ウクライナの政治学者によるウクライナ政治の分析:セルヒー・クデリアの場合
 
 
はじめに
 
 一年ほど前に、「ウクライナの社会学者による現代ウクライナ政治の分析」という文章を書いて、フェイスブックおよびホームページ上に公開した*1。上記の拙文ではヴォロディームィル・イシチェンコという社会学者のロング・インタヴューを紹介したが、その後、このイシチェンコは多数の興味深い論文を書いていることに気づき、それらを読むことで彼の考えは大分よく分かってきた*2。これ以外にもウクライナの研究者がどういう仕事をしているのかが気になり、あれこれ探しているうちに、セルヒー・クデリアという政治学者の仕事が目にとまった。どういう人か詳しくは分からないが、表面的な履歴によればウクライナとアメリカで主たる知的トレーニングを積んできた人で*3、決して「親露派」ではないと考えられるが、その議論の内容は、われわれが普段「西側およびウクライナの声」として知っている政治評論や報道とは一味異なるところがある。先に取り上げたイシチェンコの場合もそうだが、研究者の世界では、欧米でもウクライナでも、政治評論やジャーナリズムの主流とは大なり小なり異なった視角に立つ議論――だからといって、「ロシア寄り」ということではもちろんない――が出されているということのようだ。
 クデリアはかなり多くの論文を書いており、私が読んだ限りでも多数の注目すべき論点を出しているが、ここでは第1にマイダン革命における暴力の役割、第2にドンバス戦争の起源とりわけ地域アイデンティティーの問題という2点に絞って紹介を試みたい。
 
1 マイダン革命における暴力の役割*4
 
 従来、一般論として暴力は非生産的だと見なされる傾向が強かった。2013-14年のいわゆる「ユーロマイダン革命」の例についていえば、多くの論者は政府側の暴力に焦点を当て、反政府運動側の暴力は周辺的なものに過ぎないと見なしてきた。マイダンの勝利は非暴力戦術によるのだと論じる人もいる。これに対し、筆者(クデリア)はマイダンの勝利における暴力の役割は決定的なものだったと考える。社会運動の一般論が暴力戦術に否定的なのは、@この戦術は支持者たちを離反させる、A当局からの激しい対応を招き寄せる、B国際的支持を得られない、といった理由による。にもかかわらず、実際には暴力戦術がとられることがよくある。サッカーのサポーターとか、アナキスト、スキンヘッドなどにとっては暴力は自己表現の形態だが、それ以外の理由もありうる。運動の諸潮流の間でのライヴァル関係から急進化を競う傾向はその一例である。そこで、合理的選択論によって暴力戦術採用のコストの高低を考えてみるなら、ときとして運動側にとって暴力のコストが低くなり、体制側にとって大量弾圧のコストが高くなる場合がある。
 ウクライナの例に即していうなら、暴力行為の経験を持つ極右運動があらかじめ存在したため、はじめて暴力戦術をとる場合よりも初期コストが低かった。具体的にいうなら、「右派セクター」の正式発足は2013年11月だが、そこに合流する諸派は1990年代から活動していて、集権的組織と秘密指令をもっていた。そして、最初のうち平和的戦術をとっていたマイダン運動がなかなか成果をあげられないことから、反政府運動の中で野党指導者への不信が生まれていた。こうした状況では、通常の理論で想定される暴力の不利性が現われなかった。先の諸要因と対比していえば、@極右の暴力戦術は大衆を離反させなかった。A政権側の結束が弱まり、警察がより獰猛になることはなかった。B国際的支持は弱まらなかった。
 現実の経過に即していうなら、2014年1月19日に「右派セクター」が暴力に訴えたとき、それまで非暴力的だった運動参加者たちもそれに巻き込まれた。「平和主義者」を自認していた人たちも、暴力は避けられないと考えるようになった。他方、軍の司令官たちは、もし戒厳令を導入するなら大量殺戮が起きるだろうと考えて、ヤヌコヴィチの戒厳令提案に反対した。最初のうち暴力を非難していた野党指導者たちは暴力戦術に理解を示すようになり、奨励さえするようになった。
 2月18日に野党指導者は「平和的行進」を呼びかけたが、参加者たちは、これは平和的行進ではないということを理解していた。「右派セクター」はすべての銃所有者にマイダン広場に集まるよう呼びかけた。通常であればこうした暴力的戦術は弾圧の強化を招くが、弾圧にもコストがある。運動参加者が多いということは、弾圧すれば大量流血になることを意味するが、これは体制にとって高いコストとなる。19日朝には、どちらが優位か分からない状態だった。警察がマイダン派の集会を解散させなかった理由は不明だが、多くの人々がマイダン広場に残っていたことが警察を躊躇わせたものとみられる。治安警察(ベルクート)司令官も責任をとることを恐れて、相矛盾する指令を出した。こうした中で大統領も譲歩に傾き、ヤヌコヴィチは野党指導者との会談で、早期退陣や憲法問題を含め、ほとんどすべての要求に応じた。それでも合意に満足しない急進派は実力で政府庁舎を占拠した。このように見るならば、暴力戦術は現に有効だった。
 但し、いくつかの留保をつけておく必要がある。多数の命が失われたことはいうまでもない。抗議運動が社会の大部分の支持を得ていないなら、暴力行使はその成功から正統性を剥奪するが、そのことは革命後の社会における共通の土俵を見出すことを困難にする。反政府的暴力の持続は国家を内外の挑戦に脆弱なものとする。革命的暴力は、各種の暴力手段を「ありふれたもの」とすることで、革命後の無秩序を促進する。
 以上がクデリア論文の要約だが、簡単な感想を付け加えておきたい。この論文は合理的選択理論に依拠したドライな理論的分析と、現地の具体的実情に関するリアルで詳しい知識を結合する形で書かれている。どちらについても疑問を出す余地が皆無ではないだろうが、とにかく興味深い議論である。
 一つの論点は極右と一般市民の関係にある。事情に通じていない外部の観察者の多くは、極右というのは厭うべき存在なので、彼らと一般市民は峻別されると考えがちである。そして、暴力を振るったのは主として権力側であり、少数の極右を除く反政府運動は非暴力的だったはずだと考える傾向がある(人によっては、ジーン・シャープの非暴力闘争論の発現を見ようとしたりする)。確かにウクライナでも、マイダン運動の初期においては、議会内野党の指導者たちは暴力戦術は権力の思うつぼなので、それを避けるようにと呼びかけていた。しかし、事態が煮詰まっていく中で、次第に大衆と極右の接近が進んだ。そのことを示す一例として、邦訳のあるマーシ・ショア『ウクライナの夜』(慶應義塾大学出版会、2022年)は市民運動への熱い共感をほとばしらせた著作で、極右と市民運動のイデオロギーの違いを力説しているが、実は両者の間に連帯ないし共闘関係があったことをところどころで示唆している(もっとも、暴力はもっぱら権力側から仕掛けられ、大衆はそれに対して防衛闘争を戦ったいう観点に立っており、クデリアの指摘する極右の積極的暴力戦術を重視してはいないが)。
 それだけではない。他の研究者の著作にも、暴力はよかれあしかれ結果的に見れば実効的だったという指摘を見いだすことができる(別の機会に紹介したアレルとドリスコルの共著*5もそうだし、前述のイシチェンコもクデリアと微妙な差をもちつつ大まかにいえば類似した観点を出している)。但し、これもクデリア自身が指摘していることだが、暴力が現に実効的だったということは手放しで賛美できることではなく、暴力闘争の勝利は重大な後遺症を残す。一つには、反対勢力側の怨みと憎悪を根深いものとし、社会の分断をもたらす。もう一つには、暴力的闘争形態を「ありふれたもの」だとする感覚が広がることで、その後に長く暴力闘争が続くことになりやすい。こういうわけで、手放しの暴力肯定論をとることはできないが、暴力戦術がときとして実効的であること、そしてそのイニシャチヴをとったのが極右である場合、他の人たちは極右イデオロギーとは距離を置きながらも、事態の推移の中でそれに接近することがありうるという指摘は深刻なものを含む。
 
2 ドンバス戦争の起源
 
 このテーマについてクデリアは多数の論文を書き、多面的な議論を添加しているが*6、ここでは私の読み取った範囲で重要と思われる部分を中心に要約的紹介を試みる。
 西側の政策サークルや主流的マスメディアでは、ドンバス紛争はもっぱらロシアからの侵略として描かれており、現地における根源が見失われている。しかし、国内事情にも注目すべき多くの要因がある。2014年2月下旬の政変に先だって、西部諸州がヤヌコヴィチ政権のコントロールを離れ、政府の領土掌握力が失われていたこと、権力側と反対側の双方からの暴力が増大していたこと、それまで政権党だった地域党が一挙に瓦解したこと、等々である。
 2014年1−2月の時期にウクライナの西部および中部の多くの都市で、国家行政機構の占拠、任命知事の追放、「人民評議会」の登場、正規の警察にとって代わる「自衛団」の登場といった事態が生じていた。こうした大衆による国家的権威の否定はデモンストレーション効果をもち、ドンバスに模倣された。つまり、マイダン運動の勝利は反マイダン派による大衆的抵抗戦術を正統化した。ドンバスの反乱はロシア・メディアの宣伝に刺激された面もあるが、東部・南部諸州の間での反応の違い――ハルキウ、ドニプロペトロウシク、ヘルソンなどでは大半がキーウ側に着いたのに対して、ドンバスでは対キーウ反乱が起きた――ことを想起するなら、やはり外部(ロシア)からの働きかけだけでなく、地域内の事情に迫る必要がある。
 マイダン革命後の新しいウクライナ政権は、東南部とりわけドンバスでは正統性を欠くものと見なされた。キーウ国際社会学研究所の世論調査によれば、2014年4月8-16日の時点で、「マイダン革命は西側の支援を受けた武装クーデタだった」という考えを支持する者はドネツィク州で70%、ルハンシク州で61%、他の東南部諸州では37%だった〔単純にいうならドンバス2州では大多数、他の東南部諸州では無視できない少数派ということになる〕。また、6-7月に行なわれたドンバスでの調査によれば、大多数の回答者が軍事衝突の主たる責任は急進ナショナリスト集団にあると答えた。
 もともとドンバスには、自分たちがウクライナ全体を養っているという感覚があり、モスクワであれキーウであれ、首都による支配へのローカルな抵抗感情があった。ウクライナの連邦国家化およびロシア語の第2国家語化という要求は1990年代から一貫して掲げられており、1994年3月にドンバスで行なわれた住民投票ではこれらの要求が多数の支持を得た。1994年のある調査によれば、もし1991年末の独立レファレンダムが繰り返されたなら今度は反対投票するという回答がドンバスでは63%にのぼった。もっとも、地域自治要求は分離主義を意味するわけではなく、分離主義を掲げる「ドネツク共和国」運動(オレンジ革命に反撥して2005年に登場)はマージナルな存在にとどまっていた。分離主義への賛成は2012年には8%に過ぎなかったが、2014年3月には31%へと急上昇した。
 このようなドンバスの人々のアイデンティティーを理解するために、クデリアは協力者とともに2015年5-6月にドンバスの8市で社会意識に関する調査を行なった(これら8市は2014年4-7月には叛徒側の統治下にあったが、調査時までにキーウ政府の統治下に戻っていた)。アイデンティティにはいろいろな種類があるが、ドンバスでは地域的アイデンティティー(特定の地域の人間だという意識)が強いということは従来の多くの研究で確認されてきた。これは使用言語とは別の問題であり、ドンバスという地域を共有する限りでロシア語話者とウクライナ語話者の間の差は小さい。
 このときの調査結果によれば、回答者中、地域(州あるいは市)へのアイデンティティーを表明する者52%、ウクライナ市民としてのアイデンティティー39%、ロシア人4%、ソヴェトへの帰属5%だった。つまり、「ロシア」とか「ソヴェト」というアイデンティティを選択する人はごく少なく、あまり問題にならないが、「ドンバス地域」か「ウクライナ市民」かが大きな分岐であり、前者が相対多数だったということになる。
 このような帰属意識の差異は、叛徒の主たる動機は何だと思うかという問いへの回答にも影響する。ウクライナ市民アイデンティティーを持つ人は「金のため」と考える比率が高いのに対し、地域アイデンティティーを持つ人はドンバス自治を守るためとかウクライナ・ナショナリズムに歯止めをかけるためといった理念を挙げる傾向がある。叛徒の存在にどの位脅威を感じたか――全然感じなかった、叛徒による迫害・暴行の脅威を感じた、ウクライナ軍からの軍事攻撃の脅威を感じた――も、やはりアイデンティティーと相関する。
 もっとも、地域的アイデンティティーはナショナルな(全国的な)アイデンティティーと共存しうるものであり、実際、かつては二つのアイデンティティーはしばしば共存(重合)してきた。しかし、マイダン革命以降、両者の区別が明確化し、相互排斥的になってきた。そして、地域的アイデンティティーの持ち主は蜂起に理解を示し、それを支える傾向がある。逆に、地域的アイデンティティーよりもウクライナ市民というアイデンティティーを持つ人は蜂起に同感を示さない傾向がある。
 このように論じるクデリアは、政策インプリケーションについても触れている。ドンバス紛争はロシアを単一の犯人としたのでは説明できない。反乱者たちの背後にある深い原因を放置して彼らを力で抑圧しても、解決には至らない。マイダン後のウクライナの政策は教育や言語の領域でウクライナの均質化を目指し、少数派に理解を示さない傾向があるが、将来ドンバスを再統合するときには異なったアイデンティティーの存在を考慮する必要がある、というのである。
 紹介が長くなったが、簡単な感想を述べておきたい。上記の議論に見られるように、クデリアはわれわれがよく目にするウクライナ・ナショナリズムの主流派の観点からは距離を置いている*7。とはいえ、もともとリヴィウ出身であり、その後の経歴も主にアメリカやキーウで過ごしていることからして、ロシアやウクライナ東部への心情的共感が強いとは思えない。ある意味では、西部出身者だからこそ、ナショナリズムの行き過ぎへの自制心が作用するのではないだろうか。それがどこまで適切かは争われうるが、とにかく自分が西部出身のウクライナ人だからこそ、敢えて一石を投じようとする問題提起という性格があるのではないかと思われる。
 もう一点、今回取り上げた論文はどれも2022年の戦争が始まる以前のものだという点も留意しておく必要がある。そうした時期に書かれているため、紛争のこれ以上のエスカレートを食い止めようという動機が背後にあるように感じられる。ロシア語系住民敵視を戒めようとする姿勢はそうした状況の産物なのだろうが、今となってはこれは空しい期待だったということになるのかもしれない。
 
(2023年5月2日にフェイスブックに投稿した文章に小規模な改訂を施した)。
 
〔追記〕。この文章を最初にアップロードした後、橋本伸也氏からクデリアの新しい論文を教えていただいた。Serhiy Kudelia, "Putin's Occupation Options for Ukraine: Keep or Trade?," PONARS Eurasia Policy Memo, No. 763, April 2022.昨年の開戦を受けて急遽書かれた文章である。それほど長くない論文だが、いくつかの注目すべき論点が提示されている。特に眼を引くのは「2022年は2014年ではない」という観点である。2014年のドンバスでは、分離主義者およびロシアの隠密エイジェントによるいくつかの都市の奪取に対してほとんど抵抗がなかった。「ロシア語系住民の利害の正当な保護」という名目を受け入れる人も多かった。これに対して2022年には、ロシアの狙いはウクライナの完全な破壊だという理解が広く行き渡っており、武装抵抗に参加する用意があるとする者の比率も高い。非武装抵抗論よりも武装抵抗論の方が多くの賛成を集めており、それはウクライナ西部・中部だけでなく、南部・東部でも多数を占めていることが世論調査データから示されている。
2022年のウクライナの世論がこういう風だということは、この間、多くの報道で伝えられていることと合致しており、読者を驚かせない。むしろ2014年にはそうでなかったという指摘の方が新鮮な印象を与えるのではないだろうか。拙稿「2014年と2022年」『ユーラシア研究』第67号(2023年3月)でもこれと類似の観点を出したが、ロシアはかつてはまだしも保持していたなけなしの支持をこのたびの開戦ですっかり失ってしまったということになりそうである。
(この追記は2023年5月11日。私の気づいていなかった情報を教示してくださった橋本伸也氏に謝意を表する)。

*1http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/notes2013-/Ishchenko.pdf そこで紹介したのは、Interview with Volodymyr Ishchenko, "Towards the Abyss," New Left Review, No. 133/134, 2022.
*2Interview with Volodymyr Ishchenko, "Ukraine's Fractures," New Left Review, No. 87, 2014; Volodymyr Ishchenko, "Ukraine has ignored the far right for too long - it must wake up to the danger," Guardian, 13 November 2014; id., "Far right participation in the Ukrainian Maidan protests: an attempt of systematic estimation," European Politics and Society, vol. 17, no. 4, 2016; id., "The unique extra-parliamentary power of Ukrainian radical nationalists is a threat to the political regime and minorities," The Foreign Policy Centre, July 2018; id., "Insufficiently diverse: The problem of nonviolent leverage and radicalization of Ukraine's Maidan uprising, 2013-2014," Journal of Eurasian Studies, vol. 11, no. 2, 2020; id., "Ukrainian Voices?," New Left Review, No. 138, 2022.
*3リヴィウのフランコ・リヴィウ大学で学士、アメリカのスタンフォード大学で修士、ジョンズ・ホプキンズ大学で博士号を取得し、その後、ヨーロッパのいくつかの大学(キーウ・モヒラ・アカデミーを含む)でポスドクをつとめた後、今はベイラー大学(アメリカ・テキサス州)の政治学部准教授(今年の2月には、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターで開催された国際シンポジウムに参加して、「戦争の試練のもとでのウクライナの政治体制」という報告を行なった)。
*4この点を詳しく論じた彼の論文は、Serhiy Kudelia, "When Numbers Are Not Enough: The Strategic Use of Violence in Ukraine's 2014 Revolution," Comparative Politics, vol. 50, no. 4 (July 2018).
*5Dominique Arel and Jesse Driscoll, Ukraine's Unnamed War: Before the Russian Invasion of 2022, Cambridge University Press, 2023. 本書の紹介は、http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/notes2013-/ArelandDriscoll.pdf
*6網羅的ではないが、私の目にとまったのは、Serhii Kudelia, "Domestic Sources of the Donbas Insurgency," PONARS Eurasia Policy Memo, No. 351, September 2014; id., "Reply to Andreas Umland: The Donbas Insurgency Began At Home," PONARS Eurasia, October 8, 2014; id., "Civil War Settlements and Conflict Resolution in the Donbas," in David R. Marples (ed.), The War in Ukraine's Donbas: Origins, Contexts, and the Future, CEU Press, 2022. 以上はどれも単著論文だが、その他に、Johanna van Zylとの共著論文として、"In My Name: The Impact of Regional Identity on Civilian Attitudes in the Arme Coflict in Donbas," Nationalities Papers, vol. 47, no. 5, 2019.
*7現在のウクライナではドンバス戦争はロシアからの一方的な侵略であり、内戦ではないという考えが強い。そういう観点からするなら、紛争の背景として国内事情を重視するクデリアの議論――といっても、ロシア・ファクターを無視しているわけでは決してないが――は批判にさらされやすいものと思われる。