渡辺治・不破哲三『現代史とスターリン』について
 
 
 渡辺治と不破哲三の対談からなる『現代史とスターリン』という本が数ヶ月前に出た*1。歴史書というよりはむしろ政治的文書であり、敢えて歴史家が読むまでもないという気もしたが、それでもやはりどこかしら気になるところがあり、一応読んでみた。
 言われていることは単純明快である。1930年代半ば以降のソ連の行動は徹頭徹尾スターリン個人の「計画的犯罪」「覇権主義的思惑」「一貫した覇権主義追求路線」「壮大な謀略」として説明され、それは「社会主義とは縁もゆかりもない」ものだとされる。「すべてをスターリンが計算している」「悪知恵の塊」とも言われている。そして戦後の冷戦は《資本主義vs社会主義》という対抗ではなく、《帝国主義vs覇権主義の対抗》だったということになる。
 歴史家の観点から本書を読むなら、これは単純かつ古典的な謀略史観ではないかという感想が先ず浮かぶ。従来のソ連研究の系譜との関連でいえば、かつての正統左翼史観と異なるだけでなく、かつての「新左翼」史観とも異なり、むしろ右派的な全体主義論に近い。これまで正統左翼史観しか知らなかった人の眼には「新しい」と感じられるかもしれないが、それ以外のソ連観にも通じた人の眼にはむしろ「古めかしい」と映るだろう。そうした全体的感想とは別に、個々の部分をとってみれば、ともかくも取り上げるにたる論点がいくつかないわけではない*2。だが、ここではそれよりもむしろ、本書の政治的文書としての側面について考えてみたい。
 いうまでもなく、不破哲三は長らく日本共産党の書記局長・委員長・議長といった職をつとめ、それらの職から引退した後も、党付属社会科学研究所所長として、いわば代表的理論家という役割を果たしている。そして日本共産党は、好むと好まざるとに関わりなく、現代日本政治に一定の無視できない位置を占めている。先頃の総選挙を思い出してみても、いわゆる野党共闘が成り立つかどうかで選挙結果が左右される度合いは相当大きいが、その野党共闘の成否に関わる一要因として、共産党以外の諸野党が共産党に対していだく「アレルギー」という問題がある。そのことを念頭におくなら、本書の狙いは、そうした「アレルギー」を解消するための一つの方途として、「スターリンやソ連はわれわれ(日本共産党)とは縁もゆかりもないのですよ」と説明する点にあるように見える。だが、このような説明の仕方はどこまで効果的なのだろうか。
 本書の中の一つの発言として、1930年代半ばのコミンテルンの方針転換(統一戦線戦術採用)は、「こちら(共産党)ではなく、そちら(社会民主主義)が変わったから、新しい戦術が可能になったという理論だて」でしかなかったという批判的指摘がある*3。これはある程度まで当たっているだろう。だが、この発言をもじって言えば、本書は全体として、「こちら(日本共産党)ではなく、あちら(スターリンとソ連共産党)に問題があった」という議論に終始している。このような「こちらには問題がない」「こちらは常に正しい」という独善的確信こそ、他の野党が感じる「アレルギー」の一つの要因ではないだろうか。
 本書を通じて、不破も渡辺も「議会制民主主義と反対政党結成の自由を含む政治的自由を柱とする民主的な機構」を重視すると力説し、かつては敵視していた社会民主主義に対しても柔軟な評価を示したり、資本主義の枠内で「ルールある資本主義」への進化を「前進」と評価するなど、他勢力との統一戦線ないし共同行動を積極的に呼びかける姿勢を示している。そのこと自体は結構である。だが、その底に「こちらは常に正しい」という確信が貫かれているなら、統一戦線も共同行動も結局は利用主義的なものに終わるのではないかという懸念がつきまとう。そうでないことが示されない限り、「アレルギー」は克服されないのではないだろうか。
 
(2017年11月12日にフェイスブックに投稿した文章に若干の補足と文章上の微修正を施したもの)

*1渡辺治・不破哲三『現代史とスターリン――『スターリン秘史――巨悪の成立と展開』が問いかけたもの』新日本出版社、2017年。副題に示されるように、本書は不破哲三の単著『スターリン秘史――巨悪の成立と展開』(全6巻、新日本出版社、2014-16年)を受け、いわばその解説のような性格をもつ書物である。
*2私は6巻本の『スターリン秘史』をまだ読んでいないが、総目次やこの対談からその概要を窺うなら、主たるテーマは1930年代半ば以降のコミンテルン史、第2次世界大戦(末期の対日戦を含む)、戦後初期の冷戦開始(朝鮮戦争を含む)などであり、最も重要視されている資料はディミトロフの日記のようである。本格的な歴史研究という印象は受けないが、個々の点に関しては専門の見地から検討する意味のある個所が含まれるかもしれない。一つの例について次注で簡単に触れるが、コミンテルン史、日ソ関係史、朝鮮戦争史などの専門家による更なる検討を期待したい。
*3『現代史とスターリン』73頁。簡単に補うなら、1935年の第7回コミンテルン大会で打ち出された人民戦線(反ファシズム統一戦線)戦術は、従来しばしば「歓迎すべき転換」と理解する傾向があり、それをスターリンと切り離す解釈もあったが、実はむしろスターリンの主導した転換であり、そこにおいては、それまでの「社会民主主義=主要敵」論(社会ファシズム論)が反省されずに温存されたというのが本書の主張である。私見を挟むなら、人民戦線戦術採用がスターリンの主導だという主張自体は正しい――但し、これは不破がいうほど新しい見解ではなく、むしろ大分以前から指摘されてきたことである――し、この転換が社会ファシズム論を克服するものでなかったという指摘も当たっているが、1934年末のキーロフ暗殺がスターリンの陰謀だという俗説に基づいて「大テロル」とコミンテルンの転換が「同時並行作戦」だったとする謀略史観(60頁)はいただけない。