《書評》飯田芳弘『忘却する戦後ヨーロッパ*1
塩川伸明
 
 
「もし戦争を忘れないなら、多くの憎しみが現われる。もし戦争を忘れるなら、新たな戦争が起きる」(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ*2
 
     一
 
 飯田芳弘の近著『忘却する戦後ヨーロッパ』は、内戦とか独裁といった苦痛に満ちた経験を過去にかかえる国々がそうした過去にどのように対処してきたかという問題を「忘却の政治」という観点から政治史的に分析した書物である。対象としては、ドイツ・フランス・イタリアといった西欧諸国(第1章)、スペイン・ギリシャ・ポルトガルといった南欧諸国(第2章)、そして東欧の旧社会主義国(第3章)が取りあげられており、これら各論に先だって長めの序章が置かれている。
 この主題の重要性についてはいうまでもない。《歴史・記憶・忘却等々をめぐる政治》ともいうべき一連の問題群は、ヨーロッパに限らず日本を含め世界各地で熱心に論じられている。しかし、これまでのところ、多くの場合、それらは個別に取りあげられるにとどまっており、総合的な議論は乏しい。複数の事例を比較の視座のもとで論じる試みもある程度始まってはいるものの、まだ十分ではない。そういう中で、ヨーロッパという限定があるとはいえ、かなり多数の国の事例を幅広く取り上げて論じた本書の登場は大いに歓迎される。私自身、そうした問題群にかねてより深い関心を抱いていたので、本書の刊行予告に接したとき、強く惹かれるものを感じた。諸般の事情から刊行後すぐは読むことができず、実際に読むまでに多少の時間がかかったが、とにかく主題の重要性に惹かれてかなり本気で取り組むことになった。以下では、やや批判がましいことを書かせていただくが、それというのも本書の課題設定に重要性を認め、その野心的企図に共感するからこそだということを断わっておきたい。
 先ず、主として序章で論じられている基本的な概念枠組みから考えていこう。本書の課題設定は「忘却の政治」という言葉に象徴されている。「記憶」だけでなく「忘却」にも注目すべきだという観点は大いに頷くことができる。しかし、「忘却」と「記憶」はもともと表裏一体であり、切り離して論じることはできないはずである。とすれば、むしろ「記憶/忘却の政治学」というべきではないかという疑問が浮かぶ*3
 いうまでもないことだが、過去の出来事は無数にあり、それらの全てを同じように記憶するということはありえない。無数の出来事のうちからある事柄が特にとりだされて強く記憶されることと、他の事柄が背後に追いやられる(忘れられる)ことは表裏一体である。である以上、記憶と忘却は二者択一でない。本書でも取りあげられている分かりやすい例として、フランスやイタリアのレジスタンス神話についていうなら、「輝かしい英雄的なレジスタンス」に関わる諸々の事実を強く記憶することと、ファシストへの協力とかレジスタンス陣営の内部対立に関わる事実を忘却することとは表裏一体である。これは「記憶の政治」であり、かつ同時に「忘却の政治」でもある。当然ながら、一方を論じることが他方を軽視することになるというような関係がここにあるわけではない。
 実際、これまで「記憶の政治」ないし類似の表現で何事かが論じられるとき、そこではもっぱら記憶だけが論じられてきたわけではなく、記憶と忘却とがセットにして組み合わされて論じられるのが普通だった。ところが、飯田の問題提起は、あたかも従来は記憶しか論じられてこなかったので自分は忘却を取り上げるのだという趣旨にとれる。この点に先ず引っかかる。
 そもそも本書でいう「忘却」とはどういうことを指しているのだろうか。本書の各所で重視されている代表的な具体例としては恩赦がある。だが、恩赦は本当に忘却なのだろうか。フランスの法的用語としては、恩赦が忘却と結びつけられているらしいが、そうした用例にとらわれることなく実質に即して考えるなら、恩赦とは犯罪の事実を文字通り忘れるのではなく、「犯罪的な行為はあったけれども、それに対する刑事制裁を免じる」ということであるはずである。とすれば、それを無条件で「忘却」と呼ぶのがどこまで適切かには疑問が残る。そもそも、ある人たちに恩赦を与えるかどうかが争点になるということは、恩赦の対象となる出来事が多くの人々によって強く意識(記憶)されているからこそであり、単純な「忘却」ではありえない。それは、「意識(記憶)しながら、敢えて不問に付す」ということのはずである。
 それ以外にも「和解」とか「赦し」とかいった事項が本書ではしばしば取りあげられており、これはこれで重要なテーマである。だが、これらも単純に「忘却」と等置されるべきものではなく、むしろ赦しがたい犯罪とかそれに対する憎悪の念を意識(記憶)しているからこそ、それに過度にとらわれることを避け、敢えてそれを超えようとする態度というべきではないだろうか。なお、「忘却」のもう一つの具体例としてはノスタルジアも考えられるが、これは本書では第3章にしか出てこない。そのため、この小文でもその個所で触れることにするが、ここではこの問題が序章で取り扱われていないのはどうしてかという疑問だけを記しておく。
 次に問題にしたいのは、過去の犯罪的事実を掘り起こそうとする際に厄介なのは、事実関係が錯綜していて、誰が加害者で被害者か、誰にどのような責任があるのかを確定しがたい場合があるということである。この点について、本書には軽い言及があるが(五三頁のA)、あまり立ち入って論じられていない。しかし、これは記憶/忘却の政治を深刻なものとする重要な要因であり、簡単にあしらって済む問題ではないだろう。しかも、事実関係の確定が難しいということと「忘却」とは別の次元の話であるのに、その点が混同されている。
 それだけではない。複雑な事実関係を何とかして究明しようとする場合、それを性急に処罰の問題と結びつけると、かえって解明が難しくなることがある。こういう困難な問題への対応として、いったん処罰の問題と切り離してこそ冷静な歴史的解明が可能になるという考え方もある。そこにおいては、様々な人々がある局面では加害者でありながら、他の局面では被害者でもあり、更に別の局面では傍観者でもある――また、様々な人々がそれぞれに異なった意味での責任を負っている――といった複雑な関係が想定される。そうした解明作業の一例たる「真実和解委員会」が本書では「忘却の政治」の一例とされているが(六二‐六三頁)、「真実」を解明しようという努力が――たとえ、認定された「加害」に対する処罰が免じられるにしても――「忘却」と特徴付けられるのは納得がいかない。
 
    二
 
 本書のもう一つの特徴として、忘却は悪か否かという価値判断の問題がしばしば論じられている点が挙げられる。もっとも、飯田の結論は是か非かと単純に割り切るのではなく、是とも非とも見られる余地があるとしてバランスをとろうとしたものである。それはそれとして押さえておく必要があるが、とにかく本書の基調は価値判断から距離をおいた第三者的考察ではなく、むしろ良いか悪いかの判断を重視するものとなっている。そして、ある個所では、「忘却はあながち悪いとは決められず、むしろ必要とされる面がある」という議論に傾き、ある個所では、「忘却は移行期正義の実現を妨げるもので、よくないことだ」という議論に傾いている。本書の中の具体例でいえば、スペインについては「忘却の政治」の効用に力点がおかれているのに対し、東欧諸国については「忘却」の負の側面が重視されている。
 しかし、考えてみると、前者のような場合でも、「必要とはいっても、純粋の善ではなくて必要悪に過ぎないことを忘れてはいけない」という立論もあるだろうし、後者のような場合でも、「それでも単純に悪とは決めつけられない」という側面があるはずである。そうしたアンビヴァレンスこそが最も大きな問題であるはずなのだが、本書ではそうしたアンビヴァレンスへのきめ細かい配慮があまり感じられない。
 「もし戦争を忘れないなら、多くの憎しみが現われる。もし戦争を忘れるなら、新たな戦争が起きる」という、冒頭に引いたアレクシエーヴィチの言葉は、忘却のもつ二面性を鮮明に示している。ところが、本書の場合、ある個所では前者、他の個所では後者が重視され、同じ事柄に両面があるというディレンマが突き詰められていないように思われてならない。もっとも、本書末尾の「おわりに」では二分法的発想が批判され、「黒と白の間の灰色の領域、さらにその灰色がどのような灰色なのかを吟味する、そうした目線が求められている。それこそが政治や歴史を見る成熟した目線であり、そのような目線をもつことが人間の政治的成熟にほかならない」とあり(二四七‐二四八頁)、これには双手を挙げて賛成することができる。だが、本論の中でこの態度がどこまで貫かれているかといえば疑問符がつく。単純にいってスペインは「白に近い灰色」、東欧諸国は「黒に近い灰色」――その中でもバルカン諸国や旧ソ連諸国は「ほとんど真っ黒」――といった風に単純に裁断されており、より細やかな観察に踏み込もうとする姿勢が感じられない。
 価値判断と関わるもう一つの論点として、「被害者(と自ら感じている人たち)」から見た観点と「加害者(として糾弾される位置にある人たち)」から見た観点の違いという重要問題がある。「被害者(と自ら感じている人たち)」にとっては、被害の事実の忘却は許されざる悪である。他方、「加害者(として糾弾される位置にある人たち)」にとっては、忘却は善(少なくとも必要悪)である。忘却の政治が厄介なのは、このように、どの立場から見るかによって結論が極端なまでに異なるからである。ところが、本書ではこの重要問題への配慮があまり見当たらない。
 「加害者」とされる側と「被害者」とされる側の関係が国際関係になるケースも多く、これは「記憶/忘却の政治」の主要問題をなしている。ところが、本書ではその種のケースがとりあげられていない。和解について論じられた個所で「国内の対立を解消し」と書かれている(五八頁)ことに示されるように、本書で主として論じられているのは一国内の議論である。まれに国際関係が触れられるときにも、それは一国内処理への外国からの圧力という形にとどまっている(六〇頁)。「おわりに」には、「国家と国家の間の歴史問題をめぐる「和解」」への一言だけの言及があるが(二四四頁)、これは本文と有機的につながっておらず、宙に浮いている。
 
    三
 
 以上、序章にこだわって考えてきたが、各論に移る。
 私の専門から遠い第1章と第2章については、両者をまとめて簡単に見ていく。第1章ではドイツ、フランス、イタリアが取り上げられ、第2章ではスペイン、ギリシャ、ポルトガルが取り上げられている。このように多様な国々を対象としてとりあげて、それぞれについて各国語の文献に基づいて叙述するには大きな努力が必要だったろうし、ヨーロッパ政治史という観点からは重要な成果なのだろうと思われる。その点は大きな長所として認めた上で、若干の感想を述べてみたい。
 どちらの章もそれぞれ三ケ国を対象としているが、それら諸国の扱いは均等ではない。第1章ではドイツについては軽く触れるにとどめて、フランスとイタリアを重視している。ドイツについてはこれまでに膨大な議論があることと、著者自身の本来の専門がドイツ政治史であることを思うなら、このような構成は一見意外である。考えようによっては、そうだからこそ、本書では敢えてドイツへの深入りを避け、読者がドイツについて一応の知識をもっていることを前提として他の国に集中するという戦略をとったのかもしれない。それはそれで分からないではない。それにしても、ナチズムという「絶対悪」の経験に戦後ドイツがどのように向かい合ったのか――それは決して単色で塗りつぶされるようなものでもなければ、ある種の合意らしきものができる経過も単線的ではなかったはずである――という問題をもう少し丁寧に解説した上でないと、フランスおよびイタリアの問題状況も十分よくは分からないのではないだろうか。
 第2章では、ギリシャとポルトガルを簡単に論じた後、スペインを最重視する形の論述になっている。スペインの事例は著者が本書の主題に取り組むきっかけとなったものであるだけに、この部分は本書全体の中でも最も充実している。ただ、その上で気になるのは、スペインについての叙述で重視されている視角――「民主化」と「忘却の政治」の不可分性――が他の事例、とりわけ次章で取りあげられる東欧についての視角とどのような関係に立つのかが説明されていない点である*4
 国ごとの扱いにバラツキがあるだけでなく、どの時期を取りあげるかの選択もあまり明快な説明が与えられていない。痛ましい過去にどのように向かい合うかという問題は、その過去がどのくらい近い過去であるか、そしてその直接的経験者たちが社会の中でどういう位置にあるかによって規定されるが、そのいずれもが時間の経過の中で変化をこうむっていく。である以上、どの時期に着目するかによって問題状況が変わるのは当然である。本書もそうした問題にある程度触れてはいるものの、あまり系統的な説明はない。内戦と独裁という過去を問題にする際に、それが直近の過去である時期を取り出すのか、その後の変遷まで取り込むのかというのは重要な選択だが、本書の場合、どの時期を対象とするかに関する明確な説明はない。どちらかというと比較的短い期間を念頭においた記述が多いように感じられるが、ところどころでかなり後の時期まで取り込んでいる場合があったりして、あまり一貫性がないように思われる。
 多数の事例を取りあげている以上、叙述にバラツキのあること自体は無理からぬことではあるだろう。ただ。複数の国を比較の視座で分析しようというのであれば、その取りあげ方という問題について、もう少し丁寧な説明があって然るべきではないかという気がする。
 
     四
 
 東欧諸国*5を取り上げた第3章に入る。
 率直にいって、この章は全体として肌理が粗いといわざるを得ない。第1、2章がフランス語、イタリア語、スペイン語等々の文献を駆使して書かれているのに対し、第3章ではもっぱら英語文献に依拠している。もっとも、一人の研究者が多数の国を取りあげる以上、これは無理からぬことであり、東欧諸国の言語やロシア語の文献を使っていないこと自体はやむを得ない。しかし、実は、このテーマをめぐっては日本語でもかなり多くの研究があり、それらを活用すればもっと本格的な分析ができたはずだが、著者はそれらをほとんど参照していない(巻末注に挙がっている日本語文献はごく僅かな個別論文のみである)。これは非常に残念なことである。
 旧社会主義諸国*6における記憶/忘却の政治に関して、他の事例との比較をも念頭におきながら最も精力的に研究を進めているのは橋本伸也(およびその協力者たち)である。橋本はすぐれた単著の他、幅広い協力者たちを募って国際的共同研究を推し進めている。その成果は英語でも日本語でも多様な形で刊行されている*7。そのうちの最も新しい時期のものは飯田著の原稿が書き上げられた後の刊行だが、これは飯田にとって不幸なことだったというべきかもしれない。手前味噌になるが、私自身もこのテーマにかなり以前から深い関心をいだき、いくつかの機会に種々の文章で私見を述べてきた*8。個別の論点に関するものとしては、ポーランドにおける記憶政治を扱った小森田秋夫の詳細な研究が代表的である*9
 第1、2章についてどの事例をどのように取りあげるかにバラツキがあることを指摘したが、それは第3章では一層甚だしい。第1、2章の場合、三つずつの国を取りあげ、それぞれを個別に論じることで、各国ごとの歴史的文脈がよく分かるような組み立てになっている。ところが、第3章では前二章よりもずっと多くの国を取りあげながら、それらをどのような歴史的文脈に位置づけるかの説明のないまま、ある国について触れたかと思うと別の国に飛ぶというアトランダムな記述になっている。社会主義時代の東欧諸国を大まかに分類する場合、中東欧諸国(ポーランド、ハンガリー、チェコスロヴァキア)とバルカン(ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア)に分けることがよく行なわれるが、本書では、中東欧諸国の事例とバルカンのルーマニアおよび旧ユーゴスラヴィアの事例が、あっちに行ったりこっちに行ったりといった感じで羅列されている。また、ソ連は基本的に対象外とされているにもかかわらず、一九六‐一九八頁でだけ唐突に旧ソ連諸国が取りあげられている。東欧諸国と旧ソ連諸国とは共通の面と区別されるべき面とがあり、それらをどのように整理するかは非常に大きな問題だが*10、そうした問題には一切触れられていない。
 一般論として、様々な国々の間には共通する条件もあれば個々の国ごとに異なる条件もある。一つの研究でそれら諸国をまとめて論じようとする場合の行き方としては、大まかにいって二通りの方向が考えられる。一つは、比較的少ない数の主要条件をとりだして、たとえば二つの条件の組み合わせならX軸とY軸で四つの象限に整理するといった形で形式的に整序するやり方である。こういうスタイルは理論的明快さをもたらしてくれる利点がある反面、それ以外の多くの条件を捨象することで現実離れした議論に陥る可能性がある。もう一つの方向は、多数の条件をかかえる国々をそれぞれの個性に即して歴史的に追い、それらをいくつか並べるというスタイルである。本書の第1、2章は後者のスタイルで書かれており、これはこれで一つの有意味な選択である。では第3章はどうかというと、いま挙げた二つのスタイルのどちらでもない。歴史的個性に沈潜しようとしているわけでないのは明白だが、かといって形式的な整序を重視するわけでもなく、あちこちでアトランダムにいろんな条件に触れている観がある。
 一例だが、旧社会主義諸国の状況を規定する一つの要因として、旧共産党がどういう位置を占めているかという問題がある。本書では、この条件は系統的に論じられてはおらず、あちこちでごく断片的に言及されるにとどまっている(一九八、二〇五、二一〇、二二〇頁など)。より重要なのは、一口に「旧共産党」といっても、そこには大きなヴァラエティがあるのに、その点に踏み込んでいない点である。旧共産党の中には、社会民主主義政党に変身した党もあれば、事実上、民族主義政党と化した党もあり、共産主義の旗に固執する党もある。イデオロギーだけでなく、党組織構造や「体質」のようなものも相当大きな変異がある。また、かつて支配党だった時期の共産党の幹部がその後継政党でどのような位置を占めているかも国によっていろんな差異がある。ところが、このような多様性に分け入る作業の必要性は本書では全く意識されていないように見える。
 もう一つの例として、国家枠組みないし国境線の変動に触れた個所もある。そこでは、「共産主義崩壊後に、以前と同じ国境線を維持した国は少なく(体制崩壊の前後で同じ国境を維持したのは、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニアの五カ国のみである)」と書かれている(一九五頁)。しかし、ソ連を別にするなら東欧の旧社会主義国のうち国境線の変化を経験したのは旧東ドイツ、チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィアの三カ国のみであり、国境線を維持した五カ国よりも少ない。また、ソ連の場合、独立国となった諸国の間の境界線はソ連時代の境界線がそのまま維持された(チェコとスロヴァキアの間の境界も同様)。ユーゴスラヴィアではこの点に関して争いがあり、それが悲惨な内戦の一因となったが、これはむしろ例外である。一般論として、体制転換と国家枠組みの変動は直接連動する関係にはなく、体制は変わっても国家の枠は変わらないという方がむしろ普通である*11
 記憶/忘却の政治について考える上で一つの重要な条件は、そこで問題とされる過去がどのくらいの幅をもち、そこにどのような時間的変遷があるかという点である。東欧諸国の社会主義時代は、第1章でとりあげられた諸国のファシズム時代(および第2章のうちのギリシャ)に比べるなら相対的に長かったという特徴がある(これはソ連に一層強く当てはまる)。そして、期間の長さと関係して、抑圧的性格の強さにも変遷があった点が特に重要である。このことは本書の一九四頁で軽く触れられているが、これはスペインにおけるフランコ体制の変容(一六五頁)と似たところがあるにもかかわらず、そのことは意識されていない(一五一頁末尾に簡単な言及があるが、展開されていない)。
 どの国をどのように論じるかという問題と並んで、記憶/忘却の対象としてどのような時期のことを念頭におくかという問題も大きい。ざっと考えても、社会主義時代、第二次世界大戦前後の時期におけるユダヤ人迫害・虐殺、さらにさかのぼった戦間期の権威主義時代等々、いろんな選択がありうる。この問題を飯田は意識していないわけではなく、第3章第2項はこの問題にあてられている。しかし、その扱いはあまり納得のいくものではない。先ずもって、この項の冒頭に「ある過去を厳粛に記憶する一方で、その過去の重さの前に他の過去の記憶が薄れ、あるいは忘却されるなどということがあるのだろうか」(二一三頁)とあるのに引っかかる。この書評のはじめの方で触れたことだが、どのような国であっても、ある事項を特に強く記憶することと他の事項を軽く見ようとする(忘却しようとする)こととは表裏一体であり、これは旧社会主義諸国に限ったことではない。ところが、本書では先ずルーマニア、次いで旧ユーゴスラヴィアという形で、バルカンの旧社会主義国で特にこの問題が深刻だという形で議論が進められ、この問題のもつ一般性がまるで意識されていない。そして、バルカン諸国では共産主義時代の犯罪を暴く作業があまりなされず、「忘却」にさらされていることが道徳的非難の口吻で語られている。ここでは「忘却の政治」と「記憶の政治」が表裏一体であることが意識されていないだけでなく、スペインについて指摘されたような「忘却の政治」の両義性の問題も触れられていない。
 バルカン諸国に比べ、中東欧諸国では「移行期正義」がある程度の実現を見たという高評価が示されている。その上で、これら諸国においてもファシズムの記憶と共産主義の記憶の競合という問題のあることが指摘され、ハンガリーについて「共産主義を絶対悪とみなすことで、ファシズム体制の戦争犯罪やホロコーストの重大さが相対化(軽減)される傾向が強まった」と書かれている(二三四‐二三五頁)。これは重要な指摘である。しかし、ファシズム陣営の同盟国となったのはハンガリーだけだとしても、それ以外の諸国における戦間期権威主義の問題がここでは抜け落ちている。戦後初期チェコスロヴァキアにおけるドイツ人追放の問題も触れられていない。
 もう一つ重要なのはユダヤ人問題の扱いである。ポーランドをはじめ多くの東欧諸国には「ユダヤ=共産主義」イメージがあり、反ユダヤ主義と反共産主義がしばしば重ね合わせられがちだった。そのため、「共産主義の犯罪」を強く記憶しようとする人たちは反ユダヤの側面を忘却し、反ユダヤ主義の歴史的事実を強く記憶しようとする人たちは「容共的」であるかに受け取られるというねじれた関係がある。しかし、本書は、記憶と忘却――より丁寧にいえば、「ある記憶のあり方」と「ある忘却のあり方」――が表裏一体だという観点をとっていないため、このようなねじれた関係に立ち入ることなく、単純に、ある個所では共産主義時代に関する忘却、別の個所では反ユダヤ主義に関する忘却が論じられるにとどまっている。その上、主要な話題が「ホロコースト否定」論に絞られているため(二三六‐二四一頁)、より広い反ユダヤ主義の問題が軽視される形になっている。
 最も驚かされるのは、「共産主義体制崩壊後、……ポーランドにおける反ユダヤ主義的傾向は後退した」、「「ユダヤ共産主義」を前提にした反共主義=反ユダヤ主義がそれまでの勢いを失い」(二三三、二四〇頁)といった、あまりにも甘い評価が記されていることである。確かに、今日の国際情勢の中で正面からホロコーストを否定したり、反ユダヤを高唱することは、少数の極端な人々を除けば、ほとんど考えられなくなっている。しかし、「法と正義(法と公正)」政権下の現代ポーランドでは、ポーランド人がユダヤ人虐殺に関与した事実を明らかにして「ポーランド民族およびポーランド国家の名誉を汚す」ような発言は取り締まられるべきだとの考えが強まり、二〇一八年初頭の国民記憶院法改正ではその種の発言に刑事罰さえも規定された。さすがにこれはあまりにもひどいとの批判が諸外国から噴出したため、数ヶ月後に撤回されたが、ともかくその種の発言を慎まなければならないという雰囲気は持続している。その一方で、多数のポーランド人はユダヤ人を迫害したのではなくむしろ助けたのだとする言説が強力に広められている。つまり、ユダヤ人迫害に加担したポーランド人がいたという事実は「忘却」を強いられる一方、ユダヤ人を助けたポーランド人がいたという事実は「記憶」するよう推奨される(また、ウクライナ民族主義者によるポーランド人殺害の事実も「記憶」にとどめるよう盛んに宣伝される)という形で、「記憶の政治」と「忘却の政治」が一体的に進行しているのであって、飯田の評価はまるで現実からかけ離れている*12
 「記憶の政治」と「忘却の政治」の独自な絡み合いを示す一つの例としては、いわゆる「ノスタルジア」の問題がある。そこにおいては、過去のうちのある側面(懐かしむべき側面)と忘れてしまいたい側面(悲惨な側面)が、現代の人々の価値意識に照らして振り分けられ、前者が特にクローズアップされる。これは東欧に限らず、どの国にでも見られる現象である。ところが、本書における「ノスタルジア」の扱いは旧共産圏に限られたものとされ、「共産主義体制が帯びた抑圧的性格は限りなく忘却される傾向にある」とか、「なるべく共産主義期の意味を軽視ないし無視するような過去への姿勢」として解説されている(一九一‐一九三頁)。これではまるで東欧の人々はみな度しがたい大馬鹿者であるかのイメージが読者に浮かんでもおかしくない。しかし、たとえば現代日本のテレビ番組で描かれる江戸時代像は、もっぱら麗しい側面ばかりが「記憶」され、厳しい身分差別とか生活の辛さは都合よく「忘却」されている。現代の旧社会主義諸国の人たちが社会主義時代のテレビ・ドラマを見て懐かしさを感じるのはこれと共通したところがある。彼らの多くは抑圧の事実を知らないとか忘れたということではなく(江戸時代よりもずっと近い以上、それは当然である)、覚えてはいるが、それが全てではなく別の面もあったと感じているのである*13。そのことを理解しない限り、これらの国における記憶と忘却について語ることなどできようはずもない。
 やや辛すぎる評価になってしまったかもしれない。元来ドイツをはじめとする西ヨーロッパ諸国を専門とする著者がその視野を広げて東欧諸国まで取り込もうとした意欲は高い評価に値する。それにしても、この章の書き方はおざなりであり、西から眺めた外在的評価という印象を免れない。これは一種のオリエンタリズムではないかという気さえしてくる。折角の野心的な試みであるだけに、残念なことである。
 
(二〇一八年一一月)

*1飯田芳弘『忘却する戦後ヨーロッパ――内戦と独裁の過去を前に』東京大学出版会、二〇一八年。
*2Светлана Алексиевич. У войны -- не женское лицо. //Октябрь, 1984, 2, с. 25.これは『戦争は女の顔をしていない』の序文の一節だが、邦訳の底本となった単行本では別の序文に差し替えられているため、同書にはこの言葉は出てこない。邦訳書にないこの一節に注意を引いてくださった沼野充義氏に感謝する。
*3まさしくそのように銘打った著作も現に存在している。石田雄『記憶と忘却の政治学――同化政策・戦争責任・集合的記憶』(明石書店、二〇〇〇年)。おそらく飯田の観点は石田のそれとは異なるだろうが、とにかく代表的な先駆的業績であり、これを批判対象としてさえ取りあげていないのは解せない。
*4東欧諸国について詳しくは後述するが、ここで一つだけ例示するなら、内戦を「国民的悲劇」と見なし、「忌まわしい過去にはふれないという姿勢の共有」が市民社会レヴェルで広まったというスペインに関する指摘(一六四‐一六五頁)は、一九五六年のハンガリー事件という「国民的悲劇」を経験したハンガリーのカーダール時代を思い起こさせるところがある。こうした共通性を意識していたなら、本書の分析は一段と深みを増しただろう。
*5著者は本書全体を通じて「東欧」という言葉を避けて、「旧東欧」という言葉遣いを一貫してとっている。その理由の説明はないが、おそらく「東欧」という地域の括りは社会主義時代に限定された人為的概念であり、今ではそうした括りは存在しない――だからこそ「旧」と呼ぶ――という発想に基づくものと思われる。この発想にはそれなりに一理あり、現地の人たちの間にも、「自分たちはヨーロッパの一部であり、東欧などではない」と自己主張する傾向がある。それはそれとして尊重に値する考えだが、それだけが全てと考えると行き過ぎになる。そもそも一般に地域の括りというものはどれをとっても絶対的ではなく、その外と連続する面もあれば、内部に異質性をかかえる面もある。どのような括りが相対的優位を占めるかも時代による変遷があるし、同じ時期でも複数の括り方がそれぞれに有意味性をもつことがある。「東欧」という概念が最も頻繁に使われたのが社会主義時代だということは明らかだが、それ以前に「東欧」概念が全く無かったわけではないし、社会主義からの体制転換後も、ある種の緩やかな括りとしてこの概念がなにがしかの有効性をもつ面が皆無になったわけではない(本書がこの章で取りあげる諸国を一まとめにして扱っていること自体、そのあらわれである)。私自身は「東欧」という括りに固執するつもりはないし、「中東欧」「バルカン」「EU/NATO新規加盟諸国」その他多様な用語法がありうると考えるが、ここで主に論じられているのが社会主義時代およびその記憶/忘却であることにかんがみ、ここでは「旧」を付けない「東欧」の語を使っておく。
*6「社会主義」「共産主義」および関連する様々な用語についてはこれまでに膨大な議論があったが、今となってはそれにこだわる必要性は低くなっている。とりあえず本稿では、飯田の議論を紹介する文脈では、著者の用語法に従い「共産主義」、それ以外の多くの個所では当時の当事者たちの自己意識を尊重して「社会主義」としておくが、実質において特段の差を主張する意図はない。この問題については、とりあえず塩川伸明『冷戦終焉20年――何が、どのようにして終わったのか』勁草書房、二〇一〇年、二〇頁のコラム@を参照。
*7主だった日本語文献のみを掲げる。橋本伸也『記憶の政治――ヨーロッパの歴史認識紛争』岩波書店、二〇一六年、橋本編『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題――ナチズムと社会主義の過去をめぐる葛藤』ミネルヴァ書房、二〇一七年、橋本編『紛争化させられる過去――アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化』岩波書店、二〇一八年。最初に掲げた単著については私の書評がある。『歴史学研究』二〇一七年九月号。
*8最も早くは、塩川伸明『《20世紀史》を考える』勁草書房、二〇〇四年。これを踏まえて、塩川『民族とネイション――ナショナリズムという難問』岩波新書、二〇〇八年および『民族浄化・人道的介入・新しい冷戦――冷戦後の国際政治』有志舎 、二〇一一年でもある程度この問題に触れた。前注の橋本論集『紛争化させられる過去』には、終章「歴史・記憶紛争の歴史化のために――東アジアとヨーロッパ」を寄稿した。その他、ホームページ上に公開した文章として、桑原草子『シュタージ(旧東独秘密警察)の犯罪』(中央公論社、一九九三年)に関する読書ノート、「「記憶の政治」に関わる最近の論文」、「ワイダとカティン――覚書」がある(第一のものは塩川ホームページの「読書ノート」欄、それ以外は「新しいノート」欄)。
*9小森田秋夫「ポーランドにおける『過去の清算』の一断面」『早稲田法学』第八七巻第二号(二〇一二年)。公刊物とは別に、伊東孝之も小森田もフェイスブック上で関連情報を精力的に紹介している。
*10旧社会主義諸国全般に共通する要素と各国ごとの独自性・多様性を規定する要素の整理については、塩川伸明『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』勁草書房、一九九九年で詳しく論じた。
*11塩川『現存した社会主義』五七四‐五七八頁参照。なお、国境が変わった国と変わらなかった国の数え方は、国家枠組み変動以前の国家に着目するか変動後に着目するかで異なる。変動以前を基準にとるなら、変わったのはソ連および東欧の三カ国あわせて四つだけだが、消滅した東ドイツは別として、分解した連邦国家は多数の国家を生みだした(チェコスロヴァキアは二つ、ユーゴスラヴィアはコソヴォを含めないなら六つ、含めるなら七つ、そしてソ連は一五の他に未承認国家四つ)。つまり、少数の事例(国家)から多数の事例(国家)が生まれたことになる。おそらく飯田は後者の数え方によっていると思われるが、そのことを断わっていないのは問題である。
*12二〇一八年一一月一七‐一八日に名古屋外国語大学で開かれた国際シンポジウム「ポーランドと日本における第二次世界大戦の記憶――ホロコーストと原爆を起点とする比較的アプローチ」に出席したポーランド人研究者たちは、本国のこのような状況を克明に伝えた。なお、この問題に関しては、伊東孝之がフェイスブック上で精力的に発信している。
*13この問題については、とりあえず塩川伸明・池田嘉郎編『東大塾 社会人のための現代ロシア講義』東京大学出版会、二〇一六年、三二‐三三頁参照。