学術会議問題をめぐる若干の思いつき
 
 
 2020年10月に突如表面化した学術会議会員任命拒否問題については、多くの人々が多面的な議論を出しており、詳しい事情に通じていない私が口を出す余地などないようにも思える。関連する単行本も続々と刊行されているし、ネット上でも種々の議論が提出されている。私の目に触れた範囲内でも、宇山智彦氏がフェイスブック上で丁寧な解説を提供しているし、論争にさらされている「学問の自由」概念に関しては、藤原聖子氏が「学問の自由A」と「学問の自由B」という興味深い議論を提起している(東京大学文学部ホームページの「学問と社会の現在とこれからを考える」欄)。それ以外にも、興味深い議論が膨大に提出されている。そうした中で、一応報道されたにもかかわらず、あまり深められないままに放置されている論点が残っているのではないかという気がする。
 政府の説明および政府を支持する人々の議論は、時によってかなり違った説明をもちだしていて、行き当たりばったりの観もあるが、そうした中で一つ目を引いたのは、2020年11月5日の参議院予算委員会で、菅首相が「以前は学術会議が正式の推薦名簿を提出する前に、様々な意見交換の中で、内閣府の事務局などと学術会議会長との間で一定の調整が行なわれていた」のに、今回はその調整が働かなかったと発言したことである。これはともかくも一応の説明らしく見える。問題は、その「以前は」とはいつを指すのかという点である。報道によれば、これは2017年のことのようだ。もっとさかのぼるなら「事前調整」などなく、いわゆる「形式的任命」としての運用がなされてきたのは政府関係者も認めるところである。そのような「調整」なしでの「形式的任命」はよくないという考え方もあり得るが、そういう運用が学術会議法の公的な解釈として長年確立していたものである以上、それを変えようというのであるならば、国会などの場で詳しい理由付けをもって変更を提案するのが筋であるところ、公的場面での説明なしに政府の思惑で一方的に公的解釈および運用を変えてしまうのは乱暴だということは多くの人の指摘するところである。
 そこまでは既に広く指摘されているところだが、2017年前後の時期の学術会議側の対応はどうだったのだろうか。当時学術会議会長だった大西隆氏の説明によるなら、2016年の欠員補充人事に際して官邸側から名簿に難色が示されたのが、ことの発端だったようである。それをうけて、2017年には本来的な候補105名のほかに6名を加えて111人の候補者名簿が提出されたが、このときは学術会議が優先候補とする105名が任命されたので問題が表面化しなかった。そして2018年の補充人事では官邸が優先候補者に難色を示したために、欠員補充ができなかった。2020年の事態はこのような経緯を受けた後に生じたということらしい。今回の任命拒否が報道された当初は、そうした過去の経緯が明らかでなく、あたかも突然の出来事であるかのように受けとめられ、「どうして政府はこんな唐突なことをしたのだろうか」という疑問が生じたが、実は政府(の一部)にとってこれは唐突な行為ではなく、数年前から安倍首相、菅官房長官、杉田副長官の下で着々として進められてきたことの延長上にあったようである。大西元会長らがこうした経緯を明らかにしたのはごく最近のことであり、それまでは学術会議幹部と官邸の間で水面下のやりとりがあったという事実自体がほとんど知られてこなかったわけである。
 そうした水面下のやりとりの詳細は、まだ明らかではない。菅首相の発言では、「内閣府の事務局などと学術会議会長との間で一定の調整」が行なわれてきたというのだが、大西氏は「調整ではなく説明だった」と述べたとされる。官邸からの要請にそのまま応じたのではなく、精一杯の抵抗を試みたということなのかもしれない。それにしても、それ以前は定数と同じ数の候補しか推薦しなかったのに、2016年の介入の試みをうけて17年も18年も定数を上回る候補者名簿を提出したというのは、それ以前の慣行からは一歩踏み出している。当時の学術会議幹部は情勢の厳しさを意識して、可能なギリギリいっぱいの線を探ったのかもしれないが、とにかく定数以上の候補を出すということは、たとえ優先順位付きにしても、政府に裁量の余地を与えるものという風に官邸側は受け取っただろう。2020年には再び定数と同じ数の推薦に戻ったわけだが、これは学術会議側からすれば本来のあり方に戻ったということだとしても、官邸側から見れば、「いったん認めた裁量の余地を今度は認めないのか。それでは話が違う」と怒ったとしても不思議ではない。
 いずれにしても、こうした経緯は比較的最近まで、ごく少数の関係者以外には一切知られておらず、そのため今回の任命拒否が極めて唐突なものであるかの印象が生じたということになる。もとをただせば、2016年を境に、政府が学術会議法の公的解釈を一方的に変更して「調整」を要求したことが出発点なのだが、学術会議はそのような解釈変更に正面から公然と反対するという道を選ばず、水面下でのやりとりにとどめたことが今回の事態の遠因をつくったのではないか。このように考えるのは、私が内部事情に通じておらず、それが如何に困難なことだったかを知らないためのナイーヴな思いつきなのかもしれない。大西氏らは人知れず苦悩をかかえていたのかもしれず、彼らを安易に批判することはできないのかもしれない。それにしても、今日から振り返ってみるなら、当時の学術会議幹部は、政府からの攻勢を前にして一歩後退してしまい、政府の側に「これでいける」という自信を与えてしまったのではないかと思われてならない。
 もう一つ気になるのは、2018年の欠員補充に際して官邸が難色を示したために任命されなかった候補者は宇野重規氏だったという事実である。2020年の事態が明るみに出た直後に一部でかなり盛んだった観測として、任命拒否の主たる標的は共産党系の法学者たちであり、加藤陽子氏とか宇野重規氏のような非共産党リベラルの人たちが含まれたのは、主要標的以外の人を紛れ込ませることで狙いを不明確にするための「目くらまし」であって、彼らは無関係なことでとばっちりを食らったのだという解釈があった。しかし、宇野氏が2018年も今回も繰り返し拒否されたということは、そうした観測が当たっていなかったことを物語る。実際問題として、ある時期まで学術会議のみならず知識人の世界全般でかなりの影響力を持っていた共産党系の勢力は、ここ数十年の間に漸減し、今ではかつてほど大きなものではなくなっている。それでも政府(の一部)が人事介入にこだわっているのは、非共産党リベラルの人たち(の一部)の存在を「邪魔者」視していることを物語るのではないか。
 大西隆氏にせよ、宇野重規氏にせよ、極めて居心地の悪い状況に置かれたようであり、迂闊なことは言えなくなっているのかもしれない。彼らを一層居心地悪い状況に追い込むのは私の本意ではない。ただ、今回の学術会議問題を歴史的文脈の中で考えるためには、こうした経緯についても記録し、記憶しておくことが必要ではないかと思われてならない。
(付記)。2018年の補充人事拒否に関する東京新聞の特ダネについては、その取材および報道の方法に問題があったのではないかということが取り沙汰されている。私は詳しい事情に通じていないので、その問題に立ち入ることはできない。ただ、取材や報道の仕方に問題があったかどうかとは別に、このニュースの内容自体は事実であろうと思われる。
 
 
(2021年2月4日にフェイスブックに投稿した文章をごく僅かに補訂した)