々と脱党していき、ついには細胞自体が崩壊する。この点に着目するなら、それまでは多くの登場人物がそれぞれに悩んだり迷ったり苦しんだりしていたのが、一挙に《動揺を振り捨てたヒーローvsまだ動揺し続けている他の人たち》という、やや明快すぎる図式が立ち現われているように思える。ソ連軍を非難するのは当然至極のことなのに、それをためらっていた党員たちは怯懦だったのであり、最初に怯懦さを振り捨てた中川はヒーロー=善玉だという「善玉・悪玉」図式が前面に立ち現われたように見える。
 しかし、話を複雑にするのは、主要登場人物のうち最大の主人公は中川ではなく松本だという事情である。言葉遊びめくが、ヒロイックに行動する中川は小説の主人公という意味でのヒーローではなく、そのヒロイズムを受け入れない松本の方が主人公=ヒーローとなっている。これは何を意味するのだろうか。この時点での松本は、中川の主張に理があると考えつつも、それを認めることを拒む。その主張は十分な根拠付けを伴っているようには見えないが、とにかく中川的な正論を受け入れまいとする決意のようなものが表出されているかのようである。これをどう受け取るべきかが問題だが、私が読んだ限りではあまりはっきりせず、一つの謎として残る。
 
     四
 
 さて、第七章では時間が数年経ち、一九六四年頃の日本が描かれているが、ここまで来ると共産党の衰退は明白になっており、新興の公明党に脅かされているという時代状況だということは前述した。もっとも、創価学会と公明党が肯定的に捉えられているわけではない。この章の語り手である松本は創価学会の教えは迷信に基づいたものだという否定的評価をいだきながら、しかしそうした迷信に基づく宗教運動が大衆の組織化に成功していて、共産党を凌駕しているのだという苦い認識をもっている。
 第七章が特異なのは、それまでの章との時間の隔たりや社会状況の変化だけではない。この章の冒頭に、「この物語の書き手は、私、松本清次である」とあり、これまでの部分全体が、実は松本によって一九六〇年代半ばに書かれたのだということになっている。これは読んでいてびっくりさせられる話であり、作品の全体的性格を大きく変えるものであるように感じる。
 これまで述べてきたように、第一‐六章を読む間は、この小説は基本的に一九五六年に密着して書かれ、また各章ごとに異なる登場人物の視点から書かれているように見えたのだが、実は、一九六四年時点の松本が五六年時点のあれこれの人物の内面を本人に代わって描きだしたということになる。ということは、過去の様々な人々の苦悩や模索が、その後の経過を見届けた一人の人物によって整序され、裁断されているということになるのではないか。
 そのことを知った上で前の方を振り返ってみると、登場人物たちの認識や主張が、やや割り切れすぎた形で描かれていたのではないかという気がしてくる。第一‐六章を読んでいる間は、当事者たちの迷いや悩みの描写に共感することができたが、第七章を読んでから前の方を再読してみると、実はその迷いや悩みはあまり深く捉えられていなかったのではないかという感想が浮かんでくる。たとえばハンガリーの事態に関する登場人物たちの発言は、何が起きたかの認識に関してあまり迷う必要はないということを前提しているかのようである。遠い外国でつい最近起きたばかりの出来事について、詳しい実態はよく分からなくて当然だし、冷戦渦中の情報戦の中で、相互に矛盾する各種情報が乱れ飛んでいて何が事実なのか判断しあぐねるということがあっておかしくないが、そうした点での迷いはあまり表明されていない。ソ連の軍事介入の不当性については疑問の余地がないが、ただそれを公言するべきか否かでだけ迷っているといった書き方である。また、日本共産党がソ連正当化の方針を押し通すに当たっては、表沙汰にはされないながらも水面下で党内論争があったかもしれず、非公開の論争が下部党員をも巻き込んだかもしれないが、そうしたことについては何も示唆されていない。当時の党員たちがいだいた悩みや困惑はもっと多様な形をとっていたはずなのに、その点がかなり簡略化されているように思われる。それというのも、ここにおける叙述が一九五六年に密着したものではなく「後知恵」に基づく裁断だからではないかという疑念が生じる。
 そういうことを考えていると、最初のうち、深刻な問題に真っ向から取り組んだ深みを持つ文学作品と思えた小説が、実は、むしろ通俗的な面白さを狙った小説ではないかという気もしてくる。そのことが特に強く感じられるのは第七章だが、第六章における中川の言動も、それまでひたすら弱い人間として描かれていた彼が突然勇気を奮い起こしてヒロイックに振る舞うというのは唐突であり、劇画調ではないかという気がしてくる。
 また第七章では、それまでの各章に出てきた多くの登場人物が、かつてとは大きく異なった生き方をしている人物として再登場する(中川の娘の正子は松本と結婚し、かつて松本の恋人だった頼子は、学生活動家だった糸魚川と結婚している。そして、かつて松本を「スパイ」と決めつけて査問の先頭に立った竹中は共産党から公明党に転身している)。十年近い年月を経るなら人はみな変わるから、そのこと自体は不自然ではない。不自然なのは、過去に重要な役割を果たした人たちのほとんどが、様相を新たにして再登場する点にある。単純に消えてしまったり、全く新しい人物が登場するということがなく、主要登場人物はいくら生き方が変わっても同じ顔ぶれということになっている。これは話のつくりすぎであり、演出過剰ではないかという印象を受ける。
 そうした中で、唯一の例外は、一九五六年の直後に死んだ中川である。第七章は松本が亡き恩師と心の中で対話するという形で書かれている。しかし、前注3で触れたように、中川のモデルとなった雪山慶正はこの後も長く生きていた。一九六〇年代の雪山は「反スターリン主義」を掲げ、「新左翼」的な見地に立つ著作活動――トロツキーやその流れをくむ人たちの書物の翻訳を含む――を行なっていた。そのような六〇年代の雪山はこの小説には登場せず、彼をモデルとした中川は、一九五八年に死んだ時点で止まった存在としてだけ描かれている。雪山追悼論集への真継の寄稿(前注3)によれば、真継は雪山とかなり密接な交流を持っていたようなので、その後の雪山の言動についても知っていたはずだが、それを小説に取り込むことを意識的に排除したようである。その理由は分からないとしか言いようがない*4
 やや一面的で、辛すぎる評価を書いてしまったかもしれない。小説の末尾の部分には、それまでとはやや異質であるかに見える叙述がある。書き手の松本は過去を振り返って、自分も中川も「現実の卑小な共産主義運動のなかで、共産主義運動を見失っていたのである」と記し、人間は自発的に自己の受難に耐える存在だという認識に賭けようとする決意のようなものを示している(新潮文庫、二七六‐二七七頁)。ひょっとしたら、これは具体的な政治運動を超えて、一種宗教的な救済――共産党とも公明党とも異なる、「受難に耐える決意」に基礎をおくもの――を目指しているということなのかもしれない(柴田翔の解説はそのように示唆している)。もっとも、この個所はごく短くて、そこに込められた真意を確定するのは至難である。
 
     五
 
 小説の主要登場人物はみな男性ばかりであり、女性たちは一種の「添え物」のように扱われている。とはいえ、ところどころで、それをはみ出すかに見える要素もないではない。多くの女性は初めのうち、それぞれの夫ないし恋人から対等の人間と見なされておらず、単なる性欲の対象としか見られていない。ところが、夫や恋人が自信を失って人格崩壊的な様相を呈すると、女性はどっしりとした存在感を発揮し、パートナーに精神的安定を与えるというような場面があちこちに出てくる。
 頼りない男性を女性が立ち直らせるという図式は、単純な「男尊女卑」とは異なるといえば異なる。しかし、「弱り切った男性を大きく包み込んで救う慈母」という女性像自体、伝統的なステレオタイプの一種ではないか。その意味で、この作品は伝統的なジェンダー観念をはみ出すものとは言えそうにない。
 また、あちこちで男性の側からの性的欲望のかなり露骨な描写があるが、これは男性読者のポルノ的な視線に媚びる描写ではないかという気がする。
 
 読む前の――また、はじめの方を読んだ段階での――期待が大きすぎたせいか、読み終えてからの感想は相当辛いものになってしまった。ともかくも一九五〇‐六〇年代の日本における左翼的知識人たちの人間模様やメンタリティについて考える上で一つの材料とは言えるかもしれない。
 
 
(二〇二一年三‐四月)

*1小さなことだが、初出時には「聲」という旧字が使われていたのに対し、文庫本では「声」という新字体になっている。ここでは、私の読んだ文庫本に倣っておく。
*2高橋和巳については、以前に『憂鬱なる党派』に関するエッセイを書いて、塩川伸明ホームページの「新しいノート」欄に掲載した。
*3この中川教授のモデルは経済学者の雪山慶正だという(彼は専修大学教授をつとめていたので、この小説の舞台も専修大学と想定される)。もっとも、作中の中川はこの出来事の後まもない一九五八年に死去したことになっているが、実在の雪山は一九七四年まで生きていたので、小説と現実がぴったり対応する関係にあるわけではない。雪山に関しては、『悲劇の目撃者――雪山慶正・その人間と時代』(国書刊行会、一九七五年)という本――本人の遺稿と知人たちの寄稿からなる追悼論集――があり、真継も「『光る聲』の背景」という文章を寄せている。
*4再び高橋和己の『憂鬱なる党派』を思い起こすなら、その中には、共産党から離れて「新左翼」的な立場に立とうとする人物も出てくる。もっとも、彼らも新しい展望を切り拓くことができているわけではなく、閉塞をかかえているように見える。真継も似た感覚をいだいていたのかもしれないが、そのことはこの作品からは窺うことができない。